2007年8月アーカイブ

切手を買う

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今日は午前中,新川の顧客,午后は丸の内の顧客と打合せだった。

朝,早めに地下鉄茅場町に到着し,てくてく八丁堀方面,新川の顧客本社ビルへと向かう。その途中,亀島橋の袂に芭蕉の句碑を発見。菊の花咲くや石屋の石の間。まだまだ秋の涼風は吹かない。石屋の石の間ならぬビル街の片隅にひっそりと設けられた小振りの句碑にしばらく見入ったあと,すぐ近くの顧客社屋に入った。

午后の打合せのあと,東京駅真ん前の中央郵便局で切手シートを購入した。この前振り込みをしようと立ち寄った際にたくさん並べられていたのが目に留まり,今日はふと久しぶりに記念切手なぞをと思いついたのだった。「平成十九年ふみの日」(紀貫之などの百人一首歌人の歌と肖像),ふるさと切手「江戸名所と粋の浮世絵」それぞれ1シートずつ。

陸軍中野学校---開戦前夜

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ツタヤで DVD を借りてきて鑑賞。『陸軍中野学校---開戦前夜』。井上昭監督 1968 年作品。日本では珍しいスパイ映画。シリーズ第 5 作目にあたる作品。女主人公エージェント役の小山明子がカッコいいのだ。

『陸軍中野学校』シリーズはその第 1 作を大学の映画祭で観たのだが,その硬派なサスペンスに魅了されたものである。ハリウッドの 007 シリーズの影響で作成されたものと思うのだが,007 のダンディズムとはかけ離れた東洋のニヒリズムがこちらの特徴のようにみえる。

陸軍中野学校 開戦前夜
角川エンタテインメント (2007-12-21)

夏風邪?と探偵学園Q

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今日は熱が出てしまい,昼過ぎまで寝ていた。夏風邪か。だるいながらも少し具合がよくなって,Web を眺めていると Wikipedia 歴史的仮名遣いをめぐる記事が目に留まり,つまらぬブログを書く。そのあと遅いお午ごはんを食べながら,子供たちが録画した『探偵学園Q』を観る。

少年,少女が探偵として事件の謎を解き明かしてゆくストーリーは,非現実的であるけれども,それだけいっそう,友情も,猟奇も,ナゾの犯罪組織も,私の酷愛する乱歩少年探偵団の伝統がいまも生きていることを現していて嬉しくなる。型に嵌った物語性だって私にはいささかも瑕疵にはならない。そもそもワンパターンは悪くない。私も水戸黄門や寅さんなどが大好きなのだ。

先日 misima の問題点を訂正して公開した。このプログラムに関する頁は,私のサイトではなぜかダントツでアクセス頻度が高い。私自身は TeX で旧漢字を出力する必要のある時にごくごく希に使用する程度であるが,これを使ってくれる方の多くは旧仮名遣い・旧字(歴史的仮名遣い・旧漢字)で文章を書きたいと考えているようである。私の当初の目的とはかけ離れた使われ方ではあるが,そういうものかも知れない。私が想定した目的は,古い文献の引用を効率化することでしかなかった。通常の IME では旧字・旧仮名テキストの入力は困難であり,現代仮名遣い,当用・常用漢字による正則 (というのはなにかというのはさて措き) 表記テキストを入力することで,この労力を軽減するというものであった。

私自身は現代仮名遣い,広く認められた表記で書くべきであると考えている。もちろん「正字正仮名 (こんな名称はどこの事典にも載っていないけど)」を使うひとがいたってよいと思う。

でも Wikipedia の項目を歴史的仮名遣い(漢字表記を含む)で書くことの権利を主張するひとを見ると,なんたる鼻摘み者かと呆れてしまう。Wikipedia という媒体における表記の意味がまるで解っていないと考えてしまうのである。この方の曰く:

yfuruhataさんは,正字正仮名がよみづらいから,ということで依頼不備と仰ったのですか。なんだか,yfuruhataさんの「旧字旧仮名が嫌い」という気持ちと,私の「歴史的假名遣ひ,正字體をつかひたい」という信念のどちらが優先されるか,などというあほらしいはなしに思えてきました。「「削除の方針に合致するか否かを検討する場所」において,『信念』を唯一の理由として旧字旧仮名の使用を強行する行為」が,せめられることなのかどうか,がよく分からん。言いがかりとしか思えん。「旧字旧仮名」でも対話はできますしね。だで,そんなことで「対話拒否」を主張されても困る,というのが当方の主張です。(ところで,非常にどうでもよいことですが,yfuruhataさんの仰る「日本語(現代仮名遣い)以外」には,「旧字旧仮名」いいかえると,「歴史的假名遣ひと正字體で書かれた日本語」も含まれる気がします。)--壽日 2006年8月8日 (火) 14:22 (UTC)

