2010年9月Archives

伊勢功治詩・柳智之画による『天空の結晶』という詩画集(思潮社,2010 年)。仕事の縁で妻が著者から直接いただいたものである。面白そうなので,私も借りて読んだ。詩人・野村喜和夫による短評が,セルロイドの透明カバーに印字されてある。

シンプルなモノトーンのペン画と現代詩 19 編からなる。今風にいえばコラボレーションというのか。テクストを辿って面白く,眺めて楽しい。読書というよりも画集を眺めるような体験。詩集にはもともとこのような工芸的要素がある。

詩は,「六角形の螺旋階段」,「八十歳の洋館」,「十両編成の寝台車」,「九十六色の色鉛筆」といった数の形象に特徴がある。このテクストにあっては,「五月」という言葉もこの流れで組み立て直された印影を帯びている。私の感覚からすると,北川冬彦,安西冬衛などの昭和初期のモダニストが医学,化学,物理学などの世界から「三半規管」,「磁性体」などといった言葉を詩語にはじめて取り込んだときの新鮮味を,いままたふたたび味わったような面白さがある。そんな少し古風なモダニズム,そう,雪の結晶に静かな抽象美を感じるような趣きがある。モダニズムといっても,吉岡実のような触ると切れそうな危ない頽廃,前衛性,難解さはなく,明るく,清潔な透明感が漂っている。

私が好きな詩『冬のエフェメラル』を引用しておく。春に慎ましく咲く花の冬ごもりの果ての想像なのか。エフェメラルという植物名を巡ってラテン中世と大雪山系の北方イメージとを取り合わせたところがよい。

冬のはかなきものに誘われ雪の館に入る
六角形の螺旋階段を昇り
氷の回廊をめぐると
天女ケ原の舞姫が投げた
天からの手紙が舞い降りた
描かれていたのは
ウプサラの大僧正オラウス・マグヌスの
雪華のスケッチ
樹枝状六花の白い結晶
『冬のエフェメラル』 — 伊勢功治詩・柳智之画『天空の結晶』 思潮社,2010 年

伊勢功治さんは『写真の孤独』という写真批評の本も,最近,この詩画集とほぼ同時に出版なさった。読んだ妻の話だとこちらも面白いという。いつも読んでいる本とはちょっと毛色が違うので,私もぜひ。
 

天空の結晶
伊勢功治:詩
柳智之:画
思潮社

20100928tenkuu.png

中国漁船問題その2

中国漁船問題では,私は当初から「国内法に基づいて粛々と処置すべき」と考えていた。日本の検察は「粛々と法に基づいて」処分保留とし,被疑者を釈放した。思ったとおりの行動に出てくれた。エラい。菅さんも,前原さんも,仙谷さんも,官僚作成の国家予算と同様に,これを追認。信頼できる官僚をもったアンタはエラい。「屈辱」を無にできるこの人たちの人間性はショーサンに値する。支持率がさらにアップしてアップアップ。

中国で拘束された日本人 4 名も,中国国内法に則って粛々と裁かれるそうである。人のいい菅さんは中国が処分保留をするものと期待しているようである。それなら,前原さん,仙谷さん,那覇検事・鈴木さんといっしょに,代わってあげたら? 中国漁船長と同じように英雄になれますよ。
 

* * *

海上保安庁は,証拠ビデオまで撮影した上で拘束のリスクを犯したのに,いまや実質的に「余計なことしやがって」モードに晒されている。国境警備に命をかけている彼らは,もう菅,前原(事件発生時の国交相)の言うことを二度と聞くものかと怒り心頭に違いない。検察の「日中関係を考慮した」お役所らしいトロい動きのおかげでタイミングを失したいま,証拠ビデオは中国に対しての意義を失ったかも知れない。「こんな映像は CG で簡単に作れる。これは日本の浅はかな謀略的捏造。だってもしこれが本物ならすぐさま起訴したはずではないか。われわれ中国の主張が正しいことを日本の検察が証明してくれたのである」と開き直られてしまう。
〔※ 10.3 付記:少し考えると,中国は「開き直」ったりしないことがわかる。だって自分の領海だと主張しているのだから,「一般国民」漁船が「不当な」日本の巡視船に体当たりするのは「英雄」的行為ですらあるわけである。〕

国会でこの問題が 30 日審議されるという。ここで内閣は批判にさらされ,法審議では何も決まらず,国会が空転してくれると面白いんだけど。しばらくこの問題でマスコミが得意の「説明責任」を振りかざしていつものように大騒ぎしてくれるとさらに面白い。Yahoo! コメンターたち(仕事がなくて暇を持て余す「ネット右翼」たち)が菅内閣を「売国奴」,「中国政府の密通者」と罵倒する様も見物である。海保のビデオが公開されたら,中国は無視ないし開き直りを徹底するだろうが,日本では内閣が窮地に陥れられる。なぜなら「これだけの明白な証拠があるのに何故」が噴出し,とんでもない「後の祭り」を演出してくれるからである。おまけに物的証拠の塊である漁船を愚かにも中国に返しちゃたと来ている。仙谷さんが公開を渋った理由もここにあると思う。

これで内閣が倒れたら,中国のちょっとした圧力で日本の政権がガタガタになることが証明されることになる。いま私は菅政権の余命について会社の友人たちと賭けでもしようかと思っているところである。私にとっていまの日本の政治は動物園である。政権与党檻,野党檻,官僚檻,マスコミ檻,ネット右翼檻を見て回るのである。バナナを投げたらこっち来るかな,なんである。プロ野球も終わることだし,この秋の楽しみがひとつ増えました。

butubutubutubutu

先日の朝日新聞にこんな川柳が掲載されていた。長生きはともに行方の知れぬまで。

死後もまだ生きているものとして扱われ,何年も遺族が年金を受け取っていた,という例が報道されていた。こういう遺産の遺し方もあるんだと感心。そっちかよ。

死して土に返る,というが,この国では,戸籍に埋もれるようである。

* * *

武富士,会社更生法申請とのこと。過払いの返金がとてつもない額になり傾いたらしい。社長が盗聴でとっつかまってから,とんと評判を落としてしまった。そのうち倒産か。そうなった場合,過払い金が戻って来るはずだった人は取りっぱぐれるのだろうか。なら,ヤクザにでも頼んでいまのうちに取り立てたらどうか,利息年率 20% でどうじゃ?(呑気なジョークですよ,真に受けないでください)一方,借金が返済できない人は踏み倒しできるのだろうか。

* * *

俺にはどうでもよい。

唐代伝奇

明治書院から刊行されているシリーズ新書漢文体系のなかの一冊『唐代伝奇』を読んだ。読み下し文と解釈,総合解説からなる編集はとても読みやすく,わかりやすい。このところ日中関係がギクシャクしているのではあるが,そんなの関係ねーとばかりに私はいま中国の古典小説に夢中である。

本書は数ある唐代の小説のなかから古来日本人にとりわけ親しまれている伝奇小説を精選したものである。芥川龍之介の『杜子春』(『杜子春伝』), 中島敦の『山月記』(『人虎伝』)の原作も収録されている。翻案作品はその原作と読み比べると近代的知性の特性が明らかになるだけでなく,原作独自の魅力をも発見できて面白い。『杜子春伝』では,それが夢幻だとわかっていながら,目の前で愛する人が虐げられる光景を見せられて,道士との約束を破って主人公は声を出してしまう。芥川の短篇ではこの弱さこそが尊い人間性であるという感銘を催すように書かれている。一方,原作では,夢幻だと諭されそれを受入れた以上は,その態度を貫徹できるかどうかが問われていて,ほかならぬそういう非情な思想的境地に物語の興味が置かれている。主旨がまったく反転しているのだが,どちらにも人間の真実がある。どちらがより人間の真理を描いているかは読む人次第だろう。私は,原作との対比でもってはじめて顕在化する芥川作品の緊張感に打たれつつ,原作の感傷のまるでないところにも惹かれた。

