2006年5月アーカイブ

この休日、SlavTeX のフォントを pTeX で利用するためのスタイルを作成していた。SlavTeX は 1994 年にモスクワ大学の Андрей Слепухин がロシア正教会の委嘱で作成した古代教会スラヴ語組版用 TeX パッケージである。昔のものであり、いつのころからかインターネットで入手できなくなっていたが、CyrTeX ユーザーズグループのヴラジーミル・ヴォローヴィチさんが私の求めに応じてヴォロネジ大学の ftp アーカイブに入れてくださった。

SlavTeX は時代を反映してか、独自のフォーマットファイルをダンプし、Plain TeX で処理する。原稿の記述もロシアの PC-DOS の文字コード CP866 で行わなければならない。よって日本のユーザが pTeX でこれを利用することはできなかった。

私は pTeX で利用可能な古代教会スラヴ語パッケージ Izhitsa-ltn を公開しているが、SlavTeX のフォントの組み上がりの美しさに私は Izhitsa 以上に魅せられていたのである。SlavTeX のフォントを pTeX で使うための調整は Izhitsa に比べ複雑だと思われたので、これまで敬遠していたのである。

以下のような作業を行った。最新の LaTeX のマナーに合わせるよう調整した。

  • フォントを利用するためのローカル・エンコーディングを LST として設定し、LST フォントエンコーディングの文字・アクセントを定義するエンコーディング定義ファイル(lstenc.def)を作成。Izhitsa-ltn のシンボル命令(\OCSaz など)と互換性を持たせるよう定義。
  • フォント定義ファイル(lstcmr.fd)を作成。
  • Titlo や気息記号、アクセント付き文字の記述、フォントエンコーディング設定などを行うスタイルファイル(oldslav.sty)を作成。これも Izhitsa-ltn と互換性を持たせた。ダブルアクセントを有する izhitsa は、SlavTeX オリジナルではサポートされていないが、重アクセント記号を組み合わせて出力できるようにした。

これで pTeX で利用できるようになった。組版結果サンプルはこんな感じ。

slavtex_sample.jpg

SlavTeX のフォントマップは、もともとキリル 8bit コードで記述するのに都合のよいものになっている。8bit コードで日本語以外を記述できない pTeX の制約から、教会スラヴ語テキストは命令かシンボルで書かなければならない。Izhitsa-ltn を作成したときは METAFONT ソースを修正してラテンアルファベットで再マッピングし、OT2 のイメージで教会スラヴ語が書けるようにしたが、SlavTeX フォントに対して同じ改造を行う体力がいまの私にはない。いちいち \OCSxxxx で文字を指定しなければならないので非常に長くなり面倒である。とはいえ、とにかく pLaTeX できちんと組めるようになった。

今後は以下を計画中である。

  1. SlavTeX のハイフネーションパターンを使えるようにする。
  2. _ や '. ` でアクセント、気息記号、Titlo が記述できる SlavTeX オリジナル機能を実装する。
  3. 教会スラヴ語数字表現形式をサポートする。
  4. Babel oldchurchslavonic をサポートする。
  5. Izhitsa-ltn と統合し、切替え利用を可能とする。
  6. Utf82TeX で、SlavTeX オリジナル記法で書いた UTF-8 原稿を今回定義したシンボルに変換する辞書をサポートする。これができれば原稿を簡潔に記述できるようになる。

ここまでできれば公開できるかもしれないが、しばらくかかりそうである。

misima TeX 変換の活用方法について、Web ページを書いた。TeX 変換機能はほとんど使われていないのだけど、これこそ当初の目的なのだから、この部分の改造にかけているところがあるのだ。

misima TeX 変換機能でいま拡張を考えているのは、教会スラヴ語の変換。Titlo や気息記号の変換をどう実現するかが課題。

LaTeX において数式中に OT2 エンコーディングのキリル文字を記述しただけではラテンアルファベットで出力されてしまう。$a=b+\cyr{B}$ とやっても、a=b+B と印字されてしまう。

数式中にキリル文字を出力したいときは、amsmath.sty を指定して、キリル文字記述を \text{} のなかに入れる。ロシア語環境外では、さらにキリル文字は \cyr{} で囲む必要がある。

