2006年1月アーカイブ

博士の愛した数式

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今日は,CT の検査だった。造影剤の注射で体がかーっと熱くなり,気分が悪くなった。「気分は悪くないですか?」と検査終了後,看護士が気づかってくれたが,こういうときいつも「いえ」といってしまう。

病院からの帰るさ,武蔵小杉駅で電車を待っていたら,向かい側とこちら側のホームとの間で,小学生がじゃんけんをしていた。思わずほいっとチョキを出してしまいそうになってしまった。

夜,子供をほったらかしにして,妻と川崎チネチッタに映画を観にいった。『博士の愛した数式』。妻から原作を借りていて,映画を観るまでに読んでおこうかと思っていたけれども,かなわなかった。

「ルート」と呼ばれる頭の平らな小学生が出てきて,頭も物わかりもよいのでちょっと?のところもあったが,「真実は数式と同じでこころにしかない」なんてかっこいいセリフの似合うよい映画だった。原作はどうなんだろうかと思ってしまった。最後のウィリアム・ブレイクの詩の引用(一滴のしずくに海をみる云々)はつき過ぎでどうかな。

あの子が「ルート」なら,私はなんだろう? 最近腹が出てきたのでさしづめ「シグマ」か。

映画が幕になってハコから出たところで,なんと主演の寺尾聰が向こうからやってくるではないか。「仕事の帰りによってみた」そうである。昔からファンである妻は少し上気していた。携帯電話で写真を撮らせてもらった。平日の夕方なので観客が少なくて,ちょっと彼には気の毒だったが,彼は十人くらいに取り囲まれて,にこにここの映画の話をしていた。サービス精神が旺盛で感心してしまった。

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『オネーギン』に関する論文をすこしずつ書いている。

ある単語の用例を調べるために,久しぶりにプーシキン電子コンコーダンス・サービスを使った。使いにくい。検索条件に該当する単語の用例が KWIC 形式で出力できるのだが,リファレンスがテクストのファイル行番号で出る。なんとも間抜けな仕様である。しかしこれを改善して作品名で表示するには,コーパスの作成段階でインデキシングの工夫を要する。サラリーマンの私には,そこまで作り込む余裕がまるでなかったわけで,設計当初からなんとかしなくてはと考えていた欠点である。

言いわけはよいとしても,これではたしかに使う人がいないはずである。論文ができたら,こちらの改作にとりかかろう。

現在は単語検索しかできないが,脚韻パターン条件や近接・隣接条件でもテクストを検索できるようにする。つまり指定単語条件で詩行の末尾を探索して該当するパターンを表示したり,ある語とある語が指定行以内に同時に出現するテクストの断片を検索したり,統計をとったりできるようにする。ジャンルだけでなく,作品を指定してその範囲内で処理可能にする。結果のリファレンスも,作品名,章,節,行を表示するとともに当該テクスト本体へのリンクを貼る。

とまあ,最近は満員電車のなかで思いを巡らしているんである。

スミルノフの音楽

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スミルノフさんに久しぶりにメールを書いた。彼は 1948 年ロシアに生まれた現代作曲家である。モスクワ音楽院を卒業し,エディソン・デニソフに作曲を学んだ。Wikipedia に彼の記事がある。ご夫人も,これまた高名な作曲家エレーナ・フィルソヴァである。ちょっとしたきっかけで四年ほど前から私は,ロシアの音楽や芭蕉,プーシキンについてたびたびメールのやりとりをするようになっている。彼が芭蕉の俳句をテキストにした声とアンサンブルのための室内楽作品を作曲した際,私も芭蕉の解釈や日本語テキストの確認などで協力したりしたりもした。お礼にそのスコア初稿のほか,室内オペラやコンチェルト作品の CD をくれ,それらは私の宝物になっている。

私が彼の音楽にはじめて魅せられたのは,大学時代 1986 年のベルリン芸術週間「モスクワの今日」特集で取り上げられた彼の『四季,作品 28』である。『四季』はウィリアム・ブレイクの詩によるソプラノ,フルート,ヴィオラとハープのための室内歌曲だ。作曲家にとってウィリアム・ブレイクの詩は特別な意味をもつ。ブレイクと芭蕉は,彼の音楽作品を決定づけるくらいの意義をもっている。

その当時,ソヴィエトの無調音楽のアグレッシブな現代音楽は,当局によってブルジョワ的反体制の烙印を押され禁止されていたため,ほとんど知る機会がなかった。ベルリン芸術週間のこの特集で私はデニソフ,シュニトケ,グバイドゥーリナといったおそらく音楽史に名を残すはずの作曲家をはじめて知ったのである。そこで耳にしたロシアの現代音楽は,ひとことでいえば,寡黙で寓意に満ちており,非常に緊張した超越的な音響を特徴とする,非常な印象を残すものだった。スミルノフの『四季』はそのなかでもとくに私の印象に残ったのである。

スミルノフの音楽は,チリンギアン弦楽四重奏団やブロツキー弦楽四重奏団の演奏でレコードも出ており,輸入盤ではあるが日本でも入手可能である。

オネーギン第四章

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『エヴゲーニイ・オネーギン』第四章を読んでいてひとつ発見をした。第四章と第五章の構成のある矛盾に気づいた。トマシェフスキイも,ロートマンも,ナボコフも,当然マコゴネンコも,ボチャロフも指摘していない,プーシキンの自然・風俗描写様式に関するものである。

だが,ロシアの自然や生活に関する私の無知ゆえの,ナイーブな誤読であるとばかばかしい。やはり出発点だけは経験豊富なひとに相談したい。とはいえ近くにロシア通はいない。

しようがなく意を決してスミルノフさんにメールで意見を聞いてみた。彼は英国在住の現代ロシアの作曲家で,文学についてもよく知っている。私は彼とここ四年くらいメールのやりとりをしているのだ。私の書くロシア語がいまいちピントがずれていてうまく主旨が伝わらない部分もあったが,概して私の思いつきを勇気づけてくれた。

本業で超多忙なんだけど,どうしても論文にまとめたいと思っている。だからそれが何かはここではヒミツ(そんなたいしたことか?)。でも,書いたからといって,どこに発表するんでしょうか?

