2009年2月アーカイブ

misima 辞書,Servlet フォーム,Utf82TeX テーブルの訂正をした。

misima の旧字辞書から,奇,却,脚の3文字に対応する旧字エントリを削除した。要するに,従来は異体字に変換していたのをしないようにした訳である。ある方から指摘をいただき,再考した結果である。

misima Servlet 版では,サーバ側 Servlet / JSP コンテナ Tomcat の POST テキスト最大長を 8,000 バイトに制限している。不用意なユーザから長大なテキスト変換を要求され,サーバがその処理で占有されたら堪ったものではないからだ。従来,これを越える入力を行うとプログラムに渡ったとき 8,000 バイトで切り落とされるため UTF-8 符号化において欠落が生じて文字化けしてしまっていた。今回,ユーザ入力段階で JavaScript でチェックして,上限値を越えた場合はエラーを出力するように改善した。

Utf82TeX については,ロシア語変換における合字抑止命令挿入のバグを訂正した。例えば,"становится" というような "тс" という綴りがあるロシア語文字列では,"stanovit\-sya" のように "t" に続く "s" の前に "\-" (合字抑止命令) を挿入して変換してやらないと,LaTeX OT2 キリルフォントエンコーディングで組版した時に "ts" の合字が拾われて "становиця" となってしまう。"тс" が "ц" に化けてしまうのである。昨年ドイツ語・BibTeX オプションをサポートした時,この処理にデグレードを作り込んでしまい,"\-s" のあとに空白文字を挿入するようになってしまっていたのだった。プログラムを直してもよかったのだが,テーブルエントリを "\-s\empty" に訂正することによって,空白を命令の区切りとして機能させるようにして,ごまかした。utf82tex-0902 としてアーカイブを改訂して公開した。misima の TeX 変換にも同じ処理があるので,こちらも訂正した。

民主党小沢代表が在日米軍削減論をぶって,政府自民党に批判されている。次期首相は間違いないと思われるだけに,この国際感覚のなさを目の当たりにすると,たしかに大丈夫かと不安になる。民主党は,政府自民党が自滅しつつある(というより,もう自滅した)状況で,どうやらいよいよ悪ノリをはじめたようである。

いま米国は日本の安全保障にかける金を減らしたい一心なので,こうした首をかしげさせる発言は大歓迎なのである。オバマ・麻生会談での「同盟強化で一致」というのは,米国からすれば,米軍が手薄になるところを日本の軍事力増強で同盟を強化する,米国はその兵器を日本に売ることで協力する,ということだと思う。小沢さんはヒラリーさんに自尊心をくすぐるような何かを耳打ちされたのか。米国への隷属根性まる見えだった安倍元首相も情けなかったが,次期首相候補ともあろうおひとが日米同盟において米国から値踏みをされるような発言をなすのは,もっと情けない。「ロシアも,中国も,北朝鮮も,何をおっぱじめるかわからないこのご時世に,どうも何の危機感もないようだ」というふうに見えるからだ。「あんたがいないと怖いの」と甘える安倍より,「いいよいいよ,あんたたちが少しくらいいなくったって大丈夫じゃ」と根拠もなく強がる小沢のほうが,もっと滑稽に見える。どうして,もっとうまく米国を使おうという小賢しさがないのか。

小沢代表は「日本の防衛に関することは日本が責任を果たせばいい」とまで言ったそうである。これは,日本があれだけの防衛費を掛けながら「責任」を果たしていないと公言しているようなものである。それはよいとして,どうやって「責任」を果たすのでしょうか。憲法を改正して軍備増強する? また,この不況でどこからそのための金を捻出するのでしょうか。ぜんぜん意図が理解できない発言である。なんでいまこんなリスキーなことを言うのだろうか。専門家の意見を聴きたくなった。

* * *

小沢さんの暢気な発言の一方で,北朝鮮の情勢はいやな雰囲気。

最近また北朝鮮がテポドンを発射するんじゃないかというニュースが出ている。これは人工衛星だと北朝鮮はまたぞろそら恍けているそうである。さらに,もし発射したら米国防総省・日本国防衛省は迎撃システムで撃ち落としてやると言っている。私はどちらかというと,後者のほうが問題だと思う。Yahoo! ニュースの書込みを見ていると,「やれやれムード」なのが目立つ。これは当然かも知れないが,打上げ花火を見てスカッとしたいだけだと思う。

もし迎撃に失敗したら,ここ数年防衛省が鳴り物入りで取り組んでいるミサイル防衛の信用がまるつぶれになり,それこそ北朝鮮の笑い者になるばかりか,いよいよ彼らの核のダーティーカードを増長させる危険性が高いからである。また,日本の防衛戦略の見直しが迫られるのは間違いなく,核武装・先制攻撃正当化論が一挙に進む危険性がある。そうなると戦争正当化のハードルが著しく低くなるのではと思う。そして,逆に,もし迎撃に成功したら,それはそれで恐ろしい事態が起こるのではないか。「人工衛星を攻撃した」日本は,「先制攻撃を受けた」として武力行使の口実を北朝鮮に与えてしまうかも知れないからである(中曽根外相は「人工衛星でも国連安保理決議違反だ」と,つまり,核ミサイルとみなしてよいよね,と必死に中国に対して根回しをしたが,これに中国は「明確な認識は示さなかった」とされている。これは中国の理解が得られていないと考えたほうがよさそうで,あとで,やっぱ証拠もなく人工衛星を撃墜したあんたが悪いと言われかねない)。X デーに向けて,外務省は世界の超大国の予想される反応をよく分析しておくべきだと思う。

本当に怖い時代になった。

第81回アカデミー賞選考で,日本映画が『おくりびと』(滝田洋二郎監督作品)外国語映画賞,『つみきのいえ』(加藤久仁生監督作品)短編アニメ賞と,ダブル受賞を果たした。最近珍しいほんとうに明るいニュース。23 日以降,連日大盛り上がりである。

世界に冠たるアニメは別として,近年の日本映画が世界(というかアメリカ)に認められるのは,私にはとても意外であった。同時代の邦画は 1950--1970 年代のそれにとても太刀打ちできない,と私は思っている。『おくりびと』は突然変異か。あるいは新しい邦画時代の幕開けか。それならまさに departure である。

びっくりしたのが,どこかのバラエティで見た本木さん自筆の色紙。最近,筆で字をうまく書くひとに出会うと,尊敬の念を覚えてしまう。ところで,連日のテレビの報道を見ていると,ちょっと余貴美子が影薄く可哀想。

私は,不覚にも,『おくりびと』をまだ観ていない。妻はロードショーで観て,いい映画だったと言っていたのだが。このほとぼりが冷めたら DVD でゆっくりと。

先日 CD を貰ったお返しに,書籍ほかを par avion で英国のスミルノフに送付した。『新潮古典文学アルバム』松尾芭蕉特集巻,能楽の CD,私のプーシキン論文(東大スラヴ語スラヴ文学研究室年報 SLAVISTIKA XXIV 2008 に掲載したものの抜刷)である。私にはスミルノフに対して,この論文のロシア語要約を添削してもらった恩義がある。ロシア語で書き直してから送ろうという思いもあったが,当分できそうもない。

週刊新潮が 1987 年に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件の実行犯の手記なるものを連載した。これに対し,朝日新聞はその内容の事実関係について独自に調査を行い,手記は「真実性がない」との記事を,今日の朝刊 1 面に掲載している。1987 年当時,このテロ事件 --- 「赤報隊」による犯行声明があったからなのだが --- は衝撃的であった。こういう事件を面子に賭けて解決し,その背景を明らかにするのが民主的国家の警察だとそのころ思ったものだが,残念ながら事件は 02 年に時効を迎えてしまった。