中国の小説は — どこの国の散文読物もそうだろうけれども — 説話,語伝えの再話というあり方に原点がある。文学的進化の過程で,唐代の小説は創作性・表現性に目覚めた芸術的志向が強くなったことが特色だともいわれている。現代の推理小説では当たり前になった暗号モチーフまで登場する作品さえある。『謝小娥伝』では,親兄弟を盗賊に殺された女主人公・小娥が父・兄の亡霊から聞いた言葉の意味を探り続け,語り手である「私」がその言葉の暗号を解読して犯人を明らかにし,小娥が復讐を果たす。

『李章武伝』は,男が死んだ恋人の亡霊と情を交わすという中国伝奇小説らしいモチーフをもつ作品である。私の酷愛する伝奇のパターンである。

昔見しと異ならず,但挙止浮急,音調軽清なるのみ。章武牀を下り,迎擁して手を携え,款すること平生の歓の如し。[ ... ] 章武倍倍与に狎暱するに,亦他異無し〔解釈:昔と変わらぬ様子で,ただ動作がふわふわとしていて,声が軽く清らかなだけであった。章武はベッドを下りて,抱きとめ,手をとって,握りしめたが,その楽しさは昔と同じであった。[ ... ] 章武はますますうちとけて契り合ったが,別に変わった様子はなかった〕
『唐代伝奇』新書漢文大系 10,明治書院 ,2002 年,pp. 62-3。

訳文はどうも色気がないが,その意を汲んだ上で漢文の読み下し文を読むと,なんとも艶っぽくてシビレてしまう。
 

唐代伝奇 (新書漢文大系)
内田泉之助,乾一夫(著)波出石実(編)
明治書院

中国漁船問題=最悪の筋道

今朝の朝日新聞朝刊一面に『中国人船長 釈放へ』が報じられた。「地検『日中関係 考慮』/政府は政治介入否定」だそうである。菅政権は,これで最悪の道筋をつけてしまったことを理解しているのだろうか。

仙谷官房長官も,前原外相も,「これは検察の判断であり,法的に悖ることはないのだからよしとする」というような発言をしている。検察はこの決定をするに当たって事前に首相官邸に報告しているのだから,菅首相もこれをよしとしたことになる。領土を巡る外交問題という国家主権にかかわる重大事案について,政権が関与していないということを,公言して憚らないこの人たちの「政治主導」とはいったいなんなのか? 日本は外交問題を検察の,しかも地検の判断に委ねている,これが「政治主導」なのだろうか? 検察ごときがなんで「日中関係 考慮」などという大それた越権行為をしゃあしゃあとできるのか? 要は,誰がみても日本国は政治的にノーコントロールであるということなのである。

もし政権判断に基づく超法規的手段として明快に「譲歩」したというならまだよかった。主体的だからである。この場合,スパイ容疑邦人解放,貿易正常化などの交換条件が提示でき,中国側の幕引きも期待できるからである。もちろん「弱腰」の批判は免れないが「実を取る」という意味では若干なりともよいことがある。ところが「検察が勝手にやった」となると何の政治的メッセージもアピールせず,中国のみならず諸外国に「政治的無制御状態」を印象づけるだけで,混乱の収拾に寄与せず,何もよいことが起こらないだろう。政治家と官僚との馴れ合いが,国民に反中世論を煽り,外交的敗北感を残すだけで,なんの国益ももたらしそうもない。しかも,中国の怒りを鎮めるに逆効果である。「最悪の筋道」という所以である。

やっかいな問題がやっとこれで終わると菅内閣が思っているとすれば,それは大間違いではないだろうか。「意思のない」日本政府に対し,中国政府は次に間違いなく「謝罪」を要求して来る。「ぼくが馬鹿でした」と世界に向かって認めなさいと。「譲歩」なら大人の付き合いができる。しかし相手が「何も考えていない」ことがわかると,さらに地獄に繋がる穴を掘ってやりたくなる。中国は原理・原則に徹底的に忠実な政治大国なのだ。

巡視船の視察というスタンドプレイをやり「粛々と対応する」などと強がりを言って,中国をいらだたせただけの行動を取りながら,結果的に検察に判断を委ねて既成事実に溺れ,政治判断を放棄したことに対し,前原外相は「言ったことを実行しなかった」責任を取るべきである。この根拠のない権力幻想に立脚した強がりが彼,ひいては菅内閣の滑稽さなのだ。これではっきりした。この前原の行動に象徴的に現れた「できもしないことをやると堂々と公言しながら,できなかったら他人(役人)のせいにする」菅政権。こんな無責任な菅内閣は,「政治主導」政権でもなんでもなく,やはり「事勿れ主義の不作為」政権,ただのクリーンな人気取り政権,責任回避政権,ノーコントロール政権である。そして,日本国の外交問題すら自分で決めることができるなどという大それた検察官僚。佐藤優の「お勉強ができただけの官僚は自分が国家の主人だと勘違いしている」という主張にも,不本意ながら(私はこの優れたジャーナリストの「美しい日本」風国家主義がどうしても好きになれないので),納得させられてしまった。「地検の判断」を強調する菅さんは「ぼくは馬鹿です」と公言しているのと同じだということが何故わからないのだろうか。おまけに官僚の判断を是認したことで,「政治主導」の化けの皮が剥がれてしまった。中国の次のアクションにどう「反応」(意思がないから「反応」)するんでしょうかねぇ?

何も考えずに中国人を逮捕し,何も考えずに「法に基づいて裁く」と公言し,何も考えずに「検察が決めたことだからしようがない」と既成事実化し,最後は「何も考えていませんでした,海上保安庁が勝手なことをしました,ごめんなさい,今後政治家の言うことをもっと聞くよう役所を指導します」で終わるのか。既成事実の前に責任逃れをする無意思の国家権力なぞ,さっさと自滅してしまえばよい。小沢なら「汚い」手でも小禍のうちに打っていたかも知れないのが悔やまれる。この喜劇の終幕をみるまでもなく,現時点で菅総理は,その言葉の本当の意味において,「世界の笑い者」になってしまいましたね。企業に働く者としては,今後は日本人が中国で危険にさらされるということよりもむしろ,子供のような見通しのなさで笑い者にされることを,私は心配しはじめている。国民は,菅や仙谷や前原のようなエリートではないが,バカでもない。今回の菅内閣(とても「日本政府」と括れないのがお笑いなのだ)の失態は菅政権の致命傷になると私は思う。

昨夜,日本を代表するメーカー M 社顧客に納めたシステムがダウンし,子分に復旧処置をさせた。今朝はその対策会議を実施した。取得した情報からは何もわからない。再発の可能性大。処理の重いシステムトレースを本番運用に入れ込むのにも抵抗があり,次に再現したときはメモリ・ダンプを取得するよう顧客にお願いするくらいしか手だてがなかった。M 社情報システム部長 T 氏の瞋恚の形相が目に浮かぶ。憂鬱。ユーウツ。U-utu...

最近,会社から帰宅の際は,健康のため赤坂溜池山王から新橋まで歩くことにしている。17, 8 分のウォーキングだが,これで一日 8,000 歩くらいは積み上がる。新橋三丁目交番前で信号待ちしていたら,「おい,小池!」と叫んで警官が追って来た。「え? 俺か? 銀座で顧客にホステスを抱かせて豪遊したり,タクシー券を無闇に振る舞った記憶はあるが,人を殺した覚えはないぞ。フロッピーディスクの改竄もしてねぇ」と思いながら,我知らず逃走しはじめていた。

烏森神社の入り口にある薄汚い立呑屋に逃げ込んだ。「どうぞ」という声に目を向けると,なんとコユキがハイボールを差し出してくれた。そしてそっとこう耳打ちした:「隣のニュー新橋ビルの宝くじ売り場に『余裕のユウちゃん』がいます。彼女に相談してみてはいかがですか」。

宝くじ売り場にはたしかにヤマダユウがいた。勇気を振り絞る。「あの,警察に追われています。コユキさんがあなたのことを教えてくれたんですが...」としどろもどろに言うと,「アタシはお金を貸すだけ」と「余裕のユウちゃん」はけんもほろろ。しようがなく,スタスタ新橋駅舎に入った。