「正字正仮名がよみづらい」,なんて私は思わない。yfuruhata 氏だっていったいどこで「旧字旧仮名が嫌い」などと「好き嫌い」で判断を下しているのか。壽日氏は「信念」などと言っている。このひとこそ「好き嫌い」を公の場のルールに持ち込もうとしているように見える。Wikipedia 百科事典は事実を志向する媒体であって,「信念」や「意見」を表明する場ではないはずである。「正字正仮名」なんて仲間内だけで通用する言葉を使用して憚らないこと自体 Wikipedian としての質が疑われるのは措くとして,このひとによれば Wikipedia 百科事典はなんと「信念」を吐露する場なんだそうである。まさに本人の言うとおり「あほらしいはなし」ではないだろうか。

論文には投稿規定があるように,Wikipedia のような万人が参照することを想定する百科事典には,執筆者が従うべき編集規定がある。表記はルールのひとつである。昔の数学書を見ると「関数」は「函數」と表記されていて,「函數」という表記自体は間違いではない。しかし,同一の数学文献でこれらが混在していると,統一性のなさ,基盤のいい加減さに著者の「数学的資質」を疑ってしまうに違いない。いったいどこの編集者,読者が,「関数」と「函數」を同列に使用している数学事典を許容するであろうか (※)。歴史的仮名遣いがいかに立派なものかというような議論は措いて,この Wikipedia の鼻摘み者は学術用語の表記が統一されていない事典の無意味さに思い至らないようである。

(※ 厳密にいうと「関数」と「函数」が混在している数学文献を私は知っている。共立出版から刊行されている『数学公式』1953 年初版がそれ。しかし吟味すると「函数」を mathematics の function,「関数」をプログラミング言語の function の意味で弁別しており,定義への態度は明白なのだ。)

要するに Wikipedia というルールを有する公的な場において歴史的仮名遣いの使用に固執するようなひとは,百科事典を個人のエッセイかブログと勘違いしているのではないかと疑ってしまう。皆の所有物と己の所有物とを混同しているようである。よって,公のルールと個人の主張とを一致させないと気が済まない愚者,事実と意見とを峻別できない無教養者,と私の目には映る。私だって Wikipedia の責任ある編集員であれば現代仮名遣いへの書き直しを迫る。もし私の部下が顧客提出資料を「正字正仮名」とやらでもって来たら,「これは君の作品ではなくて会社としての文書なのだということを理解しているのか」と諭すだろう。「お前は青臭い学生か」と叱りとばすかも知れない。そしてただちに書き直しを「命ずる」はずである。歴史的仮名遣いの正当性,「信念」を主張したければ別のところで行うべきである。「ちょっと休みに随筆を書いたんですけど」ということなら喜んで受け容れる。

私は misima を使ってくれるひとがいる以上,恥ずかしいバグは訂正しなければいけないし,メンテナンスをしていくつもりでいる。でも上のような主張をなす「正字正仮名」鼻摘み者予備軍に奉仕しているとしたら阿呆らしくなってくる。

misima 2.3 問題訂正

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misima のバグを修正した。「うれしいよ君」なる文が「うれしいや君」になってしまうという問題。「君のような」は「よ」を「や」にして「君のやうな」に変換する仕様であるが,このロジックにつまらない,愚かしい不良があった。類似不良を見直して,すぐに修正してリリースした。旧字変換辞書もかねてから疑問に思っていたエントリ (欲->慾) を削除した。パッケージ misima-2.3e.tar.gz にはまだ反映できていないけど。

藤田眞作先生の LaTeX マクロに関する著書は私のリファレンスになっている。著書で解説されているマクロはすべて先生のサイトで公開され,私も漢文訓読点用マクロをはじめ愛用させていただいている。

今日久しぶりに縦組で組む必要があり,先生の段落パッケージ sfdanrak.sty を使って段落開始時カギ括弧の字下げ調整を行おうとしたところ,全く機能しない。「え〜なんで?」『pLaTeX2e 入門・縦横文書術』を引っ張り出してきて該当の解説を読み直し,マクロの指定を確認したが間違っていない。