\documentclass[a4paper]{jsarticle}
\usepackage{amsmath}
\usepackage[T1, OT2]{fontenc}
\usepackage[russian, english]{babel}
\begin{document}
\selectlanguage{russian}
ロシア語環境\\
\qquad $a=b+B$\quad ラテン文字出力\\
\qquad $a=b+\text{B}$ \quad キリル文字出力
 
\selectlanguage{english}
ロシア語環境外\\
\qquad $a=b+\cyr{B}$\quad ラテン文字出力\\
\qquad $a=b+\text{\cyr{B}}$ \quad キリル文字出力
\end{document}

組版結果イメージは次のとおり。

exp_cyr.jpg

数式モードでキリル文字を出力するには,ほか mathtext パッケージを fontenc パッケージの前に指定し,\cyra 等のシンボル命令で記述する方法もある.amsmath.stymathtext.sty を使ったサンプルを掲載しておく.

ol.jpg

Movable Type 3.2 のテンプレートを更新したら、再構築を実行すると、「Internal Server Error 500」が出た。何度やっても同じである。「すべてを再構築」ではなく、ひとつひとつ実行すると、エントリー・アーカイブの再構築だけがアウトとなり、アーカイブがきちんと生成されていないことがわかった。個別エントリーを更新する場合は問題ない。

http-error.log を確認すると、「Premature end of script headers: mt.cgi, referer: http://.../cgi-bin/mt/mt.cgi」とのエラーメッセージがある。「Premature end ...」エラーは通常 cgi プログラムのパーミッションが適切でない場合に起こるようだが、同じ mt.cgi が動いたり動かなかったりするのだから、これが原因ではない。変更点はテンプレートを修正したこと。ずいぶん悩んだが、エントリー・アーカイブ用テンプレートの記述が一定量を越えるとこれが出るようなのである。

syslog をみると、「swap_pager: out of swap space」エラーが出力されていた。メモリを食い尽くしたらしいのである。ほんまかいな。1 件ずつで OK、まとめてやると NG ということは、ちょっと Movable Type の作りにも問題があるのではないかと思ってしまう。

Movable Type 3.2 のこの問題はそのうち Fix されるかもしれない。しようがないので、エントリー・アーカイブ用のテンプレートを少しずつ削って再構築が通るようにした。もう少し利口な回避策があるかもしれないが、私が利用させてもらっているのは個人向無償ライセンスなので問い合わせができない。過去のエントリーを 1 件ずつ更新なんてのもやってられない。

米国 Tower Records インターネットサイトで注文した CD が届いた。C. フランクの交響詩『Psyché プシュケー』である。演奏は尾高忠明の指揮、BBC National Orchestra of Wales の管弦楽、BBC Wales Chorus の合唱による。型番は CHANDOS レーベルの CHAN 9342。15 ドル 99 セント也。

Psyché は、ピアノ五重奏曲とならんで私のもっとも好きなフランク作品である。バレンボイム、パリ管弦楽団の LP(独グラモフォン)でずっと楽しんできた。最近の演奏による CD が聴きたくなって Amazon で探したが、これだけの名曲なのに意外と録音がない。交響曲やヴァイオリン・ソナタの影に隠れてしまっているからだろうか。

フランクは長らく教会のオルガニストを勤め、地味で慎ましい生活のなかで素晴らしい曲を書いたひとである。非常に穏やかでまじめなひとだったらしいが、この交響詩は、古代ギリシアの、プシュケーとエロスとの愛の伝説に取材したもので、フランク夫人はその退廃的な内容に怖れをなしたという。現代のわれわれは、デカダンスというよりはルネッサンス絵画のような意味深長な官能と夢幻という印象を覚えるのではないか。第一部の『プシュケーの眠り』の官能的なテーマは、誰もが親しみを覚えるに違いない夢見るような美しいメロディーである。

この CD の演奏も気に入った。こんなところで尾高の名を目にしたのもちょっと感動した。

興味がある方は Tower Records でこの CD のサンプルが聴ける。

金子みすずの詩を。

さびしいとき

わたしがさびしいときに、
よその人は知らないの。

わたしがさびしいときに、
お友だちは笑ふの。

わたしがさびしいときに、
お母さんはやさしいの。

わたしがさびしいときに、
仏さまはさびしいの。

金子みすゞ全集 (1984年)