まっすぐ帰宅するとヤバいかもと考え,通勤経路の横須賀線ではなく東海道線に乗り込んだ。川崎駅で下車して,LAZONA 川崎にある丸善に入った。中公新書の新刊を適当に漁る。左方向 2 メートルくらいの場所で,老いた母親が車椅子の娘に芸能雑誌を開いて見せている。娘さんは人気グループ『嵐』のマツジュンのグラビアを幸せそうに視ていた。こっちまで幸せな気分になって,私は中公新書の書架に目を移す。ふと『マタグラのマリア』に目が止まる。マタグラ? マグダラじゃないのか? と,そのとき,ねっとりとした液体が目の前を真っ赤にした。首筋に生温かい飛沫を感じ,振り返ると,刮目した若い女が岩波文庫の書架に凭れて座り込んでいた。斬り裂かれた頸動脈から血液を迸らせ,絶命していた。平積みの文庫本の上には血糊も鮮やかな檸檬がひとつ。その傍らに上品な身なりをした醜い中年の女が刃物を持って呆然と佇んでいた。岩波文庫は赤帯以外の本も動脈血の鮮紅色に染まっていた。返り血に汚れた中年女と目が合った。世界に静寂が訪れた。「ハ」と叫んで女は逃げ去った。場は騒然。

わけもわからぬうちに帰宅していた。私は血塗れになっていた。「どうしたの?」と妻。「『おい,小池!』と間違えられて,処女と一発やったら,バージン・ブラッドをシコタマ浴びちゃった ... コ,コユキのハイボールはサントリー角瓶じゃなく,トリスだった。『余裕のユウちゃん』から金は借りちゃいねぇ。丸善の檸檬を処女のあそこに突っ込んだりなんかしてねぇ」と我知らず言いわけを私ははじめていた。妻の瞋恚の形相。と,彼女はコンピュータ画像処理のモーフィングのように見る見る若返り,無言のまま台所から出刃包丁を持って玄関に舞い戻って来た。
 

* * *

今朝,目が覚めると寒かった。私は少し風邪を引いてしまったようだ。色付の夢を見た。へんにリアルだったな。『荘子』に曰く「其の夢みるに方りては,其の夢なることを知らず,夢の中に又た其の夢を占い,覚めて後に其の夢なることを知る。且つ大覚ありて,而る後に此れ其の大夢なるを知る」(『荘子』内篇・斉物論篇・第二,岩波文庫,p. 81)。

ぼっとしたまま会社に出た。昨夜,日本を代表するメーカー M 社顧客に納めたシステムがダウンし,子分に復旧処置をさせた。今朝はその対策会議を実施することになっていた。
 

まんまるいおつきさま

残暑が厳しい。けれども夕方,風が吹けば涼感が漂うようになった。会社の帰り,溜池交差点で信号待ちしていたら,三つ四つくらいの女の子が母親に手を引かれて私の横にいた。今宵の満月に目を留めて,「今日もいたんだ,おつきさま!」と叫んだ。ああ,ほんとだ。まんまるいきょうもいたんだおつきさま。今夜は月齢 14.7 の望月なり。
 

* * *

特許庁の贈収賄事件の余波で,うちの会社もいま,公務員との付き合い方の基本を再度徹底するため,自己監査やら社内教育やらが軒並み行われている。結構きつい。

今般,遵法精神は必要欠くべからざるものと思料する。(お役人文体で)
 

* * *

もうひとつ,「専ら派遣」禁止が強化される法案が年末あたりに国会で可決されそうだというので,子会社から継続して派遣技術者を雇い入れている私の会社のようなメーカー IT 部門はいま,資材取引方法(メーカーにとって外注要員は「人間性」ではなく「労働力」こそが目的であって,当然ながら「モノ」と同じく「資材」扱いである。マルクスの言う「疎外」の臭いぷんぷんなのだ)の見直しに大騒ぎである。

「年越し派遣村」の話題等にみられるように,派遣社員の酷い扱いが問題になり,民主党政権は,企業の正社員採用を促す目的で派遣法・労働者派遣法の改正にも力を入れている。でも,製造業が派遣社員を使わなければならない背景を踏まえないと,企業体力を奪うだけではないか。企業の論理は遵法精神である。経営にそぐわない法律のある国を嫌って他国に拠点を移すのに抵抗が少なくなっている。海外調達・生産拠点移転が加速され,本当に日本の産業空洞化が起こり,その結果逆に雇用が破綻し,「派遣社員のころのほうがまだよかった」不満を招くのではなかろうか。少なくともうちの会社は日本国内需要に見切りを付けはじめている。人口減少に転じた日本はいまや沈み行く国のひとつである。海外に出ることを嫌う者は採用されない。私もこれが正しい選択だと思っている。
 

* * *

帰宅して Yahoo! スポーツ・ニュースをみたら,阪神が中日に連敗を喫したらしい。しかもいずれもまったく打てず完封負け,しかも今夜は打てない上にここ一番の痛恨エラーでサヨナラ負け。大事な試合で阪神らしい負け方。笑ってしまう。そうそう,それでよい。これでこそわがタイガース。

思ったとおり,投手力に秀でた中日には,阪神打線もまったく歯が立たないわけである。落合監督は「野球は投手。攻撃は三番,四番,五番。これがすべて」と語っている。こういうのをポリシーというのである。野球は,いくら「強力」な打線でも,よくて三割しか安打が出ないというのだから,そもそも投手有利にできている。配球に工夫のない,制球の悪いダメ投手ならまだしも,ちょっとまともな投手(そう「ちょっと」)が出て来たら投手戦になる。

これで阪神が優勝できたら凄い。真弓監督じゃ無理なのは重々承知しているんだけど(ポリシーのなさ,工夫のなさ,戦術の単調さ),それでもやっぱり,まだ終わっていないんじゃ。マグレを期待してもバチ当たりにはならない。

文化祭

娘の高校の文化祭に行って来た。先週土曜日の文化祭,今日の体育祭。卒業生と思しき若者やら,制服を着た中学生なども来ていて,なかなかの賑わいだった。

文化祭では中庭で女生徒が AKB48 の曲に合わせて踊っていた。男子生徒のなかにはヲタ踊りで盛り上げる者もいた。やんやの喝采。子供たちは皆 AKB が好きなんだと改めて思い知る。

合唱部のコンサートも観た。会場の視聴覚室は満員で,観客の年齢層も広く,大盛況だった。コンクールの課題曲 "O Magnum Mysterium",この合唱部の定番であるヒットナンバー "Shut it down" のほか,サザンオールスターズのヒット曲を卒業生が混声合唱向けに編曲した演目まであり,めっぽう暑苦しいなかにあって,楽しめた。娘はバレーボール部の催しに掛りっきりで,こちらにも,クラスで開いた模擬店にも顔を見せなかった。
 

201009_tamakosai_1.png

201009_tamakosai_2.png

201009_tamakosai_3.png

体育祭参観は午前中だけに留め,JR 南武線鹿島田駅すぐにあるインドカリー専門店『ニルヴァーナ』でランチ。ニルヴァーナ — 涅槃。店内は曼荼羅などインド仏教美術の装飾。インド人二人に迎えられた。750 円でチキン・カリー,サラダとナン。あとグラスビールを注文。食べ放題のナンは,油が薄くのって,焦げの香ばしい絶品だった。いたく満足。「涅槃っていえば,沖雅也を思い出しちゃう」と妻。「なんで?」—「『涅槃で待っている』って遺書にあったでしょ?」。沖雅也は人気二枚目俳優だった。同性愛に悩んでこの言葉を遺して自殺した。私もようやく思い出した。ドラエモンがポケットから道具を取り出して来るような妻の芸能ネタに,不謹慎ながら,笑わずにおれなかった。

20100919_curry.png

中国怪奇小説集

岡本綺堂『中国怪奇小説集』をプロ野球観戦の合間に読み終えた。本書の題は昭和 10 年初版として出たときには『支那怪奇小説集』というものだったが,この光文社文庫版では改められている。中国を「支那」と称することについては,中国からのクレームもあり,忌避されるようになって久しい。

