2006年9月アーカイブ

OldSlav-0.1f をリリースした直後、I 氏から SJIS の pTeX フォーマットで処理するとエラーになるとのご指摘があった。うっ、恥ずかしい!

慌てて Windows を起動して、OldSlav をインストールして確認した。再現。原因はキリルコードの命令にあることはすぐに判り、とりあえず、ocscommon.def 該当部分をコメントしてファイルリリースした。本対策も先ほど完了し、暫定版では捨てた SlavTeX オリジナル記法を、SJIS でも通るように再度実装したパッケージをリリースした。

教訓その1:少なくとも EUC だけでなく SJIS でも試験しておく。

暫定版をリリースした直後、TeX Q and A で K 氏から「SJIS の確認ならわざわざ Windows を起動しなくても platex-sjis でやればよい」とのご指摘があった。うっ、またまた恥ずかしい!

教訓その2:SJIS=Windows にあらず。

とはいえ、Windows と UNIX 系 OS では TeX も微妙に違うわけだし、Windows でも確認しておくのにこしたことはない。仕事のシステム開発では必ず実施すべき標準テストには環境毎の試験項目があり、これを確実に遂行するよう部下やプロジェクトメンバにいつも口を酸っぱくして徹底させているが、プライベートの日曜大工だといつも手を抜いてしまう。これこそ本当に恥ずかしい。

古代教会スラヴ語 TeX パッケージ OldSlav 0.1f: SlavTeX オリジナル記法対応版が完成した。oldslav-0.1f.{tar.gz, zip} パッケージは弊サイトのダウンロード・サービスから取得できる。

SlavTeX オリジナルは CP866 ロシア語コードで原稿を記述し、独自フォーマットでタイプセットを行う。唯我独尊の環境で動作するので、アクセント用記号のカテゴリーコードを好き勝手に変更し、アクセント記述のタイピング労力を軽減できるよう "\" なしで入力できるようになっている。OldSlav でもこの記法のサポートは当初からの目標のひとつであった。昨日の夜中にやっと完成に漕ぎ着け、課題をすべて解決してリリースする運びとなった。ノウハウを整理しておく。

", ', ^, _ などの記号をアクセント用として \ なしに TeX で入力できるようにするためには、そのカテゴリーコード(分類コード)を 7, 8, 12 から 13 に変更し、アクセント付加命令を定義しておく必要がある。ところが、これらの記号は LaTeX 内部や他のパッケージでも重要な意味を付与されていることが多く、不用意にカテゴリーコードを変更すると問題が多い。このため教会スラヴ語の入力時にのみ一時的に変更されるような調整が不可欠になってくる。

こういう場合、1.グループの中でカテゴリーコードを変更し、命令をアクセント用記号に代入してグループを閉じる、2. さらに同じ手法でカテゴリーコードと命令を変更前に戻す命令を定義しておく。次のようなコードになる。ここで実際にカテゴリーコード変更命令を定義する前に、当該カテゴリーコードを変更しておかないとエラーになることが最大の注意点である。

1.\setslavaccent: カテゴリーコード変更とアクセント記法変更命令の定義

% setslavaccent
\newif\ifst@acc@%モード判定 if
\gdef\cc@tm{13}
\begingroup%グループ開始
% save catcodes 分類コード保存
\xdef\cc@tild{\the\catcode126}%~13
\xdef\cc@bars{\the\catcode124}%|12
.....
% when catcode=13 save commands. 命令保存
\ifx\cc@tm\cc@tild\global\let\sv@tild=~\fi%
\ifx\cc@tm\cc@bars\global\let\sv@bars=|\fi%
.....
% catcodes changing. 分類コード変更
\catcode124=\active%|12
\catcode126=\active%~13
.....
% define setslavaccent
\gdef\setslavaccent{%アクセント記法変更命令
  \ifst@acc@\relax%
  \else%
    \catcode126=\active\let~=\apostrof%命令の代入
    \catcode124=\active\let|=\@ttlc%同上
    .....
    \st@acc@true%変更済みフラグセット
  \fi}%
\endgroup%グループ終了

