FreeBSD の X Window System をバージョンアップする傍ら,長大なパッケージインストールが流れる合間に,マリオ・プラーツの名著『肉体と死と悪魔』(国書刊行会クラテール叢書1, 1986, 原典 1966 第二版) を読んだ.これはもう 20 年程昔に神保町の古書店で手に入れたもの.当時拾い読みをしただけであったが,もう少しきちんと再読したくなったのである.
本書は,18 世紀プレロマン主義から 19 世紀ロマン主義,デカダンティズム,象徴主義に至る西欧文学の思潮における悪魔的な美の形象を,豊富な引用と実証的比較検討によって詳説したモノグラフである.文学史においては,統制された美の規範に支配された時代と,そこから思想的/倫理的/様式的に自由に逸脱して新たな価値を具現しようとする時代とが交互に現われるとされる.文学史家にはこうしたコスモス--カオス類型論に囚われるあまりマニエリスム期の詩の様式とロマン期の詩人の意匠の共通性を過大に評価する向きもある.プラーツは歴史的規定を根拠にそのような軽率な文学評価を厳しく戒めている.これが印象批評から解き放たれ,20 世紀の真に新しい独自の実証的研究を生み出した立場だと私は思う.
まがりなりにも外国文学を研究しようとする学徒にとって,西洋文学の伝統を知るのにマリオ・プラーツの本書,エルンスト・ローベルト・クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』,エーリッヒ・アウエルバッハ『ミメーシス』といった碩学の著書は,避けて通れないと私は思う.こうした,確かな鑑賞眼と長い年月にわたる探求とによって支えられてこそなし得る「学問的」な仕事に触れると,ヨーロッパの学者の知力の凄まじさを知る.己の勉強不足を思い知る.また一方で,構造主義だとか脱コンストラクションだとかの批評は,学術論文で引用するに耐えない,賢しらなだけのつまらないものと映る (もちろん読んで面白いものもあるけれども).
南大路振一, 中村善也, 岸本通夫 訳
みすず書房 (1971/11)
篠田一士, 川村 二郎 訳
筑摩書房 (1994/02)
篠田一士, 川村 二郎 訳
筑摩書房 (1994/02)


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