中国文学の伝統は,「漢文・唐詩・宋詞・元曲」という言葉にみられるとおり,ジャンル的偏愛があるといえる。けれども,いわゆる白話小説のような娯楽文学もまた二千年以上の劫を経るなかで書き継がれていたわけで,たいへんな楽しみをもたらしてくれる。白面細腰の中国美女の亡霊に苛まれ,蜈蚣が体を這い廻り,蟒蛇に呑込まれ,羅刹鳥に目を抉られる怪異潭は,そのなかの主流といってもよい。現中国政府は,史的唯物論に則り,宗教を精神のアヘンと断じ,神や霊の存在を認めていないが,中国人は昔から,理性的には霊的なるものを遠ざけながらも,怪奇妖怪潭が好きである。『論語』に「鬼神を敬してこれを遠ざく,知と謂うべし」(『論語』雍也第六,金谷治訳注,岩波文庫版,1999 年,p. 118)とあり,理性的には超越的存在に対して距離をおくことの大切さが教えられており,これはつまり,知は鬼神を遠ざけるべきとはいっても,これに接近し凝視しようとする人間感情を否定するものではない。

『中国怪奇小説集』は,青蛙堂(せいあどう)に会した客人たちが各々,六朝から清朝にかけての長い時代のうちに出た数々の小説集 — 『捜神記』(六朝),『酉陽雑俎』(唐),『剪燈新話』(明),『子不語』(清)などの有名な小説集 — から怪異潭を選んで物語るというものである。

いくつか,私が読んで面白かった物語をあげておく。『無鬼論』は,鬼(幽霊)が鬼の存在についてリアリストと論争して論破されるという諧謔が効いている。『武陵桃林』は,桃の花に溢れた山の洞窟(膣の象徴であろう)の向こうにユートピアが広がっていたという物語。性愛は時代の峻厳さを超越するという寓意か! 『悪少年』は,鬼が現世の悪ガキを誅殺する物語。「鬼界の三年は,人間の三日」と,鬼と人間の時間概念の相違をついたところに面白みがあった。戦の籠城飢餓のなか主の武将に殺され部下の食肉に供せられた女が,武将の子孫十三代を付け狙ったのちにその復讐を遂げたという物語『張巡の妾』は,簡潔ながらその伝奇性は壮大であり,誰かこの翻案小説を書いていないか興味深かった。『鬼国』は,人間が鬼の国に入りこんだところ,鬼からは彼の姿がみえず逆に亡霊扱いされるという,近代的な逆転発想が垣間見える奇談である。窓からぬっと扇のような手が出たという『窓から手』,月夜の夜陰,壁際に人の耳,鼻が堆く積まれていたという『剣侠』など,現代ホラーのようなぞっとする怪奇物語もあった。

私の趣味としては『牡丹燈記』(明代の『剪燈新話』所収)が収録作品のなかでもっとも好きである。周知のとおり,これは三遊亭円朝の落語などで有名な『牡丹燈籠』の原作である。私は幼い頃これを大映映画で観て,あんな綺麗な幽霊にならば取り憑かれて死すとも本懐であろうと,子供心にも思ったものである。これは,いまになって思うに,性的抑圧を受ける若者(本当はしたくてしようがないのに倫理,信条,生活条件等の足枷ゆえにセックスから疎外された若者)の,性と死とのロマンティックな結合の幻想だろう。こうした現世の若者と異界の美しい妖女とのエロティックな恋愛潭は,『雨月物語』の『蛇性の淫』にも同じようなモチーフがあり,日本人の好きな物語類型のようである。日本の『牡丹燈籠』では,ファムファタールはやはり吉原の遊女に変換されている。中国オリジナルの『牡丹燈記』には,男,女,下女の亡霊が人をかどわかした罪で鞭打ち刑にさらされる後日潭があって,ちょっとその散文的情景にゲンナリしてしまった。しかしながら,こうしたファムファタールはアメリカなんかの文学作品ではまずお目にかかれないであろうと考えるにつけても,中国と日本のファンタジーに惚れ直してしまったのである。
 

組閣・巨人戦

お休みの今日,昼からプロ野球を観た。NHK BS 阪神 VS 巨人戦。中国の怪奇小説集を読みながら,オンライン麻雀ゲームで遊びながら。またもや堕落した午后を過ごした。

投手力においてお笑いともいえる両球団の試合としては本当に珍しいことに投手戦となり,ハラハラ,ドキドキ,よい試合だった。いつものとおり再三のチャンスを潰しつつも,ベテランが仕事をきちんとした阪神が 1 点を守りきった。長らく怪我に苦しんだ阪神・能見のピッチングが今日のすべてだった。9 回藤川投手が出て来たときは,久保田投手が素晴らしい制球とスピードで 8 回を完璧に抑えたところだっただけに,いやな予感がした。藤川投手はこのところこき使われていて最近負けている。果たして無死一二塁のピンチを招いたが,平野二塁手の超絶ファインプレーに運良く助けられ,ストレート一本の配球で最後はフォークで雑魚を三振に切って取ったのはさすがであった。見応えがありました。

まあ,巨人と 5 試合,中日と 3 試合残していることを考えると,阪神の優勝は極めて難しいでしょうが,最後まで諦めずに優勝を目指して頑張ってほしいと思います。ヤクルトには追い付かれずに済みそうだけど,ここで昨年の中日のように(これで中日は私にとってセ・パ両リーグでもっとも嫌いな球団になってしまった)「CS 進出できるからいいや」的試合をやりやがったら,ファンからコテンパに叩かれればよいと思う。
 

* * *

菅新内閣の顔ぶれが決まった。小沢色を排した人気取り路線の踏襲で,世論的には受けは悪くないのではないかと思う。

でも,その糞真面目なだけのエリート臭で私の大嫌いな岡田さんが幹事長になり,その時代遅れの排外主義志向(そのくせ対米従属)で岡田さんに輪を掛けて大嫌いな前原さんが外務大臣になり,私はほとほと民主党政権に愛想が尽きた。前原さんは,考え方において民主党の誰よりも自民党・安倍元首相に近い「美しい日本=反動右翼的強がり国家主義」の大好きな人であって,目下の中国との危険な状況にあって,対米従属根性をいかんなく発揮してくれそうである。それでいて偽メール事件ごときの対応で失敗した恥ずかしい経歴をもつ,極めて脇の甘いリーダーでもある。彼には日航再建と国際便政策に注力していていただくくらいでよかったと私は思う。

今回の人事は米国と外務省が何より喜んでいるのではないだろうか。ホント,「自民党の看板だけ民主党に入換えた内閣」になってしまった。「政権交代」は旧に復する形で終わりを告げた。小沢一派は「新民主党」を旗揚げして離党してくれないものか。そして国会はネジレネジレてさらに混乱すればよいと思う。官僚支配が徹底し,それによって国力が底に落ちるのが明らかになったほうがよい。

これで中国・韓国との関係はかつての小泉・安倍時代のように悪化の一途を辿り,ふたたび対米従属路線が勝利して,米国とともに経済が奈落の底に落ちて行くのかと思うと ... いや,どうでもよい。私は,職にあぶれた若者が巷に溢れて悪事をはたらかずにはおれない世相を横目にみながら,私の仕事をするだけである。エゴイストに徹するぞ。

ゆとり世代

今朝,9 月 17 日朝日新聞朝刊の『天声人語』で,友達ができないという理由で,せっかく入った大学を中退する学生が増えている,との文章を読んだ。「学生たちは,友達がいない寂しさより,いない恥ずかしさに堪えられないのだという。[ ... ] 周囲の目が気になって学食で一人で食べられない。あげくにトイレで食べる者もいるというから驚かされる」。

これが真実だとすると,要するに,「群れたい」心理なんだと私は思う。この前ちょっと冗談めかして書いた「AKB 症候群」。このあたりの若者のメンタリティは,私のような,不潔で貧しい時代に,自然発生的に遊び仲間ができた環境に育った中年オヤジには,理解を越えている。「婚活」なんてコトバも定着していて,義務教育を終えて高校,大学,就職のために専心的に準備するだけでなく,結婚すらある道筋で準備しようとするブームは,誰もが同じ道筋を行くことへの指向が徹底しているようで,集団主義的等質性の恐ろしい鋳型に嵌める世の中を意味しているのか。わからない。このコラムで述べられているような「驚かされる」行動様式が,最近の学生のある典型の確かな素描なのかどうか,私は疑問である。