金子みすゞ
与田準一編
JULA出版局

Movable Type を 3.2 にバージョンアップした。従来の 2.661 はスパム対策が貧弱な上、スパムと思しきコメントやトラックバックの削除において、対象のエントリーからひとつひとつ実施しなければならず、面倒この上なかった。

BerkeleyDB の設定やログインエラー対策など、結構アップグレード作業には手間取ってしまった。結局アップグレードではなく新規インストールをする格好になってしまい、これまで蓄積したエントリをインポートせざるをえなかった。教訓を参考までに以下に書いておく。

- アップグレードする前に現行バージョンのバックアップを必ず取得する。
- 事前にエントリ(記事)を必ずエクスポートしておく。
- /cgi-bin/mt/mt-static を /mt で参照できるようしかるべく ln を行う。
 (もちろん StaticWebPath を http://hostname/mt/ としている場合)
- mt-upgrade.cgi を実行する際、ブラウザのクッキーを削除しておく。
 でないと、ユーザが存在しないとのエラーが出る。
- db ディレクトリはパーミッションを 777 にしないとうまく書き出されない。
- db ディレクトリを/cgi-bin/mt 下に作成したら、.htaccess でセキュリティをかけておく。

これからまたテンプレートやらのカスタマイズのやり直しかと思うと気が重い。

自宅のノート PC でメールサーバを運用している。息子が、最近友達にメールするといつもエラーになる、とこぼしていた。私自身はまったく不都合がないので疑問であったが、調べてみると携帯電話へのメールがタイムアウトや受信拒否でエラーリターンしているようなのである。迷惑メールがやたらと多いため、どうも最近携帯電話各社は SMTP の設定において転送制限を厳しくしたらしい。

自宅のサーバはダイナミック DNS サービスを利用してドメイン名を割り当てている。ダイナミック DNS によってグローバル IP アドレスに割り当てたドメイン名の特徴は、次のようなものといってよい。

 - IP アドレスが非固定である。
 - IP を逆引きすると、ダイナミック DNS が付与したものとは別のドメイン名、
  つまりプロバイダ拠点ドメイン名が参照される。

携帯メールの SMTP サーバは、このようなドメイン名をもつ SMTP サーバからのメールは転送しない設定に変更したのだと考えられる。信用できないということだろう。

そこで、送信時に利用する SMTP サーバをプロバイダのものに変更し、私の携帯電話宛に試験送信した。すると、従来の自宅 SMTP サーバ経由では不可であるのに対し、こちらではきちんと送信されることがわかった。息子のメーラのアカウント設定のうち、SMTP サーバ設定を自宅のサーバからプロバイダの SMTP ホストに変更した。これまで届かなかったメールが届くようになった。

自宅の SMTP サーバは受信専用ということで割り切るしかないようである。

昨日五月十二日は、仕事のあと、妻とロシア料理を食べにいった。妻の職場のある神保町の『サラファン』というお店。南北線溜池山王から永田町乗り換えで半蔵門線の神保町。職場から古書街にわずか二十分で行けるなんて知らなかった。

ボルシチ、ピロシキ、クリームソースのビーフストロガノフ、プディングのデザートとロシア紅茶のコース。サワークリーム入りのボルシチがよかった。この店は評判のよい老舗で確かにおいしかったけれど、この前行った『ろしあ亭』のほうが満ち足りたなあ。それにしても、ロシア料理店というのはどうしてどこも狭苦しいのだろうか。となりの四人組の女性客が、あまりに密接しているので、気になってしようがなかった。

『サラファン』を出たあと、すぐ近くの古瀬戸珈琲館に入った。深い焙煎の苦いコーヒーを飲みながら、なぜか妻を相手に、大型汎用計算機の神話的高信頼性の話をした。昔担当したシステムの大型汎用機は、金がかかるし構築がシビアで苦労したが、五年間誇張なしにノーダウンだったのに対し、いまのサーバは設定がラクで安価ではあるが、ぽこぽこ壊れて運用で苦労させられる、などなど。新しいものほどストレスを強いるという人生訓のつもりか。

