2010年10月Archives

misima SOAP Web Service 運用

misima SOAP Web Service を開けっ放しにしてしまっていた。これは,Microsoft Word 2003, Emacs, 秀丸, Jedit X などのアプリケーションからインターネット経由で直接 misima 旧字・旧仮名遣い変換操作を行うためのサーバである。私以外,誰も使わない。公開停止にするのを忘れてしまっていた。今日,ant undeploy でアンデプロイした。こっちの認証はちょっと手が込んでいるので,よほどのことがない限り放置することになりそうである。私自身は Macbook pro 上の Web サーバを使うことにした。

最近,Google Desktop Gadget に興味がある。友人から文句が出たら,これで misima クライアントを書いてあげようかと考えている。でも,Google Desktop Gadget の SDK はどうやら Windows 版しかないようで,この時点で諦めムードになっている。Mac OS X ないし Linux / FreeBSD 用の SDK が出てからということになりそうである。

尖閣ビデオ

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いまさら何を騒いでいるんでしょうかね。いまになってこんな「犯行」ビデオを公開して,いったいどんな意味があるんでしょうか。しかも,何もできやしない国会議員に見せたって。「やっぱり漁船が体当たりして来たんだ」という声がいくら騒がしくなったとしても,那覇地検はもう起訴するつもりなんてないのに。物的証拠たる漁船そのものを中国に返却してしまっているのだから。

海外メディアに流すんだよ。とくにイギリスのメディアに。それが,中国の不当な振る舞いを世界に知らしめて,日本の味方を増やすプロパガンダとしてもっとも有効なやり方ではないでしょうか。

沖縄から見放される民主党政権

11 月末に行われる沖縄県知事選挙に民主党は候補者を擁立しないと決めたらしい(毎日新聞配信ニュース)。迷走する普天間問題で,沖縄県の民意(というよりは人気)と対米政策との矛盾の狭間で己の立ち位置を決められず,「勝負しない」ことにしたわけだ。これは,普天間問題で民意を問うことを放棄した,ということである。民主党が本当の意味で沖縄県を見捨てたということである。なるようになれ,と。このように「何もせず」事態の行方に委ねようとする不作為は,自民党ですら一度もやったことがない最低の姿勢である。中国漁船問題でもその不作為に呆れたが,民主党・菅政権はいまや,ホント,どうしようもない事勿れ主義権力だ。勝負すると負けるかも知れないので,勝負しないという体質(つい昨日 25 日,民主党は衆議院補欠選挙で負け,旧自民党政権の亡霊が生き返ったばかりである)。でも,この不作為は菅政権自滅への道を準備するだろう(というか,してほしい)。

この選挙の結果は,日米合意に従って辺野古に基地を移設しようという民主党・菅政権の思惑をいよいよ紛糾させるだろう。第一に,沖縄県民こそが民主党政権を見捨て,鳩山首相が沖縄県を訪問したころの「話は聞こう」という「期待」から「会いたくない」という「敵意」に態度を変えるに違いないからである。「裏切り」の不信感のなか果敢に沖縄入りした鳩山首相に対して,沖縄県民に敵意はなかった。一縷の望みを賭けて話だけは聞いたのである。それに対して,「鳩山前政権の決定事項」を振り回すばかりで,沖縄に自ら出向こうなんてこれっぱかしも考えない菅首相は,この沖縄放棄選挙を契機に,沖縄県民に敵意をもって迎えられるようになるはずである。第二に,沖縄県民の合意なくして基地を移設するのをもっとも望ましくないと考えているのはほかならぬ米国であって,不作為・菅政権に対する敵意が基地そのものに対する敵意にすり替わるのを怖れて,米国そのものが基地移設に尻込みをはじめるだろうからである。そうなるともう辺野古移設は絶望的になって,不作為・民主党は笑者になる。対米従属的右翼(「名辞矛盾」でないところがお笑いなのだが)からも,県外・国外移設派からも,米国からも疎んじられるようになる。要するに,子供手当て・高校無償化以外には,何もできやしないと。何もしないのだから。勝負しないのだから。まったく中国漁船問題と同じ構造である。嗚呼惟菅政権自滅而已。