年始からプーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』について私のうんちくを書いてしまったこともあり,久しぶりにロシア文学関係の論文集を読んだ。プーシキン没後 150 年を記念して 1987 年に出た論集『プーシキン再読』である。

外国文学をやったひとはたいていそうだと思うが,研究のために読むのはもっぱら本国研究者の書いたものだ。日本人研究者の仕事は学会での発表で触れるくらいではないかと思う。私も学生のころはそんな一人だった。ロシア文学研究で日本人が書いた文章を読むようになったのは,実は就職してからである... 私には学会に入るほどの熱意はないけれど,現在も大学時代のよしみでスラヴ学研究論文集を送っていただくことがあり,来たものは必ず目を通すようにしている。もちろん,学究心に燃えてというよりは純粋に読み物として楽しむわけである。あのひとはいまこんな研究をしているんだとか,最近はアカデミズムが定着したもんだなあとか,まあそんなくだらないことを考えながら。

『プーシキン再読』を読んで興味深かったのは,やはり木村彰一先生の論文である。編者である法橋先生の論考も気合いが入っていてよかった。どちらも『エヴゲーニイ・オネーギン』の作品論であった。

木村先生の論文『《Evgenij Onegin》, I, I, 1-5 の解釈について』は,目の付けどころ,論法,そして結論とその意義づけに感銘を受けてしまった。1968 年に書かれた論文を今頃読んで感じ入っている自分を笑ってしまった。語り尽くされたかに見える『オネーギン』研究にあって,日本の研究者にありがちな批評風ディレッタンティズムが微塵もない,学術研究に徹した素晴らしい作品論なのだ。ナボコフの誤りを訂正している点で高い価値があると思う。

木村論文は,かの Vladimir Nabokov の有名な "Commentary on Eugene Onegin" の第一章書き出しの解釈について,著者ナボコフの論を弁駁し,作品の本質に関わる重要な解を提示した。この注釈書は作家ナボコフがそのロシア文学研究者としての知見のすべてを投じて世に問うたものであり,数ある注釈書のなかでももっとも権威ある文献の一つになっている。先生は,叔父の財産相続人となって領地へ向かう際のあの皮肉に満ちたモノローグのなかに,ナボコフが主人公の叔父への「嘲り」を読み取っているのに反論する。オネーギンが叔父に対し嘲りではなく文字通り尊敬すべき「律儀」を見ていること,皮肉な調子は自己に対するものであることを明快に論じている。さらにこうした心情表現が先立つロシア文学には前例がない,近代的自嘲表現の先駆けであるという指摘。主人公の性格における "честный"(律儀,実直な)という語のもつ重要性の論証などなど,今日の今日をもって私には新鮮この上ない。

とくに風刺的色調ではじまる物語の書き出しから,主人公の性格に「するどい道徳的感受性をそなえた近代的な知識人」(p.59)を認める解釈は,ちょっとビンタをくらった感じだった。私は Юрий Лотман の "Роман в стихах Пушкина «Евгений Онегин». Спецкурс: Вводные лекции в изучение текста, Тарту, 1975"(『プーシキンの韻文小説 ≪エヴゲーニイ・オネーギン≫』)の矛盾の原理に関する論考に打ちのめされて以来,書出しの部分には『放浪者メルモス』のパロディーしか読み取らないようになってしまっていたのだった。

木村先生はこの論文の主旨をナボコフに知らせたのだろうか。1968 年ではナボコフはまだ存命だったわけだ。本来なら木村先生の指摘で,改訂版が出てもよいと思うのだが。

木村先生は日本を代表するスラヴ文献学者であるだけでなく,『外国語上達法』(千野榮一著,岩波新書)では「語学の神様S教授」と称賛されるくらい,英・独・仏・希・羅語にかけても一流の学者・ポリグロットだった。博友社ロシア語辞典,白水社ポーランド語辞典や,教会スラヴ語の教科書も残している。あの木村・相良独和辞書の木村謹二博士のご子息である。

私は木村先生の講義を受けた最後の学生の一人である。1985 年夏,札幌での『エヴゲーニイ・オネーギン』の集中講義。このじいさん,本当に『オネーギン』がすきなんだなあ。講義そのものの内容はすっかり忘れてしまった。講義のあと酒をごいっしょした。しきりにプーシキンのこと,大ロシアのこと,日本の小説のことを語っていた姿。「日本人が向こう(ソ連)へいくとロシアは息苦しくて,ウクライナびいき,ポーランドびいきになるんだな,福岡君,灰谷君,みんなそうだ。でも僕は大ロシア主義だね,大国特有のいやみもあるけどそれに見合った大きさをやっぱり買うね」。またどういういきさつから出たのか,「太宰治もすきなんだよねえ」というような言葉が妙に私の印象に残っている。

大学院時代の私の主任教授は福岡星児先生だった。福岡先生は木村先生の一番弟子だったので,私は木村先生の「孫弟子」だと勝手に思っている。大学院のロシア作詩法の演習で,福岡星児先生と二人で,Леонид ТимофеевЛидия Гинзбург を読んだものだった。1985 年ころの当時は大学院生が少なく,ロシア文学修士課程の学生は私しかおらず,先生とたった二人きりの授業だったのである。二人だけなので勝手が利いた。五月の天気のよい日などは,大学植物園に行って昼間っから少し酒を飲んで,世間話をしたものである。