しばらく考えてようやく原因が判った。upTeX (ttk 氏による内部 Unicode 化された pTeX) にシステムを変更したため,sfdanrak.sty で処理判断に使われている漢字内部コードが従来と変ってしまったためだった。

\makeatletter
\@tempcnta=`「
\the\@tempcnta
\makeatother

とやるとオリジナル pTeX 従来なら 33141 が返されたのに対し,内部 Unicode 化が加えられた upTeX では 41430 が返却される。そこで sfdanrak.sty 中の内部コードで判定している定数を書き換え,さらに偶奇も変るため \ifodd の処理も修正しなければならなかった。

\ifnum\kakkocnt>33124 \ifnum\kakkocnt<33146
\ifodd\kakkocnt\setbox0=\lastbox\mbox{}\fi\fi\fi\fi#1}
        ↓ 修正
\ifnum\kakkocnt>41413 \ifnum\kakkocnt<41435
\ifodd\kakkocnt\else\setbox0=\lastbox\mbox{}\fi\fi\fi\fi#1}

これでとりあえず私の必要には適ったけれども,それ以外にも内部コード値を判定しているマクロがありそうだ。もう少しうまい対応策がないものか。
 

pLaTeX2ε入門・縦横文書術
藤田眞作
ピアソンエデュケーション

藤田先生はなにより化学構造式組版マクロ・パッケージ XyMTeX で有名である。一方で,伝統的和文組版についてもきめ細やかな知識をお持ちである。本書を読めば,日本の印刷文化に特有の組み方 (中・肩ツキルビ,俳句の倍どり組み,割書・割注,漢文訓点文,約物字下げ・ぶら下げ, etc., etc.) を実現するマクロを,我がものにできる。TeX 命令のみに基づいて組み方の工夫を解説しているため,LaTeX 周辺システムがどんなに進化しようとも,まったく古びるところがない。

十四日の深夜,北上の CATV で映画『日本のいちばん長い日』を観た。1967 年,岡本喜八監督作品。ポツダム宣言受諾,宮城事件から 8.15 正午の詔勅にいたる終戦の一幕を描いたものである。豪華キャストによる台詞の重い作品であった。

戦後生まれの私には,宮城事件を首謀した陸軍将校に,精神論を振りかざす頭の悪い軍人の青臭さばかりが目に付いてしまう。2.26 事件といい,宮城事件といい,かつての日本軍エリート将校は,東南アジアの国々の軍人テロリストと同じく文民に従わず,己の立場を精神論で正当化し,結局,敵兵ではなく丸腰の自国民を日本刀で斬り捨てるしか能がなかったらしい。軍人ならば敵地に赴いて敵兵の首を掻き切って来るのが職務ではないだろうか。大本営にいて「最後のひとりまで闘うべし」などと叫ぶ彼らは,戦地で敵弾に倒れあるいは餓死した兵士や,空襲で焼かれたひとびとや,--この映画の一シーンのように--岩波文庫を握りしめる兵士や,出撃に先立っておはぎに食らいつく特攻兵や,に対置されると,その政治的天秤のなさと職務への怠慢とをもって,ただただ傍迷惑な存在に映る。私の身の上に引き寄せて例えてみれば,彼らはライバル会社以上の売込活動ではなく,意に染まぬ社内のひとびとの足を引っ張ることに忙しい営業社員のようなものである。愛社精神には見上げたものがある。でも,「仕事しろよ」と言いたくなる。でもこういう一途さを「美しい」と思うひともいるんだな。

彼らとは対蹠的な人物像が描かれる。狂気の反乱軍に取り囲まれながら「君達だけが国を守ってるのではない」と反駁する徳川侍従。反乱軍将校に銃をつきつけられながらも「現在は警戒警報発令中であり,東部軍の許可のない限り放送はできません」と職務に忠実たらんとした NHK アナウンサー。戦時中であろうが平和な時代であろうが,國體だとか精神だとかではなく「ルール」と「仕事」に忠実であろうとするものこそが本当に美しい。そして生き残ったうちのこうしたひとたちが戦後の日本を復興させたのではないだろうか。

ところで,ポツダム宣言を受諾するか否かで閣議は紛糾する。自分たちで決めることができず,結局天皇のご聖断に委ねることに。天皇陛下の「国民の滅亡を回避すべき」との決断で,受諾が決まる。これが日本の政治というものなのだと痛感した。国の大事を議論で決めることができないのである。

