2009年1月アーカイブ

英辞郎第四版を Emacs で使う

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今日,会社の帰り,虎ノ門の書店で『英辞郎第四版』(アルク) を購入した。英辞郎は,EDP というプロジェクトによって育てられた英和・和英電子辞書である。書籍の帯には「166万項目を収録!」とある。大手出版社が学者チームを組織し学問的編集方針に則って作り上げる通常の辞書に比べると,英辞郎はインターネットにおいて草の根的に成長した電子辞書であり,怪しい語釈・訳語も散見されるという。それでも,様々な分野のプロに支持され,活用され,鍛えられ,成長し続けているツールである。『英辞郎第四版』はその活用本であるが,当然ながら,英和・和英辞書と Windows / Mac OS X 用検索アプリケーションを収録した CD を添付している。

私の文房具である多言語エディタ GNU Emacs 22 で英辞郎英和・和英辞書を使えるようにした。『英辞郎第四版』は Windows と Mac での辞書検索ブラウザの活用方法を紹介している。UNIX 環境でも,フリーソフト sdic, sufary を利用すれば,設置に手間暇を要するという欠点があるにせよ,Emacs で文書を閲覧・作成しながら一発操作で英辞郎を参照できるようになる。つまり同一環境内ですぐに辞書にアクセスできるわけで,その意味で辞書検索ブラウザの操作よりも便利なところがある。

備忘録として,FreeBSD,Mac OS X の UNIX X11 Emacs 環境に英辞郎辞書をセットアップするレシピを,以下に整理しておく。UNIX — 商用アプリケーションの世界から冷遇されている — のユーザが,英辞郎を我がものにするために行う作業は,まず Windows に英辞郎 Ver.4 を構築することである...。それは,本書 CD にはテキスト形式の辞書データが添付されておらず,付属プログラムの辞書変換機能で抽出せざるをえないからである。ここでのインストール処方では wget (ダウンローダ),nkf (ネットワーク漢字フィルタ) と ruby 言語が必要なので,予め組込んでおくこと。

  1. Windows 環境を起動し,書籍添付 CD からインストールを行う。完了したら,CD を抜く前に一度,辞書検索ブラウザ・プログラム PDIC Unicode for EIJIRO IV (以下,検索ブラウザ) を起動する。これを行わないと利用できないようになっている (CD のコピーでは使わせない工夫かも知れない)。
  2. 辞書データを,次の操作によって PDIC テキスト形式で抽出する。検索ブラウザ「FILE」--「辞書設定 (詳細)」から,辞書の一覧を表示させる。Eijiro112.dic を選択し,右クリックから「辞書の変換」を選ぶ。変換先テキストファイル名 (例えば Eijiro112.txt) を指定し,変換先ファイル形式を「PDIC1行テキスト形式」に設定して「OK」を押下すると辞書変換が行われる。これを,他の辞書についても繰り返す。こうして,Eijiro112.txt, Waeijiro112.txt, Ryaku112.txt, Reiji112.txt の 4 つの PDIC テキスト形式辞書が生成されたものとする。
  3. PDIC テキスト形式辞書を,UNIX 環境から参照できるところに格納する。ファイル共有の仕方はいくつもあるので,ユーザの都合に合わせてこれを実施する。Windows と FreeBSD をデュアルブートで使用しているなら,FreeBSD から Windows 領域を msdosfs マウントするのがもっとも手短な方法だろう。ここでは,NFS 共有ディレクトリ /shared/eijirou 下に PDIC テキスト形式辞書を格納したものとする (私がそうしているからに過ぎない)。
  4. UNIX 環境に sdic をインストールする。sdic は Emacs で辞書を閲覧するためのフリーウェアである。以降の操作はターゲットである UNIX 環境において行うものである。sdic については作者・土屋雅稔氏のページ「English Japanese dictionary for mule/emacs」を参照。
  5. % cd ~/tmp
    % wget -nH -nd http://namazu.org/~tsuchiya/sdic/sdic-2.1.3.tar.gz
    % tar zxvf sdic-2.1.3.tar.gz
    % cd sdic-2.1.3
    % ./configure
    % make
    % sudo make install
    

  6. PDIC 形式を SDIC 形式に変換する。このため,eiei さんがそのブログ記事「[emacs][英辞郎]英辞郎第四版買ってみた。emacsで使いたい。 sdic編」で掲載している ruby プログラムを,ここで拝借する。このページにあるスクリプトをコピーして,pdic2sdic.rb というファイル名で保存する。そして以下のオペレーションで辞書を変換する。sdic の辞書は /usr/local/share/dict 下に格納するものとしている。
  7. % su -m
    # cat /shared/eijirou/Eijiro112.txt /shared/eijirou/Ryaku112.txt |\
     nkf -w8 | ruby pdic2sdic.rb > /usr/local/share/dict/eijirou.sdic
    # nkf -w8 /shared/eijirou/Waeijiro112.txt |\
     ruby pdic2sdic.rb > /usr/local/share/dict/waeijirou.sdic
    # exit
    

  8. 英辞郎は英和辞書テキストだけも 180 万行あり,sdic を裸の状態で利用すると — 辞書先頭から grep で検索するためか — ファイル後方に位置する単語エントリの探索において長い旅に出てしまい,とても快適に使える代物ではない。sdic は,かかる事態を想定し,インデックスによって検索を高速化する外部プログラムインタフェースを備えている。次にその外部プログラムである sufary をインストールする。sufary は作者・山下達雄氏の Web ページによれば Ver. 2.3.8 が最新である。しかし,sdic と連携して利用する場合,現時点では 2.1.1 を使うのがよい。sdic が期待する sufary プログラム名称・仕様が新しい版では変更されてしまったからである。sufary 2.1.1 インストールは以下のとおり。
  9. % cd ~/tmp
    % wget -nH -nd http://nais.to/~yto/tools/sufary/src/sufary-2.1.1.tar.gz
    % tar zxvf sufary-2.1.1.tar.gz
    % cd sufary-2.1.1
    % make
    % sudo cp -p array/array /usr/local/bin
    % sudo cp -p mkary/mkary /usr/local/bin
    % rehash
    