2.\leaveslavaccent: カテゴリーコードと命令の復元

% leaveslavaccent
\begingroup
% catcodes recovery カテゴリコード復元
\catcode124=\cc@bars%|12
\catcode126=\cc@tild%~13
.....
% define leaveslavaccent; if catcode = 13 recover commands.
\gdef\leaveslavaccent{%復元命令
  \ifst@acc@%
    \catcode126=\cc@tild\ifx\cc@tm\cc@tild
    \let~=\sv@tild\fi%~13 命令復元
    \catcode96=\cc@bckq\ifx\cc@tm\cc@bckq
    \let`=\sv@bckq\fi%`12
    .....
    \st@acc@false%復元済みフラグセット
  \fi}%
\endgroup

これで他人様には迷惑をかけずにオリジナル記法がサポートできたと思ったら、あるテスト原稿で試験すると、aux ファイルの処理でエラーとなる。これは、カテゴリーコードが変更された状態で文書の終端を迎えると、その後に処理される aux ファイルにある記号がパースできない事象が発生するためであった。この原因追及には、トレース取得やら試験コーディングやらでおそろしく時間がかかってしまったが、対策は文書終了時点で復元命令を発効してやればよいわけである。ということで LaTeX の \enddocument を再定義する。

% leaveslavaccent at the end of document
\let\save@enddocument=\enddocument%
\def\ocs@enddocument{%
  \leaveslavaccent\save@enddocument}
\let\enddocument=\ocs@enddocument%

Babel の古典ギリシア語、仏・独・露語、ウクライナ語、チェコ語、タイ語、ヴェトナム語などと併用して試験したが問題なさそうである。サンプルを掲載しておく。古典ギリシア語とヴェトナム語は鬼門であり、これらとの混在確認をしておかないと言語パッケージとしては失格になってしまう。

Angela Hewitt のピアノ演奏によるバッハのトッカータ集。先日届いたこの CD は最近のお気に入り。

Toccatas
Johann Sebastian Bach, Angela Hewitt (Pf)
Hyperion (2002/08/13)

TeX Q and A で教会スラヴ語フォント(SlavTeX)に英数字がないことに関して、H 氏と I 氏の経験豊かな二人の TeXnician から 仮想フォント (vf: Virtual Fonts) を示唆いただいた。私はこれまで vf は DVIWARE に依存するので考えなかった。でも vf を扱えない DVIWARE は実質ないわけで、これを機会に少し研究してみた。

vf 機構を活用すれば、複数のフォントをひとまとめにして取り扱ったり、文字の配置を変えたりすることが可能である。SlavTeX 教会スラヴ語フォントは英数字をもたない点と、CP866 という古い文字コードを基盤とした 8 ビットエンコーディングである点とで、ちょっと扱いに困るところがあった。これを仮想フォントで解決できた。つまり数字、記号類は EC ラテンフォントから持ってきて対処し、文字の位置を変更することで OldSlav において教会スラヴ語をロシア語 OT2 と同じようにローマ字翻字方式で記述できるようにした。例えば、オリジナルの SlavTeX フォントでは教会スラヴ語の az (a) は x"A0" の 8 ビットエリアに配置されていて pTeX ではコントロールシーケンスでアクセスするしか手だてがないが、仮想フォントにより x"61" に再配置しておけばローマ字 a で出力できるわけである。

OldSlav fslavas 仮想フォント作成作業の概略を示しておく。slav10 SlavTeX 教会スラヴ語フォントと ecrm1000 EC ラテンフォントをもとに OldSlav ローマ字翻字用仮想フォント fslavas.vf を作成する流れである。仮想プロパティリスト fslavas.vpl を作成することが主な作業となる。以下にその手順を示す。

  1. ベースになる二つのフォント slav10.tfm、ecrm1000.tfm のプロパティリスト (pl) を取得 (tftopl ユーティリティ)。SlavTeX フォント、EC フォントが利用可能な状態になっていなければならない。
    % tftopl slav10.tfm slav10.pl
    % tftopl ecrm1000.tfm ecrm1000.pl
    
  2. slav10.tfm のプロパティリスト slav10.pl を fslavas.vpl にコピー (編集作業はこのファイルに対し ecrm1000.pl データを対置しつつ行う)
    % cp slav10.pl fslavas.vpl
    
  3. 二フォントの参照を MAPFONT で定義。D 0 で slav10 が、D 1 で ecrm1000 が参照できる指定になっている。
    (MAPFONT D 0
       (FONTNAME slav10)
       (FONTAT R 1.0)
       (FONTDSIZE R 10.0)
       )
    (MAPFONT D 1
       (FONTNAME ecrm1000)
       (FONTAT R 1.0)
       (FONTDSIZE R 10.0)
       )
    