また戦争終結をめぐる天皇の正鵠を射た判断に感銘を受ける。ベルリンが陥落するまで降伏しなかったドイツとは対照的に,日本は本土決戦がすなわち国民の存続に関わるものであるということを「政治的」に判断した。この判断がなければ,日本はドイツや朝鮮半島のように分断されていたに違いない。政治的判断ではなく,指導者の死によってなしくずしの無政府状態で戦争終結の事態になっていれば,本土に攻め込んだ米国,英国,中国,ソヴィエトの各国軍隊によって日本の国土は草刈場になったに違いない。もしかすると米国軍が駐留する今のイラクのように「復興支援」という名目で。戦後処理とはそのようなものではないだろうか。現代の日本人は昭和天皇に心から感謝すべきである。

この判断を下したのが天皇であったことは,近代日本史の大いなる皮肉であるように思う。天皇が政治的判断をしない現在,日本の民主主義は自分で大事を決断できるといえるのだろうか。小池防衛相のいうことを聞かない守屋事務次官。こういう体質は戦前となにも変わっていない証拠ではないか。でも心配はご無用。政府与党はかつての天皇のご聖断に類するものをジョージ・ブッシュに委ねてくれているわけだから。

こんな映画を撮れたかつての日本人に敬礼! 岡本喜八監督は戦時中の日本人の禁欲的本性を浮き彫りにする。大谷直子・寺田農主演『肉弾』もこの真面目さの風化がテーマではなかったかと思う。『日本のいちばん長い日』の緊張とストイシズムを知ってしまうと,最近の『男たちの大和』や『俺は,君のためにこそ死ににいく』などの戦争物は甘甘のノスタルジアに過ぎないように思われる。「世界の中心で愛を叫ぶ」ことで死を美化する巧妙な偽善的演出に,冷笑を禁じえないのは私だけか。岡本の描く人間像からなんとかけ離れてしまったことか。

昼間,Izhitsa-ltn 教会スラヴ語パッケージの修正をして過ごす。OldSlav との共存で問題があり,その訂正。北上にもってきたノート PC はネットワークにも繋がらないし,ましてや TeX 本も持参しておらず,なにも参照する資料のないなかで手を入れるのはやっかいであった。Izhitsa-ltn-1.2 とした。

息抜きに娘とバレーボールをした。その際,裏の農器具置き場で蟻地獄を発見。

arijigoku.jpg

夕食後,義父より義母の伯母にあたる女性について話を聞く。彼女,ヤスさんが編集した雑誌『女性岩手』に,宮澤賢治は死の直前まで作品を寄せたのだった。彼女は賢治の妹トシの同窓で,詩人自身とも編集者として近しく接していたという。

早くに夫を亡くし家族を養うため美容師となり,仕事で花巻の花柳界の女性の姿に触れるうち,なにか思い立つところがあって雑誌編集者へ転身。その人柄への興味が湧いてくる。ヤスさんは日記を残したが,生前の本人の意思なのか,世継ぎの方が封印してしまって誰もこれを閲覧できないという。公開されれば宮澤賢治研究の貴重な資料になるのだろうけど。

北上 8.13 — 墓参

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お墓参り。樹齢六百年の銀杏の下の墓地は,近隣のひとびとで賑わい,お香が立ち籠めていた。二カ所のお参りのうちもうひとつの墓は,岩崎城跡の堀と思しき橋下にあった。「どうしてこんなところに営んだのかね」と義父。戦国の末期,岩崎城を擁する和賀氏は秀吉の奥州征伐を経て南部氏に攻め落とされたという。藁に火を焚いて,線香をあげ,掌を合わせる。おこわをいただく。「夏草や兵共がゆめの跡」か。

夕になり,お墓参りをした親戚一同で宴会。義父は家長に相応しい堂々たる挨拶をする。婿の私は上座に座らせられ恐縮するばかりであった。しこたまビールをいただく。食べ切れない量のご馳走。妻の親戚は教員と医師が多い。60 代後半になってもまだ現役の医師である義父弟の話は,最近よく耳にする医療事故に対して賠責補償の積立金制度があるそうで,興味深かった。