普天間基地移設問題はクズ事案である。それは沖縄県を除く日本国民にとってはじつはどうでもよい問題だからである。「沖縄の海兵隊は抑止力」などという幻想(「抑止力」に実効性があるなら,まさに沖縄県内にある尖閣諸島海域にどうして愚連隊・中国漁船が英雄気取りで入って来るんでしょうか?)と自民党政権来の対米従属とに従って,普天間基地を辺野古に移設すべきだと主張する人たちは,沖縄県よりも米国のほうが大事だとあからさまに言っているのである。県外移設が紛糾するのは,他県が沖縄県の基地負担を引き受けることを忌避したいために,沖縄県に十字架を背負わせておけばよいとそっぽを向いているからである。沖縄県の痛みに日本全体で知らんぷりを決め込んでいる構造が明らかなのである。その不条理に対して関西空港への移設という具体案をもって声を上げたのは,橋下大阪府知事だけではないか。それはつまり,沖縄県がほぼ日本全国から「差別」されている証拠であって,普天間問題をクズ事案であると私が極め付けているのは,じつはこの事案が,差別とイジメとを善人顔でなす日本人の恥ずかしい国民性を象徴しているからにほかならない。全国紙マスコミも政権(民主党というよりは霞ヶ関)に迎合して,本事案について国民を面白がらせるネタにしかしていない。イジメを傍観しつつイジメる側に立ってこれを囃し立てるような下劣な行為である。
 

Post Scriptum

全国区的存在で大いに目立つ橋下大阪府知事は,その歯に衣着せぬ過激な発言で,事勿れ主義・民主党政権からそろそろ嫌われはじめるだろう。これまでの「政治主導」・中央省庁批判発言からも,霞ヶ関からはすでに蛇蝎のごとく嫌われているはずである。そこへもって来てこの「出る杭」が事勿れ主義・民主党政権から疎んじられるとなると,小沢さんの次は橋下さんではないか,と私はいたく心配している。そのうち橋下さんはとんでもないスキャンダルを捏造されるような気がしている。まず,大阪府の下っ端役人が関西空港経理不正絡みで大阪地検特捜部によって立件されとっ捕まる。その下っ端の「証言」からの芋づるで橋下さんが引っ張られる。マスコミ(産經新聞を筆頭に)が特捜部によるリークで橋下疑惑を大々的に書き立てる。そして「立場を利用した大悪党」と憤るわりには橋下さんがどんな罪で引っ張られたのか誰もわからない。それで「説明責任を果たせ」ということになる... ああ,そんな光景が目に浮かぶ。普天間基地移設問題が再燃し,橋下さんが再び関西空港への招致に言及するような事態になるとすれば,そのタイミングがいちばん危ないんじゃないか?

以上,まったく根拠がありません。

※ 10.28 付記

沖縄タイムスは『『沖縄の怒り爆発寸前』 普天間移設 英BBCが報道』で,「英BBC放送が沖縄の基地問題の深刻さや,日本政府が米軍普天間飛行場の移設を県内に押しつけようとするのは差別的な処遇だと県民が感じていることを報じている」との記事(10 月 22 日配信)を書いている。内容からすれば沖縄タイムスも BBC の報道を正当な見方だと見なしているといえる。まさに「差別」というキーワードがある。沖縄県民自身これを意識しているのみならず,BBC の分析にまでも反映しているわけである。だからこそ「怒り爆発寸前」なのである。

「県民の持続的な怒りのうねりは,鳩山由紀夫前首相が米国の圧力で普天間の県外移設を撤回したことで再燃していると分析」と記事にある。これによれば,鳩山さんのおかげで県内移設への怒りが増幅されてしまった構造が明らかである。この怒りがあるうちは米国は基地移設を躊躇せざるを得ないと考える限りにおいて,つまり鳩山さんの一連の行動は結果的に県内移設を抑止したということになる。うーん,鳩山さんはじつはこれを意図していたんじゃないか,と私なんかは感心するのである。

すなわち,紛糾させることがこの問題を沖縄県民にとっても,日本国全体にとってもいちばんよい方向に向かわせると。私は,普天間基地移設問題が解決しないうちに米軍がグァムに全面移転するだろう,に一票。間違っても,日本政府の「政治力」による解決はしないだろうってこと。