  4. EC のプロパティリストにある数字・記号類の CHARACTER 定義をコピーし fslavas.vpl に貼付け(主に x"20"-x"41" エリア)。
  5. EC フォントから借用した文字については MAP, SELECTFONT, SETCHAR で EC フォント参照定義を追加する。次のコードは数字 0 の定義である。CHARWDCHARHT などのメトリック情報定義は ecrm1000 のものを拝借すればよい。
    (CHARACTER C 0
       (CHARWD R 0.499878)
       (CHARHT R 0.64151)
       (MAP
          (SELECTFONT D 1)
          (SETCHAR C 0)
          )
       )
    
  6. SlavTeX の x"41"-x"7A" 領域に翻字で割り当てたい文字を MAP, SELECTFONT, SETCHAR で再配置。次のコードは,a の文字位置 (x"61") に slav10 SlavTeX フォント (D 0) の文字位置 o"240" (=x"A0") を再配置する定義である。CHARWDCHARHT などのメトリック情報定義は slav10 のものを拝借すればよい。
    (CHARACTER C a
       (CHARWD R 0.314995)
       (CHARHT R 0.4)
       (MAP
          (SELECTFONT D 0)
          (SETCHAR O 240)
          )
       )
    
  7. 合字定義 LIGTABLE 中の文字間の関係にも再配置定義を反映(以下例は省略。完成ファイル fslavas.vpl を参照)。
  8. アスキートランスクリプションで独自に設定したい合字を LIGTABLE に追加

文字の移動関係の LIGTABLE への反映/修正は、手作業でやっていると頭が混乱してイライラして間違いを起すので、基準をプログラム(chgligtbl)に書いて機械的に変換した。こうしておくと再作成のときも苦労しなくてすむ。

fslavas.vpl を vptovf ユーティリティで処理して fslavas.vf 及び fslavas.tfm を生成する。これを TeX ツリーに格納して仮想フォント作成作業は完了である。

% vptovf fslavas.vpl
% sudo mkdir -p $TEXDIR/fonts/{vf,tfm}/oldslav
% sudo cp fslavas.vf $TEXDIR/fonts/vf/oldslav
% sudo cp fslavas.tfm $TEXDIR/fonts/tfm/oldslav
% mktexlsr

さらに、fslavas 仮想フォントを LSA フォントエンコーディングとして利用するためのフォント定義 (lsacmr.fd) 及びフォントエンコーディング定義 (lsaenc.def) を追加する。これで vf で組む最小限のフォント・パッケージはできあがりである。もちろん教会スラヴ語の組版規則実現のための言語マクロ・スタイルを作成してはじめて言語パッケージとして完成する。fslavas のフォントテーブルを掲載しておく。

この方法で vf を作成することにより、例えば T2A エンコーディングしか提供されていない PSCyr キリル Type1 フォントなども OT2 のトランスクリプション入力で使えるようにすることは簡単にできてしまうはずである。

ところで vptovf ユーティリティの気難しさには手間取ってしまった。

(FONTDIMEN
   (SLANT R 0.0)
   (SPACE R 0.359995)
   (STRETCH R 0.179997)
   (SHRINK R 0.119998)
   (XHEIGHT R 0.4)
   (QUAD R 1.0)
   (EXTRASPACE R 0.079999)
   )

ここで、対になる括弧を書く位置がずれるとエラーになる仕様を理解するのにどんなに悩んだことか。はじめて vf を作成するひとは絶対に面食らうに違いない。

仮想フォント機構を詳しく解説した書籍を最後に挙げておく。本田知亮/吉永徹美共著『LaTeX2e マクロ&クラス プログラミング基礎解説』, 2002年, 技術評論社刊。高度かつ正確な解説書である。残念ながら現在品切れになってしまっているようで、古書で探していただきたい。本田さん、吉永さんの本のみならず、藤田先生のマクロ本など、TeX のマクロ/フォント機構を丁寧に解説した良書が、入門書の売れ行きに圧され絶版となってゆくのだとしたら嘆かわしい。
 