  10. sdic 辞書のインデックスを,mkary コマンドで作成する。ソート処理で結構な時間と CPU コストを要する。また,インデックスファイルはもとの辞書の 3 倍もの容量を消費するので,ディスクの空き容量をチェックしておく。次のオペレーションの結果,eijirou.sdic.ary, waeijirou.sdic.ary の 2 つのインデックスが生成されるはずである。
  11. % su -m
    # cd /usr/local/share/dict
    # mkary eijirou.sdic
    # mkary waeijirou.sdic
    # exit
    

  12. sdic を使うため,Emacs 初期設定ファイル .emacs に対し以下のような Elisp コードを追加する。(strategy array) という指定が sufary インデックスを参照するために必要である。追加した Elisp を評価させるか,Emacs を再起動すれば sdic が使用可能となる。
  13. ;; sdic 英辞郎 英和・和英辞書
    (autoload 'sdic-describe-word "sdic" "sdic 英和・和英辞書検索" t nil)
    ;; カーソル位置の語を検索するキー設定
    (global-set-key "\C-cw" 'sdic-describe-word)
    ;; 英和辞書
    (setq sdic-eiwa-dictionary-list
              '((sdicf-client "/usr/local/share/dict/eijirou.sdic" 
    						  (strategy array))))
    ;; 和英辞書
    (setq sdic-waei-dictionary-list
              '((sdicf-client "/usr/local/share/dict/waeijirou.sdic"
    						  (strategy array))))
    (setq sdic-default-coding-system 'utf-8-unix)
    

  14. Mac OS X ネイティブ Emacs (Emacs.app) の場合は,sufary -- array コマンドが格納されているディレクトリパスを Emacs から参照できるように,以下のような記述を .emacs に追加しておく必要がある。X11 Emacs の場合は,起動シェルのパス環境変数に設定されているはずなので,これは不要である。
  15. ;; コマンドパスの追加
    (setq exec-path (cons "/usr/local/bin" exec-path))
    (setenv "PATH"
    		(concat '"/usr/local/bin:" (getenv "PATH")))
    

以上で設定は完了である。Emacs のバッファ・テキストにおいて,意味を調べたい語 (英語,日本語) にカーソルを位置づけて,C-c w とタイプするとミニバッファに "Input word : [カーソル位置の単語]" と表示され,ここで Enter キーを押すと,下図のような辞書検索結果が表示される。

sdic-cap.jpg

「Input word : 」に対する sdic の検索指定は以下のとおり。指定によりいくつかのトランケーションが可能になっている。完全一致以外の検索 (とくに全文検索) は時間がかかる。ここでは,検索したい語を word と表記している。

  • 'word' (シングルクォートで囲む):word に完全一致する単語を検索
  • word* (末尾に * ):word に前方一致する単語を検索 ex: word-blind
  • *word (先頭に * ):word に後方一致する単語を検索 ex: bear a sword
  • /word (先頭に / ):word 全文検索 ex: fixed-word-length computer
  • これで Emacs 作業の強力なツールが追加できた。ロシア語辞書もあるとうれしいのだけど。私は英辞郎辞書を NFS 共有ディレクトリに格納し,これを FreeBSD, Mac OS X それぞれの /usr/local/share/dict からシンボリックリンクして,共用している。

    以上,UNIX Emacs 環境で英辞郎を利用する方法をしるした。sdic の詳細マニュアルは Emacs info や,作者・土屋雅稔氏のサイトで参照できる。一方,Windows で動作する Emacs である Meadow でも sdic を使うことができる。sufary による高速化についても,Cygwin 環境でこれをインストールすれば可能であると sdic リファレンスには書かれている。

    角川文庫『源氏物語 ビギナーズ・クラシックス』(角川書店,2001 年)を読んだ。「あらすじ+さわり古文」でもって,よいとこどりをしようとした。それなりに全体の趣きを把握することはできた。でも,時間をかけて本文全体をすべて読まないと,やはり作品時間を共有できない。まるで,いいときだけ顔を出す遊び仲間になったような気後れがある。よい一節も退屈な(というか,理解できない)部分もおしなべて付き合ってこそ味わえる達成感がない。とはいえ,作品の世界的古典たる所以,源氏香,仮名遣いなどについて,いろいろ自分なりに考えることがあり,興味深い時間を過ごすことができた。

    昔,大学の教養部時代,国文学の講義で大朝雄二教授 — 岩波新古典文学体系本『源氏物語』の校注者である — が「源氏物語は女性のための文学だ」というようなことを冗談混じりにおっしゃっていたことを思い出した。作品は主に主人公の雅な女性遍歴を物語るわけだけど,雨夜の品定め,源の内侍(好色な老女官)や末摘花(鼻の赤い醜女)の描写などに,男性の独善的でご都合主義な女性観が如実に,残酷なまでに描かれていて,一方でそんな男の身勝手さを皮肉に眺める作者の眼差しも散見される。

    「[ ... ] 今よりのちの御心にかなはざらむなむ,言ひし違ふ罪も負ふべき」など,さしもおぼされぬことも,情け情けしう聞こえなし給ふことどももあめり。(現代語訳: [ 源氏は ]「[ ... ] 今後あなた [ 末摘花 ] に不満があった場合には,約束違反の罰を受けよう」と,それほど真剣に考えていないのに,いかにも情のこもったふうに言いくるめた。)
    角川書店編『源氏物語 ビギナーズ・クラシックス』角川書店,2001 年,p. 158。

    もちろん『源氏物語』は現代的な意味でのジェンダー文学ではない。しかし,薫を拒絶する浮舟の姿 — 大ロマンの掉尾を飾る名場面 — は,男女の仲,世の動かせない規範に縛られた女性の「ものあはれ」,寡黙な運命的抵抗を象徴して感動的である。
     


     