宴会のあと,妻,娘とお散歩。月はなく,星ばかりが煌煌と輝く。こんな星空を何年見ないだろうか。娘も感激していた。二年前に見た蛍は現われなかった。

北上 8.12 — 到着

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なんとか取れた夏休み。久しぶりに妻の郷里におじゃました。

午 13:00 ごろ北上に到着し,義父母と義兄の待つ中華レストランへ直行。義兄のおごりで中華をいただく。多忙な義兄は一日実家で過ごしただけでこのあと早々と東京に戻って行った。義兄は何冊も著書のある有名な精神科医である。

徒然のうちに義父の書斎を覗く。地元の歴史書,文学書が並ぶ。スクラップブックをめくっていたら,地元新聞に寄せた義父の連載エッセイの切り抜きを見つけた。岩手の古えの逸話や人物像。文筆家としての活躍ぶりに驚いた。

昼間の猛暑も夕方になるとすうっと引いて,草いきれにも涼感が漂う。娘のピアノの練習を聞きながら,縁側に腰掛けて夕涼み。音が半音違うぞとかなんとか腐しながら,煙草を吹かす。一句でけた。

宵の気やバッハにあはせ蚊を叩き

鰻を食う

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金曜日の夕方,妻と川崎で食事。土用をかなり過ぎてしまったが,鰻の蒲焼が食いたくなって,京急川崎駅近くの「まるだい」というお店に入った。老舗らしい。大正の洋館風の普請で,なかなか雰囲気がよい。たまにはちょっと贅沢に松といこう。旨かった。

TeX Gyre フォントコレクションをインストールした。

TeX Gyre プロジェクトは 2006 にはじまったばかりで,フォントも開発途上にある。TeX Gyre フォントは URW フォントをベースとしている。Adventor (URW Gothic L), Bonum (URW Bookman L), Heros (Nimbus Sans L), Pagella (URW Palladio L), Schola (URW Century Schoolbook L), Termes (Nimbus Roman No9 L) の 6 書体 (括弧内はベースとなった URW ファミリー) が提供されている。キリル文字についても T2A, T2B, T2C エンコーディングが揃っており,PSCyr には存在しない字母を含む多書体が楽しめる。

組込みは,CTAN: fonts/tex-gyre.zip をダウンロードしてきて,TeX ツリーに展開し,マップを登録するだけである。

お試しのサンプル・ドキュメント原稿及び出力イメージを以下に示しておく。PDF はこちら

% -*- coding: utf-8; -*-
% tgtest.tex TeX-Gyre test
\documentclass[12pt,a4paper]{article}
\usepackage[dvipdfm]{graphicx,color}
\usepackage{tgtermes}% in case rmdefault: qtm
\usepackage[utf8x]{inputenc}
\usepackage[T2A,T1]{fontenc}
\usepackage{textcomp}
\usepackage[russian]{babel}
\pagestyle{empty}
\begin{document}
\def\rutext{% sample text
  \begin{center}%
  АБВГДЕЁЖЗИЙКЛМНОПРСТ%
  УФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯ\par%
  абвгдеёжзийклмнопрст%
  уфхцчшщъыьэюя\par%
  0123456789 %
  %oldstyle numeric 
  \textzerooldstyle%  0
  \textoneoldstyle%   1
  \texttwooldstyle%   2 
  \textthreeoldstyle% 3
  \textfouroldstyle%  4
  \textfiveoldstyle%  5
  \textsixoldstyle%   6
  \textsevenoldstyle% 7
  \texteightoldstyle% 8
  \textnineoldstyle%  9
  \vspace{10pt}%
  \end{center}%
}%
\long\def\fontsel#1#2{% font selection
  \fontfamily{#1}\selectfont%
  \bgroup\color{red}#2 (#1 family)\egroup\par%
}%
 
\fbox{%
\begin{minipage}[t]{0.9\textwidth}%
\parindent=10pt%
\vspace{10pt}%
 
\fontsel{qtm}{Gyre Termes}%
\rutext%
 
\fontsel{qbk}{Gyre Bonum}%
\rutext%
 
\fontsel{qcs}{Gyre Schola}%
\rutext%
 
\fontsel{qag}{Gyre Adventor}%
\rutext%
 
\fontsel{qhv}{Gyre Heros}%
\rutext%
 
\fontsel{qpl}{Gyre Pagella}%
\rutext%
 
\end{minipage}%
}%
\end{document}
tgtest.jpg

中学一年生になる娘が夏休みの読書のため面白い本を貸して欲くれという。私は,いろいろ悩みつつ,ロシアの二人組みの作家イリヤ・イリフとエヴゲーニイ・ペトロフによる『十二の椅子』を与えた。これはソヴィエト時代初期の抱腹絶倒の悪漢小説=ロマン・ピカレスクである。古今東西の小説でげらげら笑いながら素敵な物語を読んだなあというものは,これをおいてあまり記憶にない。私は大学の図書館で新潮社版を借りて読んだのだが,二十年以上昔の学生時代からこのかた,この古典的ユーモア小説が再版されないのが不思議でならない。古本を探しまわって筑摩書房世界ユーモア全集所収の巻を手にいれたのだ。