1 月の終わりごろだったか,電車でこの週刊新潮の吊り広告を見たときは驚いた。この連載が世にどう受け入れられるのか興味が湧いた。数週間たち,やはり事件当事者である朝日新聞がまじめに取りあげた訳である。朝日が報道するように,この手記は悪質な捏造なのだと思う。もし真実なら,時効成立とは無関係に,事件の組織的背景を警察が捜査するはずである。また,犯人は刑事責任は免れても社会的には責めを負うべきである。でも,週刊新潮の広告に,なぜこんなに不安を掻き立てられるのか。気味が悪い。

週刊新潮はきちんとこの手記の真偽を明らかにし,掲載判断の根拠を説明するべきだろう。食品メーカーは産地偽装などの不祥事一発でマスコミの食い物にされて信用を喪失し,倒産の危機にさらされるだけでなく,詐欺罪の刑事責任を問われる。誤報一発で人生を狂わせられるひともいるのだから,マスコミも同様な社会的制裁を受けるべきではないだろうか。週刊新潮の対応が不真面目なら,朝日新聞は報道倫理に基づいて新潮社を徹底的に追及すべきである。

昨年末の元厚生次官連続殺害事件では,犯行声明もないのに年金問題テロではないかとの報道がなされたりした。ロクに検証せずに,衝撃的であればガセでも掲載する。「テロ」などというドキリとする言葉を,どんな制約を付けているかは別として,記事に書いてしまう。その記事の波紋がどのようなものとなるかもまったく考えずに。最近,大新聞社も含め,この種の軽卒が目立つように思う。

また,一般のひとも「テロ」云々をありうることのように受け取ってしまう。何か言ったり失策を犯すとヘンなヤツにうしろからブスリと刺される。そういうこともあるとどこかで納得している。「くわばら,くわばら,君子危うきに近寄らず」。週刊新潮の手記と朝日の反駁について,ネットでは阪神支局襲撃事件に対する怒り・真相究明の要請よりも,むしろ両社への面白半分の悪口ばかりが目立つように思われる。日本はテロリズムに関してロシアや独裁国家と同じ闇をもっている国なのだと思ってしまう。

「実行犯」手記掲載の気味の悪さは,マスコミの質の低下とともに,市民がなんとなく事件を受け入れてしまっていることに起因するものかも知れない。

さとう好明の『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』は,ロシアン・ジョークを楽しみながらロシア語会話を学ぶことができる学習書である。さとうには申し訳ないが,私は露和対訳ジョーク本として楽しませてもらった。

著者は,長らく商社に勤務し,その現場の経験を踏まえた,活きたロシア語を教えてくれる。通常大学の先生によって書かれるこの種の本にない,現場指向の解説が出色である。トピックにふさわしいジョークだけでなく,ロシア人の生活を交え,ロシア語会話文を肉づけている。例えば,日本人は自分の名前を相手に伝えるとき,「三好と言います,ミは数字の三,ヨシは大好きの好です」などと漢字をインプットして名前を伝えようとするように,ロシア人も人名や地名が聞き取りにくいとき,「ソ連電話託送表」という一定の符牒を用いるそうである。それはロシア人なら聞き間違いようのない人名でアルファベットを明確化する習慣である。「Сато [サトー](ここでひと呼吸おく); Светлана [スヴェトラーナ], Антон [アントン], Тимофей [チモフェイ], Ольга [オリガ] と続け,最後にもう一度 Сато と言うのがよい」([ ] 内は私の付記, p. 25)。さとうは,引き続き,この習慣から生まれる次のようなジョークを掲載してくれる:

サラがバルコニーに出て,出勤する亭主に手を振ります。亭主,大声で,
「サラ,ベートーベンでもかけて寝なさい」
「聞こえないわ。アブラーム」
「ベートーベンでもかけて寝なって言ったんだよ」
「誰と,寝なさいですって? 聞こえないのよ」
「あのなあ,ボリース,エヴゲーニイ,チモフェイ,オレーク,ヴィクトル,エヴゲーニイ,ニコライだよ」
「ボリース,チモフェイとはもう寝たわ。オレーク,ヴィクトルって誰なの? どうしてエヴゲーニイとは2回なの? 上役なの?」
さとう好明『アネクドートに学ぶ実践ロシア語会話』東洋書店, 2005, p. 26.

掲載ジョークは,ユダヤ人をバカにするようなネタが少し目立つ(上記の例にあるサラ,アブラームもユダヤ風の名前だ)。でもそれはロシア人の感覚を反映しているに過ぎないので,さとうの個人的偏見と受け取らないでほしい。それにしても,здравствуйте(こんにちは)を здгавствуйте と表記することでユダヤ人を記号化するとか(R の巻舌ができず喉にからんでしまう滑稽さを G で示しているのである。フランス語の奥まった R をきちんと発音できない日本人もフランス人から同じようなからかいを受けているのではないかと私は思う。私も日本人の常として R と L の区別がダメで,「плюрализм〔plyuralizm: 複数政党主義,多元論〕」などの発音で舌がこんがらがってしまう。右〔R〕も左〔L〕もわからないという訳だ),外国人の稚拙なロシア語を表現するのに,я(「私は」: 一人称単数主格)の代わりに моя(「私の」: 物主代名詞単数女性形主格)を用い,動詞を常に三人称単数現在形とするとか(日本語に照らせば,「ちゅーごくじん,みな,りょーりとくいあるよ」みたいなスタイルと思ってよい),こんな知識をお行儀の良い他の語学教科書ならば,絶対に教えてくれないはずである。

「知っていなくてはならないが絶対使ってはいけない」としてよく使われる罵倒語・卑語をいくつもあげている。「ホーイとかヒロというのは男性性器をイメージするらしく,日本のコーラスグループがモスクワ公演で『おサルのかごや』を歌ったときに,ホーイ,ホーイという掛声で大爆笑になったというのは有名な話」(p. 27--8)というような,大事な大事な注意事項も書き忘れない(「ホーイ」はロシア語でペニスを意味する「フーイ」に酷似しているのである。ちなみに女陰は「ピズダー」。プーシキンは反動的御用出版社のことを「ピズダーチェリストヴォ」と罵倒したそうである。「出版社」はロシア語では「イズダーチェリストヴォ」)。こんな半畳は,大学でも,先生と呑みに行ったときにしか仕入れることの出来ない語学の間道なのだが,それを知らずに現地で口走ってしまうと大恥をかいてしまいかねないような,貴重な知識なのである。

こんな話はロシア語にはゴマンとある。昔,ユーリ・海老原というロシア人ボクサーがいたが,ロシア語を知る者からするとこの名はさしずめ「貞夫・マンコフスキイ」とでもいうようなニュアンスがあるのだ(ユーリイはごく普通の名前なので「貞夫」には何の意図もありません)。「エビ」には Fuck の意味があり,「エビハラ」なんて「エビ・ハラショー」な訳で,ロシア人には大受けなんである。エビちゃんは,いかに日本のアイドルとはいえ,絶対にロシアに行ってはいけないのだ(ユリ・マンコフスカヤになっちまうぞ。もちろん冗談である。でも,エビちゃんのファンはこっそり忠告してあげてよいゾ)。逆の話もある。日本大使館はかつて館舎の移転に際しロシア政府からモスクワ・クレムリンにほど近い超一等地を紹介されたが,丁重にお断りした。なぜならその地名がヤキマンコだったからである。20年ほど前,オリンピック陸上で活躍したロシア人選手を NHK の実況アナウンサーは彼の姓ではなく「サーシャ」と愛称で呼んで中継していた。その選手の本当の名がマンコヴィッチだったからである(映像のキャプションには Alexander Mankovich がしっかりと出ていたのだが)。いけない。調子に乗ってお下品が過ぎました。

本書は,現実の会話は語学書に掲載されているような理想的な形式で進むことはない,という認識のもとに「トラブる例」を併載しているところも面白い。当然ながらネイティブスピーカーによる実践編スキットの録音 CD を添付している。

