エロ・グロ・ナンセンス

先日,寝る直前に妻となぜか四方山話をする流れになった。妻は,少女のころ,父親の目を盗んで,彼の書斎でエロ週刊誌をよく盗み見た,というような話をした。そこに掲載されていた宇野鴻一郎や川上宗薫の官能小説を読んだらしい。少年のころの私など,エロ週刊誌については,エロ・グラビアにしか興味がなかったのと比べると,さすが文学少女だったわけである。妻の曰く「裏口入学で医大に行ったようなエロ医師が出て来て,看護婦を一列に並べパンツを脱がせて,片っ端から自分の肉棒で『お注射』をして行く,そんなナンセンスにただ笑ってしまった」。

ピンク映画も,エロ小説も,ゴマンと観たり読んだりして来た私が思うに,このナンセンスは意図的なものである。昔の — とくに 70 年代くらいの — ポルノには,このような「興奮するよりも,笑うしか反応のしようのない,いくら考えてもまったく意味の見出せない」エロ断片が必ずある。要するに解釈を拒絶するような nonsense の要素である。「高尚な芸術的エロス」を求める,教条主義に毒された小賢しい読者は,まず間違いなくこれで作品に「低俗」のレッテルを貼るはずである。思うに,こうしてポルノ作者は不純なエセ読者を遠ざけ,真の読者を招き入れるのである。

神代辰巳のポルノ作品にも,かかるホントくだらないシーンがいくつもあった。谷ナオミ主演『悶絶!!どんでん返し』(1977 年)に,裸の女 3 人が四つん這いに並んで,それぞれ伸縮ビニル笛(吹くと,巻いたビニル管が空気で伸びて,ピーと音を出す,あの子供のオモチャだ)を膣に差し込み,いきんでピープー鳴らせようとするシーンがあった。コンテクストに何の意味も齎さないただのおバカ。むしろ,意味を拒絶するようなニヒリズム。シュールでさえある。笑うしかないんである。通常の思考の限界に突き当たったとき人間は笑う,というあのベルクソン風の笑いにちょっと似ている。でも,こういう要素こそが,エロを無条件に肯定する日本の素晴らしい表現伝統だと,私なんかは思う。この神代ポルノのおバカシーンの趣向はじつはストリップショーの一演目「花電車」と同じである。性的興奮に諧謔を添える日本の凄い伝統だと私は思う。

江戸初期の草子に『きのふはけふの物語』というのがある。そこにこんな話がある。ある男が,自分の女房が間男を通わせているとの風聞を耳にして,そいつを取っ捕まえてぶち殺してやるとばかりに,外出する振りを装って間男を待ち伏せする。案の定,間男がやって来て,女房と事に及ぶ。それを男は覗き見している。女は間男に,アタシが心底好きならアタシのあそこを舐めてちょうだいと迫る。「よろしい」と間男。

そう言って男は,女房のまたぐらに顔をさし寄せたが,さてその臭いこと。とても舌で舐める気にはならず,鼻の先でちょいちょいといじって舐めたふりをしておいた。すると,女房はよく感触を分っているとみえて,
「今のは,鼻ぢゃ」
 と言う。水掛け論になって言い争っている。
 二階に隠れていた亭主は,節穴から覗き,よくよく観察していて叫んだ。
「おれはどっちのひいきでもないが,今のは鼻ぢゃ」
林望『古典文学の秘密』光文社,2010 年,pp. 130-1。

ここでは「浮気の証拠を突き止めてコロース」という「ストーリー」があったはずが,いつの間にか,あらゆる焦点が女のあそこを舌で舐めたか鼻でいじっただけかのナンセンスに収斂している。このエロのシュールさはまったく見事というほかない。この無意味さこそ,意味以上の一撃を喰らわしてくれるということが,この江戸の仮名草子でよくわかる。日本人のエロは筋金が入っていて,凄いんである。

妻の四方山話に,もうひとつ,『岩手艶笑潭』という本を父の書斎で読んだというのもあった。体で文字を表してみよというお題があった。赤子を抱いた女はすかさず,「『好く』という文字でございます」とやった。続いて,ある女が片足を真っ直ぐ水平にさし伸ばして言うには,「『可』という文字でございます」。いかなる解釈も超越した,意味のないエロの哄笑。

こんな感じ — 漢字で — で,深夜に腹を捩って大笑いして,私はその夜,なかなか寝付けなかった。
 

Post Scriptum.

こうして少女時代の妻は思春期のスケベ心で父の書斎に忍び込んだわけだけど,少年のころの私はというと妻とは違って,盗み見たというよりも,父が堂々と週刊誌のヌード・グラビアを広げて「えらい綺麗やなー」とまじまじと見蕩れているのを,横で一緒に眺めていた,そういう記憶のほうが鮮明である。父は「こんな別嬪と一発やってみたいなー」などと平気で口にしたものである。どうも父は子供の私には意味が通じないと思っていたらしい。

私の父は,中卒で大阪に働きに出て,大いに苦労した田舎者で,まったく衒いがなかった。おまけに彼は一種独特の女評目線を持っていた。どこにでもいそうな無個性な美人(それでも,自分で自分が美人だとわかっているよくいるタイプ)を認めると,「ダイエーのマネキンみたいな別嬪やなー」と巧みな形容をした。「ダイエーの」という表現が,その安っぽさを強烈に突いていた。

私もこういうつまらないところだけは父を受け継いだようである。
 

わが国の大らかなエロを,この本でぜひお楽しみください。本書はことさら目新しい作品を掘り起こしたわけではないけれども,やさしいエロチック古典案内としてお勧めである。これで私は,中国唐代の張文成による色好み小説『遊仙窟』や,上に引いた江戸初期の仮名草子『きのふけふの物語』,江戸の春本『色ひいな形』など,興味深い作品の存在を知るところとなった。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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Written by isao at 2010年8月 5日 22:35.

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