帰りに子供たちにアイスクリーム、屋台のたこ焼きを買った。

中国、韓国、日本は、三国間で、どうも昔から政府レベルでは仲が悪いが、民間というか国民レベルでは漢詩文という文化基盤をめぐって親密な交流があったらしい。加藤徹の『漢文の素養』を読むと、あまり知られていないそのエピソードがとても面白い。阿倍仲麻呂は王維や李白から素晴らしい挽歌を捧げられるほどの親交があったし、長屋王は唐に千人分の袈裟を贈り国際交流にいそしんだ。その袈裟には次のような刺繍が施されていたそうである。

  山川異域      山と川、国土は異なるけれど
  風月同天      風月、自然は天を同じくしている
  寄諸佛子      同じ仏の子であるあなたがたと
  共結來緣      ともに未来につながる縁を結びたい

いま中国や韓国のひとびとは日本を忌み嫌っているが、この本が紹介しているような文化的共通基盤でつながり合えるのだろうか。

武田信玄、伊達政宗、一休禅師なども漢詩を詠んだ。それらを読むと、彼ら歴史上の人物が、その事蹟よりもなによりも親しみをもって迫ってくる。

  馬上少年過     戦いの馬上で青春を過ごした
  世平白髪多     太平の世になったいま、白髪になった
  殘軀天所赦     生き残ったこの体は、天から許されたもの
  不樂是如何     老後を楽しむほかに、もう何もすることはない
  (伊達政宗)

「婬水」なる題の、一休さんのエロな七絶も載っていた。「美人の森」で口にする淫らな水の説明は不要だと思う。痛快。

  夢迷上苑美人森   夢に上苑 美人の森に迷ふ
  枕上梅花花信心   枕上の梅花 花信の心
  滿口淸香淸淺水   滿口(まんこう)の淸香 淸淺(せいせん)の水
  黃昏月色奈新吟   黃昏の月色 新吟を奈んせん
 

LaTeX 原稿を UTF-8 で記述するために Utf82TeX というツールを作って久しい。はじめは、Babel という LaTeX の多言語基盤パッケージを組み込んだ日本語 pTeX 環境で、ロシア語と古典ギリシア語を扱えるようにする簡単なフィルタスクリプトであった。昨年末、ユーザ自身が外部テーブルとして変換定義を用意できるようにしたり、斎藤さんの OTF パッケージ向け変換機能を追加したりした。幸い奥村先生の TeX WikipTeX と多言語処理」で紹介され、そのためか Utf82TeX の説明ページを訪れてくれる方が増えた。

しかしもともとこのツールはあくまで自分のために準備したものである。他人にとっての使いやすさはほとんど考慮していない。「Utf82TeX に興味を覚えたが難しそうなのでやめた」といった書き込みをある TeX 関連のサイトで目にして、残念に思ったことがある。本の作者が読者を大切に思うのと同様に、このささやかなツールを使いたいと思ってくれるひとは私にとってありがたいのである。

使うための準備(Perl やらエディタ、フォント)をもう少し簡単にし、操作も易しいものにできればよいのだが、そのためにはツール本体を作成した労力のおそらく三倍を要する。商品プログラムは実は、それを特徴付ける本質的な機能よりも、例外処理やこうしたユーザインタフェース、インストーラのチューニングにより多大な工数をかけているものである。私にはその時間がなく、ほかにもやりたいことが山ほどある。ソフトウェアは有名になり一人歩きを始めると、どこかの奇特なひとが直してくれたりする場合がある。そんなことを望めない Utf82TeX は、いまのところユーザに負担をかけるしかない。そのぶんドキュメントはきちんと書いたつもりである。

若桑みどりの『イメージを読む』を読んだ。『ダ・ヴィンチ・コード』に触発されてしまったのである。

モナリザは生(懐妊)と死(喪服)の思想の表現であり、あの微笑はすべてを知るもののそれであるという説、胸元に描き込まれた無限蔓草紐文様の意匠に万物の連続性の表現を認める解釈など、興味深かった。

古典絵画の研究において、絵がいわんとする「思想」を探求することの必要性を著者は強く主張している。最近では形式の独自性にこだわりすぎて、その向こうにある思想やイデオロギーを本質的でないものと考えるほうがはやりだとも思われるだけに、私にはこの著者の誠実さが感じられた。

イメージを読む
若桑 みどり
筑摩書房 (2005/04)