木村先生,福岡先生とのこうした日々は,いまは一介のシステムエンジニアでしかない私の,唯一自慢できる経験であり,学生時代のもっともよい思い出である。もうお二人とも亡くなってしまった。
 

プーシキン再読

 

misima バグ

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misima のバグを見つけた。

ある Web サイトを見ていて,「かわゆらしい子」という言葉を前にちょっと考え込んだ。「かわいらしい子」じゃないのか?古語に「かはゆし」があるので,間違いとはいえないと納得する。広辞苑第二版を引いてみると「かはゆらし」がある。形容詞から語尾の「い」を取り去って「らしい」の付く形を misima が考慮していないことにピンときた。misima に「かわゆらしい子」を食わせてみると,果たして「かはゆゆらしひ子」ととんまな変換結果を吐き出した。な,なにどもってるんだ。

misima のデバッグ機能で茶筌の解析結果と変換過程トレースを確認する。たしかに「かわゆい」のような形容詞において「かわゆ」が単語として切り出される場合を見落としていた。通常,形容詞は「かわゆく(思う)」「かわゆい(ヤツ)」のように語末に「く」「い」などが付く。設計では,旧仮名辞書形容詞終止形から末尾の一文字「い」をとって,対象語出現形に,末尾一文字を残して重ね合わせればよいはずだった。ところが今回,「かわゆ」なんかで切り出されると「かわ」の部分に「かはゆ」が収まって「かはゆゆ」となってしまったのだった。設計不良。misima の旧仮名変換ロジックに手を入れたのは久しぶり。問題箇所を特定し対策を施すのに手間取ってしまった。

しかしプログラムの対策だけでは不十分で,形態素解析ソフト茶筌の辞書にも「かわゆらしい」という語を登録しなければならなかった。そうしないと茶筌は,なんでか,「かわゆらしい子」を,「かわゆ<形容詞/かわゆい/ガル接続形」「ら<名詞/ら(「ヤツら」の「ら」)」「しい<動詞/しいる/連用形」「子<名詞/子」と解釈してくれるんである。そうすると misima は「しい」の部分を「しひ」に旧仮名変換してしまう。辞書に登録すれば茶筌は「かわゆらしい<形容詞/かわゆらしい/基本形」「子<名詞/子」と解析し,misima の旧仮名変換も正しい結果を出力する。

misima のメンテナンスはこんなふうに面倒なのだ。本,Web サイト記事を読んでいると言葉遣いが気になってしようがない。変わった表現に出くわすと misima で変換してみたくなってしまう。あきらかな日本語誤りは別だけど。いったんプログラムを書いて公開してしまうとやっかいなものである。

クリスマス・プレゼントに万年筆をもらって,目を輝かせる小学生がいる...

そんな子供,本当にいるのか,なんて考えてはいけない。中学の入学祝いに大伯母さんからセーラーの万年筆をもらった。この小学生のような空想未来小説への憧れと書きたいという思いはまるで私にはなかったけれど,うれしかった。書いたら消せない,鉛筆とは違う,後戻りを拒む万年筆。ちょっとした緊張感を覚えたものだ。

最近は万年筆,鉛筆などの筆記用具でもって紙に文字を書きつけることが少なくなった。仕事でも,プライベートでも,いま私がしているように,コンピュータ(あるいは携帯電話?)に向かってタイプする。私はこの行為をも「書く」などと平気で「書く」。

書家石川九楊の書『書字ノススメ』は,こんなコンピュータ・タイピストたちを批判している。彼によれば,書くということは筆を通して人間が身体の過去と現在を定着させる感触/行為に他ならない。これを「筆触」といっている。ワープロなどで文章を作るのは人間精神の所作ではないと断言する。キーボードのボタンを押す動作の延長に立ち現われる,自動出力された一様の文字からは,生のまともな発露は望めないというのだ。

「うむ。過激だなあ」と少し辟易する。人間が己の手でわが身の存在を無なる空間に定着させてゆく感触/行為そのものこそが書くことの本質である,というのは,しかし,へたな身体論より気迫がある。気負い,逡巡,動揺などのそのときの精神状態や,修練,経験,考え方,感じ方などの生の蓄積が,運筆の時間の過程で,人間精神を象徴する文字,言葉として,析出すること。

こんな私でも,システム/プログラムの設計や,顧客提出資料のスケッチをなすときは,妻がくれた WATERMAN の万年筆で大学ノートに書く。計算機に向かって入力するのは「設計」が終わってからでないとダメである。思考を研ぎすまそうとすると,手を動かして,真っ白な無の広がりに対し,自分自身のその場限りの文字やイメージを書きつけてゆくのである。石川の主張とは少しずれるが,人間の精神のいとなみの核心部分と書く行為とが,たしかに直結しているような気がする。

昔の侍が刀で人を斬るのと,現代の軍人がミサイルの発射ボタンを押すのとの違いをなぜか連想してしまう。後者には殺傷のリアリティはない。この書家の論ずるところに人間的なるものを感じる所以である。

書字ノススメ (新潮文庫)
石川 九楊
新潮社 (2000/10)

Jedit X ユーザ登録

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今日,Mac OS X のテキストエディタである Jedit X のユーザ登録をした。OS 付属のテキストエディットというのは使い勝手がよろしくない。また Emacs は使い慣れた文房具ではあるが,X11 で動作するので,Safari やその他の Mac OS X ネイティブプログラムとのコピー・ペーストが思うようにできない。で,Mac OS ソフト連携用に適当な高機能エディタを入手することにしたわけだ。