語学の勉強は一冊二冊の参考書をマスターしただけでは,とても自分のものにできたという感覚をもつことはない。だからたくさん読むことになる訳で,ならば本書もその一冊に加えることを是非お勧めする。ロシア語の基本を終えたくらいの学習者なら,大爆笑しながらロシア語会話を磨けること請け合いである。こういう語学書が出てくるのもロシア語の痛快なところである。外国語を学ぶというのはその国民性を学ぶこと,という姿勢に著者が徹しているからこそこういう本を書くことが出来るのだろう。

ロンドン在住のロシアの作曲家ドミトリ・スミルノフから CD が届いた。先の 2 月 6 日に,ロンドン王立音楽院デュークスホールで行われた "Op.140 DREAM JOURNEY (夢は枯野を Yume wa kareno wo - ГРЁЗЫ СКИТАНИЙ) 17 Haiku by Matsuo Basho for soprano, flute, clarinet, violin, cello and piano (in Japanese), 2003--2004." 初演演奏会の録音である。演奏は,ソプラノ:エリカ・コロン,ピアノ:アリッサ・フィルソヴァ,フルート:ツ・カオ,クラリネット:ルーシー・ダウナー,ヴァイオリン:リサ・ウエダ,チェロ:ジェシカ・ヘイエズ,指揮:イアン・アンダーソン。私は芭蕉テクストの準備でほんの少しだけお手伝いをしたに過ぎないのに,彼は今回のコンサートについて案内メールをくれただけでなく,その録音 CD まで送ってくれたのである。

私はこれまで,Sibeliusmusic.com で配信されている Midi でしかこの曲を聴いたことがなかった。今回,ロンドン王立音楽院デュークスホールでの世界初演でようやく実演として聴くことができるようになった。受け取ってすぐ,作曲当時スミルノフからもらった総譜を見ながら,CD を聴いた。

作品は芭蕉の 17 の俳句を,俳句構造と同じ 5-7-5 の三部構成で配置する。各曲の楽器編成もシンメトリカルなものである。「古池や」のもっとも芭蕉らしい句から「夢は枯野を」の最後期に至る 17 句を配列し,人生としての旅というその詩精神を音楽に昇華させようという試みである。スミルノフは作品ノートで次のように書いている。この言葉からも,本作品をこれまでの彼の音楽的思想のひとつの総合として位置づけている,そんな意気込みが伝わって来る。

Japanese art and poetry have attracted me all my life especially because of their ability to say everything with just a few strokes or words. Their laconism and compression of ideas have an intensity that is matched only in some great music. And in my own music I have always tried with varying success to match these qualities. --- 日本の芸術と詩は,わずか数行,数語で一切を語る力量ゆえにこそ,これまでの生涯を通じて私を魅了して来た。その思想の簡潔,凝縮はある偉大な音楽のみに相応する集中力を備えている。そして,私は自分の音楽においてこれらの特質に和するよう常々いろんな試みをなしつづけて来たのである。(試訳)
Dmitri Smirnov "PROGRAM NOTE"

素晴らしい作品であった。第一曲 "A Frog" (「古池や...」) はドビュッシー風の歌い出しであるが,全体を通して聴いた印象では,断片的な声の潮が,篠笛のような蕭条たるフルート,クラリネットの風,ピアノの冷たく清楚な透明感,弦の濃密な凝縮感のなかで漂い,日本風の枯淡と,寡黙で超越的な音響とを表現していた(意味不明。でも,私の素直な感想である)。エリカ・コロンの独唱をはじめ,ロンドン王立音楽院の若い室内楽奏者たちも,現代的音楽に特有の複雑・難解なテクスチャを正確に辿って,気清かで気品があり,かつ集中力・緊迫感のある演奏を聴かせていた。私は No.6 West of East, No.11 Lonliness, No.15 Dead Leaves がとくに好きである。

この録音 CD はプロモーション盤である。一般に流布されるかはわからない。彼の音楽はペーター・エートヴェスや,オリバー・ナッセン,ヴァシーリイ・シナイスキイ,ゲンナジ・ロジェストヴェンスキイ,アンサンブル・モデルン,ブロツキイ・クヮルテットなど,優れた現代音楽演奏家に取上げられ,数あるレーベルから CD が発売されているので,Dream Journey OP. 140 の録音もそのうち出るだろう。

dreamjourneycd.jpg

※ 以下2009/2/23付記

スミルノフのプロモーション・レーベルである Meladina-Record から,"Dream Journey" コンサート CD を注文できるようになったようである。型番は MRCD-60 Smirnov: DREAM JOURNEY。興味のある方はスミルノフの CD 頁にあるアドレスに E-mail (英語かロシア語で) を送って注文できる。是非聴いてほしい。

Facebook のスミルノフの頁にコンサートの模様の動画が掲載された。

※ 以下2009/2/26付記

Facebook の動画のアップロードが全曲完結し,すべてを視聴できるようになった。素晴らしい。これは誰でもアクセスできるようである。

第一曲 "A Frog 古池や" が YouTube でも公開された。下に張り付けておくので,現代音楽ファンは,是非ともご覧ください。第二曲以降も公開されるかはわからない。

迷走

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ヒラリー新米国務長官来日のさなか,中川財務省の「酩酊会見」と,その後の朝令暮改じみた辞任劇で,政治シーンは大騒ぎとなった。一方,小泉元首相が自民党方針に造反する発言をして,自民党はいよいよ末期的状況に来たようだ。小泉さんがキレたのは,麻生首相が郵政民営化への疑念をいまさらになって口に出したうえ,まさに郵政民営化を問うて獲得した議席数にものを言わせて予算案をごり押し通過させようとするところだと思われる。

民主党など野党も,この無様な政権の有様に乗じて,中川さん,麻生さんの問責決議案を持ち出したりして,お気楽なものである。GDP 12% ダウンのこの危機的な事態にあって,民主党は中川さんの全世界的失態(だからどうだと言うのか,国際的影響力皆無の日本の政治家が世界の話題になって,よいではないか。しかし,なんで側近のお役人は中川大臣の会見を止めなかったのか!)の責任追及に余念がなく,どうも国民の生活などよりも次の選挙のことしか頭にないようである。彼らこそ危機感に欠けるように思われる。心配しなくても自民党は自滅するのだから,人の足を引っ張るのではなくて新しい気の利いた政策を提言してもらいたいところなのに。

今日の朝日新聞夕刊に,「村上春樹さん ガザ攻撃批判」の記事があった。イスラエル最高の文学賞・エルサレム賞を受け,その授賞式のスピーチで村上は「私は壊れやすい卵の側に立つ」と述べたそうである。

イスラエルに行って賞をもらいつつ,イスラエルを批判するなんて,勇気ある行動である。さすがだと私は尊敬の念を覚えてしまった。言うべきことを,言うべきタイミングに,素晴らしい言葉で,言う。こういう作家が日本にもいるのだと,ほんとうに誇らしくなってしまった。そして一方で,こういう批判をしても村上が安全でいられる,そんなイスラエルという国の冷静さにも感心してしまった。

私がその記事を読んでいると,娘が横から「走ることについて語るときにぼくの語ること」と呟いた。一冊読んだだけなのに,娘にとって村上はそうとう特徴的な文体をもつ作家であるらしい。

『ロシアン・ジョーク』とともに,もう一冊,新書を読んだ。萩野貞樹著『旧かなづかひで書く日本語』。本書は,熱烈な旧字・旧仮名遣い信奉者による入門書である。私も歴史的仮名遣いにはたいへんな愛着がある。

私の長たらしい文章を読みたくないひとのために,結論から言っておく。この本はただの煽動本である。なぜか。根拠のないことをさも真実であるかの如く何も知らない読者に吹き込んで,彼を踊らせるだけでなく,世の中の標準を独善的に嗤いたがるエセ学者本の典型だからである。

本書は問題点が多い。まずなにより,著者による他者攻撃は不愉快である。旧字・旧仮名遣いはカッコいいとか,字音仮名遣いは厳密でなくてもよいとか,主観的主張のみならず,出典明示・引用もなく人をこき下ろすやり方に,私はところどころ引っ掛かった。現代仮名遣いで書かれた,長い年月を掛けて成った良心的な学術出版物を,けんもほろろに著者は腐す。西欧との相克における日本の知的立国に対し,死にものぐるいで悩み・努力してきた往時の人々を,表記方法の伝統という名分において,バカ・無知無能呼ばわりする萩野の態度。実のところ,萩野の主張内容についてくどくど批判したいというよりも,その失礼さ・自信満々の浅はかさ・尊大さに,私は道義的怒りを覚えた。

そういう点で,まじめに取り扱う価値を私は本書に認めない。ここでは,萩野の口性ないところでなく,その学問性において,私が問題と考える点をしるしておく。国語学の専門家ならば萩野の論をどう評価するのだろうか,私は知りたいものである。

旧仮名遣いで書くことの必要性・正当性を主張するにあたり,萩野がその根拠としているのは,次の言説に尽きる ---

あれこれしつこく言つてゐるのは,そもそも文語と現代口語を分けるなどといふことはできないことをここでは言ひたいためです。文語・現代語を分けることができないならば「現代仮名遣い」といふものはあり得ない,あつてはならない,といふことになる。
萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』幻冬社新書, 2007, p. 42.