このまえ岩波の『図書』だったと思うが,「私の三冊」という題目で著名人の心に残るベストスリーを特集していた。私なら何を挙げるだろうか,とやはり思案するもの。プーシキンの『エヴゲーニイ・オネーギン』,日影丈吉の短編集,ジュリアン・グラックの『アルゴールの城』,アレクサンドル・グリーンの『波を駆ける女』,ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』,マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』,ライナー=マリア・リルケの『マルテの手記』,アーサー・マッケンの『夢の丘』,辻邦生の『背教者ユリアヌス』などなど,私の青春時代,魂を満たしてくれたさまざまな名作が思い浮かぶけれども,この『十二の椅子』も元気印に輝く一冊で捨てがたい。

さて娘がどんな感想を示すか興味深い。ちょっと中学生にはこの作品の冗談が解らないかも知れない。

十二の椅子 (1977年)


イリヤ・イリフ,エヴゲーニイ・ペトロフ著
江川 卓 訳
筑摩書房 (1977/11)

Amazon マーケットプレイスに古書が出品されているようなのでリンクを付けておく。ぜひ読んで大笑いしていただきたい。

OldSlav-0.1h 公開

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教会スラヴ語 LaTeX パッケージ OldSlav-0.1h を公開した。

Hyperref パッケージを用いて OldSlav ドキュメント内の目次や URL にハイパーリンクを付加しようとすると,場所によって様々なエラーが発生した。OldSlav のマクロが定義されていないとか,Hyperref のマクロのなかで \fi がないとか,その原因が皆目判らなかった。日曜日午後ずっと悩んで,\tracingmacros でデバッグしたり,マクロの定義を外して動作を試してみたりして,やっと教会スラヴ語数値表現マクロ \slnum の定義に問題がありそうなところまで判った。これは原作者の A. Slepukhin 氏のコードをほとんどそのまま 7 ビットコードに移植したものだった。

なんとか訂正を施して先ほど Web サーバに格納したところである。実は昨日深夜に改訂版をアップしたけれど,これは修正不十分でラテン文字言語のアクセントが不正になるデグレードを抱えていた。今夜さらなる訂正版をアップしたので,折悪しく昨夜から今夕にかけてダウンロードした方はもういちど行っていただきたいと思う。スミマセン。ドキュメントもハイパーリンクを付加すると同時に記述のバグを正した。また pdftk で背景にロゴを挿入し,見た目も新たにした。私のサイトのダウンロードサービスから取得できる。

ところで Hyperref はトリッキーな方法を様々に駆使しているパッケージである。古い版 (ptetex3 でインストールされるもの) だと OldSlav との併用で問題が起こった。OldSlav と併用する場合,2007-06-14 V.6.76i あたりの hyperref.zip と Heiko Oberdiek 氏のパッケージ oberdiek-tds.zip とをセットアップしていただきたい。OldSlav-0.1h ドキュメントをこの二つの版との組み合わせでうまくコンパイルできたのでとりあえずよしとしたい。

ムローヴァのブラームス

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昨日,神保町の古レコード屋で中古 CD を買った。ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調。ヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリン独奏,クラウディオ・アバド指揮,ベルリン・フィルの管弦楽による,1992 年の東京サントリーホールでのライブ録音である。

ムローヴァは 1981 年に華々しくデビューしたモスクワ生まれの女流。1983 年の亡命事件を経て,ロシア流の完璧なフォルムと逞しさを受け継ぐ,いまなお一流のヴァイオリニストのひとりである。最近は古楽やクロスオーバーへの関心が高いようだ。テレビでも彼女のヴィヴァルディの演奏を見かけたし,マシュー・バーレイらとの競演 CD "through the looking glass" も肩がこらず素直に楽しめてよかった。この期に及んで,もう十年以上も前のブラームスの録音をやっと私は手に入れた。