Jedit X は,設定なしで,UTF-8 多国語テキストのラテン系言語,キリル系言語,古典ギリシア語,タイ語,ヴェトナム語,中国語,韓国語をひととおり表示できる。Mac の多国語インプットメソッドでロシア語入力もまったく困らない。こういうのが 10 年前にあったらどんなによかったことか。そのころは UNIX 上で Emacs (Mule) くらいしか多言語編集ができず,その後の私の計算機利用を決定づけて,いまに至っている。

やっぱり Emacs が手放せない。周辺ツールやら,慣れやらといった過去のしがらみのため。最近は,興味本位で計算機関係のことがらを習うとか,環境を揃えるとかに,言い知れぬ苦痛を覚えるようになってしまった。ハードウェアに関する話はまったく興味を失ってしまった。(もちろん個人的に使うパーソナルコンピュータのことであって,仕事で扱う計算機は別)

ひとつですべての仕事がまかなえる,というのはなかなか望めないらしい。

Mac OS X 10.4.3 update

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Mac OS X 10.4.3 update を適用してから,調子がよい。

昨年 4 月末に手に入れた Mac は,iTune で音楽を鳴らしていたり,sleep させたりすると頻繁にフリーズしていた。あまりに当たり前の操作で起こるのだから,当然 Apple も認知しているんだろう,すぐ修正されるんだろうとの思いをよそに,インターネットで検索してもこの問題で騒いでいる記事がなかったので,つくづく Mac は隠し事をする陰湿な世界なのかなあとつまらない勘ぐりをしていたのだった。

ネットワークを通じて度々アップデート通知があり,そのつど期待しながら修正版を適用し,そのつど裏切られ,そのつど Emacs を再インストールさせられたが,昨年 11 末に PowerMac G5 用ファーム修正を含む 10.4.3 を入れ込んでから,問題が発生しなくなった。虹色のボールがくるくる廻って考え込む場面はまだないわけではない。でも,作りかけの文書がパーになって,やり場のない怒りに震えることはなくなった。

Mac OS X は BSD UNIX がその基盤にあり,従来の Mac OS の豊富なアプリケーション・サポート,遊び心と,UNIX の強力なツール群,硬派な開発者精神が共存した素晴らしい OS である。あとは X11 と Aqua がきちんと連携してくれれば申し分ないのだけど。最近,Intel プロセッサでも動作するようになったらしい。Microsoft にとってはとんでもない事件ではないかと思う。

10.4.4 update の通知がきた。どうしようか迷っている。パッチを当てると,また Emacs の再構築をするはめになるんだろうなあ。

Ozon 海外発送不可...

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ロシアの書籍を Ozon で注文するようになって二年になる。このロシアのインターネットマガジンサイトは,ソヴィエト時代のよい古書が出るし,クレジットカード決済ができ,海外発送してくれるので重宝していたのだ。注文してから届くまで早くても二ヶ月を要し,商品の到着前に代金が引き落とされるのがちょっと不満なのだけど。世がインターネット時代となり進歩したなと私が思う数少ない事象である。

外貨レートの恩恵もあり,かつて学生のころ欲しくてたまらなかった書籍を次々と Ozon で入手できた。かの有名なプーシキン語彙辞典,詩人文庫の 1820-1830 年代詩人集,ヴェネヴィーチノフ全集など,もう手に入らないと思っていたテクスト。ロートマンのオネーギンの注釈書,トゥイニャーノフ,ジルムンスキイ,ヴィノグラードフ,トマシェフスキイなどの,学生時代,大学の図書館で首っ引きで読んだ文芸理論書,プーシキン研究文献。オリガ・フレイデンベルグ(詩人パステルナークの従妹でもある古代文学研究者)の幻の名著,1936 年版『プロットとジャンルの詩学 Поэтика сюжета и жанра』がスターリン時代,独ソ戦争を潜り抜け,刊行後 60 年以上を生き延びて,私の手元に届けられたときは感激したものだ(ちょっと大げさ)。こんな古書が比較的保存状態のよいものでも,500 ルーブリ(約2000円)程度なのだから驚く。

ところが,最近になって海外からの注文が不可になってしまった。メールで問い合わせてみると,古書とディスク媒体製品の海外発送が一時的にできないようになっているとの回答があった。しばらくすればまた可能になる見込みとのこと。「いましばらく」とはロシア時間では,どれくらいなのだろうか。

もし今後もダメとなると至極残念である。

昨年10月,和歌山にいる友人から一冊の本をもらった。辻邦生と水村美苗の往復書簡集『手紙,栞を添えて』である。

水村美苗は,実はこの本ではじめて知った作家である。妻に聞くと,『續明暗』を書いたひとでしょ,と教えてくれた。最近の小説にも注意を怠らない妻が少し眩しく見えた。私は昔から純文学というもの(いまもこんな概念が流通するのかはわからないが)をあまり読まない。とくに働きはじめてからは,推理小説やスパイ小説,新書本ばかりが通勤電車の道づれとなっている。

10末納期のシステム開発がピークだったので,なかなか『手紙...』を手にとる時間がなかった。11月になった土曜日にようやく読みはじめた。ところがたいへん筋のよい本で,久しぶりに読書で徹夜をしてしまった。

この本の立場は「To the happy few」というスタンダールの引用に集約されている。書かれた物語になんの偏見も先入観もなく触れ,喜びを見つけることのできる少数のひとたちへ。物語がもたらす世界のすばらしさを,気取りもスノビズムもなしに,語り開いてくれるのだ。

書簡体の対談論集にしか見出せない自由で,美しい書法。ことにプロローグとエピローグの美しい語りを堪能した。トスカーナの古い僧院の鐘の音,信州の透明な風のトンネル。読むことそのものの喜びを説くのに,なにものにも代えがたい文章だと思う。