誕生日

今日は妻の誕生日。帰りがけに川崎によってドーナツ,日本酒を買った。夜二人でささやかな乾杯をした。新潟のお酒『八海山』を久しぶりに手に入れた。この銘柄は,学生時代に私が世話になった居酒屋の親分が,地酒のなかでもとくに好きな一品であった。私も仕事のあとでよく振る舞ってもらったものである。

息子は,可愛い犬の形をした筆入れ,バースデーケーキ形の置物(ボタンを押すと蠟燭が光って Happy birthday to you のあの歌が鳴り,息を吹きかけると灯りが消える)をプレゼント。なかなかいいところがある。娘が試験が近いというのに友人と外をほっつき歩いて帰って来て,くだらない理由をぶつくさほざくので,私はガミガミ叱りつけてしまった。ちょっとシラケ鳥が飛んでいた。

そのあと,オンライン麻雀ゲーム『麻雀 Flash』で遊ぶ。こんな体たらくで娘を叱りつける資格なんてあるのか,という人がいるかも知れないが,これでよいのである。四暗刻をツモってしまいました。
 

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東京スカイツリー

映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は,日本が復興ムードで元気だった昭和三十年代を描いて邦画としては異例のヒット作品となった。この映画のなかで,建設途中の東京タワーの少しずつ完成に向かって行く姿が日本の成長の象徴になっていた。三百ウン十メートルの高さになるなんて当時の人はわくわくしたはずである。私もはじめて東京に連れていってもらった小学校四年生のとき(1972 年),東京タワーを間近に仰ぎ見るのが本当に楽しみであった。

2008 年に着工され,2011 に竣工される予定の東京スカイツリーも,かつての東京タワーとまさに同じわくわく感を,おそらく日本中に伝播させているところではないだろうか。いまいちど日本を元気にしたいという暗黙の雰囲気が痛いほど伝わって来る。ところが東京スカイツリーは,東京タワー建造の復興期とは真逆で,人口減少に転じた沈み行く日本のまさに斜陽期に打ち立てられようとしている。むしろバベルの塔のような存在。それでも,東京スカイツリーの話題は最近の数少ない明るい話題であり,私も完成を楽しみにしている。
 

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讀賣配信ニュース『誰が校長を殺したか…これが中間試験?』をみた。高校の先生が「『41124』の文字を手がかりに,実在の教諭7人の中から犯人を選択するという」問題を試験に出した。「問題に登場する国枝裕校長は『不適切な設問』として,問題を作成した20歳代の男性教諭に口頭で厳重注意した」とのことである。答えは家庭科の先生。41124 をひっくり返すと「カていーカ」だとさ。暗号解読で犯人を推理する面白い問題である。

世の中の反応は「教育現場における良識の欠如」を問題視する人が多いようである。「学校は何をやっているのか」と。先生はたいへんである。こんな面白い問題を,面白半分で出して何が悪い。「殺人を肯定する行為」なんて飛躍した論評をなすバカもいる(あの NHK ですよ)。こういう受け止め方のほうがよっぽど危険であることがどうしてわからないのか。学校の先生が推理小説を書いて,そこで残虐な殺人事件を描いたとする。この小説は評判を取り,じつは学校にいる実際の先生と同じ名前の登場人物が出て来るので,クラスの皆が面白がって読んでいた。彼の行為 — 殺人の出て来る小説を書いた行為 — は殺人を肯定しているのだろうか? これと 41124 の問題と本質的に何が違うと言うのか?

子供たちに「フィクション」というものが何なのかをきちんと教えるべきではないか。頭の中なら何だって自由だということを。しかしそれを現実世界で行うことはそれとは根本的に違うことなのだということを。それをすっ飛ばしてバカな子供たちにこういう試験問題を出してしまったのだとしたら,この先生は少し脇が甘かった。その誹りは免れないかも知れない。いや,バカな子供たちに,ではなく,バカな偽善的父兄連中によって,ひいては「フィクション」というものにナイーブな,潔癖性に毒された,本を読まない低レベルの世間によって,どのように誤解されるかを想定せずに,彼がこのお茶目な推理問題を出してしまっていたとしたら。脇が甘い。でも,ただそれだけのことである。この先生,可哀相。ま,残念ながら,面白みのある人は不謹慎なことが多い。そして自己保身の気持ちが薄い。

オレが先生だったらどんな問題を出すかなぁ...
 