『ダ・ヴィンチ・コード』全編読了。電車通勤の生活が再びはじまって、通勤途上でまたミステリを楽しむようになった。

宗教史と芸術とが絡み合う探求物語はミステリのもっとも豪華な形態だと思う。ことばやイメージが背景や時代によって幾重にも意味の広がりをもち、それこそがミステリに奥行きを与えるのだと思う。『最後の晩餐』のイエスの左隣に描かれた人物の謎解きで、この名画を画集でみたときに抱いた違和感が晴れた思いがした。とはいえ、事実と虚構との境目の妖かしが歴史ミステリの立脚点でもあり、あまりの面白さに興奮してこれらを混同しないようにしないと。読み終えて息子に貸し与えた。

とりあえず上巻だけリンクを付けておく。

ダ・ヴィンチ・コード(上)
ダン・ブラウン 越前 敏弥
角川書店 (2006/03/10)

元の職場に戻る

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今日トラブル対応支援を終えて、元の職場に復帰した。二ヶ月半ぶりに銀座線に乗って溜池山王に降り立った。別になんの感慨もなかった。これからは将来をかけた新たな大口案件と取り組むことになっていて、やはりきつい毎日になりそう。

『ダ・ヴィンチ・コード』中巻を読了。面白い。私は西洋の聖杯伝説に取材したものはなんでもわくわくしてしまう。でもエーコの『薔薇の名前』ほどではないかなとも思う。

LaTeX でページを跨がる大きな表を作るとき、longtable.sty を利用する。しかしながら、キャプションにおいて「表」のあとに「:(コロン)」が固定で付加されるため、奥村先生の jsarticle.cls と併用すると、統一がくずれてしまう。

コロンの代わりに jsarticle.cls と同様に空白を出力するように longtable.sty のキャプション出力の定義を少し修正する。これを \begin{longtable}{c}{...} \caption{...} の前に挿入すればよい。

\makeatletter
\def\LT@makecaption#1#2#3{%
  \LT@mcol\LT@cols c{\hbox to\z@%
  {\hss\parbox[t]\LTcapwidth{%
    \sbox\@tempboxa{#1{#2\hskip1zw\relax}#3}%
    \ifdim\wd\@tempboxa>\hsize
      #1{#2\hskip1zw\relax}#3%
    \else%
      \hbox to\hsize{\hfil\box\@tempboxa\hfil}%
    \fi%
    \endgraf\vskip\baselineskip}%
  \hss}}}%
\makeatother

屋根裏部屋のお掃除をした。ここは私のいちおう書斎で、本やら、PC やら、オーディオやら、レコードやら、私の煩悩の求める品々が日々増殖している。本はもはや書棚から溢れ床に重ね置きの状態になってしまっている。よくものをなくす子供たちには口うるさくあとかたづけを要求するけれども、私自身が雑然とした性格であり、この部屋をみると整理整頓なんていえた義理ではない。

ウェットクリーニングティッシュで PC、オーディオ、書棚を磨いた。キーボードにはホコリが溜まりまくって鬱陶しかった。愛用の SGI、DEC、そして PowerMac の 101 英語キーボードもきれいにした。

dec_keys_m.jpg

DEC のキーボードは数年前アメリカのキーボード収集マニアから個人的に仕入れたもの。Digital Equipment Corporation は Compaq に吸収されてすでに久しいが、かつては PDP シリーズ Ultrix システムを販売し、Unix 文化の華々しい成果を育んできた伝説的ともいってよいメーカである。私は DEC の 101 英語キーボードが欲しくてたまらず、探しまわってやっとアメリカの個人サイトで中古品を見つけ出したのである。一時期メーカの PC キーボードの供給を一手に引き受けていたミネベア製である。RT6856T という型番のメンブレンタイプのキーボードであり、もうひとつ私の愛用する Silicon Graphics 社製のモデルと同じである。適度な重さ・深さのストローク、グレイで色分けされたコントロール系キー、ごつごつした重量感など、最近のメーカ製のものとは違う存在感がある。

結婚十六周年の記念日、ミューザ川崎シンフォニーホールでコンサートを聴いた。妻と娘の三人で出かけた。息子の学校のコネでチケットが安く手に入った。当の息子は、もとよりクラシック音楽にはまったく興味がなく、クラブ活動に。