「人間の精神には,今ここに流通する言葉から抜け出したいという欲求がある」との水村美苗の洞察にはまったく同感。日常から物語に,ときには,抜け出したい。唸った延長でこの言葉を,旧仮名遣いに関する駄文「misima について」のエピグラフとして頂戴してしまった。私自身は旧仮名遣いなんかで日常から離脱する色気はこれっぱかしもないのだけれど。

本を送ってくれた友人は,新年のメールで水村美苗の小説『本格小説』を勧めてくれた。まだ本屋に行く機会がないが,時をおかず読みたいと思う。

手紙,栞を添えて
辻 邦生 水村 美苗
朝日新聞社 (1998/02)

オネーギン第三章

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プーシキンの『オネーギン』第三章はオネーギンとレンスキイの会話ではじまる。詩の形式に押し込まれた口語会話文は散文小説のものとは明確に異なる陰影をもつ。詩形式について今日は注目。

『エヴゲーニイ・オネーギン』は韻文小説である。十四行からなる詩行で一詩節をなす韻律が全編を一貫する。作品中に挿入された「タチヤーナの手紙」,「娘たちの歌」,「オネーギンの手紙」は,この詩形式の例外である。

詩行は四脚イアンボス格と呼ばれる韻律に基づく。これは二音節詩脚が四つ連続し,偶数音節にアクセントを有する(弱強格)。イアンボスは古典ギリシア詩以来の古典的詩格のひとつである。詩節は aBaB / ccDD / eFFe / GG という一定の押韻法で構成される。同一英文字で表現した対詩行の行末がそれぞれ韻を踏む。脚韻は末音節上のアクセント有/無によりそれぞれ男性韻/女性韻と呼ばれ,スキーム中の英大文字は男性韻,英小文字は女性韻で押韻する詩行を示す。四脚イアンボス詩行は,男性韻では八音節であり,女性韻ではアクセントのない音節が行末に位置する九音節となる。詩脚のアクセントはしばしば欠落する。これが詩のリズムに起伏を与える要素になっている。

四脚イアンボス詩行( _: 無アクセント音節, /: 有アクセント音節, |: 詩脚区切り)

_/|_/|_/|_/|  (男性韻)
_/|_/|_/|_/|_ (女性韻)

第一章第一節を例にとり,詩節のスキーマをドイツ式翻字法で示す:

a: Moj djá|dja sá|mych čést|nych prá|vil,
B: Kogdá | ne v šút|ku za|nemóg,|
a: On u|važát' | sebjá | zastá|vil
B: I lú|čše vý|dumat' | ne móg.|
c: Egó | primér | drugím | naú|ka;
c: No, bó|že moj,| kaká|ja skú|ka
D: S bol'ným | sidét' | i dén' | i nó|č',
D: Ne ot|chodjá | ni šá|gu pró|č'!
e: Kakó|e níz|skoe | kovár|stvo|
F: Polu|živó|go za|bavlját',|
F: Emú | podúš|ki po|pravlját',|
e: Pečál'|no pod|nosít' | lekár|stvo,
G: Vzdychát' | i dú|mat' pro | sebjá:|
G: Kogdá | že čért | voz'mét | tebjá!|

一詩節は物語のプロット,場面と対応し,末尾においてしばしば警句表現が詩節を引き締めるなど,韻律は作品の意味構造そのものと相互影響下にある。

詩において音声要素は抜きさしならぬ役割を果たしており,『オネーギン』の音韻・リズムの妙は作品発表当時から多くの詩人・研究者が書くところである。これはロシア語でないと味わうことができない。詩に限らず原語でないと把捉できない言葉の陰影があり,専門家には『オネーギン』の本質は翻訳では理解できないことを強調するものもいる。しかし『オネーギン』の詩的構造の面白さは日本語訳でも十分に味わえる,と私は思う。

たとえば次の,タチヤーナが恋文を送ったあと,オネーギンの来訪に激しい動揺を覚える場面:

三八
かかる間も胸はうずいた。
物憂げな眸に涙はあふれていた。
ふと馬の蹄の音! ......さっと血がひく。
もう近い! 飛ばしてる......邸へはいった。
エヴゲーニイだ! 「あっ」と叫んで影より軽く
タチヤーナは裏玄関へとび出した。
階段おりて戸の外へ出てまっすぐ苑へ
走る 走る。あとふり返る
気力もない。花壇 小橋 芝生
湖へ出る並木道 小さな林
またたくうちに駆け抜けて
リラの茂みを踏みしだきつつ
花の畑の間を縫って小川のほとりに辿りつき
息もたえだえベンチの上に
三九
はたと倒れた......
         「うちへいらした! エヴゲーニイさま!
ああどうしよう! どうお思いになったろう!」
・・・略・・・
[3, pp.144-5]
 

これは詩節を飛び越えて,女主人公の衝動的心理状態を「明示」している。

また一例。

・・・略・・・
「冗談だろう」「とんでもない」「ならいいよ」
「いつにしようか?」「今すぐにでも。
よろこんで迎えてくれるに違いない。
さあ行こう」
      二人は馬車を走らせた。
向うへつくと 客をよろこぶ昔の流儀
下へもおかぬ歓待ぶりに
ときにはうんざりするくらい。
ご馳走はだれでも知ってるれいの品々
小皿に載ってジャムが出る
こけももの汁のはいった水差しが
蝋引きの卓におかれて
...............................................................
...............................................................
...............................................................
...............................................................
...............................................................
...............................................................
[3, pp.104-5]
 

詩行の足枷が散文的な会話で強調されている。いまにも抜け出したくてうずうずしている。短歌形式で書かれた口語会話文を仮に想像してみるとよい。また詩行の欠落は,詩の韻律があればこそ知覚されるところとなって,田舎の「うんざりする」「れいの品々」の省略をコミカルに,示威的に強調する。