LaTeX Babel ロシア語言語定義 russianb.ldf を OT2 アスキートランスクリプションで使うと、enumerate 箇条書き環境の (a) (b) (c) などラテンアルファベットで出力されるべきラベルがロシア文字に化けてしまう。はじめはロシア語なんだからこうなるのかと思っていたが、代表的な LaTeX キリルフォントエンコーディングである T2A (キリル文字はシベリアなどの少数民族が使う文字を含めると夥しい数があり、このほか T2B, T2C, T2D, XS などなどさまざまなフォントエンコーディングが存在する) で組むとラテン文字で出る。よくよく考えると、(а) (б) (ц) はロシア語アルファベットの順番としておかしいので、文字化け(要するに,ただのバグ)と考えた方がよさそうだと自分なりの結論にいたった。

先日作成した OT2 と T2A のハイフネーション切替えマクロと、この問題の対策コードとを併せて、ロシアの CyrTeX メーリングリストに報告した。もう少し OT2 にも気を使ってよという思いからである。OT2 キリルエンコーディングがもはや歴史的遺物となりつつある本国ロシアでは、案の定、いまさら OT2 でもあるまいにとの冷淡な反応がまず返ってきた。これは当然である。OT2 は例えてみれば、昔の電報みたいな書記方式であって、普通のロシア人の立場なら、まじめにサポートしようなどと誰が思うだろうか。

ところが、一方で OT2 を強く擁護してくれるひとも出てきた。それは psgreek というギリシア語 Type1 フォント・パッケージの作者で、その筋では有名な TeXnician である。多国語のタイプセットに関心をもっている方だと私には推察される。彼の主張は、アスキートランスクリプションで入力できる OT2 は外国人にとって使いやすいだけでなく、T2A に含まれない革命前の旧正書法の文字 ѣ (ять), ѵ (ижица), ѳ (фита), і (и с точкой) を備えているので、「現代ロシア語」においても意義がある、というものだった。おそらくロシアにも、日本における歴史的仮名遣い擁護派のように、旧正書法にこだわりをもっているひとがいるんだな。

いずれにせよ、いままで私の OT2 に関連する発言は無視されるに等しかったが、今回その意義を認めてくれる本国人もいるのだということを知り、うれしくなった。というのも、OT2 がなくなってしまうということはなさそうだと確信したからである。

pLaTeX では和文と欧文の間に四分アキが自動的に挿入される。非常にバランスがよいのだが、アクセント付き T1 フォントエンコーディングなどの欧文文字は、なぜかこの制御の対象にならず、pLaTeX のバグではないかと疑われる。

これをどうやって対策すればよいかずいぶん悩んだ。しかし藤田先生の『LaTeX 本づくりの八衢』を調べると、このあたりの対処のヒントがきちんと書かれている。本書は 9 年前に入院生活のなかで読み、LaTeX の調整にここまでこだわるひとがいるものなんだと感心したものであった。さすが。

本書によると、pLaTeX は欧文と和文のアキを文字の属性 \xspcode で管理していて、値により前後にアキをいれるかどうかを決めている。もっぱら約物の組み方調整に使われるようである。

和文と隣合わせになったとき鋭アクセント付 A の前後にアキを挿入するためには、X"C1 の \xspcode に 3 を設定する。次のような例文をタイプセットして見比べてみるとよい。

和文中のAと\'Aとでアキが違う.

\xspcode"C1=3% A with ecute accent.
和文中のAと\'Aとでアキが揃う.
xspcode.jpg

藤田眞作先生の『LaTeX 本づくりの八衢』、もうひとつ『LaTeX まくろの八衢』は絶版になってしまって、いまは手に入らなくなってしまった。どちらも pLaTeX-2.09 仕様準拠であり、現在主流の pLaTeX2e からすると古色を帯びてしまっている印象があるが、マクロ調整の内容はこんにちも意味をまったく失っていない。

恩田陸の『三月は深き紅の淵を』を読んで。

目の前にある四百頁余の、四部からなる書物『三月は深き紅の淵を』は、同じく四部構成をもつという謎の小説『三月は深き紅の淵を』について語る。それは、洋館に隠された知られざる傑作であり(第一部)、果実のような自然の恵みとしての物語と、作品から疎外された作者を探す旅であり(第二部)、暗澹たる生を背負って死んだ少女の、委託された物語のはじまりであり(第三部)、飽くことなく虚無を廻り続ける回転木馬のような夢物語である(第四部)。

作品は追えども逃げて行く至高の物語の探求についての物語、つまり小説についての小説、メタロマンの性質をもつ。作家の「来るべき書物」への憧れを主題としたメタロマンなのである。そして、理想とする物語の探求が構成原理になっていることそれ自体が、回転木馬のように不断に物語り続ける循環性と果実のように甘美な物語の本質との関わりを示唆する。