* * *
 高校三年生のケイコは,父親がリストラされた。あんなに優しかった父が毎日酒を呑んで暴力を振るうようになった。母もそんな父に嫌気がさして失踪してしまった。仲良しだった友達とも空気が悪くなり,誰もケイコに声をかけてくれなくなった。ケイコは自分の居場所がなくなった。もう死ぬしかないと,そればかり考えるようになった。
 ふと目の前に完成した東京スカイツリーが立ちはだかっている。そうだ,あの世界一の電波塔から飛び降りて私の人生を終わらせよう。
 気付いたらケイコは東京スカイツリーの狭い頂に立っていた。地上 634 メートル。世の中が愚かしく見えた。富士が綺麗だった。ケイコは最後に物理の変人・ヤスダ先生にお別れの電話を掛けることにした。
- 「先生,わたし,いま東京スカイツリーのてっぺんにいるの。これから飛び降りて死にます」
- 「おい,早まるな。まだお前にはいくらでも明るい未来が開けている。少子化なんだから,二人くらい子供を産んでから死んだらどうだ。先生が手伝ってやってもいいぞ」
- 「もう遅いの」
- 「待て。何でよりによって昼ご飯の少し前に死ぬなんて考えるんだ? お前,腹減ってんだろ?... わかった。じゃあひとつだけ先生と約束してくれ。これから先生が問題を出す。それが解けたら,お前のしたいようにしなさい。そのかわり解けなかったら,そこを降りるんだ」
- 「いいわよ」
しばらく考えてケイコは言った。じつは半分呆れたのだ。
- 「よし。お前はいま 634 メートルの東京スカイツリーの頂点にいる。これは前人未到の凄いことだ。そこで問題。そこからお前が飛び降りたら,何秒後に死ぬか,求めよ。g = 9.8 とせよ。いま無風状態で自然に物体が落下すると仮定せよ。そして,お前は垂直に自由落下し,しかも東京スカイツリーの建物に遮られることはないとせよ。地面に到達した瞬間に即死するものとせよ。つまり着地から絶命までの時間,及び昇天する,もしくは地獄に堕ちるまでの時間は考慮しないものとせよ。回答は少数第三位を四捨五入して第二位まで求めよ。制限時間は 10 分。先生の時計で 11 時 58 分 32 秒までだ。では ... はじめ!」

以上のような問題はどうでしょうか。自由落下する物体の t 秒後の位置(2-1·9.8·t 2)の問題だ。「先生,問題文長過ぎ。最後のヤスダ先生の台詞だけでいいじゃんか」と生徒が文句を言う。その後ケイコがどうなったかって? 日本標準時刻 2012 年 9 月 1 日・午前 11 時 58 分 32 秒には何も起こらなかった。馬鹿なケイコは問題が解けなかった。それで約束通り地上に舞い戻って来た。めでたし,めでたし。

Tokyo Sky Tree (Небесное дерево Токио) высотой в 634 метра - это новый ориентир в Токио. Это наш новый символ блестящего будущего (или нынешнего упадка) Японии. Если бросишься с вершины его, умрешь, по моему счету, через 11,374878 секунд. Здесь не учитываются следующие условия: 1. время возхождения на Небо (или время падения на глубины Ада); 2. препятствие в свободном падении.