    * * *

    本書には源氏香の解説が掲載されている。源氏香とは香道の遊技である。5 種類のお香をそれぞれ 5 袋づつ計 25 袋用意し,このなかから無作為に 5 袋を取り出し,順に聞き分けて同じ香の出現パターンを,対応する源氏の巻名で答える。香を聞き分ける熟練と古典の知識とを競う優雅な遊びである。香の組み合わせは全部で 52 通りあり,そのパターンは 5 本の縦線とそれらを結ぶ横線とで記号化され,「桐壷」と「夢浮橋」以外の(つまりはじめと終わりを除いた)52 の巻名に対応づけられている。その印は本書中,巻の中扉に掲げられている。

    さて,そこで問題。源氏香が 52 パターンとなることを数学的に示せ。これは高校数学における順列・組合せの面白い問題である。河添健・林邦彦共著『楽しもう!数学を』(日本評論社,2002 年) に掲載されていた。同じ香が 1〜5 の何種類含まれるかで場合分けして,それぞれの組合せの数の和を求めればよい,とあった。源氏香は同じ香りがどこで現れるかに焦点があり,5 種類の香 A〜E において,ABBCD も CDDEA も同じ「夕顔」であるところが,この問題のちょっとひねりをきかせたところである。高校生の方は自力で解いてみてください。なんでこんな話題を書いているのか。来年,子供が受験生になるからか。
     

    * * *

    さてさて,また一方で源氏香の記号を文書組版システム LaTeX で組版できないか探ってみた。それが今昔文字鏡フォントに含まれていることを知った。源氏香文様は,同じ香の場合縦線を横線で繋ぐシンプルなものなので,フォント形式でなくても TeX の作図命令で描画することもそれほど難しくはないと思う。とはいえ,さすが文字鏡である。ちょっと遊びで組んでみた。

    今昔文字鏡 LaTeX 用パッケージ一式,文字鏡フォントは『パソコン悠悠漢字術 2002』の付録 CD に収録されている。今昔文字鏡サイトなどのインターネット・リソースからもダウンロードできるはずである (ただし今昔文字鏡サイトのダウンロードサービスは 2009/1 現在,サイト再構築のためサービス停止中であり,多少古くても書籍を購入したほうがよいかも知れない)。

    TEXPACK.TBZbzip2, tar で解凍し,添付の install.txt ドキュメントに従って LaTeX システムに追加する。もちろん文字鏡フォントも,TrueType ないし Type1 いずれかの形式のファイルを TeX, dviware が参照できるパスに格納しておく必要がある。ここでは,『パソコン悠悠漢字術 2002』添付 CD から UNIX システム(Mac OS X 含む)にインストールする方法を,以下に示す。pLaTeX2e はすでにインストール済みとする。tcsh シェルでのオペレーションである。

    1. まず CD 内 TEX ディレクトリ以下にあるファイル TEXPACK.TBZ 及び PFB, TFM, JFM ディレクトリ一式をワークディレクトリ(仮に ~/tmp/mojikyo とする)にコピーする。オペレーションは省略。
    2. ワークにコピーした PFB ディレクトリの下にある文字鏡 Type1(PostScript)フォントを解凍する。TFMJFM も同様に解凍が必要である。アーカイブがいくつもあり,ひとつひとつ解凍するのは面倒なので,tcsh foreach 文で纏めて処理する例である。解凍にはしばらく時間がかかる。
    3. % cd ~/tmp/mojikyo/
      % ls -F
      JFM/        TEXPACK.TBZ*
      PFB/        TFM/
      % foreach i (PFB TFM JFM)
      foreach? cd $i
      foreach? foreach j (*.TBZ)
      foreach? bzcat $j | tar xvf -
      foreach? end
      foreach? cd ..
      foreach? end
      ... 解凍にしばらく時間がかかる ...
      

    4. TEXPACK.TBZ を解凍し,スタイルファイル,マップファイルを TDS(TeX Directory Standard)所定の位置にコピーする。さらに各種フォントファイルも TeX フォントツリーに移動しておく。次のようなオペレーションを行えばよいはずである。

      % cd ~/tmp/mojikyo
      % ls -F
      JFM/        TEXPACK.TBZ*
      PFB/        TFM/
      % bzcat TEXPACK.TBZ | tar xvf -
      % su -m
      # setenv TEXDIR /usr/local/teTeX/share/texmf-local
      # mkdir -p $TEXDIR/fonts/{map/dvips,tfm,type1}/mojikyo
      # mkdir -p $TEXDIR/tex/latex/mojikyo
      # cp -p style/* $TEXDIR/tex/latex/mojikyo/
      # cp -p dvips/* $TEXDIR/fonts/map/dvips/mojikyo/
      # mv TFM/*.tfm JFM/*.tfm $TEXDIR/fonts/tfm/mojikyo/
      # mv PFB/*.pfb $TEXDIR/fonts/type1/mojikyo/
      # mktexlsr
      

    5. フォントマップを登録する。
    6. # updmap-sys --nomkmap --enable Map=momin.map
      # updmap-sys --nomkmap --enable Map=moten.map
      # updmap-sys
      

    これで文字鏡 LaTeX 環境の作成は完了である。文字鏡フォントを LaTeX で使うためには,Type1 フォント使用オプション指定でスタイルファイル mojikyo.sty を読込んでおく(\usepackage[type1]{mojikyo})。\MO{文字鏡番号} 命令によって文字鏡フォントを出力することができる。源氏香フォントは文字鏡番号 064801064852 範囲にある。dvips, dvipdfmx によって dvi ファイルから,それぞれフォント埋め込み PostScript ファイル,PDF ファイルを生成できる。EUC で記述した LaTeX 原稿(genjiko.tex)をコンパイルし,PostScript, PDF を生成するまでは以下のとおりである。

    % platex --kanji=euc genjiko
    % dvips genjiko.dvi -o
    % dvipdfmx genjiko.dvi
    

