会社のビルとその裏手にある高層マンション区画との間に小道があり、桜並木がきれいである。今日、もうほぼ満開になっていた。お午を食べたあと、花見がてらしばらく散歩をして、いい気持だった。冷たい、少し強い風が吹き、枯れ木にとまった烏の鳴き声が高いところから響きわたってのどかだった。かれえだに烏のとまりけり春の午。くだらない。
トラブルプロジェクトも三月末を向かえカリカリも絶頂に達しつつある。プログラマのケツをたたいてお客との約束の日に対策版ソースコードを入庫させたが、これを顧客計算機に組み込む SI チームがもたもたしてなかなか検証環境でのテストに入れない。事情をきくとやり方がわからないという。私は頭にきた。あなたがたはいままで、このひと月、いったいなにをやってきたんでしょうか? どうも手順を教えてもらわないと自分ではなにひとつ開拓できないらしい。こちらは仕様書のないわけのわからないシステムの問題点に対し、プログラマといっしょになってやっとバグを摘み取り、お客との約束をやっと全うできるぞと思いきや、このざまである。しようがなく私の子分に命じて、検証マシン用アーカイブのビルドとデプロイという SI チーム作業を肩代わりさせなければならぬ始末であった。おかげで約束の三月二十五日朝いちばんの期限から9時間遅れてリリースとなってしまった。私は二十四日の夜、詫びのメールを顧客担当者に入れた。ところが、お客も怒っているわけではない。というか当日は土曜日でハナから試験するつもりにはなっていなかったようである。一日も早くという要望に対し、どうしても土曜日の朝になってしまうという私の対策スケジュールの説明に、顧客は不承不承合意したにもかかわらず。結局顧客が確認をはじめたのは今週月曜日になってからであった。私は頭にきた。ひとに死ぬ思いの仕事をさせておいてふざけている。
そんなこんなで最近、つとに気が滅入ってしまう。なにかにつけて噛みつきたくなっている自分があわれである。
SI チームの教えてクンぶりにあきれたついでに、TeX の Q & A などで見かける教えてクンその2の特性について。そう、SI チームの教えてクンと同様、ひとにものをきいておいて、頼んでおいて、私の顧客と同様、その回答・成果が得られてもなんのレスポンスも返さないものがいる。回答を出したひとはいったいなんだったんだろうか。金の問題、依頼者と委託者の問題ではない。わかりました、これからはこう進めればよいんですね、となぜ総括をしないのか。うまくいった、ありがとう、となぜいえないのか。今度はオレの仕事をまっとうする番だ、となぜしゃかりきになれないのか。まったくひとの労苦というものをナメているのだ。
私は TeX の Q & A では私自身関心のあるテーマについて雑談めいた A しか書かないが、自分の興味とは無関係の初心者の質問にも親切に応答するパワーユーザの方々がいて感心してしまう。一方、ひとにものをきく態度がなっとらん式の手厳しい苦言を呈する方もいて、なかなか面白い。なかにはいいがかりめいた無意味な挑発を認める者もいるにはいるが。私なんかまずもってあきれてみているだけであるのに。


