見直した論文を提出した。4/27 締め切りぎりぎり,23:00 過ぎに最終稿を送付。金曜日,最後の追い込みだーとばかりに仕事を切り上げようと思っていたところ,とある顧客で大問題が勃発。社内会議ですったもんだした挙句,論文なんかよりよっぽど難しい資料を月曜日までに作らないといけない事態に追い込まれてしまった。マジかよーと泣きたくなったけどしようがない。
論文については,3末に指摘を受けたところの反映にこのひと月,仕事から帰って少しずつ改稿し,ほぼ全面書き直しの体たらくであった。他人にも分るよう分るようといくら努力しても,他人に叩かれないと自覚できない独善がある。それを一から見直さなければならなかった。そのお陰で今度は少しは大学の先生を納得させられるはずだ。制限枚数に収めるため3頁削るのに手間どってしまった。ロシア語要約は,大問題発生のあおりを受けて,まあどうせ誰も読まねーかと腹を括って適当に書き上げた。いや,それでもいまの私のなし得る最高の論文を仕上げ,本業の資料もなんとか仕上げていまほっと一息なのら。これで論文の採用がダメならまた一年修行ということになるんだけどそれもよし。
いま屋根裏の狭い書斎(自称)は論文執筆のため,床に参考文献が積み上がり足の踏み場もない。冗談抜きで,立錐の余地もない。連休に入ったら書物の整理をしよう。論文のために参考書をたくさん買い込んでしまい,マコム(我が家のファイナンス)に多大な借金を抱えてしまったので,その返済のために売っぱらう本,CDを品定めしよう。あと,プーシキン,ロシア語電子コンコーダンスソフトの見直し,サーバのメンテナンス。
オリンピック聖火リレー,長野で混乱したもよう。さすがの中国びいきの朝日も欧米の世論に逆らえない報道しかしないわけで,乱入したチベット問題抗議者を前に愛ちゃんが困惑している写真とともに,一面で波乱を報じていた。欽ちゃんの「警備のひとが欽ちゃん走りを始めたのでなにごとかと思った」とのコメントがサービス精神旺盛でよかった。中国人で溢れかえってとてもリレーが観られなかったそうな。それでも中国の政府筋は「成功」だのコミュニケを出したとのこと。ますますチベット問題が白熱して白けたオリンピックになりそうである。
論文執筆のために色んな本を読み返していて,蓮實重彦の文章にぶつかった:「デリダがやっていることは,多義性(ポリセミー)の運動を一旦は踏破し,比喩の様々な系列を辿りなおしつつも,しかし,その系列が常にその系列に対する余剰でもなく欠如でもない,ある『空白』の偏在によって可能になっているという事態を,再—刻印すること」(『「知」的放蕩論序説』)。いやはや,なぜ簡単に「デリダは比喩を使っている」と言わないのだ。こんな冗長極まりない隠語だらけの堂々たる文章を書いているから,大学文学部出は嗤われるのである。よくもまあこんな文章がその筋ではまかり通っているもんだと感心してしまう。これも「ざあます」セレブ語と同じでただのステータスを示したがっているだけではないかと,私なんかは思う。「余剰でも欠如でもない」だの「空白の偏在」だの,これはある種の符牒であって,「その筋」のひとたちには,われわれにとっての「爪楊枝」だとか「二日酔い」というのと同じくらい明白らしい。やっぱり私はプーシキンが好きである。「『軽蔑すべき妄評家(ゾイロス),その眠ることなき嫉妬心はロシヤのパルナス山の月桂樹に自らの催眠の毒薬をば注ぎかけ,その退屈なる愚鈍さはただ飽きることなき悪意とのみ比較し得る......』。いやはや,なぜ簡単に『馬』と言わないのだ」(『プーシキン全集第五巻』p.15)。