東京交響楽団名曲全集第17回コンサートとのことで、演目はバーンスタイン作曲『キャンディード』序曲、シベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47、レスピーギ作曲交響詩『ローマの松』、『ローマの祭』の四曲。指揮は飯森範親、ヴァイオリン独奏は滝千春であった。

私はなんといってもシベリウスの協奏曲が楽しみであった。オーケストラもソリストも期待を裏切らなかった。弦のさざ波のようなトレモロのなかから哀切なヴァイオリンのソロによるテーマが浮かび上がってくるはじまりから、丁寧でオーソドックスな演奏がとても良かった。二十年ほど前、この曲をギドン・クレーメルの独奏、アルミン・ジョルダン指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の豪華な演奏で聴いたことがあり、そのときもクレーメルの素晴らしい技巧と管の輝かしい響きに感動した。今日の演奏では、わざとらしさのない節廻しや細部の丹念なこだわりが感じられて、若い指揮者と独奏者の才能が眩しかった。

娘は明るい曲が好みなので『キャンディード』がよかったそうである。シベリウスでは、独奏者が休止の間肩をいからせて体を左右に揺らしていた。そのちょっとふてぶてしくもみえる姿が娘の印象に残ったらしい。私もこれは少し気になったのだが、いずれ凄いソリストになるに違いない。滝千春はまだ十九歳だという。

オットリーノ・レスピーギ作曲のローマ三部作は、これまで私にはやかましい曲のイメージしかなかった。しかし、人間が実際に演奏している様を目にしながら聴くと、いろいろな楽器が入れ代わり立ち代わり脚光を浴びるような聴かせどころがあって魅力的な楽しい作品なのだということがわかり、オーケストラの華やかさが好きなひとにはこたえられない名曲なのだと思い直したのだった。

Sibelius & Korngold: Violin Concertos; Sinding: Suite
Itzhak Perlman(vln), André Previn(dir),
Pittsburgh Symphony Orchestra
EMI (2003/10/21)

これはレコード演奏で私がもっとも好きなもの。今日の演奏と同じく、管弦楽も独奏も、丁寧でかつ自然な感動的な名演奏だと思う。パールマンの独奏も見事だけれど、ピッツバーグ響の管弦楽が特筆される。日本盤は現在では入手できないようである。

20060505_02.jpg

久しぶりに今日はお茶の水、神保町で本とレコードのまとめ買い。私がいっしょにいくかと誘うと、下の娘はついてきた。

DISC UNIONで、LP一点 Henry Purcell, Fantasias for viols, Ulsamer-Collegium(独 ARCHIV)、CD二点 武満徹鍵盤作品集成 1950-1992, 藤井一興(日 fontec)、Bach/Busoni Piano Transcriptions, Kun-Woo Paik(英 DECCA) を手に入れた。娘は KAT-TUN の "Best of KAT-TUN" を自分のお小遣いで買った。東京堂書店でダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』全三冊、気になっていたミステリを文庫になってようやく購入。さらに岩波文庫リクエスト復刊本オスカー・ワイルド著『ウィンダミア卿夫人の扇』。

神保町に出てきたときには必ず立ち寄る喫茶店『伯剌西爾(ブラジル)』で、コーヒーとチーズケーキ。深い焙煎のマンデリン200g。

今日五月三日は潮干狩りにいった。娘があまりにうるさくせがむので、干潮時刻を見計らって八景島に出かけていったのである。上の息子は中学三年になって、クラブのない休日は親と行楽にゆくよりもレンタルレコードを借りてきて音楽を聴いていた方がよいらしく、別行動。好きなようにさせておく。

昨日とはうってかわって快晴で冷たい風が心地よかった。コバルト色の海が妙に懐かしく感じられた。鳶が飛んでいた。松の木の下に陣取った。娘はすぐに貝を漁りに飛び出していった。私と妻はまずは腹ごしらえということで焼きそばを買い食いした。