    以下のような LaTeX 原稿を書いて組版してみた。組版結果の画像を原稿の下に示す。PDF もここに置いておく。

    % 今昔文字鏡フォント 源氏香出力
    \documentclass[a4j,12pt]{jsarticle}
    \usepackage[type1]{mojikyo}% 今昔文字鏡スタイル (PostScript フォント指定)
    \pagestyle{empty}
    \long\def\kan#1#2{% 巻名・源氏香出力マクロ
      \parbox[c]{5zw}{\hfil(#1)\hfil\baselineskip=18pt\relax\par%
      \centering\bgroup\LARGE\ifx#2\empty  \else\MO{#2}\fi\egroup}}%
    \begin{document}
    \def\arraystretch{2.5}%
    \begin{center}
      \begin{tabular}[c]{cccccc}
        \kan{桐壺}{\empty}&\kan{帚木}{064801}&\kan{空蝉}{064802}&
        \kan{夕顔}{064803}&\kan{若紫}{064804}&\kan{末摘花}{064805}\\
        \kan{紅葉賀}{064806}&\kan{花宴}{064807}&\kan{葵}{064808}&
        \kan{賢木}{064809}&\kan{花散里}{064810}&\kan{須磨}{064811}\\
        \kan{明石}{064812}&\kan{澪標}{064813}&\kan{蓬生}{064814}&
        \kan{関屋}{064815}&\kan{絵合}{064816}&\kan{松風}{064817}\\
        \kan{薄雲}{064818}&\kan{朝顔}{064819}&\kan{少女}{064820}&
        \kan{玉鬘}{064821}&\kan{初音}{064822}&\kan{胡蝶}{064823}\\
        \kan{螢}{064824}&\kan{常夏}{064825}&\kan{篝火}{064826}&
        \kan{野分}{064827}&\kan{行幸}{064828}&\kan{藤袴}{064829}\\
        \kan{真木柱}{064830}&\kan{梅枝}{064831}&\kan{藤裏葉}{064832}&
        \kan{若菜上}{064833}&\kan{若菜下}{064834}&\kan{柏木}{064835}\\
        \kan{横笛}{064836}&\kan{鈴虫}{064837}&\kan{夕霧}{064838}&
        \kan{御法}{064839}&\kan{幻}{064840}&\kan{匂宮}{064841}\\
        \kan{紅梅}{064842}&\kan{竹河}{064843}&\kan{橋姫}{064844}&
        \kan{椎本}{064845}&\kan{総角}{064846}&\kan{早蕨}{064847}\\
        \kan{宿木}{064848}&\kan{東屋}{064849}&\kan{浮舟}{064850}&
        \kan{蜻蛉}{064851}&\kan{手習}{064852}&\kan{夢浮橋}{\empty}\\
      \end{tabular}
    \end{center}
    \end{document}
    
     

    genjiko.jpg
     

     

    本書は今昔文字鏡フォント活用の実践的解説書である。付録 CD にはフォントだけでなく,上記 LaTeX パッケージなどのツールが収録されている。惜しむらくは,この 2002 年版では LaTeX での活用方法が割愛されてしまったこと。でも,添付 CD の TEX ディレクトリにある usage.pdf を参照すれば,使い方を知ることができる。

     
    * * *

    さてさて,角川文庫『源氏物語 ビギナーズ・クラシックス』を読んでいて,歴史的仮名遣いについても少し考えるところがあった。

    本書のコラムに「鈴虫」の一節からの写本表記が掲載されている。紫式部による『源氏物語』オリジナルは失われたことになっている。現在残っているのは鎌倉時代以降の写本だという。それでもその写本は,紫式部の時代の書き方からそう隔たっていないと思う。それらは変体仮名を含む草書体である。

    次はその表記をこんにちの活字にしたものである:「十五夜農遊ふくれ二佛の於万へ二宮於盤して八しちかくな可め堂万ひつゝ念珠し堂万婦わ可支あ万支三多ち二三人盤那多て万徒るとてなら須あ可つ支の於と,三徒のけ者ひなときこゆ」(pp. 330-1)云々。ちなみにこのくだりは二千円札の裏面にその一部が刷られている。大学の国文学科でまじめに印影本を解釈する訓練を受けた者には,これがすらすら読める。私などは本当に尊敬してしまう。

    しかし,普通の読書人には,次のように歴史的仮名遣いに「改変」されていないと理解できないのではないだろうか:「十五夜の夕暮れに,仏の御前に宮おはして,端近うながめ給ひつゝ念誦し給ふ。若き尼君たち二三人,花奉るとて,鳴らす閼伽坏の音,水のけはひなど聞こゆ」。

    写本の表記は,変体仮名を含むだけでなく漢字の宛て方も独特であり,歴史的仮名遣いとの差異が著しい。歴史的仮名遣いでは多様な変体仮名が,現代でも使われる仮名文字に包摂され,画一化され,書写したひとが籠めたかも知れぬ意図(草書体としての見た目の麗しさ等)が捨象される。「歴史的仮名遣いこそが日本の伝統的な仮名遣いである。現代仮名遣いは愚かな誤謬であり,日本の伝統との断絶を齎す。すべからく歴史的仮名遣いに復古すべきである」と宣うひとたちは,この『源氏物語』写本の仮名遣いを見てなんと言うだろうか。「伝統」って何? この写本から,「歴史的仮名遣い」が自然に,合理性に基づいて生まれ出た伝統的形式などではなく,むしろ,仮名遣いとはその時代の要請に応じた統制を受け,変幻自在に変化してきたということが,窺われる。古典は,校訂者による言わば「歴史的仮名遣いによる改竄」によってこそ,我々にとって親しいものとなっているのである。

    歴史的仮名遣い復古主義者・「正字正仮名」信奉者には,きちんと一次文献を調べ表記の「実態」をよく知る国語国文学研究者ではなく,雰囲気として古めかしい「歴史的仮名遣い」こそが「伝統的で正しい」と勘違いしているに過ぎないひとが,実は多いのではなかろうか。彼らは仮名遣いの「実態」を知らずに,契沖及び明治以降戦前までの仮名遣いを基準に議論しているだけのように私には思われる。