このあと「現代かなづかい」内閣告示にある「主として現代文のうち口語体のものに適用する」との一文を捉えて,「文語」にこれを適用する違法性を述べ,文語と口語体の境界線の曖昧さに基づいて,口語体にも現代仮名遣いを適用するのはおかしい,と著者は指摘する。要するに古典は歴史的仮名遣いで書かれているのだから,現代口語もそれに則るべきという単純極まりない理屈である。萩野は,しかし一方で,なぜ「文語」を歴史的仮名遣いでしるすのが「正しい」のか,ということをまったく追究していない。それは彼にとって自明のことだからである。ところが,「文語」が本当に「歴史的仮名遣い」で書かれている,書かれるべきかどうか,は自明ではないはずである。「現代かなづかい」内閣告示の一貫しない点を捕まえて,「だから歴史的仮名遣いが正しい」とどうして短絡できるのか。

歴史的仮名遣いに関するきちんとした国語学の本を調べたことのある者ならば,知っているはずである --- 歴史的仮名遣いというものが,江戸時代契沖以降に整理された学問的なものであることを。学問的な成果である以上,いまだに歴史的仮名遣いの確定していない単語だってあるということを。歴史的仮名遣いが皆の則るべき規範(つまり「正しい書き方」)として社会的に意識されたのは明治以降であることを。それを,あたかもはるかな古代から伝わる「確立」された伝統であるかのように萩野は説くのである。 ---

ところが日本にはそれ [固有の文字を持つ言語:註] があつた。しかもそれは,千数百年以上昔のはるかな古代に,固有の文字を持たないままに自国語を精密に観察しようといふ巨大な意志が存在したことによつて実現し得たものでした。その果実を体得し伝統として,西暦九百年頃にはかな文字による国語の正書法が確立してゐました。
 例へば『土佐日記』などの用字法は,発音とは相当のずれが生じてゐたにもかかはらず現在の歴史的仮名遣とほとんど全く一致してゐます。
同書, p. 140--1.

「正書法が確立してゐ」たとは,なにをもって断定できるのだろうか。「確立された正書法」とはいったいどういう条件を根拠にしているのか。それについては説明がない。何も知らない読者は,このくだりを読んで,日本ではなんと「正書法」すなわちルールとしての歴史的仮名遣いが西暦九百年頃にはすでに「確立」していたと,教えられたつもりになるはずである。新書だからか,読者を馬鹿にしていい加減なことを言っているとしか思われない。それが学問的根拠に基づく言説でないことは,築島裕著『歴史的仮名遣い』など --- きちんと一次資料(まさに「原文」)を調べた上で書かれた「国語学的な」論考 --- を読んだことのある者なら知っている。「確立してゐ」たことを示す例として『土佐日記』を上げる時,萩野は「原文」(変体仮名を含む草書体写本)のテクストクリティークを踏まえているのだろうか? そこから「確立」されたとまで断言できる,原理としての表記の実態を観察し得たのだろうか? おそらく萩野は『土佐日記』の「原文」など見たこともないのに違いない。築島裕を読んだあとでは,萩野の言説が事実に反することが明らかだからである。「やるべきこともやらないで,このウソツキ」と呟いてしまうのは,私だけではないはずである。それなのに,萩野は一方で,岩波日本古典文学大系本などの一流の学者たちによる労苦の成果を,徹底的に腐しているのだ。

こういう論旨に不信感をもつと,著者が展開している,旧仮名遣いによる文学の現代仮名遣いへの「改竄」に対する批判についても,学者としての姿勢を怪しんでしまう(私も,谷崎潤一郎など旧仮名遣いによる作品の文庫本が現代仮名遣いに改められて出版されるのはオリジナル尊重という意味では問題だと認める。でも,普及という観点では,失われるものと得られるものとのバランスにおいて,そのほうがよいと考える向きである)。ところが,『土佐日記』や『源氏物語』だって,「原文」の仮名遣いは,その変体仮名の多様な表記が現代の仮名文字に包摂され,歴史的仮名遣いに「改竄」されて出版されているではないか。そこでは,あの美しい運筆の流れがことごとく捨象されてしまっているではないか。萩野の「原文」の理屈からすれば,古典は草書体の印影本形式だけで出版されるべき,ということになるのだ。要するに伝統というもの,古典というものが校訂者による「改竄」を通して現代人に親しいものになっているというあり方を無視して,「原文」主義を誇大に主張するのは,空理空論である。著者は,本当に「原文」に当たってから持論を展開しているのか,こういうところからも極めて疑わしくなるのである。著者が原文,原文,とうるさく拘っている引用例は明治以降の文学ばかりである。それで,現代仮名遣いによって千年以上の伝統がおしなべて破壊されるなどと誇りかに説いてくれるのだ。ただの大言壮語である。

私は歴史的仮名遣いそのものを否定するのではない。私がことさらに萩野の意見に反駁すべき必要を覚えるのは,要約すれば次の理由による。「傳統的・正統たる歴史的假名遣ひ」などというドグマを押し付ける言説は,日本語表記というものが「古代」から整備されているかのような錯覚を植え付け,「千年の伝統」などという偽りの概念を歴史的假名遣いに纏わり付かせることによって,戦後の教育者の努力を反伝統と極め付けて無に帰せしめ,現代仮名遣いのルールとしての性格を貶めるだけでなく,一方で,古典そのものの実態を見誤らせることにつながるからである。

きちんとした古典文学全集を開いて,校訂者序文を自分の目でよく読んでみるがよい。そして古典本文の実態をよく観察するがよい。そこには必ず「表記は歴史的仮名遣いに改めた」との断り書きを見出すはずである。古典表記の実態は,多く仮名遣いの混乱が見られ,それは「誤り」などではなく,正書法(つまりルール)が整備されていないだけのことなのである。例えば手元にある『神皇正統記』(十四世紀)はどうか。

或は累世の臣して其君をしのぎ,つゐに讓をえたるもあり。[...] 一種姓の中にをきてもをのづから傍より傳給ひしすら猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。
『神皇正統記』岩佐正校注, 岩波文庫, 1975, p. 24.

萩野に歴史的仮名遣いは簡単だと教わった者ならここにある「原文」の「誤り」はすぐわかるはずである。「つゐに」は「つひに」,「...にをきてもをのづから」は「...におきてもおのづから」が正しい歴史的仮名遣いである。この手の「誤り」は『神皇正統記』の開いたどの頁からも拾うことができる。また,さらに時代の下った十七世紀の例,かの俳聖・松尾芭蕉の次の句はどうか。

木曾の瘦もまだなをらぬに後の月
『芭蕉俳句集』中村俊定校注, 岩波文庫, 1970, p. 148.

