子供たちが携帯電話を買ってくれとうるさい。冗談じゃねーおまえらみたいなガキが使うためのオモチャじゃねぇ!と聞く耳をもたないのだけど、周りの子供たちは当たり前のようにケイタイで遊んでいて、「持たざる子供」はちょっと浮いた存在になってしまうということを聞くと悩みに入ってしまう。
確かに、子供が誰も頼るひとがいないときに助けを求める(迷子のような)場合、携帯電話は連絡の手段としてその効力を発揮する。しかしその「意義」はそんな緊急事態に限られるのではないか。そもそも子供たちが欲しがる理由は、そういう事態を考えているのではなくて、やはり友達とメールしたりおしゃべりしたりするためである。玩具以上のものではないのだ。
うちは子供たちにもメールのアカウントを与えている(これも考えものだけど)。携帯電話からメールしてくる友人たちの文面はというと、「いまどうしてる」だの、「もう寝る」だの、たった一行からなるどうでもよいおしゃべりの断片であり、さらにそれをひっきりなしに繰り返すわけである。ひとつ問いかけメールを送ると、数十分したらまた別の似たようなメールを送る。そのやりとりの繰返しは、まさに大人が煙草を吸うような間隔で、携帯電話に向かって文字をタイプしている様子を想像させる。携帯電話の着信が気になってしようがない状態。送ったら、その返信が待ち切れない。返信がなくてイライラする。また送りたくなる。中毒という言葉が思い浮かぶ。そんなことに情報リテラシーのない十代の若者が囚われていたら、集中力のない大人、書き言葉とおしゃべりとを区別できない大人に育ってしまうのではないかと思ってしまうのだ。
うんにゃ、やっぱ買ってやるのはやめである。私にとって携帯電話というものは、システム障害で夜中に叩き起こされる、など仕事のトラブルと直結する情報機器である。ろくな印象がない。ああ、ケイタイのないところへ行きたい。

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