    国語表記は「伝統」の本質ではない。「正字正仮名」信奉者が大げさに言う歴史的仮名遣い表記の「正統性」を杓子定規に受入れてしまうと,現代人が『源氏物語』などの古典と真に繋がるための本性を逆に喪失してしまう。古典の表記の真の姿は「歴史的仮名遣い」から大きく乖離しているのだから。まあ,「正字正仮名」信奉者が「現代仮名遣いは伝統との断絶だ」なんて大げさに危機感を煽るのは,文化人ぶっているだけだと私には思われる。

    しばらく PC 環境のバックアップを取得していなかった。自作のプログラムや文書などがディスクの故障とともに失われてしまうと,これまでの苦労がパーになるわけでシャレにならない。中二になる娘が Mac でグラフィックデザインの勉強をする傍ら,私は久しぶりに FreeBSD (7.0-RELEASE) でバックアップ DVD-R を焼くことにした。

    円盤に書く方法をまったく思い出せず,Web リソースの力を借りた。ここにも焼き方を備忘録としてしるしておく。DVD-R デバイスは ATAPI インタフェースである。tcsh 前提でコマンドラインを示す。すべてスーパーユーザ権限で実行する。

    1. バックアップ・アーカイブを作成する。私の場合,必要なファイル,ディレクトリを tar でアーカイブし,gzip 圧縮することにしている。これを各 PC 毎に行い,NFS サーバ上の共有ディレクトリ (ここでは /shared/dvd) に集めておく。もちろん NFS 構築しなければならないということではない。Mac と FreeBSD でデータ共有するために便利だからに過ぎない。
    2. # cd /
      # tar zcvf /shared/dvd/www-200901.tar.gz ./usr/local/www/apache22
      ... etc., etc. ...
      

    3. ISO イメージを作成する。/shared/dvd ディレクトリ配下に集めたバックアップ・アーカイブを ISO イメージファイルに纏めるわけである。mkisofs コマンド (FreeBSD 7.0 では初期インストールで組込まれるようになった) によってこれを行う。-U,-R オプションは,それぞれ,ファイル名制限無効化,UNIX 標準 Rock Ridge 拡張有効化の指定である。ISO イメージのファイル名を dvdimage.iso としている。ISO イメージは,当然ながら,DVD-R 格納限界容量を越えてはならない。
    4. # cd /shared
      # mkisofs -U -R -o dvdimage.iso ./dvd
      

    5. DVD-R に格納するためのツール growisofs をインストールする。このコマンドは dvd+rw-tools パッケージに含まれている。ports を利用して組込む。
    6. # cd /usr/ports/sysutils/dvd+rw-tools
      # make install clean
      # rehash
      

    7. ATAPICAM モジュールを有効にする。これは,ATAPI デバイスへのアクセスを SCSI に化かすための機構である。growisofs を使うために必要である。
    8. # kldload atapicam
      

    9. 次回リブートしたとき ATAPICAM モジュールを有効にするため,/boot/loader.conf に atapicam_load="YES" 行を追加しておく。これは必須ではない。
    10. ISO イメージを DVD-R に焼く。-speed オプションは所有の DVD ドライブに応じて適宜指定する (必須ではなさそうである)。ATAPI-DVD デバイスは通常 /dev/acd0c であるが,growisofs のコマンドラインでは /dev/cd0 を指定することに注意。
    11. # cd /shared
      # growisofs -dvd-compat -speed=4 -Z /dev/cd0=dvdimage.iso
      

    12. growisofs メッセージの正常終了を確認し,実際にマウントしてみて格納データが読めるかも確かめておく。

    * * *

    私のバックアップ作業が終わる前に,娘が一枚絵を描き上げた。紙にスケッチして,これをスキャンし,Adobe Photoshop で加工した。グラフィックデザインの入門書を見ながら,Mac のオペレーションを私に聞きながら,製作したものにしては上出来である。悩める女性を描いたそうである。感心した。

    20090124-fumi-woman.jpg

    国書刊行会『ロシア・アヴァンギャルド』全 8 巻を手に入れた。この叢書は私の大学時代に刊行されはじめ,当時私は『フォルマリズム — 詩的言語論』のみを読んだだけだった。その後,全巻完結するも,買わずじまいのまま,今ではほぼ品切れ状態となってしまっていた。全巻揃いが 35,000 円で古書店に並んでいるのを,指をくわえて見過ごすばかりであった。今回その半値でネット・オークションで競り落としたのである。

    ロシア・アヴァンギャルドの活動については,美術を中心としてかなりの日本語文献がある。しかし絵画のみならず,映画,演劇,詩,文芸評論などの芸術現象を全般的に取上げ,芸術作品・評論の翻訳と編者による注釈とにより俯瞰したのは,日本では本叢書を措いて他に類を見ないと思う (音楽への配慮が足りないのが欠点ではあるが)。タイトルにもそれが現れている — 1:『テアトル I — 未来派の実験』,2:『テアトル II — 演劇の十月』,3:『キノ — 映像言語の創造』,4:『コンストルクツィア — 構成主義の展開』,5:『ポエジア — 言葉の復活』,6:『フォルマリズム — 詩的言語論』,7:『レフ — 芸術左翼戦線』,8:『ファクト — 事実の文学』。これらは亀山郁夫や大石雅彦,桑野隆,浦雅春といった現在,第一線で活躍するロシア文化の専門家たちが — 当時まだあまりその名を知られていたとはいえないが,— 新進気鋭の先取的インパクトをもってなした,素晴らしい仕事である。高価な叢書であるわりに装丁に品がないところも,ロシア・アヴァンギャルドらしくてよい。

    とりあえずはネット・オークションで見いだしたゆえの衝動買いに近い。この手の本は腰を落ち着けて取り組むべきものなので,学者や学生でもない限りなかなか読み通すのは難しい。『ポエジア』あたりから拾い読みするとしよう。

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    オバマ大統領就任

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    オバマさんが米国大統領に就任した。素晴らしい演説をした。ルーツのひとびとの苦難から説き起こして米国民であることの誇りと克己心に訴え,いま中東の泥沼や世界的金融危機で自信を喪失した米国民を,前に向かせようという語り口にリーダーの風格を感じた。「全米で自信が失われ,アメリカの没落は必然で,次の世代は多くを望めない,という恐れがまん延している。今日,私は我々が直面している試練は現実のものだ,と言いたい。試練は数多く,そして深刻なものだ。短期間では解決できない。だが知るべきなのはアメリカはいつか克服するということだ」。全文をここで読むことができる。