「なをらぬ」は「なほらぬ」が正しい。北畠親房も松尾芭蕉も当代一級の文化人であった。なのにこの種の「誤り」がぼろぼろあるのである。彼らは太古から「確立されてゐた正書法」に無知だったのだろうか? 違う。歴史的仮名遣いを「確立された伝統だ」などと宣って,絶対視することのほうに誤りがあるのである。

彼ら古典作家の表記の実態に認められる言語は,萩野に言わせれば,「意味不明」になるはずである。文学の意義を形式ではなく内容によって考える者には,この萩野の言説は,古典というものを誹謗しているとしか受け取られない。萩野は,愚かにも,仮名遣いによって文学作品が「意味不明」になると自信満々で書いているのである。

これ [「朝日歌壇」の短歌作品:私註] が歴史的仮名遣で書かれてゐたら,「入る」の意味なら「いる」,「居る」の意味なら「ゐる」と書き分けられることになる。一見して意味明瞭です。ところが新かなで「いる」とあるために,この作品は決定的に「解釈不能」なのです。
 今引いた俳人の言葉からすれば,このやうに「意味不明」であることによつて「詩」となつたといふことなのかもしれませんが,それは通常人には通じない話でせう。
萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』幻冬舎新書, 2007, p. 124.

どうも私だけでなく,北畠親房も,松尾芭蕉も,「通常人」ではないらしい。こうして,萩野のこの根拠薄弱の偉そうな言説によれば,古典はみな「意味不明」と貶められることになる。萩野はどうしてこのような古典の実態をねじ曲げるのか? 彼の学者としての姿勢に私が疑問を投げかけてしまう次第である。己の主義主張のために自信満々に,偉そうに伝統を騙る者。私がもっとも忌み嫌う滑稽な日本人のタイプなのだ。

萩野の言う伝統とはただの形式主義ではないだろうか。「舊字・舊假名遣はカッコいい」,「舊字で書くと氣持ちいい」などという言葉は,見た目・カタチへの主観的偏愛を示して余ある。いずれにせよ,彼のような事実を踏まえないウソツキ伝統擁護論者よりも,ずっと深く日本文学・古典を愛し,その本質を理解し,その伝統の素晴らしさを明らかにしてくれる研究者・現代仮名遣いの書き手を,私はたくさん知っている。表記は伝統の本質ではないのだ。

もちろん,ある単語・表現の本来の使い方など,さすがに「大学教授」だっただけあって,本書には教えられるところもたくさんある。古語の活用を丁寧に教えてくれ,高校のころを懐かしむこともできる。しかし,本書は,学問的根拠において判断するに,俗流国語学者による駄本である。

本書は半年で三刷出た。売れているといってよい。つまりは「傳統」という魔法のような言葉によって,いま「舊字・舊假名遣ひ」は大流行なのだ。ネットでも,本書の書評を見てみると,好意的なものが多い。「目からウロコが落ちた」,「我が意を得たり」なんて感激している評者もいた。そんな「幸せな」旧字・旧仮名遣いフリークには,是非とも本棚に一冊。そしてこの自信満々の学者先生による理論書で,歴史的仮名遣いの勝利を言祝いでもらいたい。こうして「なんちやつて舊字・舊假名遣ひ派」(間違いだらけの旧字・旧仮名遣いの文章をネットで見るにつけ,私が勝手にそう呼んでいるだけなのだが)が出来上がって行くということか。「なんちやつて舊字・舊假名遣ひ派」はいま増殖中なのである(嗤われているのがわからないらしい)。

ネットには,萩野のような独善的押し付けなしに,旧字・旧仮名遣いを愛するがゆえにそれで個人的に文章を発表している方もいらっしゃる。私はそれ自体を悪いことだとは思わない。ただ,旧字・旧仮名遣いこそが「正しい」表記であり,現代仮名遣いに従うことは愚かである,伝統というものを貶めている,とでもいうような萩野風言説に出くわすと,俄然反発したくなるだけなのだ。

それにしても,現代仮名遣いという現代人の書記ルールを高みから見くだして,舊假名遣ヒニ復古セザレバ傳統ハ死ス,みたいな事実に依らぬ滑稽な大言壮語でもってメシが食えるのも,象牙の塔に籠ればこそ。私みたいな,社会の下層でひとの顔色を伺いながら文書を書いている者には,「ほんたうに」羨ましい。

久々のジョーク集。本書は,ロシア人と深い付き合いのある著者による,現代ロシア世相を踏まえたジョーク集である。歴代の権力者と時代を軽妙に素描しつつ,市民による世相の捉え方をジョークとして集めたところが,酒井の著書のユニークなところである。大笑いさせてくれる数ある収録ジョークのなかから,ひとつだけ,引用させていただく ---

ロシアの指導者たちは,次のような教訓を後世にもたらした。
・レーニン......絵空事でも国を支配することができる。
・スターリン......一人でも国を支配することができる。
・フルシチョフ......バカでも国を支配することができる。
・エリツィン......家族でも国を支配することができる。
・プーチン......スパイでも国を支配することができる。
酒井陸三『ロシアン・ジョーク』学研新書, 2007, p. 209.

本書の動機には,もはや世界の覇権国にのし上がろうとしているロシアに対し,日本人はイメージ先行の食わず嫌いをしている場合ではない,という国際ジャーナリストとしての思いがある。そういう点こそが,本書の美点である。

日本を『日出る国』と習い,どこか小さなリスペクトを感じているという彼ら [ロシア人: 私註] は,日本に対し大きな興味と好奇心を持っています。もはや国と国だけでなく,人と人が付き合う時代。私たちもこのジョーク好きで,呑兵衛で,ともすれば,束になると迷走するジャジャ馬ならぬジャジャ熊のような隣人と,しっかりと向き合い,理解し合うときが来ているのではないでしょうか。
同書, p. 245.

多言語辞書 JMdict (Japanese Multi-lingual Electronic Dictionary) を Emacs 辞書検索ツール sdic で利用できるようにしてみた。その概略を示す。Emacs で使える和露,和仏,和独辞典をお探しの方の参考になれば幸いである。

先日 sdic をインストールし,英辞郎辞書を検索できるようにして以来,ロシア語辞書の電子データが手に入らないか探していた。フリーの露和辞典はなかなか見いだせなかったけれども,JMdict 日本語--多言語辞書を発見した。これは JMdict プロジェクトによってメンテナンスされている巨大な電子辞書である。ライセンスもフリーのようだ。ダウンロードした版で私が勘定したところ,13 万 4 千語を収録している。主に和独・和英がメインであるが,ロシア語,フランス語の訳も収録している。ロシア語訳が付与されている見出し語は,そのうち 6 千 7 百程度に過ぎない。それでもロシア語にはアクセントまで付加されていて感心した。

以下,手順を整理する。sdic,sufary のインストールについては,「英辞郎第四版を Emacs で使う」に纏めた。

  1. JMdict は,賢明にも,XML 形式 UTF-8 エンコードで配布されている。このため,別のフォーマットに変換したり,ロシア語訳がついているものだけ抽出するなど,加工が極めて容易になっている。そこで,sdic 形式に変換すれば,和独・露・仏・英辞典として sdic でも使えるだろうと考えた。XML から sdic へのフォーマット変換は,プログラムを書いてもよいが,お手軽に XSLT を使うことにした。
  2. FreeBSD,Linux の世界では,Apache XML プロジェクトによる Xalan XSLT プロセッサが有名である。ここでは,高速な C/C++ 版 Xalan-c-1.10.0 を使うことにする。Windows ユーザは Microsoft が無償配布している MSXML を利用することができる。Xalan ("ザーラン" と呼ぶらしい) は,同じく Apache XML プロジェクトによる XML パーサ・ライブラリである Xerces-c を前提とする。FreeBSD ports でこれらパッケージを組込む。cd /usr/ports/textproc/xalan-c && make install clean とするだけでよい。
  3. JMdict アーカイブをダウンロードし,解凍しておく。ここでは ~/tmp に JMdict ファイル名で XML 形式のファイルが解凍されたものとして説明する。
  4. 次に XSLT 変換のためのスタイルシートを準備する。これがいちばん厄介な作業であった。XML::Parser で Perl プログラムを書いたほうがラクなのかも知れなかった。JMdict には辞書として必要な様々な情報が付加されている(cf: JMdict 仕様)。私はこのなかから見出し,読み,品詞,反意語,参考情報,訳語 (ドイツ語,フランス語,ロシア語,英語) を抽出し,sdic 形式に再編成することとした。sdic 形式は,見出し語を <H> タグで,検索語を <K> タグでそれぞれマークアップし,あとは一行内に情報をぶら下げるテキストである。見出し語は JMdict の漢字表記から採用し,同じ漢字表記と読みすべてを検索語としてタグ付けするようにした。こうしておくと sdic での検索を様々な表記で行い,見出し語を引くことができる。こうした仕様のために私が作成したスタイルシートを以下に掲げる。これを jmdict2sdic.xsl ファイル名で格納する。
  5. <xsl:stylesheet version="1.0" 
        xmlns:xsl="http://www.w3.org/1999/XSL/Transform">
    <xsl:output method="text" encoding="UTF-8" />
     