モーリス・ブランショや金井美恵子などの小説も、語り、書くことそのものをむき出しに主題化する作品である、と私には読める。彼らの語りは、しかしながら、ストーリーがまるで白昼夢のように現実から剥奪されており、白昼夢のように美しいが、主知的な趣きが勝ちすぎていて素直に「物語」を楽しめないのだ。カフカの物語はもっと面白かったはずだ。

しかし恩田陸は、こうした観念的なテーマを異次元風の超越的な世界で語ろうとはせず、メタロマンという構造にあって、作品と作者の危うい関係(明らかな虚構とそれを真実らしく書く作者の古典的関係)を維持しながら、不断に物語る行為そのもの、書くことそのものの意味を、学園、別荘、旅上などの四つの物語の甘美なカクテルにしてご馳走してくれる。小泉八雲のイメージ、自然の果実としての物語、学園のエキセントリックな少年と少女、回転木馬、鏡の中の鏡、洋館、どれをとっても実は陳腐きわまりないモチーフなのだが、それゆえにこそ私なんかわくわくしてしまうところがある。

その意味とはなんだろう。それは物語ることそのものへの絶え間ない回帰。『三月は...』の最終章は繰返し、繰返し、書き出しに立ち戻る。文字通り、書き出しが決定した(ようにみえる)ところで作品は終わる。書くことのはじまりに向かって終結するなんて、冗談が過ぎるようにみえるかもしれないが、これは書くことの終わりなき循環性を強調しているのにほかならない。はじまりはここで終結と出会い、かちりと円環を閉じることで、それ自体で完成した世界となって、物語は回転木馬のように!永遠に廻りはじめる。それが生きることなんだということ。

回転木馬だけではない。鏡も循環性と主客逆転のモチーフである。「鏡を見るものは鏡に映っているものからも見られている」との文がある(ちょっとニーチェ風になってきたぞ)。はじまりは終わり、見るものは見られるもの。メタロマンが書き出しへの回帰構造、主客逆転への指向をもつのは興味深い。

中井英夫の『虚無への供物』は、偶然性に呑込まれ不条理で抜差しならない現実の事件と、黒死館殺人事件風の現実離れした、計算されつくした小説の事件とを対置した。こうして、ミステリーの事件の本質的幻想性、もしくは豊穣なる空虚さを暴露したのだと私は思う。そしてそれゆえにこそ逆説的にミステリー独自の物語を満喫させてくれる「アンチミステリー」になっている。『虚無への供物』も書き出しに回帰する。そのときカーテンはそよぐのだ。

恩田陸を読んで、久々に中井英夫の作品のような豊穣なる空虚を味わった。中井のような現実の不条理への眼差しには出会うことはなかったけれど。

最近の日本文学の俯瞰図がどうなっているのか、私はまったくわからないのだが、現代日本の小説の、私の数少ない読書から概して、女流の書くもののほうが圧倒的に質が高いのはどうしてだろう。水村美苗にせよ、『バルタザールの遍歴』の佐藤亜紀にせよ、読後になにかこの感動をメモっておかなくちゃと思わせる作品は、最近、ことごとく女流の手になるものなのだ。コンサートに行ってもオーケストラ団員は女ばかりである。どうなってんの?

OldSlav 古代教会スラヴ語 LaTeX パッケージについて、TeX Q & A でいくつかやりとりがあって、その過程で問題点の対応を行った。ここのところ頻繁にリリースを繰り返すはめになってしまった。

OldSlav SlavTeX フォントは教会スラヴ語の文字だけを定義している。英字・数字は含まれない。このため、原稿に英字・数字を書くと期待どおりに出力されないばかりか、セクション番号やノンブルにも不具合をきたしてしまう。後者の問題をなんとかユーザが意識しなくてもよいよう調整するのに、いろいろ試行錯誤し手間取ってしまったのである。

はじめはページスタイルにも手を入れなければならないと思い込んだのが間違いであった。LaTeX では文書クラスファイルのなかで plain, headings などのページスタイルを定義しており、ユーザの指定で柱やノドの様式を出力し分けることができる。まず OldSlav で組むと数字が出ないので、ここを直さなくちゃと必死でページスタイルを修正していたのである。しかしページスタイルはクラスファイルごとに微妙に異なるし、これをいちいちカバーしていると切りがない。思い悩んでシンプルな方法に落ち着いた。TeX のプロからすれば当たり前と言われそうだけど。