    1929 年以降の世界大恐慌のなか民主党ルーズベルトが大統領になり,ニューディール政策などを打ち出して,国民の一致団結を呼びかけたのと,どこか似ている。オバマさんのほれぼれする演説を聞きながら,でも果たして日本にとって,この米国の変化がよいものかどうか,ちょっと考えてしまう。ルーズベルト在任の 1933--1945 は,日本が米国と対立し,決定的に破滅してゆく時代だったのだから。

    北園克衛全詩集

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    敬愛する北園克衛詩の集成本『北園克衛全詩集』をやっと手に入れた。沖積舎から平成四年に刊行された一巻本。就職して東京に出て来てしばらくしたある日,神保町の古書店で見つけ,18,000 円の価格に溜息が出た。その後探していたものの,なかなか見つけられなかった詩集である。

    北園克衛 (1902--1978) は 1920--1930 年代に活躍した詩人である。そのころの日本は,治安維持法が施行され,世界恐慌 (1929),満州事変 (1931),五・一五事件 (1932),二・二六事件 (1936),盧溝橋事件 (1937) などを経て軍国的全体主義国家の道をひた走る暗い時代だったといえる。芥川龍之介が自殺し (1927),いまちょっとしたブームになっている『蟹工船』を書いた小林多喜二が官憲に惨殺され (1933),文学作品も暗いテーマが多かった時代ではないだろうか。

    しかし,北園の詩を読んでいると,そんな暗雲の垂れ込めた時代にもこんな明るい軽やかさ,若々しさがあったのだと本当に安心するのだ。その颯爽感は,不況風がびゅーびゅー吹きまくる世知辛いこの現代においても同じ。その詩は — 新し物好きで,フランス詩を口ずさみ,気取っていて,ちょっと軽薄で,甘ちゃんで,だけど気前よく,サービス精神旺盛で,冗談が好きで,そしてなんとも楽しいお兄さんの,へんにお洒落なひとりごとのようである。

    詩よ! 私は呼びかけるのです
     
    飾窓の硝子には彼女たちのイニシアルを書いたものもあるので
     
    僕は晴れた夜が懐かしいのです
     
    しかし街ではすべての硝子がダイヤのクヰンではない
     
    プラタナスの葉が初夏を噴きあげてゐる
    青いろの麦酒のやうに そして彼女の帽子を染めるほど
     
    あ?
     
    トラムプは切れました
    夏の一夜 (『若いコロニイ』1932 年刊より,『北園克衛全詩集』p. 108)
    夏には気儘な僕たち
    貝殻で賭ける優しい言葉も
    彼女たちの未練なカンニングのために
    みんな壊れてしまひます
    海のスキャンダル (『若いコロニイ』1932 年刊より,『北園克衛全詩集』p. 121)

    前衛的と評された北園の詩は,日本もヨーロッパ文学の吸収においてある段階を迎えたかのような,溌剌とした気風に充ちている。北園克衛以外にも,私はこのころのモダニスト詩人のウィットに富んだ軽口が大好きである。例えば,竹中郁。次の詩なんか,楽しくてどこか哀しい。

    見知らぬ人の
    会釈をうけて
    こちらも丁重に会釈をかえした
     
    二人のあいだを
    ここちよい風がふいた
     
    二人は正反対の方向へあるいていった
    地球を一廻りして
    また出会うつもりの足どりだった
    『日本の詩歌 25』(中央公論社,1979 年,p. 403)

    こんな自由な気分になれたらなあ。「お! ボンジユウルも言はずに雨が降る」(『北園克衛全詩集』「朝の手紙」より,p. 153)。できることなら,また学生時代のように,昭和初期のモダニストたちの戯言に我を忘れて浸りたい。
     

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    日本の詩歌 25 (中公文庫 H 2-25)

    北川冬彦,安西冬衛,北園克衛,春山行夫,竹中郁
    中央公論新社

    水村美苗のエッセイ『日本語が亡びるとき』— 妻がクリスマスプレゼントにくれた本をやっと読み終えた。

    水村美苗は,『私小説 from left to right』や『續明暗』,『本格小説』など,小説についての小説という作品イメージがあり,現代日本の知的作家の代表格とも私には思われる。「文学」してるね。本書は,世界標準語と非標準・日本語の「非対称性」の相克に生まれた近代日本文学の意義を,切々と述べている。"une littérature majeure" としての日本文学の誇り,将来の日本語に対する危機感 — よくぞ書いてくれたという感銘を受けた。全体として,非常に刺激的な内容だった。

    ただし,最後の二章は飛躍を感じさせてあまり感心しなかった。英語が世界標準語の地位を確立したインターネット時代,英語のリーディング能力を高め日本語を保守する国民的努力がなければ日本語が亡びる,とまで主張する理屈は,そのこころには共感できても,弱いと思った。そんなこと,高尚な文学者や大学の偉い先生は納得しても,私のようなただのサラリーマン,漁師,百姓,土木作業員,レジの店員など下々の者たちは,なんのリアリティも感じないと思う。

    「最近の日本語は乱れている」とはよくなされる言である。別にいいじゃないか。なぜなら,こんな愚痴はいつの時代にも共通のものだったからである。私には「日本語は何度も亡びて来た」と言われたほうが納得できる。亡び続けられることこそが日本語の素晴らしさだとさえ思う。古事記,源氏物語,平家物語,日本永代蔵,南総里見八犬伝,こころ,ノルウェイの森 — それぞれ日本語としてまったく違う。でも,言語構造としてどれも間違いなく日本語であり,日本語はあたかも何度も亡び生まれ変わったかのようなのだ。