    <!--
        JMdict XML -> SDIC 形式変換 
        JMdict XML タグ仕様
            entry          エントリ
              k_ele        日本語漢字エレメント(表記の違いなど)
                keb        日本語漢字
              r_ele        日本語読み情報 
                reb        日本語読み
                re_restr   日本語読み追加情報
              sense        意味エレメント
                pos        日本語品詞
                xref       日本語関連語
                ant        日本語反意語
                gloss      多言語意味
                  xml:lan  言語 (英・独・仏・露ほか)
    -->
     
    <xsl:template match="JMdict">
        <xsl:apply-templates select="entry" />
    </xsl:template>
     
    <xsl:template match="entry">
        <xsl:text>&lt;H&gt;</xsl:text>
        <xsl:value-of select="k_ele/keb | r_ele/reb" />
        <xsl:text>&lt;/H&gt;</xsl:text>
        <xsl:for-each select="k_ele/keb | r_ele/reb | r_ele/re_restr">
            <xsl:text>&lt;K&gt;</xsl:text><xsl:value-of select="." />
            <xsl:text>&lt;/K&gt;</xsl:text>
        </xsl:for-each>
        <xsl:for-each select="sense">
            <xsl:if test="pos[not(.='')]">
                <xsl:text>【</xsl:text><xsl:value-of select="pos" />
                <xsl:text>】</xsl:text>
            </xsl:if>
            <xsl:if test="ant[not(.='')]">
                <xsl:text>〔反: </xsl:text>
            </xsl:if>
            <xsl:for-each select="ant">
                <xsl:value-of select="." />
            </xsl:for-each>
            <xsl:if test="ant[not(.='')]">
                <xsl:text>〕</xsl:text>
            </xsl:if>
            <xsl:if test="xref[not(.='')]">
                <xsl:text>〔参考: </xsl:text>
            </xsl:if>
            <xsl:for-each select="xref">
                <xsl:value-of select="." />
            </xsl:for-each>
            <xsl:if test="xref[not(.='')]">
                <xsl:text>〕</xsl:text>
            </xsl:if>
            <xsl:for-each select="gloss">
                <xsl:text> [</xsl:text><xsl:value-of select="@xml:lang" />
                <xsl:text>] </xsl:text>
                <xsl:value-of select="." /><xsl:text>; </xsl:text>
            </xsl:for-each>
        </xsl:for-each>
        <xsl:text>
    </xsl:text>
    </xsl:template>
     
    </xsl:stylesheet>
     
    

  6. Xalan XSLT プロセッサで XML から sdic 形式にフォーマット変換を行う。JMdict が巨大な上,Xalan はすべてのノードツリーをインコアで展開するため,処理には CPU,メモリコストもそれなりにかかる。IBM ThinkPad X40 Mobile Pentium-M 1.2GHz プロセッサで,実行時間約 7 分 15 秒,メモリ 300 MB を要した。メモリ(仮想記憶)不足にならないよう注意すべきである。
  7. % cd ~/tmp
    % Xalan  -o jmdict.sdic JMdict jmdict2sdic.xsl
    

  8. 生成された sdic 形式辞書 jmdict.sdic は下図のようなイメージのはずである。
  9. jmdicru.jpg

  10. 次に,jmdict.sdic を sdic 用ディレクトリに移動し,さらに高速化のため sufary インデックスを生成する。
  11. % su - m
    # mv jmdict.sdic /usr/local/share/dict
    # cd /usr/local/share/dict
    # mkary jmdict.sdic
    # ls -las jmdict*
    ... 23972286 Feb 12 23:24 /usr/local/share/dict/jmdict.sdic
    ... 82669060 Feb 12 23:26 /usr/local/share/dict/jmdict.sdic.ary
    #
    

  12. Emacs 初期設定ファイル .emacs に以下を設定する。和英辞典として JMdict を指定する。
  13. ;; sdic
    (autoload 'sdic-describe-word "sdic" "単語の意味を調べる" t nil)
    (global-set-key "\C-cw" 'sdic-describe-word)
    (setq sdic-eiwa-dictionary-list
              '((sdicf-client "/usr/local/share/dict/eijirou.sdic" 
    						  (strategy array))))
    (setq sdic-waei-dictionary-list
              '((sdicf-client "/usr/local/share/dict/jmdict.sdic" ;; JMdict
    						  (strategy array))))
    (setq sdic-default-coding-system 'utf-8-unix)
    ;;
    

  14. 以上で JMdict 設定は完了である。sdic で検索してみた際のスナップショットを下図に示す。

    sdicmulti.jpg

    使い勝手において注意事項がひとつ。英文字を含む語,例えば「CDプレーヤー」などの語を引くとき,英文字は sdic 和英辞典検索では無視されるため,これで入力・検索してもヒットしない。この場合「シーディープレーヤー」と仮名表記で検索すればよい。これは,JMdict は様々な読みの表記を収録しており,上記スタイルシートではこれらをすべて検索対象語(<K> タグ)に設定するようにしているからである。だから「シーディープレイヤー」でも検索できる。検索結果では,見出し語(<H> タグ)として登録した「CDプレーヤー」が表示される。漢字表記の言葉も仮名で検索できる訳だ。「うたう」で検索すると,「歌う(sing, chanter, петь, singen, etc.)」,「謳う(express, énoncer, besingen, rühmen, etc.)」の訳語を調べることができる。

私は品詞情報に関して英語で付与された長たらしいそのままの情報を【 】に入れるようにスタイルシートを調整したけれども,一般的には日本語に変換して使うのがより便利だと思われる。その場合,XML ファイル冒頭に記述されている DTD のうち,実態参照定義を日本語で書直せば(つまり,<!ENTITY adj-i "adjective (keiyoushi)"> の "adjective (keiyoushi)" を "形容詞" あるいは "形" などとする),Xalan はそこから拾って本文に埋込んでくれるはずである。また,JMdict の XML そのものを眺めて,私が割愛した情報を取込むようスタイルシートをコーディングしてもよいだろう。

それにしても,この JMdict,おかしな日本語の見出しがかなりある。「誤った日本語」というのではなく「おま○こ」だの「Hな映画」だの「Tバック」だの,要するに俗語・卑語が満載で,かつ大阪弁などの方言も載っている。それだけ,ホットで実用的な電子辞書だと言うことが出来る(?)。外国人から見た日本文化というもののイメージが,こういうところにも現われているのではないだろうか。

本書は XSLT スタイルシートの書き方を,XPath 含めコンパクトに整理している。比較的安価なリファレンスである。XSLT プロセッサは主に Java 版の Xalan について触れていて,これは,Windows でも UNIX でも同一の操作が可能である。できることは C/C++ 版とほぼ同じであり,コマンドラインが異なるだけである。ただ Java 版は C/C++ 版よりもメモリを大食いし,その実行速度でも劣るかも知れない。