詩形式であるがゆえのこのようなダイナミズムは日本語訳でも理解できるのである。音韻の規則的スパイラルが造形する幾何学的構成美は,原典でないと感じとるべくもないけれど。木村訳も五音と七音の語句を中心に,微妙に八音をとりまぜ巧妙に日本語のリズムに移し変えている。
 

エヴゲーニイ・オネーギン
アレクサンドル・プーシキン
木村 彰一 訳
講談社 (1998/04)

娘,塾に行く

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五年生になる下の娘が二時半すぎに塾に行く。今日は試験だいうのにぼーっとしている。

「おい,なにボケっとしてんの?準備はしたの?」
「イメージトレーニングしてんの。100点とるの。」

まったく口が減らない。

なんで小学生から塾なんかに行かなきゃならないんだろうか。馬鹿馬鹿しい。まず学力がいまいちだからなんだけど,もうひとつ,学校は応援団だと割りきってしまったからなのだ。

去年,授業参観にいった。

分数の授業である。図が黒板に掲げられている。正方形を三列三行九つに割って,さらに中央に縦の点線が引いてあり 1/3, 2/6, 3/9 が同じ大きさであることをイメージ付けする。たしかによくわかる図である。

約分について学ぶのかな。ぼくももう一度新鮮な気持で教えてもらおうっと。

先生が説明をする。

説明のあと先生はプリントを配る。そこには,二等分,三等分 ... 十等分した目盛の付いた同じ長さの線が縦に並んでいる。子供たちは,「先生,これ分数の同じ大きさのところに線を引けばいいの?」とか,「ちょっとよくわかんない」とか,「約分って何?」とか,めいめい勝手に発言する。先生は,まったく自尊心が傷つかないのか,怒りも注意もしない。そのひとりごとみたいな質問を取り上げて補足することもあり,耳に入らなかったのか無視することもある。補助教員(なんてのが控えているのだ)がつかつかと生徒の脇に歩み寄って,ひそひそ何かささやく場合もある。

手をあげ,指された子供は,意を決して起立して,みんなが注目するなか先生に質問し,一方先生はみんなのためになるよう,これに対峙する。そんな,あの私たちの学校の光景はない。先生が質問を出して,手をあげさせ,指名して答えさせるというのもまったくない。

まるで国会のやりとりのようではないか。議長指名の議員が質問するわけだが,後ろから「わかんねーよ」,「知りもしないやつがなに言ってんだー」のような野次が絶えないのと同じではないか。

「約分って何?」との声に,同じことを考えていた私はどきりとしたのだが,国会の野次と同じくやり過ごされてしまった。子供は自分勝手に発言し,無視される。当てられて,正解を誉めてもらえることもない。こうやって自分勝手で報われない子供ができあがるのか,とちょっと暗いことを考えてしまう。補助教員も「暗躍」しているように見えてしまう。

先生は涼しい顔をしている。

子供たちは約分がわかったのだろうか。先生は子供たちの反応を気にしている様子がない。「わかった?」となぜ問わないのか。やって,やらせて,誉めるのが教育の基本ではないのか。時間がきたので終わり。これは大事なことだろう。これこそ客観的というものである。

どうも学校の位置づけは,私たちのころと比べると,変質してきたらしいのだ。この若い先生だけがこうなんだろうか。違うと思う。

学校はいまや,未来を担う子供たちを育てる聖域ではなくて,所定の時間勉強をさせる行政サービスである。授業をとり行うが,子供の身についているかどうかは「自己責任」らしいのだ。しかも事業計画のない「理念」だけの行政サービス。目標や計画がないから成果の評価も免れる。理念は唱えていればよい。

子供を叱れるわけがない。納税者の子弟なのだから。第一,勉強を教えるのが仕事なのに,どうして叱る必要があるのだ。叩いてケガなんてさせたら誰が責任をとるのか。みんながわかったかなんて気にするのはナンセンスだし,無理。だって利口者もいればバカもいるのが世の中なのだ。子供たちを競争させてはいけないのである。負けた人間が可哀相ではないか。誉めたり,けなしたりするとエコひいき,不公平になるじゃないか。いじめの原因になるじゃないか。こうして子供は先生を畏れぬようになり,己のバカさ加減 — 試験の成績が悪いということに限定されない — に気づくこともなく,長じていきなり世の不条理にさらされる。昔気質の先生はウツ病になっていく。先生は大変な職業なのだ。

時代は変わった。学校はもはやトレーナーではなく,負けた人間に実は冷たい応援団でしかない。勝っても負けても責任がない。日本の未来にも責任がない。無限責任は無責任に簡単に転嫁されうるというわけだ。すばらしい理念はある。でも考えてみればこの構造は本質的にはいまに始まったことではない。自分でやるしかないのである。それにしてもねえ。

家で娘に聞いてみた。

「今日の授業で,約分のことわかった? お父さんは 1/3 と 3/9 が同じなんだということしかわかんなかったんだけど。」
「塾でやったから知ってるよ。」

約分とは,正方形のあの図から「達観」すべきものなのだということがやっとわかった。大学でもやらない高度な授業を聴いたわけである。学校で「空気読めよ!」という言葉がはやっているそうだ。あほらしい。

オネーギン第二章

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プーシキン『オネーギン』第二章は,登場人物の紹介がおもな内容である。作者は,文学臭をもった登場人物の特徴をアイロニカルに描く。

「シラーとゲーテをはぐくんだ/空の下 二人の詩人の詩の火を享け」[2 (章), p. 70 (木村訳本ページ)] た感傷的・理想主義的詩人のレンスキイ,「どんな小説を開いてみても こうした美女は/見つかるはず」[2, p. 84] のオリガ,「彼女にとって/小説はすべてであった」[2, p. 90] タチヤーナ。オネーギンにはチャイルド・ハロルド [1, p. 42] のみならず放浪者メルモス [1. p. 9] の相貌が与えられている。文学的パロディーのオンパレード。