と考えながら出社したら,課長回覧で『FujiSankei Bussiness i』がごそっと自席の未決トレイに積まれてあった。そのうちの 8.16 号に獨協大学・大坪正則氏によるコラム「ゆとり世代の就職」が掲載されていた。ゆとり世代というのは,2003 年度改訂学習指導要領での教育(「ゆとり教育」)を受けた世代の謂いである。来年 4 月,1987 年生まれのいわゆる「ゆとり第一世代」が大学新卒社員として社会に出る(高卒の人たちはすでに社会の第一線にあるわけだけど)。大坪氏は大学教員としての経験から,ゆとり世代の学生は,少子化に伴う「甘やかし」と相俟って,物事に独自の興味・関心をもって取り組むという姿勢が欠如していて,困難に対して諦めが早いと指摘していた。要するに,会社側からみていちばん採用したくない弱々しいタイプが多いと。そこへもって厳しい就職難の時代が再来したいま大学教員はどうすべきなのか,と大坪氏は慨嘆していた。ゆとり教育のツケがすべて大学教育に回されているとの愚痴もあった。大坪氏は,企業はこんな学生を採用せず,今後の採用計画において中途採用に本腰を入れはじめるだろうと予測していた。

これを読み,私の頭で,朝日新聞の書く友達と群れたい人々とゆとり世代とが,「最近の学生」というキーでジョインされてしまった。また,最近流行の「草食男子」的優しさ・脆弱さとも容易に結びついた。群れをなすのは草食動物の生態でもある。こうした学生が来年社会人として世の中に出なければならなくなる。「おい,大丈夫か?」と私も何となく不安になってしまう。

「ゆとり教育」はどうやら世の中一般にとっても負のイメージしかないようである。私のみる限り,ネットで「ゆとり世代」に関係付けられる発言は,百のうち百までが否定的罵倒である。旧字・旧仮名遣いを信奉するある人が新字・新仮名遣いのことを軽蔑の意味を籠めて「ゆとり教育のようなもの,円周率3のようなもの」と書いていたのには本当に驚いた。なんか問題の所在が違わないか? 「ゆとり世代」は,これと同じような単純極まりない短絡的な蔑視に晒されているのではないか? 最近,この手の「ゆとり教育」批判をもって世代断絶を煽る情報が,きちんと吟味されないままにあまりに蔓延し過ぎではないか,と私は思う。じつは「ゆとり教育」ではなくて逆にこういう短絡的思考様式そのものこそが社会の問題なのじゃなかろうかと。そもそも「ゆとり教育」は学習指導要領の範囲・内容を少々狭め・易しくしたに過ぎず,その程度でかかるまでのジェネレーション・ギャップが生じるとはとても考えられないのだから。それで十把一絡に叩かれているとすれば,あまりに「ゆとり世代」が可哀相ではないか。

同日の朝日新聞朝刊に,『「ホタル族」耐えられない』という生活コラムがあった。高層マンションに住む大学教員女性(60)が,マンションの隣や下の階の住人によるベランダでの喫煙で受動喫煙に悩んでいるという話であった。「女性は病気の悪化が心配でならない」。朝日は集合住宅敷地内をすべて禁煙にする法律(米国に実施例がある)などを検討すべきというような主旨を述べていた。健康増進法について私はとやかく言う資格はない。受動喫煙の害悪も認識している。でもねぇ。ちょっと神経質過ぎやしないだろうか。「高層マンション」,しかも「隣のベランダ」ですよ。下の階で火事が起こるのを心配したほうがよくないか? また,車の排気ガス — たばこの副流煙と比べ物にならないくらい害毒を有する排気ガス — は何とも思わないのだろうか? 車に乗るから慣れちゃったってか? 「マンションは気に入っているのに,これから一生,隣人の煙に悩まされるのかと思うとぞっとします」。健康追求もここまで来ると,私は背筋に冷たいものを感じてしまう。高層マンションの隣のベランダからかすかに漂って来る煙草の煙が人の一生を蝕む忌まわしいものとして新聞の記事になっていることに。もっと悲惨な居住環境で呻いている人がいるというのに。

私が言いたいのは,この女性大学教員が間違ったことを言っている,というのではない。彼女の潔癖な心情は,私のような下層の薄汚い種類の人間にとって「ゆとり世代」以上に理解不能であるということなのである。最近の若者よりも 50 代,60 代の世代にこそ首を傾げさせられることのほうが多い,ということなのである。そして,どうやら彼らの「健全な」考え方こそが — 日本を支配している世代である以上 —「世間の常識」であるということへの違和感が,年々堪え難くなって来ているのだ。それはなぜなんだろうか。筋道を立てて具体的に考えないといけないのだけれども,どうやら若者の意気地を隠然と喪失させているのも,50 代,60 代の世代の自信満々の潔癖性ではないか,と感じている自分を否定できない。

ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』に,こんなくだりがある。ショスタコーヴィチは西側の洗練されたある女性ジャーナリストのインタビューを受けた。彼女は,表現の自由の問題や体制と芸術活動との問題など,ソ連の芸術家としてのショスタコーヴィチにとって答えにくい話題を,ごく当然の市民社会的良識に基づくものであるかのように自信満々に作曲家に投げて寄越す。作曲家は苦りきった心のうちを面に出さず,適当にあしらう。ふとインタビューの部屋に一匹の蝿が飛んでいるのに彼は気付く。いつもの光景だ。ところが,ジャーナリストは,その蝿が衣服に止ったのに気付いて,インタビューはそっちのけで,いきなり「ハエ! ハエ!」と喚きたて,騒ぎはじめる。作曲家は,かくも高邁な思想につき動かされているらしい目の前の西側ジャーナリストが,蝿ごときで戦々恐々とするのを,なかば絶望とともにせせら笑ってみている。

論理的にうまく書くことができないが,いまの日本の 50 代,60 代に対する私の違和感は,ショスタコーヴィチのまさにこの西側に対する虚無感に似ている。今朝の朝日新聞に登場する大学教員から「ハエ! ハエ!」と言われているようで,不愉快でしようがないのである。

菅首相続投・尖閣周辺中国漁船問題

民主党代表選で菅さんが「圧勝」した。国会議員票はほぼ互角だったが,党員・サポーター票で大差がついたという。まあ,いいんじゃないんでしょうか。これからが菅総理の腕の見せ所なんだろう。このネジレ国会をどう運営して行くつもりなんだろうか。そのためには野党(社民党,国民新党以外)との連立をまじめに考えないといけないのに,この日本の危機的状況に超党派で腹を割って話せばわかる,なんて言っているこのナイーブな人(いい人なんだろうなぁ),野党時代に手前ぇがやっていたことをもうお忘れのようである。ネジレ国会で痛い目に会わさせられた自民党からすれば「超党派なんて,アンタに言われたくない」だろう。政治手腕とは良識に頼むのではなく,政敵がそうせざるを得ないような状況を作ることではないか。

小沢さんは今回敗れたわけだが,こういう点で菅さんの手腕の限界が見えているのも明白なので,次は菅内閣の「自滅」を待つという戦略に切替えたんじゃないだろうか。その前に検察審議会などというアマチュアたちによる「強制起訴」とやら — 素人芝居のような喜劇的法制度 — で捕まらなければよいけど。

わけもなく進む円高であおりを喰らう製造業・中小企業がばったばったと倒れ,日本振興銀行が破綻し,経済が深刻化し,結果的に雇用の門がさらに狭まりつつあるこの状況で,雇用拡大を掲げる菅内閣。小沢さんは投票直前の演説で「私はできもしないことをできるなんて言わない,しかし約束したことは必ず実現する」と語った。これは菅総理への痛烈なあてこすりである。菅内閣の自滅は時間の問題のような気がする。
 