    水村は,言葉を大切にするフランス人は 300 年前の人間が書いたフランス語を普通に読むことができるのに,日本では現代人はもはや漱石すらもきちんと読めない,と嘆く。別にいいじゃないか。日本人は,学ぶことを厭わない者にとっては,1300 年前の古典をありありと「日本語」として感じつつ,そこにある祖先のこころを偲ぶことができる。フランス文学と比べられては困ります。

    水村はあまりにスタイリストに過ぎるように私には思われる。西欧ぶりの「高尚な」スタイリストに。水村の主張は,明治以降の西洋的概念での「一級の文学」に捕われ過ぎてはいないか。水村が現代日本文学を低く見るのは,漱石など錚々たる近代文学の巨星の言語と,日本の近代化に伴う西洋と東洋の相克とを,一体化して真面目に考え過ぎているからのような気がする。文学の面白さは思想とそれを支える言語の存在感だけではないはずだ。真剣さも大事だけれど,ナンセンスや軽さ,心からの笑いもなくちゃ。日本語を破壊したいのかと思わせるような二流,三流,四流,五流の文学さえも,日本文学の体力,深さ,広さを感じさせる証左であって,私は逆に日本文学を頼もしく,誇らしく感ずるほうである。
     

    大野晋が教え子たちと編んだ『源氏物語のもののあはれ』を読んだ。

    「ものあはれなり」など「もの」が付く古語に焦点を当てて,『源氏物語』の用例から言葉の深い意味を解説した書である。「もの」に込められた「世間のきまり」,「運命,動かしがたい事実・成り行き」などのニュアンスを,共起語,文脈の分析から易しく解き明かしてくれる。紫式部が言葉を精妙に,一貫性をもって使い分けていたのだということがよくわかる。例えば,少し長い引用ではあるが —

    モノは平安時代では軽い接頭語ではない。[ ... ] そして,モノにはきまり,運命,忘れがたい過去の事実,逃れがたく身を取り囲む状況,周囲の状態,という大きな意味がある。モノアハレナリにはそれがはっきり現れている。
     光源氏は新しく迎えた女三の宮のところへ,世の慣習の通り三日の間は夜離れなく通って行く。それを見送る紫の上としては,
    (20) 年ごろ,さも [ソウイウコトナド] ならひたまはぬ心地に,忍ぶれどなほものあはれなり [自分ノ運命ノ悲シサガ眺メラレル] (若菜上)

     光源氏は薫を自分の子として抱く。[ ... ] しかし,これは自分の子ではない。この薫の出生の秘密については他に知る人はない。しかし,思えばはかない人間の縁であると思うにつけて,光源氏は人の世の運命を思って,つい涙をこぼす。[ ... ]

    (21) [ 人生ノ ] 末になりたる心地したまひて,いとものあはれに思さる [ 運命トイウモノノ悲シサガ反芻サレル ] (柏木)
    大野晋編『源氏物語のもののあはれ』角川ソフィア文庫,2001 年,pp. 173-5。

    「もの悲し」などの「もの」を「なんとなく」といったニュアンスで受けとめる人は多いのではないだろうか。それが一般的である。私も本書を読むまではそうであった。私の愛用している古語辞典 — 佐藤定義編『最新 詳解古語辞典』(明治書院,2003 年版) でも,「ものあはれ」は「なんとなく,しみじみとした情趣のあるさま。なんとなく感慨深いさま」(p. 615)との語釈が与えられている。大野はそうした雰囲気として言葉を解釈することを拒否している。これが,上に引いたような優れた読みを導き出す原点であり,私がもっとも感銘を受けるところである。

    日本の古典文化を礼讃するある者は,「わび」,「さび」などの言葉に言い現しがたい美をもって日本文化の特長とみなす。俳句などの「微妙な味わい」は外国人には理解できるはずがない,などと断言する者もいる。私はそういう日本伝統文化礼讃者が大嫌いである。美を説明できず,酔って口ごもっているだけだからである(実際にはなにもわかっていないように私には見える)。文化的ひきこもりとでも言うべきである。「なんとなく」という解釈がいかに奥床しく「日本的」に見えようとも,その曖昧さを拒否し,日本古典の奥深さの本質を,作品に即して,文献学的に,ロジカルに,背景のない第三者にも明確に,言葉で示すこと。『源氏物語のもののあはれ』のアプローチの美点である。

    大野晋は,日本語の祖をタミール語に求める学説など,ユニークな業績を残している(国語学のトンデモ本だと思っている人も多いかも知れないが)。この他にもたくさん日本語に関する啓蒙書を書いている。『日本語の教室』,『古典文法質問箱』がとくに面白かった。
     

    冗談の通じないひとたち

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    Yahoo! ニュース「小倉キャスター降板も...朝青龍への発言で協会が抗議」を見た。小倉智昭キャスターがテレビ番組のなかで,この初場所に進退を賭けた朝青龍の話題について「星が買えればいいのにね」と発言した。これに対し相撲協会が抗議した。

    小倉さん,謝る必要なんてないですよ。ジョークなんだから。こんなの「舌禍」ですらない。小倉キャスターの発言を「誹謗中傷」だという者がいる (この記事に対するコメント 3 を見よ)。冗談の通じないひとたち。「星が買えればいいのにね」とのコトバを八百長の可能性とマジメに受け取ってしまう相撲協会。過剰反応。これこそジョークか。ジョーダンをマジメに受け取ったゆえに繰り広げられるドタバタを茶番というのではなかろうか。

    今日は三連休の中日。年末苦しめられた障害対応も報告含めケリがつき,疲れ果てたためか,寝てばかりいる。午過ぎに起き出して,食事を摂り,新聞を読んだ。

    札幌大倉山シャンツェで開催されたスキー・ジャンプ STV 杯国際大会をテレビ観戦。38 歳の岡部選手が 120m K 点を大きく越える 141m の大ジャンプを飛んでぶっちぎりの優勝。長野五輪で活躍した船木選手もまだ参戦していて頼もしかった。日本は南北に長い地勢を有し,ウィンタースポーツにも秀でていて,夏・冬合わせた五輪競技全般におけるレベルの高さ,バランスのとれた総合力は誇ってよいと改めて感じた。