フレームを用いた Web ページは最近では嫌われている。なぜなら,フレームを構成するページを単独で表示すると,その他のフレームページとの関連が失われてしまい,意味不明になってしまうからである。例えば,検索でヒットして表示したページがなんらかのフォームだとする。ところが,その入力の説明が実は別フレームに記載されるだけで当該ページにないと,そのフォームの入力ができない。Google などの検索結果からアクセスすると,たいていこの事態に陥ってしまう。それでも,マニュアルのようなコンテンツではフレーム構造はやはり便利で,私にとっては捨てがたい。

私のサイトのコンコーダンス・プログラムも,フレームの悪しき特性を備えていた。説明ページとフォーム(個別ページ)がフレーム分割されていて,目次ページから行儀よくアクセスし,フレーム内容個別ページ全体をロードするページ(全体ページ)から利用する,というのでない限り,ほとんど使い物にならない。

そこで,個別ページだけを読者が表示した場合,自動的に全体ページにジャンプするようにすればよいと考える。meta タグ http-equiv="Refresh" オペランド指定により自動的ページ移動を実現することができる。「N 秒後に XXX ページに自動的に移動します。しない場合はここを...」というあれである。しかし,個別ページに対して全体ページへの移動を無条件に設定してしまうと,当該個別ページのロードでループしてしまう。だから,個別ページが要求されるもとになったリファラーをチェックし,それが全体ページでない場合に限りジャンプするようにしなければならない。 JavaScript コードの例は以下のようなものである。個別ページの meta タグを記述できるところに,これを挿入しておく。

<script type="text/javascript">
<!--
mt = new RegExp("\/XXX\/全体ページ", "gi");
if (! mt.test(document.referrer)) { // check the referrer
    document.write("<meta http-equiv=\"Refresh\" content=\"1; url=http://XXX/全体ページ"\">");
}
//-->
</script>

ただし,この手法の有効性には,ブラウザがきちんとリファラーをセットしてくれるという前提がある。あらゆる事態を想定するならもう少し工夫が必要である。

10÷3=4

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私は本で見つけた面白い話を晩ご飯のときによく子供たちに話してきかせる。先日も,遠山啓の数学書のネタから,問題をメモ用紙に書いて子供たちに出してみた:「10÷3=4。どうして?」。

しばらくはわからない。ご飯を食べ終わり,煙草を吸い,メールをチェックし,コーヒーを呑んだ。「ヒント。時計」。もうしばらくして,中学二年の娘が答える:「わかった,1 ダースみたいに 12 が一纏まりの計算だから」。「ピンポン。そう,『十二進法だから』というのが答え。十二進法では十進法の 12 を 10 としるして,イチ・ゼロと言う訳。普通は数字の右下に小書きで (12) と書いて十二進法だとわかるようにするんだけど。だから口で言わないで紙で問題を出したの。十進法が当たり前だと思うと世の中がきちんと見えなくなるよ。イギリスなんか 1 シリングは 12 ペンスで,まさに十二進法が生活に根付いている。だからガイジンは計算がヘタなんだとしたり顔するバカな日本人がいるけれど,それは大間違い。十二進法のよいところはなに?」。娘はこれにはすぐ答えた。「1 ダースが 3 で割れること」。

子供は男子よりも女子のほうが大人びていて,知的にも前向きである。うちの子供たちにもこれは当てはまる。上の高校二年の兄は私のなぞなぞに面倒くさそうにしているが,下の娘は一生懸命考えている。ところが,これがサカリが付いて来ると,どうして見た目だけで物事の価値を判断するようになるのか。少なくとも私にはそういう女子が多いように見える。もちろん,長ずるに及んでいよいよ知性に磨きのかかる女性もいる訳なんだけど。

それは,男性の浅はかさが知的な女性を敬遠してしまうがゆえの,女性の守りのようなものかも知れない。昔から,人好きのする容姿でさえあれば馬鹿な女のほうが「可愛い」とされるところも,ない訳ではない。最近は男さえも「おバカ」が支持されるまでになっている。「下流指向」というのが最近の若者の特徴なんだそうである。世も末である。

「お父さんは可愛い子より,よく考える頭のよい女の子がやっぱり好き。馬鹿なのに我が物顔の美人はもうサイテー」--- もう,これを徹底して子供たちに吹き込んでいるんである。

2 月 6 日のスミルノフ還暦記念コンサート Dream Journey 作品 140 初演は大成功だったようだ。Facebook に掲載された参加者のコメントで知った。そのときの写真などを拝見した。ソプラノ Erika Colon さんの晴着姿も so beautiful であった。録音でもよいので聴けたらなあ。

* * *

ブログのデザインを変更。これまでは出来合いのテンプレートをそのまま使っていたのだけれど,もう少し自分の好みに合うように調整した。ちょっと和風に,シンプルにということで。でもまだまだいまいち。

今日は,Perl で misima SOAP クライアントを簡単に作成する方法について述べる。

misima 旧字・旧仮名遣い変換支援は Web 版を数多くの方に使っていただいている。しかし,misima SOAP Web Service を利用しているひとはほとんどいない。misima SOAP Web Service パッケージには,Emacs / Meadow 用,Microsoft Word 用,Jedit X 用,TeXShop 用,秀丸用のクライアント,Java API クラスライブラリが添付されている。これによって,まるで自分の PC で misima が動いているかのような使い方ができるのに。作者としては残念である。

SOAP といえば Java という印象があるけれども,一方,Perl の世界でも,SOAP 通信基盤モジュール SOAP::Lite が提供されており,CPAN (Comprehensive Perl Archive Network) から入手できる。これを使うと,いとも簡単に misima SOAP クライアントが書けてしまう。misima 変換オプションと対象文字列を二つのパラメータにセットし,SOAP サービスオブジェクトを生成し,パラメータを引数にして misimaConvert メソッドを実行すると,misima 変換結果が返却される。

#!/usr/bin/perl
use utf8;
use SOAP::Lite;
binmode STDOUT, ":utf8";
my $p1 = "-kyitq -s a -x fki"; # 旧字旧仮名TeX変換指定
my $p2 = "鴎外は団扇であおいだ。Я люблю вас. Ça, déjeunons!"; # 変換対象 text
my $uri = "http://yasuda.homeip.net/axis/services/misimaSoapConnector";
my $svc = SOAP::Lite->service("$uri?wsdl");
print $svc->misimaConvert($p1, $p2);

以上のような Perl コードを misimaconvert とでも名前を付けて格納する。コマンドラインでこれを実行すると「\CID{7646}外は團\CID{13883}であふいだ。YA lyublyu vas. \c Ca, d\'ejeunons!」(旧字・旧仮名遣い・多言語 TeX 変換)と出力される。

もちろん,これは核心部分だけのコードなので,実用的なプログラムには,パラメータの組立て,変換対象文字列の取得,結果の編集・加工など,その前段,後段が必要なのは言うまでもない。でも,misima の遠隔変換オペレーションはこれだけでできてしまうのである。SOAP はいかに簡単なのかということが分かると思う。misima サーバが Java で記述されているなんてことはまったく意識しないでよい。XML による標準化というものがいかに強力なのかが分かるというものである。

おそらく SOAP::Lite モジュールの組込みの方がよっぽど面倒だろう。MIME-Lite, MIME-Tools, XML-Parser, Compress-Zlib など,いくつかの前提モジュールを別途インストールしておく必要があるからである。FreeBSD ならば ports: net/p5-SOAP-Lite が用意されているので,cd /usr/ports/net/p5-SOAP-Lite && make install clean 一発でインストールできる。私の場合,前提 Perl モジュールの版が古かったためか,「.../Base64.so: Undefined symbol "Perl_Tstack_sp_ptr"」などのエラーが出て make が失敗するという問題があった。エラーになっているライブラリ(例では BASE64.so)の Perl モジュールを再インストール(make deinstall reinstall)すればうまくいった。