* * *

尖閣諸島近海で中国漁船が日本の巡視船と接触し,中国漁船の船長が逮捕された事件で,にわかに日中の摩擦が起きている。日中両国のアホどもが騒ぎ立てている。こういう内外の雑音を日本政府は無視すればよい。「日中国交を断絶せよ」なんて言う,本当に救いようのない青臭いバカがいる。アンタたち,いったい誰に食わしてもらっていると思っているのか。アンタたちの親父の商売はどこかで中国と繋がっているのに,暢気だね。そういうのを「上に向かって吐いたツバが自分に降り掛かる」というのである。

うちの会社では総務部から,この事件に触発されるだろう中国での騒擾沙汰に関する注意喚起のメールが出た。いまや中国とのビジネスはどうあっても止めるわけには行かず,「注意」するしかない。日中貿易額は 2, 3 年前に日米貿易額を追い抜き,中国は日本にとって経済的にもっとも重要な国となった。中国貿易がなくなると,製造業の多くが倒産し,食物供給においてパニックが発生するはずである。今後のことを考えると,中米どちらに軸足を置くのか日本は岐路に立たされていて,中国を無闇に苛立たせるのは得策ではない。この問題に対し外務省は慎重に対処すべきである。

とはいっても,「領土問題」としてこの摩擦を捉えて対応するのは絶対にしてはならないと思う。尖閣諸島を巡って領土問題など存在しないのだから,日本は粛々と「領海侵犯」を犯した中国人を法で裁けばよい。「やりたい,やりたくない」でなく主権国家として「やるべきこと」を事務的にやりました。どんなに圧力がかかっても,これ以外の周縁的要因で,日本政府は中国政府に「配慮」する必要はない。領海侵犯をした民間人を,法に従って粛々と処理した — これだけを徹底すればよいと思う。どんなに中国政府から抗議を受けようと涼しい顔して受け流すだけにして,こちらからは何もアクションを起こさない — これがよいと思う。中国政府要人の来日が延期になっても「残念ですねぇ」で終わらせるのである。「時間が解決する」くらいでよい。日中経済関係は政府抜きでも民間でやって行ける。この最悪の事態。とにかく静かにしてくれ。

ところが,「領土問題」が何を意味しているか,どうやら何もわかっていない蓮舫議員は,「領土問題なので,毅然とした日本国としての立場を冷静に発信すべきで,感情論に陥るべきではない」などと浅はかな発言をしたらしい(讀賣ニュース『蓮舫大臣が不適切発言「尖閣諸島は領土問題」』)。「領土問題」があると認めた瞬間から「じゃあどうするか」の議論に引きずり込まれることが,この人にはわからないらしい。「領土問題」を認めることは,その領土の帰属がペンディングであることを自ら認めることなのである。そこから「議論」がはじまることの恐ろしさくらい政治家たるものは痛いほどわかっているはずなのに。政治家なら「感情論に陥る」とわかっている程度ならそれを無視すべきなのに。ましてや外交無能の政府なのだ。ましてや相手は海千山千の中国である。中国政府の巧妙な網に引っ掛かるバカ政治家,しかも閣僚が出て来てしまったわけである。お願いだから事業仕分と国税無駄遣い排除に集中してください,蓮舫さん。わが国の「領土問題」は北方領土と竹島しか存在しない。どうしていまだに政権内部でこんなことも徹底できていないのか。さっさと自滅してしまえ。

民主党の代表選なんかよりも,よっぽどこちらの問題のほうが私には恐ろしい。この中国漁船問題で反中世論が沸騰し,尖閣諸島の「領土問題」がかしましくなるかも知れない。でもそれは中国の思うツボであっても,日本にとって少しもよいことがない。反中は,反米と同じくなんの国益にもならない。中国脅威論は確かにある。ならどうするのか。国としての原則に立った上で中国との摩擦を最小限にしつつ,米国に加え,ロシアとうまく付き合うことではないだろうか。中国が日本の脅威になることで国益を損なう大国を増やすのである。どうも日本人は,日清・日露戦争以降,中国・ロシアに対して固定観念的拒否反応を身につけているが,そんなのは政治論理ではない。鳩山元首相はそのあたりの地政学的均衡(帝国主義的均衡)についてよく認識していたと思うと,彼が普天間問題などというつまらない事案で第一線から身を引かざるを得なくなって,私は本当に残念である。先日,彼はモスクワに外遊したが,これについて報道したメディアがまったくないのはどうしてなんだろうか。

kern.maxfiles

最近,FreeBSD の security run output に "+kern.maxfiles limit exceeded by uid 80, please see tuning(7)." なるメッセージを出して httpd がアボートした旨の履歴が頻繁に通知されるようになった。このメッセージは,要するにシステムで参照可能なファイルディスクリプタ数を超過したということらしい。サーバは 500GB の HDD を内蔵しており,ここにこのブログの戯言記事やら,Web 公開コンテンツ,受発信電子メールのみならず,エッチ動画やら私の日頃の煩悩の求めるところのゴミデータもが大量に集積されていて,格納ファイルはただならぬ数に昇っているはずである。さもありなん。もしかすると,サーバ攻撃に晒された影響かも知れない。/phpmyadmin/scripts/setup.php 等の脆弱性に依った php アタックが頻発しているのは,apache22 のログからかねてから知っていた。まあ,Web サーバはとくに大きな支障無く動作しているようなので,放置してもよかったのだが気持ち悪いので少し手を加えることにした。

ファイルディスクリプタが足りないということなので,それを増やしてやる。リブートはなかなかする気になれないので,さしあたり root 権限でコマンドラインから kern.maxfiles の数を増やしてやる。sysctl kern.maxfiles とやると,現在の設定値が表示される。FreeBSD 8.0-RELEASE の場合,12288 だったと思う(控えておくのを忘れた)。これを 65536 に拡張した: sysctl kern.maxfiles=65536。次にサーバを再起動した際にもこれが活きるよう,/etc/sysctl.conf にも kern.maxfiles=65536 の一行を書き足しておいた。

昨日上記対策を行って,昨夜の security run output を確認したが,エラーメッセージは出ていなかった。もし,サーバ・アタックの影響だとしたら,もっと別の構造的要因を探る必要があり,上記のような何倍かに設定値を拡張するような小手先の対策では追い付かないかも知れない。しばらく様子を見ることとする。

鈴木宗男上告棄却

鈴木宗男衆議院議員の裁判で最高裁が上告を棄却した。佐藤優の『国家の罠』を読んだ人は理解していると思うが,鈴木宗男,佐藤優,石川議員の逮捕(さらに,その先に予想される小沢一郎の逮捕)は検察特捜部による「時代のケジメ」としての政治的陥れであって,事案の犯罪性は作られたものである。

まさに今般,特捜部がデッチ上げた元厚生労働省局長郵便不正事件で村木厚子被告の無罪が言い渡されたところ。この事件では,証人の口裏合わせが破綻し誰の眼から見ても検察のストーリーにウソがあることが判明した結果,検察特捜部のアマチュアぶりが露呈して,村木被告の罪状が否定された。己のストーリーに基づく調書の強引な取り方,物的証拠の不十分,裏付け捜査の不十分について,検察特捜部が批判にさらされてしかるべきである。マスコミのこのあたりの採り上げ方を今後少し注視したい。

まあ,検察がアマチュアであったり,間違ったことをやる場合もあるというのは認めよう。しかし,鈴木宗男上告棄却では,裁判所がこれまた検察のデッチ上げたストーリーをそのまま鵜呑みにしているのを見ると,いったいこの国の司法はどうなっているのかと思ってしまう。日本の裁判では起訴されると 99% 有罪なんだそうである。足利事件で菅谷さんの無実につながる証拠の採用を裁判所が長期に渡って放置し,おかげで菅谷さんの再審が何年も伸びた。そういう不作為体質は国民から徹底的に批判されてしかるべきなのに,足利事件の担当裁判官はなんのおとがめもない。

私は北海道足寄出のこの元気な鈴木宗男が好きなのだ。このオヤジの今後の逆襲を期待したい。でもいま,世の中は菅内閣続投に向かっていよいよ事勿れ主義に邁進し,寝たきり老人のような硬直状態に進みそうで,いよいよ息苦しくなりそうである。ま,俺には関係ないけど。