    夕方,Amazon から書籍二冊が届く。竹田和彦『特許の知識』第8版 (ダイヤモンド社,2006年) と角川書店編『ビギナーズ・クラシックス 源氏物語』(角川文庫,2001年)。

    一冊目は久しぶりに私の本業に関係する本。特許法改正・国内外の動向を丹念にフォローアップし続ける斯界の名著である。特許・知的財産権は,知的立国のため,世界に名誉ある地位を占めるため,これからの日本にとって,いよいよ最重要であり続ける課題であり,国力の核である。軍事力,スポーツで後塵を拝するとしても,この知的財産力に関しては,日本は,中国や韓国,インドなどには絶対にアジアのトップの座を譲れないし,譲ることはないだろう。日本は特許出願件数において世界のダントツ首位なのであって (ゴミのような出願も多いのだが),特許権現存登録件数においても米国に次いで世界第二位,全体の 14% を占めている (日本国特許庁にある 2006 年度三極統計報告書を参照)。それゆえにこそ金融不況などではへこたれない国力を維持することができるのである。高度経済成長期に金融に走らずモノ作り・技術革新に努めた戦後世代の正しい判断がここにある (米国による金融グローバリゼーションのおかげでこの美徳の崩壊しつつあることこそが,実は戦後最大の危機だと私は思う)。日本の文化とともに,このことは,明治以来モノ作りに賭けた日本の,国力の真の証,国の誇りである。私たちはそれをさらに発展させるためにこそ働いているのである。

    二冊目は,言うまでもなく我が国最大の古典の,初学者向け縮約本。私はこれまで何度も原典の読破に挑戦したのだけれども,残念ながら古文読解の集中力を持続できず,いつも「須磨がえり」であった。ちょっといいとこ取りでもよいから,全体を味わいたいとの思いで購入した。ビギナーズ・クラシックス・シリーズは,私は『平家物語』,『新古今和歌集』などを読んだ。作品の中核となる部分を的確に選んで,解説してくれる親切なシリーズである。振仮名をきちんと付けてくれているところも,本シリーズの非常に大事な美点である。

    今日は鏡開き。妻が胸を焼くぜんざいを作ってくれた。

    新年早々

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    昨年末からイスラエルは,停戦協定を破ってガザを空爆し,地上戦にまで戦火を拡大し,国際的に激しい批判を浴びている。イスラエルに「従順な」米国も,国連での停戦決議を棄権して鼻つまみ者となっている。今年こそ本当に中東が危ないという印象を新年から世界に植え付けている。これは米国政権がオバマさんに移行しようと変わるとは思われない。

    イスラエルは,世界に散らばったユダヤ人たちがシオニズムにより建国した国である。古代言語であるヘブライ語を復古し,公用語にまで整備したというとんでもない文化意識をもつ。これだけでもすごい民であると思う。周りが敵だらけのなかで建国 60 年を閲した事実は,彼らの政治手腕,インテリジェンシーの証だろう。尊敬に値する。最近の国際世論を無視した情勢は,イスラエルの危機感がいかに差し迫っているのかということの現れだと思う。イランのアフマディネジャド大統領などは「地図からイスラエルを消す」ということを「公約」にしているくらいで,中東におけるアラブ--イスラエルの反目・敵愾心は,日本人にはとうてい想像できないものなのだろう。ああ,極東の平和な島国の国民でよかった...?

    * * *

    米国発の金融不況以降,最近なんとなくイランの核問題やイラク情勢が硬直化しているというか落ち着いているからか,原油価格も下がって来た。このあおりで利鞘の減りつつあるロシアはエネルギー大国としての嫌がらせのように,ウクライナ経由でのガス供給を停止した。ガス価格を釣り上げたいらしい。こんな子供じみたことをするからロシアは周辺国から信用されないのである。

    お正月・帰省

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    新年,あけましておめでとうございます。

    * * *

    今年のお正月は大阪に帰省した。二年ぶりである。呑んで食って寝てばかりいた。

    大晦日の朝,大叔母を藤井寺市青山の自宅に見舞った。心臓に水が溜り入院していたが,恢復して退院したばかりであった。もう歩けるくらいに元気になっていてひと安心。

    大叔母宅のすぐそばには青山古墳がある。このあたりは古市古墳群といって,応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳をはじめ,大規模な古代の墳墓が犇めいている (Google 地図)。太古の雰囲気を感じる。柿本人麻呂のあの有名な泣血哀慟歌で知られる軽の市もこのあたりである。

    私の実家がある松原も,反正天皇の宮があった地である。北畠親房の『神皇正統記』には次のように出ている:「第十九代,反正天皇は仁徳第三の子,履中同母の弟也。丙午年卽位。河内の丹比 (たぢひ) の柴籬 (しばがき) の宮にまします」(岩波文庫版 p. 66)。

    そのあと,妻が唐招提寺を観たいということで,家族で奈良西ノ京に行くことに。折角関西に来たのだから,子供たちに少しは古都の雰囲気を味わわせてやろうとの思いもあった。大叔母宅の最寄り駅古市から近鉄南大阪線で橿原神宮前に進み,そこから近鉄橿原線に乗り換え,大和三山のひとつ畝傍山を左に拝んで奈良方面へ約 25 分,西ノ京に到着。竹林が広がるのどかな里である。私は観光客で溢れる奈良中心部よりも,田畑が広がり閑散とした飛鳥や西ノ京が昔から好きである。天平の甍,鑑真和尚ゆかりの唐招提寺と,その東塔をフェロノサが「凍れる音楽」と評した薬師寺を散策した。

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    今日,1 月 2 日,川崎に帰る直前,子供たちがしきりにせがむので四人でお好み焼きを食べた。生野区,寺田町の駅前にある「千代」というお店。私の妹の旦那お勧めのお好み焼き屋さんであった。昔ながらの雰囲気が懐かしかった。インターネットで検索してみると,味にうるさいブロガーの記事を発見。鰹節の風味が効いて旨かった。太めのソース焼きそばもイケた。息子は二枚をぺろりと平らげた。やはり最後は食い気。

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