ユーザでもし独自に misima アクセスクライアントを作成し運用する場合は,私に連絡いただきたい。

古代教会スラヴ語 LaTeX パッケージ OldSlav 1.0 をリリースした。\today を教会スラヴ語で出力するオプション,命令をサポートした。これまで OldSlav は \today をロシア語で出力するものだった。これを教会スラヴ語様式で出すものである。これを機に,バージョン番号を一気に 1 とした。ダウンロードはここから。「OldSlav 利用の手引き」ドキュメントも改訂した。

Babel oldchurchslavonic 言語指定で利用する場合は,\languageattribute{oldchurchslavonic}{slavdate} をプリアンブルで指定すると,教会スラヴ語で出力する。Babel を用いず,oldslav.sty を利用する場合は,\usepackage[slavdate]{oldslav} と指定する。いずれの場合も,\slavdateon, \slavdateoff 命令によって出力様式を教会スラヴ語,ロシア語に切替えることができる。\slavtoday 命令を用いると,日本語環境でも教会スラヴ語 \today 出力が得られるようになっている。

例えば,次のような記述を行うと,その下に示すような出力が得られる。どれも「2009 年 2 月 7 日」の表示である。

\documentclass[a4j]{jsarticle}
\usepackage[oldchurchslavonic, nippon]{babel}
\begin{document}
\selectlanguage{oldchurchslavonic}
  \textlatin{1:} \today\par% russian (default)
  \slavdateon%
  \textlatin{2:} \today\par% old church slavonic (on)
  \slavdateoff%
  \textlatin{3:} \today\par% russian (off)
\selectlanguage{nippon}
  4: \today\par% japanese
  5: \slavtoday\par% russian (off)
  \slavdateon%
  6: \slavtoday\par% old church slavonic (on)
\end{document}

ex1.jpg

教会スラヴ語出力での月の名称の一覧は以下のとおり。日付で出力するため,各名称は生格形で掲げている。

ex2.jpg

これらの月名は,ふたつの資料を典拠とした。ひとつは Андрей Лебедев (アンドレイ・レーベヂェフ) 氏のサイト "Соборник двунадесяти месяцей --- Из церковно-славянского требника издания 1882 года." にある требник の写本画像。こういう貴重な写本画像を公開してくれる方がいるものである。

もうひとつは 1900 年に出版された Священник магистр Григорий Дьяченко (学士司祭グリゴーリイ・ヂヤチェンコ) 編・教会スラヴ語辞典全二巻 "Полный церковно-славянскій словарь въ 2-хъ томахъ." である。これは,モスクワ Терра -- книжный клуб 出版社が 1998 年に出版したリプリントである。 革命前の旧正書法で印刷されており,なかなか味わいがある。これを Ozon の古書で見つけたとき,私は小躍りしたものである。

oldchurchdic.jpg

※ 2010.1.20 付記
教会スラヴ語日付様式はその後仕様変更した。ドキュメントを参照:日本語版英語版

OldSlav 教会スラヴ語自作 LaTeX パッケージの \today 命令出力を教会スラヴ語に相応しい形式で出力する方法を考えていた。これまでは教会スラブ語固有の日付出力方法が思いつかず,ロシア語で出すようにしていたのである。

古代ルーシには固有の月名,というか一年における時期の区分があった訳だが,それで月日を出力するのも時代錯誤のような気がする。日本語 pLaTeX2e でも \today 命令は現在の日付を「2009 年 2 月 1 日」などと出力する。これを「二千九年如月朔日」なんて古典的名称で出力したら,偏向を帯びる。気取りが過ぎて気味が悪い。教会スラブ語でもやはり,その雰囲気を保ちつつ,ある程度の近代的な出力を目指すべきだろう。

いろいろ調べ,考えた末,ローマ暦に由来する月名称と教会スラブ語数値表現で行うことにした。月の名称は,19 世紀ロシア正教会で用いられた требник 聖事経 --- 儀式や祈禱奉事についてしるした正教会文献 --- を典拠として採用することにした。インターネットで 1882 年の写本を見つけたのである。これなら現代ロシア語との乖離も少なく,月名の意味もわかりやすい。以下に現代ロシア語とともに,教会スラブ語として採用した月名を示す。


- 1月 --- Январь --- І҄аннѹа'рїй
- 2月 --- Февраль --- Феѵрѹа'рїй
- 3月 --- Март --- Ма'ртъ
- 4月 --- Апрель --- А҄прi'лїй
- 5月 --- Май --- Ма'їй
- 6月 --- Июнь --- І҄ѹнїй
- 7月 --- Июль --- І҄ѹлїй
- 8月 --- Авгст --- А'ѵгстъ
- 9月 --- Сентябрь --- Септе'мбрїй
- 10月 --- Октябрь --- О҄ктѡ'брїй
- 11月 --- Ноябрь --- Ное'мбрїй
- 12月 --- Декабрь --- Деке'мбрїй

もちろん,ロシア語で月名を出力する現行仕様もオプションとして残すべきだと思う。時間が取れれば,この \today 出力改造をしようと思っている。

Emacs 用スラヴ語汎用インプットメソッド slavonic.el を更新した。アクセントの入力仕様を追加・修正した。ラテン文字系の鋭アクセント (U+0301) と重アクセント (U+0300) を入力できるようにした。

slavonic.el は Emacs の Leim-Quail アプリケーションである。Emacs 標準でもロシア語用,ウクライナ語用などのメソッドが用意されているけれども,これは自作の Emacs Lisp プログラムである。趣味というか,スラヴ研究を曲がりなりにもやった者として,標準品に対する己れの不満を解消したかったのである。その特長として,ロシア語,ウクライナ語,マケドニア語はもちろん,教会スラヴ語,古スラヴ語,旧ロシア語正書法文字など,Unicode Cyrillic で定義されている文字すべてを,これひとつで入力できる。 キリル文字のレイアウトは私の好みである яверты (フォネティック) 配列であり,ロシア語キーボード йцукен 配列に慣れた方はとまどうかも知れない。

最近の Emacs は,文字合成機能をサポートし,「親文字+アクセント」の入力で文字を合成して表示できるので,ロシア語などの教科書・辞書にあるような力点付きの文書入力ができるのである。下図のような感じ。教会スラヴ語・古スラヴ語文字が豆腐になっているのは Monaco フォントの問題である。Optima ないしは DejaVu フォントを選択すればきちんと表示される。

slavonic-input.jpg

slavonic-oldchar.jpg

slavonic-greek-im-0902.tar.gz としてリリースした。関心のある方は,ダウンロードサービスから落としてご利用ください。このアーカイブには古典ギリシア語用のインプットメソッドも同梱している。インストール方法はこちらを参照。Emacs 20 以降で使用できる。Mac OS X ネイティブ Emacs.app (Emacs-23) でも動作する。

友人から Facebook へのお誘いを受け,アカウント登録を行った。Facebook は米国の学生が作った SNS だそうである。SNS というと日本ではミクシィ Mixi が多くのひとの支持を得ているが,Facebook の進出で競争が激しくなっているのではないだろうか。

「友人」とだけ共有できる写真をアップロードしたりした。Facebook ではアルバム機能やイベント登録ができるようになっている。友人はロンドン在住のロシア人なので,書き込みはもっぱら英語。英辞郎が大いに役立っている。いま,ロシア語辞書もしこしこ作ろうかと考えている。

私の Web ページ,ブログも,口性ないこと,大人げない不用意なことをぽんぽん書いてしまい,一般的に顰蹙を買いかねないところもあり,この際,クローズドな Facebook に移行してしまおうかとも考えている。友人なら指摘してくれればすぐに訂正できる。

* * *

misima を訂正した。終止形が「う」で終わるワ行ウ音便活用動詞の旧仮名遣い変換に不正があった。「彷徨うて死ぬ」はこれでよいが,「彷徨うひと」は「彷徨ふひと」でなければならない。連用形の語尾のみ「う」にしなければならないのに,無条件に「う」にしてしまっていた。

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ISAO。システムエンジニア。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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