私は久しぶりにロマン派の大作曲家の作品を聴いた。どうしてかこの曲の出だしに『君が代』を連想してしまう。悲劇的な歌いだしに鋭く切れ込んでくるヴァイオリン・ソロはさすがに堂に入った感動的な曲であり,クラシック音楽の定番に相応しい。ムローヴァのソロはなにより正確さを印象づけ,かつオーケストラとの対峙という協奏曲の面白みに溢れている。ロマン派の大曲のほうが彼女には似つかわしい。

Johannes Brahms: Violin Concerto
Viktoria Mullova (Vln);
Claudio Abbado (Dir); Berliner Philharmoniker (Orc)
Recorded live at Suntory Hall, Tokyo, 1/92.
Philips (1995/01/17)

システムの品質報告のため,原宿の顧客先に赴く。地下鉄明治神宮前駅舎を出た瞬間に,地面から3センチくらい浮き上がったけばけばしい若者たちの洪水に巻き込まれ,ネクタイを締めたわれわれサラリーマン四人組は完全アウェイの怪しい気分で顧客旧本社ビルへ。絶対優位のお客様に正論で攻めまくられ,もとより不良を出したわれわれが悪い図は明らかで,私はひたすらお詫びするばかりで胃が痛くなった。とはいえ,カツ丼の料金で,フランス料理のコースの品質と,気品と,伝統とを追及するような顧客管理職の議論に,ふと,吉田兼好の言が頭をよぎって,実は吹き出しそうになる。「改めて益なき事は,改めぬをよしとするなり」。おっと不謹慎。お客様は王様です。

打合せが終わると18時を過ぎていた。報告資料のレビューと修正とでドタバタしたおかげで午もなしにすませたので,メシを食うかとも思い,地下鉄で神保町に出る。

地下鉄のなかでスポーツ雑誌 Number の吊広告が目に留る。サッカー日本代表中澤選手の悲壮な姿に「彼らは何を掴んだか」のコピー。これを書いた奴に胸糞が悪くなる。「彼らは」という言葉に芯から怒りが込み上げてくる。負けたら他人事にしてしまう,冷たい,無責任なライターの手になるものに違いない(記事本文を読んだわけではないけれど)。もし日本代表がアジア杯を制覇していたら,「われわれは」という我が物顔の表現になったのではないかと想像してしまったのだ。こういう評論家的な日和見が正論を吐いて代表を苦しめているのである。これではあまりにも選手たちが可哀想ではないか。いっそ私は日本代表が永遠にトップになれないことを切に望む。

神保町裏通りの食堂で焼肉定食を食い,ブラームスとメンデルスゾーンの中古 CD を買い,いつもの喫茶店で苦いコーヒーを飲んだ。帰途,半蔵門線神保町駅のホームに新聞を読む少年がいた。後生畏るべし。路線図のボードに火災発生時の説明が掲載されていた。英語,中国語,韓国語では示されているのに,日本語がない。何故か。

boy_reading_and_emergency.jpg

帰宅してニュースを見る。中国瀋陽での U-22 サッカー日本対中国戦。0-0 のドロー。国際試合なのに審判が中国人だったようだ。日本人観客に紙コップを投げつけて罵声を浴びせる中国のサポーター。こんな国で 2008 年にオリンピックが開催されるそうである。歳をとるとゲームの勝敗よりこういうことのほうに関心が高まる。ここでもサッカーが国を挙げたスポーツであることを思い知る。日本国の勝ち(平均点での話)。

日野の顧客先でシステムのデモ。課題をいくつかもらう。長時間の移動で疲れ果てて帰社。明日の原宿のお客さん向けの報告資料を,いじらしい子分とレビュー。「障害発生曲線を分析してサチっているかどうか評価してくれよ」。単なる流氷か,氷山の一角か。憂鬱。今夜も終電なり。

tokyo_station.jpg

東京駅の横須賀線終電を待つひとたち。酔っぱらってニタニタしながら「もう二三分待ってくれよう」と独り言するクールビズなオヤジ。このなかにはボロボロのサラリーマンが多いはず,借金まみれもいるだろう,人殺しもいるかもしれない,馬鹿みたいな幸せ者ももちろんいるはずである。拗ねたことを考えている私こそが馬鹿か。アレ,向こうにこっちをじっと見ている奴がいる。俺じゃないか。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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