Utf82TeX-1009 Released

UTF-8 多言語 LaTeX 変換プリプロセッサ Utf82TeX-1009 をリリースした。<utf82tex_h> (十六進変換タグ), -p (PTEX_IN_FILTER mode) オプション, -w (Cygwin mode) オプション, UTF82TEXOPT (デフォルトオプション指定) 環境変数をサポートした。これまで,alternative なオプションを同時指定したときの動作についても,不明確かつ buggy だったので,今回見直ししてある。

いまや ptexlive with e-pTeX extension が公開され,UTF-8 の pLaTeX2e 環境も大きく進化した。Utf82TeX はもうその意義をほぼ喪失した。多言語用途としては皮肉にも漢字変換機能(JIS X 0208 範囲外の CJK 統合漢字を OTF パッケージの命令に変換する機能)だけが特徴となってしまった。というわけで,今回の ptexlive PTEX_IN_FILTER モードのサポートをもって,今後の機能追加はやめにしようと思っている。しかしながら,ありがたいことに,Utf82TeX については奥村先生の『[改訂第 5 版] LaTeX2e 美文書作成入門』(技術評論社,2010 年)でも言及していただいているので,バグ訂正,アーカイブ保守は続けて行くつもりである。

ダウンロードはここからお願いします。

D. Smirnov, Dream Journey op. 140 on YouTube

ロンドン在住のロシアの作曲家 D. スミルノフが 2003--2004 にかけて作曲した『Dream Journey』初演全曲の動画が,YouTube に掲載された。私は作曲者からいただいた CD と,SNS Facebook 上の仲間内に公開された映像で,本作品を楽しんで来たが(初演当時のことはここに書いた),広く一般公開されることになったわけである。松尾芭蕉の十七の俳句に基づく,ソプラノ,ピアノ,ヴァイオリン,チェロ,フルート,クラリネットのための室内歌曲である。現代音楽ファンのためにここにもリンクを掲載しておく。蕭条とした風をぜひ味わっていただきたい。
 

note

DREAM JOURNEY
夢は枯野を / Yume wa kareno wo / Грёзы скитаний

17 Haiku by 松尾芭蕉 – Matsuo Bashô Op.140 (2003-4)
for Soprano (or Tenor) Flute, Clarinet, Violin, Cello and Piano.
(Commissioned by Simon Rayner)

Duration: ca 36’

---

Players: Erika Colon (soprano), Tzu Kao (flute), Lucy Downer (clarinet), Lisa Ueda (violin), Jessica Hayes (cello), Alissa Firsova (piano), Ian Anderson (dirigent).
Place: Duke's Hall Royal Academy of Music, Marylebone Rd, London.
Date: Feb. 6, 2009.

---

Part I

1. A Frog http://www.youtube.com/watch?v=NDc37JwXYPQ
2. Cicada's Cry http://www.youtube.com/watch?v=bqT3UzzR-jo
3. The Spider http://www.youtube.com/watch?v=EHhmbaWaf2k
4. Tears http://www.youtube.com/watch?v=lg_2NRuty_8
5. Ocean Waves http://www.youtube.com/watch?v=HMw_YOA8g28

Part II

6. East or West http://www.youtube.com/watch?v=sOW37aWdaB8
7. The Autumn Wind http://www.youtube.com/watch?v=bHnD4XFn3AU
8. Waterfall http://www.youtube.com/watch?v=u1imi0R1xY0
9. Zither http://www.youtube.com/watch?v=8OwdWer7nDo
10. A Bird in the Cloud http://www.youtube.com/watch?v=Y2eFAVC7N08
11. Loneliness http://www.youtube.com/watch?v=Sfq-JiY1eKY
12. Skeleton http://www.youtube.com/watch?v=pXW0zB1RglA

Part III

13. The Pheasant's Cry http://www.youtube.com/watch?v=6i6yLHLyJjg
14. Parting http://www.youtube.com/watch?v=2ishf0cu_Rc
15. Dead Leaves http://www.youtube.com/watch?v=8HbII0bdELE
16. Flute of Sumadera http://www.youtube.com/watch?v=ohVcdFHYFR4
17. The Last Poem http://www.youtube.com/watch?v=8LlvzYzbNB0

台風9号

ここのところまったく雨が降らず,猛暑が続いた。雨で地が湿れば少しは涼しくもなるだろうに,と思っていたら,この台風9号でいきなりの豪雨である。大きな水害がなければよいと思う。

会社のある赤坂溜池も,あまりの激しい雨で視界が朦朧とするくらいであった。溜池交差点がその名のとおり水浸しになり,ズボンはずぶ濡れ,背広のポケットに入れた文庫本もふやけまくり,靴の中まで雨水にやられてしまった。

会社からの帰り,鉄道ダイヤも乱れ乱れて,東海道などの大きな橋を渡る路線は軒並み運行停止に至ったようだった。幸い,私の利用する横須賀線は時間を狂わせながらも動いていた。

今日は涼しかった。

ナゾの中国人・匿名(トク・ミン)

私は奥村先生のサイト TeX Wiki にある TeX Forum の投稿を購読している。新たなポスティングがあるたびにメールが送られて来る。しかし,記事投稿者の名前に「匿 名」があまりに多いので辟易させられてもいるのである。ナゾの中国人・匿名(トク・ミン)が様々な議論に出没しているのである。こうなると誰が議論で意見を書いているのかまったくわからない。せめてニックネームでもよいから投稿者が判別できるようにしてもらえないものか。TeX Q & A ならニックネーム,実名が多く,トク・ミンにはほとんどお目にかかることはないので,優れた投稿をする人の記事を検索で抽出して閲覧することも容易いのに。

日本のネット事情は匿名が基本であって,ミクシィなどの SNS ですら匿名性が徹底していて,インターネットを通じた人間の繋がりが極めて希薄である。匿名であるから恥ずかしい意見・質問も平気で書き込まれる。2ちゃんねるはその最たる現象である。私は匿名ゆえに脅迫・中傷まがいの文言を平気で書き散らす2ちゃんねらーを見るたびに,通信技術に長けた国家権力からすれば容易に捕まえられるのにバカな奴ら!と哀れに思ってしまう。TeX Forum の投稿でもトク・ミンの書きっぷりは,質問も「教えてクン」流の,自分で調べることをしないタイプが多い。回答もそんな質問者を蔑んだ「キツイ」ものが多い。あるテーマについて質問者もその回答者もトク・ミンの場合があり,まったくアホらしくなってくる。「匿 名」の投稿は私はもう見ないことにしている。misima に関する問い合わせなどの私へのメールも,トク・ミンさんからのものは完全無視でゴミ箱行きにすることにしている。

一方,私も参加している米国の SNS Facebook は,参加者の多くが外国人である。ここでは写真入り・実名によるコミュニケーションが普通である。だから投稿にはきちんと礼儀や事実関係に注意しつつ応じなければならないという心構えも自然と付いて来る。そういう信頼関係のよさが Facebook にはある。ところが Facebook は,匿名が好きな日本人には不評らしい。外国人のほうがセキュリティに敏感だとされるのに,どうしてネットにおけるこういう極端な逆転現象が日本と海外では顕著なのか。これもガラパゴス化日本の特性かも知れない。

もちろん,個人情報を直接インターネット上に公開することは己を危険に晒す。住所や電話番号などの一般公開は出来る限り慎むのが常道である。でも,日本人はなぜ匿名が好きなのか。ネットの危険性に対するまっとうな防御感覚からだろうか? 本当の「名前」を知られることは危険な霊性を招くとして昔から名前を伏せる伝統が中国文化圏にはある。ネットの徹底した匿名性はこの伝統によるものなのか? いや,そんな文化人類学はいまの日本の2ちゃんねらーとは無縁であって,トク・ミンたちの戯言を見るに付け,ネットの匿名性はただの「旅の恥はかき捨て」心情でしかない,というのが私の確信である。ネットはまさにゴミダメと化している。インターネット選挙に私がいまのところ反対なのは,こんなネットのトク・ミンたちのゴミ意見が政策に大きな影響を与えて欲しくないからである。Twitter が意味をもちはじめたのはどこの誰が発信しているのかが明確だからなのに,日本での普及はトク・ミンたちのバカなつぶやきがほとんどではないか?