Babel 用の教会スラヴ語言語定義 oldchurchslavonic.ldf にある一連の \extrasoldchurchslavonic マクロに対し、次のように付け加えれば解決した。

\let\latin@arabic\@arabic
\def\oldchurchslavonic@arabic#1{%
  \textlatin{\number #1}}
\addto\extrasoldchurchslavonic{%
  \let\@arabic\oldchurchslavonic@arabic}
\addto\noextrasoldchurchslavonic{%
  \let\@arabic\latin@arabic}

まず既存の \@arabic アラビア数字出力命令を保存しておき、\extrasoldchurchslavonic によって教会スラヴ語環境ではラテン文字フォントを明示する \@arabic に挿げ替える。教会スラヴ語環境から抜けるときは \noextrasoldchurchslavonic でもとの定義に戻しておくわけだ。Babel を使わない場合の教会スラヴ語スタイルである oldslav.sty にも同じような切替えを入れた。

\extras言語名」マクロは Babel が提供するインタフェースで、この場合、教会スラヴ語が選択されたときに呼ばれる処理を記述できる仕掛けである。「\noextras言語名」マクロには、逆に当該言語から抜け出るときに行うべき処理を書く。Babel はさすがよく考えられた多言語基盤であると改めて納得した。

プログラミング言語で詩を書くひとがいる。

Perl と Unicode についてきちんと解説した本を探した。数あるなかから、Simon Cozens の書いた『実用 Perl プログラミング (第2版)』を選択した。「Perl で遊ぶ」という章があり、Perl 詩について触れられていた。こういう話題も等閑にしないところが O'Reilly の良書の所以。それだけで買った価値を認めてしまうのは私だけ?

著者による Perl 詩を引用する。(同書, p. 288)

for (long => time) {$early && $self->went($bed);}
rand time && do {
    while ($candle--) {
        (time => $eyes->shut()) < (time => print "Falling asleep!")
    }
};

どこかで読んだ気がするなあとしばらく考えてわかった。これは、プルーストの À la recherche du temps perdu のあの有名な書き出しの、Perl 言語への「翻訳」である。書いた本人には失礼かもしれないが、米国の自由人による凝りに凝ったジョークだろうと思う。Sharon Hopkins など、Perl 詩で評価されている詩人もいるのだとか。米国のソフトウェア文化の奥深さを感じずにはおれない。

ちなみにこの Perl 詩はプログラムとして「実行可能」であるが、黙して語らないところも面白い。詩はなにものにも奉仕しないということか。また Sharon Hopkins の作品は、ls-la.net: Best of Internet サイトなどで閲覧できる。

もちろん本書は、上級プログラマ向けの、他の Perl 本では得難い題目について、具体的コードを示して解説している。なかでも自然言語解析の章は、この手の書籍では通常の拾い読み、参考の程度ではなくて、まじめに精読する価値がある。Perl の腕を上げたいというより、Perl 言語基盤によっていかに自分の課題を解決できるのかを探りたい。そういうひとに本書は向いているのではないかと思う。
 

実用Perlプログラミング
サイモン・カズンズ Simon Cozens, 菅野 良二訳
オライリージャパン (2006/03)

ロシアの Ozon は今年になって古書の海外発送を行わなくなり残念だったが、今日また復活しているのがわかった。Ozon 新着案内メールにあった Ю. М. Лотман ロートマンの "Об искусстве", Издательство: Искусство - СПБ, 1998 г. (邦題『芸術論集』) を注文してみたところ、受け付けられたのだ。704 頁のハードカバー装丁で 622.3 ルーブリ (約 2,400 円) 也。

この本はかの有名な論文 "Структура художественного текста"(邦題『芸術テクストの構造』)を含んでいる。日本では部分訳が『文学理論と構造主義―テキストへの記号論的アプローチ』という題で勁草書房から出ている。

あるロシアの書籍販売サイトによると、ロシアでは出版されて 50 年以上を経た古書は文化財扱いとなり、輸出に行政の認可が要るらしい。100 年ものは輸出禁止だそうである。ましてや海外との取引は七面倒なので、Ozon は古書の海外発送を一律拒否するようにしていたものと思われる。私はかつて 1936 年刊の古書を Ozon から購入したことがあり、つまりはアンティック品だったわけである。

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ISAO。システムエンジニア。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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