妻と娘が浅蜊をとるのに夢中になっているあいだ、私は冷たい風に少し震え、iPod で音楽を聴き、煙草を吸い、推理小説を読んだ。ショスタコーヴィチの五番、ブルックナーの七番、マーラーの五番を大音響で聴いて気持ちよかった。マーラーのアダージェットを聴きながら、ヴィスコンティの映画『ヴェニスに死す』の海と美しい少年を思い出した。でも私の目の前では、八景島の遊園地と、足の踏み場もないほどの雑色のひとだかりとによって海は遮られ、ヴェニスの青と白のあの夢のような退廃に浸る雰囲気ではなかった。「お父さんも浅蜊とりなよー」としきりに娘が誘ったが、腹の出たこのおやじは、あのダーク・ボガード演ずる芸術家のように「気分こ」出してじっと座っているばかりであった。

潮風に吹かれて読んだのは『アウェイ・ゲーム』。ロシアのミステリ作家アレクサンドラ・マリーニナのシリーズもの、分析官アナスターシヤ・シリーズの二番目の作品である。私にとって彼女の作品は三作目。最近のロシアの小説の傾向は私の知るところではないが、この作品は、現代的なカルトな犯罪の謎を頭脳明晰な女捜査官がこ気味よく解き明かしていくエンターテイメントであって、それゆえに伝統的なロシア文学のイメージから遠いのは間違いない。

しかし、女が肉体的、精神的とを問わず男と同じ条件で仕事を成し遂げてゆく姿の描写は、ひとり作者のジェンダー的作風のみによるのではなく、ロシアの地なのだと感じる。主人公アナスターシヤはファッションや料理や男性には全く興味を示さない女性である。コーヒーをがぶ飲みし、ヘビースモーカーであり、見た目にもぱっとしないが、知的謎解きに無上の喜びを覚えるインテリである。タチヤーナとも、ソフィヤとも、アンナ・カレーニナともタイプが違うが、男より女がしたたかであるという意味では、まさに伝統的なロシア文学の流れにある。

「女と六時間もしゃべって、退屈もさせず、愛想も尽かされないようにするってのは---石炭を貨車から積み降ろすぐらい大変なんだ」のような登場人物のせりふは、ロシア以外の文学では出会えないのではないか。麻薬中毒の小人ヴラドの語る恐ろしい運命の直感を、なんの疑念も差し挟まずすべてこれまた直感的に信じ込む娼婦スヴェータが登場する。こうした人物像など、ドストエフスキイ風の奇妙なロシア人理解を物語っている。「スヴェータは、ヴラドが麻薬を得るためなら、身にまとっているものを最後のひとつまで脱ぎ去って、だれと寝たってかまいはしないと思った。この人があたしを助けようとしているのだから、あたしもこの人を世話してあげなくちゃ。」

持ち帰った浅蜊で妻がお味噌汁を作ってくれた。うんおいしい! 貝エキスの風味は日本のお味噌汁でもっとも引き立つんじゃないだろうか。皆、満足した。

マーラーの五番はジュゼッペ・シノーポリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮した演奏が好きである。

Mahler: Symphonies Nos. 1 & 5
Giuseppe Sinopoli
Philharmonia Orchestra of London
Deutsche Grammophon (2000/03/14)

A. マリーニナの作品はほか『無限の殺意』、『死とほんのすこしの愛』が面白かった。いずれも光文社文庫で手に入る。

アウェイ ゲーム
アレクサンドラ・マリーニナ 貝澤 哉訳
光文社文庫 (2003/04/10)

躑躅

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今日もだらしなく昼過ぎに起きてきて、携帯電話を手にとると、顧客担当者からの着信記録が残っていた。昨日の夕方に三度。あの件かと察しがついて、折り返し電話した。顧客作業の懸案であった作業が終了したとのこと。要するに引き続き弊社の作業をよろしくというわけである。四月中期限で約束した件をいまになって終了しましたといわれても困る。先週頭にこの担当者からは四月末に顧客内で展開し弊社への依頼は五月半ばだと聞かされていたので、子分には心置きなく休みに入ってよいと通達していたのである。担当者にはすでに休暇をとらせているので弊社作業は連休明けからです、と顧客に伝えて調整をすませた。顧客作業の結果メールの確認と休み明け早々の作業指示のため、しかたなく出社した。

出社の途上、歩道に沿って躑躅が咲き乱れていた。ふと泉鏡花の作品に躑躅が印象的に描かれた幻想譚があったなと思う。そう『龍潭譚』である。「前にも躑躅、後にも躑躅」みたいなフレーズの後、主人公はあふれるような躑躅の群れに幻惑され、幻想の世界に踏み込んでしまう。