とくにレンスキイの描写には笑ってしまう。第六章からの引用だけど,感傷的なもって廻った詩人の詠嘆に対して,作者は一言の要約を対置し,前者を相対化する。

彼<レンスキイ>は心に思うのであった。『この人の
救いの神におれはなるのだ。女たらし<オネーギンのこと>が
溜め息と賞讃の火をかき立てて
若い心をたぶらかすのを
人のさげすむ毒虫が しおらしい
百合の茎を食い荒らすのを ようやくきのう
咲いたばかりの花が見す見すまだ半開きのまま
しぼんでゆくのを おれは黙って見ていられない』
友人諸君 これはみなこういう意味だ
『ぼくは自分の親友とピストルで決闘します』
[6, p. 249]

文学(いまならマンガ,テレビのメロドラマも含めてよい)のヒーロー,ヒロインをわが身に幻想する心情を,現実・常識・散文的日常と対置することで,そのおめでたさ,虚飾を暴くわけである。しかし皮肉なまなざしでこき下ろすだけではなくて,そこには笑えない真実をも作者は充当したことを忘れてはならないと思う。これこそが登場人物に奥行きを与えているのだ。つまり皮肉なからかいを受ける要素は,「否定」されているというよりも,やはり「相対化」されているといったほうがよい。

われわれみたいなヒュメン<婚姻の神>の敵は
家庭生活なるものを ラフォンテーヌの小説に
出てくるような 退屈きわまる情景の
連続としか見ないのに……思えばふびんな
レンスキイ 生まれつきこうした暮らしに向くような
心を彼はもっていたのだ。
[4, p. 191]

登場人物の文学臭い特徴描写は,ロシアフォルマリズムの分析以来言い古された指摘であって,『オネーギン』作品理解の常識ともなっている。さらに Yu. ロートマン(日本では芸術記号論の大家としてつとにに知れ渡っているが,私にとっては超一流のプーシキニスト,文学史家である)は,文学そのものの仮構性をむき出しにするパロディー構造を,その優れた『オネーギン』の注釈書において,明らかにしてくれる。

詩の構想や主人公の名は
もう考えてある。
これでどうやらこの小説の
第一章は書きおえたぞ。
[1, p. 61]

このように作者は,『オネーギン』という作品そのものを相対化してしまって動じない。もっと面白いのは語り手そのものを相対化してしまうところである。「私」はどうもひとりではないかのようである。

本当にまぎれもなしに
哀歌の趣向も出て来ぬうちに 私の生の
春はむなしく飛び去ったのか?
今まではたわむれにそう言いもしてきたけれど
[6, p. 275]

エヴゲーニイは,きらびやかだが空虚な社交生活に若くして失望し,分別を身につけた人物としての一面を発揮する。

彼は微笑を浮かべつつヴラジーミルの言葉をきいた。
熱っぽい詩人の言葉
まだあやふやな判断力
いつまでも感激の失せぬまなざし—
何もかもオネーギンには珍しかった。
相手の興をさます言葉はなに一つ
口にすまいとつとめつつ エヴゲーニイは
心の中で思っていた 束の間のしあわせに
水を差すなど愚の骨頂
自分が世話を焼かずとも その時はやがて来るはず
それまでは生をたのしみ
世の完全を信ずるがいい。
血の気の多い年齢に免じて
若者らしい情熱も空想も許してやろう。
[2, p.76]

このようなエヴゲーニイのシニカルな視線は,しかし,のち当のエヴゲーニイそのひとに巡ってくる。後半,彼のことをバイロンの「結局パロディーなのではあるまいか」[7, p. 300] とタチヤーナは結論づける。第四章において,家庭の幸福を嫌うエヴゲーニイは,タチヤーナの恋心を「すこぶる立派に」[4, p. 161] はねつける。ところが第八章で,今度は,貴婦人に変貌したタチヤーナに「子供のような恋をした」[8, p. 360] エヴゲーニイは拒絶される。わが「運命」に従うのみとタチヤーナは断言する。

さて今日はわたくしの番がきました。
[8, p. 376]

まるで自分で掘った穴に落ち込むかのようである。それは「もうとうにその原因を/たずねてもよかったはずの病気」[1, p. 42] に陥った主人公の笑えない真実であり,作品の悲劇性はそこにある。作者プーシキン自身こそが,「名誉のぜんまい,われらが偶像!」[6, p. 245] と皮肉った激情のまにまに,登場人物と同じ轍を踏んで決闘で身を滅ぼしたのは,非常に興味深い。

「作者」をも含めて叙述要素を相対化する構造が,この作品のもっとも面白いところであり,凄さであり,現代文学でも珍しい知的興奮をもたらす。

プーシキンはどこかで「虚構と知りつつ涙に咽ばむ」と言っていた(*)。『オネーギン』のテーマには文学の虚構性と真実性の問題があったんだと思う。
 
---
(*) その後出典を調べてみた。これは 1830 年の『エレジー』の詩句である。

Порой опять гармонией упьюсь,
Над вымыслом слезами обольюсь,
А. С. Пушкин, Полное собрание сочинений. изд. 4-е, Т.3, Л.: «Наука», 1977--1979, с. 169.