今日,第 53 回神奈川県合唱コンクールに行って来た。娘が所属する県立多摩高校合唱部が参加した。先日の合唱祭と同じく,場所は神奈川県立音楽堂。娘の学校は混声合唱で課題曲として『O magnum mysterium』(Pierre Villet 作曲)を,自由曲として『Gloria 〜 Cum sancto spiritu』(Hyo-won Woo 作曲)及び『Three Songs of Faith 〜 hope, faith, life, love』 (e.e.cummings 作詞,Eric Whitacre 作曲) を歌った。午后一番だったので食事のすぐあとじゃ声の調子が上がらないのではと私は心配したが,杞憂であった。素晴らしい出来だった。見事,金賞を獲得し,関東大会に進出する運びとなった。やったね。おめでとう。

その他,私が聴いた学校では,桐蔭学園女子コーラス部の演奏も聴きごたえがあった。アポリネール詩,堀口大学訳,髙嶋みどり作曲の『露営のともしび』は神韻とした感じがよかった。レコードが欲しくなってしまった。與謝野晶子詩,鈴木輝昭作曲『絵師よ』では,こんな淫蕩な味のあるサイケな難曲を高校生が破綻無く演奏できるのに感心した。こういうときこそ指導者の力量を尊敬してしまう。

合唱コンクールでは総じて,ラテン語詞合唱曲の選曲が多かった。また,ネットで検索してみると,鈴木輝昭作曲『絵師よ』も意外と定番らしい。高校合唱部も結構マニアックな活動をしているんだと驚いた。

20100904choral.png
 

* * *

合唱コンクールのあと,川崎に出て,夫婦そろってメガネを新調した。喫茶店でお茶しているとき,新しいメガネを付けた妻の写真をデジカメで撮影して,娘に写メ送信してやった。私が「ドラマで弁護士を目指していた役のメガネっ子・菅野美穂にちょっと似てるね」と言うと,妻は嬉しそうにした。「菅野美穂っていえば,お父さん,入院してたころ,彼女のヌード写真を見てたね」と妻。肺結核で何ヶ月も入院していたとき,私は,病棟の古雑誌置き場に捨て置かれた週刊誌に,当時話題になった菅野美穂ヌード写真集の一部が掲載されているのを見つけ,そのページだけをビリビリ破って病室に持ち帰り,ときおり取り出しては楽しんでいたのである。そんなこともあったなー。いま思えば愚か。うーむ。それから十年以上経過したわけであるが,いまの菅野美穂のほうが断然いいな。またヌード写真集を出してくれないものか。(菅野美穂ではないけれど,20 代で AV に出ていたころよりも,30 代になってもストリップ劇場で踊っている女優の姿のほうにこそ魅力を覚えるこんな私は,ただのどうしようもないスケベ・オヤジなんだろうか...)
 

* * *

ロシアの Ozon から書物が届く。М. М. Бахтин, Собрание сочинений Т. 4(1)--(2). М.: Языки славянских культур, 2010. 世界文学研究所によって 2003 年から刊行されはじめたミハイル・バフチン著作集の第 4 巻,2 分冊である。2 冊合計で 1,368 ルーブリ,目下のレートでは,3,762 円也。バフチンによる,ドストエフスキイ論と並び称される記念碑的著作 «Творчество Франсуа Рабле и народная культура средневековья и Ренессанса»(邦題:『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』)と,その関連論文,書簡,膨大な準備資料・遺稿の集成である。20 世紀のロシアの偉大な知性(日本の「ニューアカ」など足下にも及ばない「本物の」学問的知性)の足跡を少しずつでもよいので,丹念に追ってみたい。

20100904bahtin.png

本著作集はまだ 2 巻,3 冊しか刊行されていないようである。全 7 巻揃うのはいつなんだろうか。プーシキンのアカデミー版大全集の刊行は 1937 年から 1949 年まで完結にじつに 13 年を要した。もちろん,この場合,この間に大祖国戦争があったという事情も関係しているが,その 3 年間を差し引いてもじっくりと時間を掛けている。このように,ヨーロッパの国々における全集の刊行は,ロシアに限らず,とても息が長い。バフチンの『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』は,川端香男里先生による日本語訳(せりか書房,1980 年新装版)で知る本好きの方も多いと思う。この日本語訳本はまだ比較的容易に古書で入手できる。そのアマゾン・リンクを付けておきます。
 

民主党サポーター

大学一年になる息子に,民主党代表選挙の投票用紙が郵送されて来た。大学の関係なのか,息子は「民主党サポーター」らしいのだ。「えぇー!」とびっくりした。本人はテニスクラブとアルバイト(と,女の子(そして,勉学以外の活動))に忙しい。父親である私と同様,ノンポリ丸だしなんである。だからこそ良識で政治家を選択できるはずである。小沢さん,菅さんのどちらに彼が投票するのかは知らん。

このサポーター制度,党員でなくても代表選挙に参加できるという素晴らしい試みだと思う。総理大臣は衆議院第一党のトップがその座に就くわけだが,その職の直接選挙に関与できる,すなわち民意が反映できる,というのは意味がある。自民党の総裁はまったくもって派閥論理だけで決定していたのであってみれば,民主党のこのやり方はより「民主的」といってよいと思う。
 

* * *

今夜,NHK BS で阪神 VS 横浜のプロ野球中継があった。最近,首都圏でも,日本テレビが讀賣の試合をまるで放映しなくなった。いまや日本のプロ野球よりメジャーリーグの試合のほうが多いくらいではないか。その一方で,NHK がダイガース戦を結構観せてくれてうれしい。関西ではサン・テレビという神戸のテレビ局が,他局の放映しないすべてのタイガースの試合を完全生中継するのが,昔からずっと続いている。タイガースファンは全試合をテレビ観戦できるんである。こういうのを文化というのだろう。

タイガースは 6--3 で見事逆転勝利を納めた。よしよし。桧山選手の渋い代打タイムリーヒットにシビれた。久保田投手は,ここのところがっかりさせられることが多かったが,今日は 1 失点したとはいえ,150km 超の豪速球は見物だった。ピンチにリリーフで出て来て後始末した場面はカッコ良かった。今日はこの二つがなによりの見所だった。

それにしても。阪神が勝利したあとの Yahoo! ニュースは面白い。阪神ファンのガサツなアンチ巨人ぶりが。横浜戦の記事なのに「ゴミ売虚塵」だとかの言が必ず上位コメントにあがっている。また,関西弁を使うのが「スタイル」になっているところが,人を食った感じがして,ジャイアンツファンからすると,虫酸が走るはずである。

でも「アンチ」が付けられて様になるくらい,やはりジャイアンツの存在感はたいしたものだと私は思う。「アンチ横浜」とかシャレにならんじゃないか。ここから察するに,日本が中国・韓国・北朝鮮の国民からの好感度において徹底的に低いことも,私はそれだけアジアでの日本の存在感の大きい証明であると思うのである。アンチが強ければ強いほど,その国のインパクトの強いことの証明ではなかろうか。反日感情は,反米感情と同様,中国,朝鮮半島のみならず,英国,オランダ,フランス,ロシア,オーストラリア,フィリピン,マレーシア,インドネシア,台湾等々,世界中にある。なのに「反ルクセンブルク」なんてことは聞いたことないしょ? つまり日本は一目置かれているわけである。いいねぇ。

Moon Calendar

Profile

ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
[more], [About our site]

Notice

この文書はフィクションであり,実在する個人,団体等とは一切関係ありません。

R-18 指定サイトです。そのうち「18 歳以上ですか」の認証を入れる予定です。

文書の記述内容は無保証です。不適切な表現があればコメントにてご指摘ください。

コメント,トラックバックは,現在,運用を停止しています。ご意見等ありましたら isao@yasuda.homeip.net 宛電子メールにてお願いします。

Links

Entries

About this archive

Entries at 2010年9月 in chronological order.

Previous: 2010年8月

Next: 2010年10月

Recent Entries in Main Index.
All Entries in Archive Index.

March 2012

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Emacs: Monthly Archives

Powered by Movable Type 5.12 Powered by FreeBSD 8.2-RELEASE
blog counter