出社してメールを確認すると、顧客の作業終了を告げる連絡事項に記載された、弊社へのシステム連動設定依頼に不備があり、その旨指摘して、五月七日までに再度確定させて連絡いただけるようお願いするメールを返信した。メールを書いていると、プロジェクトルームにきていた顧客プロジェクトマネージャに声を掛けられた。「あれ、四月末までと聞いたのに今日も出社ですか」---おっと、私が退散することが昨日のうちに顧客責任者に伝わったらしい。少し肩の荷が降りた。「まだ最後の仕事が終わってませんので。」

帰宅して、『龍潭譚』の躑躅の描写を確かめてみた。「行く方も躑躅なり。来し方も躑躅なり。」(『鏡花全集 卷三』, 岩波書店, 昭和六十一年, p.4)

この後、主人公は幻想世界に踏み迷ってゆく。

『龍潭譚』が収録されていて、手軽に入手できる岩波文庫版を挙げておく。

鏡花短篇集


泉 鏡花、川村 二郎編
岩波書店 (1987/09)

小学校のころ友達が「野球チーム作ろう思っとるんやけど入らへんか。ランニング・ビーいう名前にしよう思うんやけど」といったことばを、なぜだかふっと思い出した。野球をする蜂、しかも飛ぶのではなく走るというのだから、陸に揚げられた魚になにができるのかと嗤わせるようでもあるし、群れをなして刺してくる、敵にしたくないイメージも喚起して、幼いながらも一風変わった発想に感心したものだった。いまになって思うと、名詞の単複形の概念を無視しているところにもおかしみがある。残念ながらひとが集まらず、チーム結成には至らなかった。

私の家族は皆野球を憎んでいる。なんとなれば、プロ野球放送のおかげで観たいテレビ番組がつぶされたり、時間を狂わされ予約録画したはずが原監督の難しい顔で入れ替わっていたりするからである。そんなこんなで私も最近なかなか野球を観戦する機会がない。子供のころは阪神タイガースのプロ野球中継を一所懸命観たものなのに。

というわけで実は私も子供のころからの阪神ファンである。阪神ファンは勝つか負けるかを超越したところがあった。阪神というチームはその昔、肝心なところでジャイアンツに敗れるのが相場になっていて、ダメ男のシンボルみたいな印象が拭えなかった。逆にこれがファンのこだわりを維持していたようである。江夏や田淵が活躍していたころの阪神は、腹の出たぷっくり太めの選手が多く、阪神部屋と皮肉られていた。田淵は打てないとタブタと罵られていた。私は遠井という、これも太って眼鏡をかけたスラッガーや、くちゃくちゃガムを噛みながらバットを振り回す黒人選手カークランドが好きであった。

関西のひとにとって阪神タイガースとは、弱いけど中央に対する反骨の意志表示のような存在であったと思うのは私だけではないだろう。いまやむちゃくちゃな扱いをされている女優杉田かおるが主演した、もう三十年以上昔のテレビドラマ『パパと呼ばないで』には、大坂志郎演じる下町の米屋のおやじが出てくる。私はこの俳優もこの役も好きだった。このおやじ、江戸っ子なのに阪神ファンなのがその所以である。てやんでえの江戸っ子は、弱きマイノリティへの優しさと強大な偽善者への反骨精神に満ちていて、阪神ファンという設定がなによりもこの役柄のこころを語っていたように思う。子供ごころにもそれがよくわかったのである。米屋が廃れていくように、このおやじのような風情もいまのテレビドラマにはみられなくなってしまった。『パパと呼ばないで』は向田邦子が脚本を書いていたことを最近あるWebサイトで知って、さもありなんと納得した。

私は1985年に三十余年ぶりに阪神が優勝したときは、次に栄冠をかちとるのはまた三十年後だろうと想像した。しかし、ちょっと早く2003年にそれは訪れた。星野監督の胴上げをニュースでみながら、次の優勝は二十年後だろうと考えた。ところが、2005年にまたしても期待を裏切ってくれた。いまは阪神に弱者のイメージをもつものはいないと思う。私が野球を観なくなったのは、実は阪神が強いチームになったためかもしれない。

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ISAO。システムエンジニア。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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