河出書房新社の『プーシキン全集』第一巻,草鹿外吉訳では「ときとしてふたたび 美しいハーモニーにえいしれることもあろう/なにかを空想して 涙にかきくれることもあろう」となっている(p. 288)。よい訳である。

вымысел は確かに「空想」という訳語がある。それでも「思いつき,でっちあげ」が基本的意味だろうから,私には「虚構,フィクション」がこの詩のこころのように思われる。私の試訳:「ときにはふたたび詩の諧調に聞き惚れん/虚構と知りつつ涙に咽ばむ」。
 

エヴゲーニイ・オネーギン
アレクサンドル・プーシキン
木村 彰一 訳
講談社 (1998/04)

オネーギン第一章

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プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』を,木村彰一先生の名訳で再読。第一章の語りのなかで,文学表現に対する詩人の考えに少し注目。

まさか詩人は叙事詩の中で
自分以外のだれかのことを
書けぬわけでもあるまいに。
[1 (章), p. 57 (木村訳本ページ)]
・・・
『・・・略・・・おまえはいったい
だれをたたえて歌ったのか?』
いや 友よ だれでもないのだ!
[1, p. 59]
・・・
さて恋がさめればミューズが現われ
曇った知性も澄んでくる。
ほっとして私はまたもさがし求める
心を魅する韻律と 感情 思考の結合を。
[1, p. 60]

現実・経験と文学表現とに一線を画そうとする詩人の姿勢については,もう少し考えないと。いまではこの手の問題論は陳腐に映るかもしれないが,この場合そうではないと思う。ここでプーシキンは,現実をも,文学をも主眼にしていない。その「間」を凝視しているのだ。こんな醒めた「小説」は現代でも珍しい。
 

エヴゲーニイ・オネーギン
アレクサンドル・プーシキン
木村 彰一 訳
講談社 (1998/04)

Wnn7

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仮名漢字変換ソフトウェア Wnn7 を FreeBSD に再インストールした。FreeBSD をバージョンアップした際に Wnn7 を壊してしまい,その後放置していたのだが,やっぱり FreeWnn の変換精度には我慢できなくなった。

フリーソフトウェアで固めた PC-UNIX の欠点に,良質の文字フォントがないことと,日本語入力ソフト(IME)辞書がいまひとつ鍛えられていないことがあげられる。要するに言葉という,計算機活用の基幹において,Windows や Mac と比較すると,歴然とヘボいのだ。使い心地には汲取便所と水洗トイレの懸隔がある。

フォントと IME は辞書,文字デザインという,知恵と長い地道な努力とを要する仕事に依ってたつ以上,当然,良質のモノを手に入れたければお金を支払うことになる。また,個別にソフトウェアを買い求めると割高となるのが経済学の法則というもので,PC-UNIX 用フォント・IME を購入すると,これらが一式はじめからバンドルされている Windows,Mac OS X よりもずっと高くつく。さらに,クライアント・サーバ型の Wnn7 は標準では2接続をしか許可せず,二つのアプリケーションから使うともう変換操作を受け付けなくなり,接続数をひとつ増やす毎に数千円の追加ライセンス料が必要となる。よって,FreeBSD や Linux はフリーだから安価だという主張は,私にはどうも納得しかねるのだ。

Wnn7 を FreeBSD 5.4 に入れるのには苦労した。インストール,アップデート版への入れ替え,辞書の追加設定,ことごとく面倒で,おまけに辞書用ディレクトリのオーナーを bin に変更し忘れてしまい,その結果とんちんかんな変換の原因究明にずいぶんと悩んでしまった。

かくして,PC-UNIX は実は高くつくだけでなく,時間と労力をも要求するんである。でもどうして FreeBSD から足を洗えないのか。

UNIX は,プログラム開発のための素晴らしいツールが微に入り細に入り,威容を誇っている。それに対して,Windows や Mac は,開発ツールこそ別途苦労してインストールしなければならないが,痒いところに手のとどく豪華な商用アプリケーションが豊富である。極端に言って,UNIX は道具作りのための OS であり,Windows や Mac は,グラフィックソフトやパブリッシングツールでもってコンテンツ作成を行う,言わば道具を使うための OS である。

私は,システム設計が仕事であるが,プライベートでは,プログラムを作り,そのためにデータ調査用プログラムを作り,その動作検証用プログラムを作り,なんとも地を這うような計算機利用をもっぱらとしている。UNIX は土方向きなんだな。私が UNIX を好むのも,どちらかというとブルーワーキングが性に合っているからなんだろうと思う。

***

年賀状来るは書かざるひとばかり。

三丁目の夕日

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下の娘から聞いた話。

学校友達の間で,私は「三丁目の夕日」と呼ばれているらしい。その心は,昭和30年代のジージーいう蛍光灯みたいな貧相にあるのか,映画の強調するノスタルジアにあるのか,判断がつかない。

でも六本木ヒルズを連想させる綽名で呼ばれるより数段よい。

misima 2.1

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元日の今日,日がな一日,プログラムを作っていた。出かける元気もないし,読みかけの本(ずっと須磨がえりの新潮版源氏物語)もちょっと手に取る気の起こらない,一年の計の気概のみじんもない,なんとも間抜けな気分だった。

Utf82TeX という TeX 多言語文字変換ツールを少しばかり機能拡張した延長で,旧仮名/旧字変換ツール misima にもその機能をマージした。バージョン 2.1 ということにした。

misima そのものは結構使ってもらえているようだけど,TeX 多言語文書作成支援機能は全くお呼びでないようなのだ。Web のログ上で TeX 変換オプション指定の記録が目に留まった記憶がない。そのくせ TeX 変換機能で可能な「梯子高」の異体字出力を,一所懸命キャラクタで出そうとしているらしいログもあり,いったいプログラムのドキュメントに目を通しているんだろうかといぶかしくなる。まあ読まないんだろうなあ。

それでも TeX でさまざまな言語表記をきちんと組みたいとのこだわりがあって,こんな使われもしない機能をせっせと実装している。これは道楽,フリーのサービスなんだから,同じ志をもつ数少ないひとに心から喜んでもらえればよいのだ。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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