阪神,首位ふたたび・張文成『遊仙窟』

今日は岩波文庫『遊仙窟』を読みながら,野球観戦。高校野球を観,夕方になってソフトバンク VS オリックスのナイトゲームを観,とまあ,家族が不在なのをよいことにテレビの前に座りっぱなしであった。そして思い出したように時おり便所に行き,そこで煙草を吸いながら『遊仙窟』を 10 ページくらい読む。その果てしない繰返し。ウラで行われていた広島 VS 阪神戦もネット速報をチェックするという堕落ぶり。

ここのところ連敗中だった阪神は広島に打ち勝った。最近だらしがない讀賣のおかげで,ふたたび首位に返り咲いた。やったー。でも,こんな不安定な投手陣じゃ,たぶん今年もダメである。今週末,好調ヤクルトにボコされて,やはりあっという間に転げ落ちる予感がする。おまけにいわゆる「死のロード」でビジターとしての連戦・移動が続くので,疲労困憊の挙句,首位転落どころではなく,中日にひっくり返されてしまうことも大いにありそうである。私の今年の予想はやっぱり 4 位。ま,一日天下でもいいじゃないか。
 

* * *

さて,張文成による中国唐代の伝奇小説『遊仙窟』。あるお役人「私」が,都から遠く離れた新たな赴任先に赴く途中,神仙の住居に招き入れられ,妖艶な女仙・崔十娘(崔家の十番目の令嬢)とその嫂から豪華な食事,管絃,舞踊でもてなされ,詩文の遣り取りをし,ついに十娘と二人でお熱い一夜を過ごして別れる。そういう一人称形式の物語である。

本国・中国では散逸してしまったが,日本では奈良時代に遣唐使によって伝えられ,その後知識層で広く読まれ,『万葉集』から『源氏物語』,西鶴,仮名垣魯文に至るまで,日本文学に大いなる影響を連綿と与え続けたという来歴がある。空海などの坊主がこんなエロ文芸本を大切に持ち帰ったなんてことを知ると,楽しくなって来る。中国では,20 世紀になってようやく魯迅が再評価し,日本の写本を元に逆輸入して,刊行したんだそうである。

本作品は,典故を踏んだ難解な表現に充ちた四六騈儷文で書かれている。そんな絢爛・豪華な文体の元で,下品なまでのエロティックな比喩表現がふんだんに出て来るという,奇書ともいってよい古典である。エロティックな作品であるとはいっても,現代の官能小説の臆面もない描写とはもちろん一線を画している。「その」シーンの記述は以下のようなものである。

あでやかな顔が眼一杯になり,かぐわしい匂いが鼻を裂くばかり,心はうわの空で制する人もなく,愛情がこみあげてとめどがなかった。赤い褌(したぎ)に手をさしいれ,翠の被に脚をまじえた。二つの唇を口にあてて,片臂(うで)で頭をささえ,乳房のところをつかみ,内腿のあたりを撫でさすった。口を吸うたびに快感がはしり,抱きしめるたびにうれしさがこみあげた。鼻がつんと痺れ,胸がつまった。しばらくして,眼がちらつき,耳がほてり,血管がふくらみ,筋がゆるんだ。こうしてはじめて,逢いがたさ,めずらしさを感じ,かたじけなさ,もったいなさを知った。わずかの間に,数回もあい接したのである。
張文成『遊仙窟』今村与志雄訳,岩波書店,1990 年,90 ページ。

「わずかの間に,数回もあい接した」男女の交わりの直接的な描写は,唯一この部分だけである。克明ではあるが,いやらしさはそれほどでもない(2010.10.13 付記:こっちのほうも読んでもらえますか?)。しかし,本作品は主人公たちの交わす詩文にこそ,「おいおい」と思うばかりの猥褻がある。小刀と鞘,筆と硯,矢と的など,眼につくものを詩に詠む。これらは,言うまでもなく,男根と女陰の隠喩であって,こうした詩の遣り取りは,二人で床に就くまでの主人公の心情 — 「私」は十娘と寝たい,十娘もそれを受け容れたい — を少しずつ高めて行く変奏のようなものである。恋愛を詩で高めることこそ真の趣味人の好色。小刀と鞘の詩だけを引用しておく。

そこで,わたしは,小刀を歌に詠んだ。
 
  自憐謬漆重   塗りかためし固き縁のいとしさに
  相思意不窮   恋いしたう心の緒(いと)は絶えぬなり
  可惜尖頭物   あたら,さきのとがりし得手物こそ
  終日在皮中   ひねもす皮をかむりしままなれ
 
すると,十娘が,鞘を歌った。
 
  數捺皮應緩   おしつけるほど皮ゆるみ
  頻磨快轉多   とぐほどにすべりよく
  渠今拔出後   そをいま抜いてしまいし空の鞘
  空鞘欲如何   あとはいかになりぬらん
同書,56 ページ。

「おしつけるほどに皮ゆるみ」,「とぐほどにすべりよく」なんて,下品なまでに猥褻である。これらが古典からの引用に富んだ文人趣味の高踏的文体で語られるのだから,凄い。妖艶な女と旨い料理を食い,霊妙な音楽を聴き,詩歌を吟じ,寝る。夢のような話とはこのことである。作品のなかで克明に語られる料理の品々はその名自体が神妙であって,いったいどんな食い物なんだろうかと想像を遠く翔らせてくれる。「さすが中国」と思わせるばかりである。

中国には焚書坑儒の伝統がある。もっぱら思想書が対象であったが,エロ読物も禁書のひとつとされたようである。『遊仙窟』が中国では失われたのはそのあたりの事情があるのかも知れない。そういうことを鑑みると,わが国の大らかなエロの伝統と蓄積は中国を裕に凌駕しているわけですね。
 

本書は,作品の訳文そのものは高々 100 ページしかないのだが,引用・典故の解説,語釈などの注解が 100 ページ,さらに原典印影が 100 ページと,学術的付録が極めて充実している。さすが岩波文庫である。また,訳者による作品解説は,本作品の好色な性質についてはひとことも触れず,文学史的価値の来歴に徹している。さすが岩波文庫である。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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Written by isao at 2010年8月12日 22:39.

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