堕落した休日

中日ドラゴンズが日本シリーズ進出を決めた。なんでセ・リーグの CS ファイナルがテレビ中継されないのかといぶかしんでいたら,今夜フジが中継していた。麻雀ゲームをしながら,本を読みながら,横目でつらつら観た。

讀賣ジャイアンツは二連敗ののち昨日初日が出て,今夜はどんな闘いを見せてくれるのか,興味深かった。やはり投手力の差が出てしまった。8 回裏,四球で追加点を献上するなんざ,愚の骨頂である。今年の讀賣を象徴するようなシーンだった。それでも,9 回表,打ちあぐねていた中日浅尾投手から下位打線でチャンスを作ると,谷が送りバントでランナーを三進させ,松本が渋いセカンドゴロでランナーを返し,ジャイアンツは土壇場で同点に追い付いた。これを見て,私はさすがジャイアンツだと感心した。

あそこで送りバントを命じるところが,阪神真弓監督と大きく異なるまさに「采配」であって,私は原監督の腹の座り方の凄さに唸らされた。真弓監督なら,あそこで代打を送って強振させ,あわよくばタイムリーヒット,逆転ランナー出塁を期待するに違いないのである。ところがコントロールのよい投手を相手にすると打ち上げて,あるいは三振して終わりの可能性が高い。ここには,どうしてそれまで打ちあぐねていたのかというマネージャとしての分析も,反省もない。プロ・スポーツで神頼み,運頼みを見せつけられるとうんざりしてしまう。こういうところからも今夜は,「簡単には負けないぞ」というジャイアンツのプロの意地のようなものを見せてもらった。

結局,中日和田選手の目の覚めるようなサヨナラタイムリーで中日が勝利した。クリーンアップが攻撃のキーとなり,投手が守りきる。この基本に忠実だった落合監督の姿勢ゆえのタイトル獲得である。阪神ファンとしても見応えのある試合だった。
 

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TBS『報道特集』を観た。TBS は『朝ズバッ!』捏造スキャンダルなど感心しないことも多いけれども,特許庁情報流出問題,野中広務・機密費スッパ抜きなど,なかなか大新聞が踏み込まない部分にメスを入れ,大新聞に踊らされない特集を組んだりすることがある。特許庁収賄事件も TBS の報道を受けて特許庁が内部調査を進めるうちにあぶり出された事件だという。結局,東芝ソリューションと政治家とのつながりなどは明るみにはならなかったけど。

今日の特集は検察審査会であった。小沢さんの「強制起訴」でがぜん話題になった,11 人の怒れるアマチュア集団についてである。この制度のよい面,悪い面ともあげていて,私の眼で見る限り偏向を帯びているようには思われなかった。審査員となった人々に直接話を聞く取材あり,国会での民主党議員による検察審査会の密室性に対する問題提起ありで,何も知らず「強制起訴」を普通の立件と同じように捉えている世間知らずにはよい特集だったと思う。議決過程が秘密であるにもかかわらず,どこから漏れたのか「全会一致で起訴相当議決」などという情報が新聞に載るなんて,気味の悪い制度運用にも触れていた(秘密情報を検察がマスコミにリークしているのは明らかなのである)。審査員経験者のひとりの言から,権力者の事案については厳しくなってしまうという「市民感覚」が浮き彫りになっていた。

「法のもとの平等」,「法に厳格に立つ裁定」,「推定無罪」という法の三原則が「市民感覚」によって危険にさらされないか,とキャスターが危惧の意見を述べているところが私には印象的であった。良識あるキャスターだと感心した。法のもとには権力者も弱い一般市民もない。何の罪か,法に基づいて厳格に定義されなければ人を罰するなどもってのほかである。起訴されても判決が出るまでは,無罪として被告人を扱うべきである。この原理はまさにその通りである。

なのに。11 人の怒れる男たちの安っぽい無責任な正義感で,罪状においてプロフェショナルがその立件を断念した「灰色」の人間を「起訴」に追い込み,被告席に立たせることができるようになった。「市民感覚」で権力者を叩くことができるようになった。そして検察がそれを見越して議決を誘導し,権力の奴隷・マスコミに「全会一致」をリークし,民意が起訴を正当化したことをアピールする。こういうのを「衆愚政」というのである。人を裁く一端を担っているという恐ろしさの自覚,判断に対する責任感がこのアマチュアたちにはないのだ(そもそも裁判官には皆これがあるとも言えないけど)。この『報道特集』を観て,私は基本的にアマチュアを信用しない質だからか,検察審査会制度に対していよいよ不信感を強めた。
 

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野球観戦の合間に二畳庵主人・加地伸行『漢文法基礎』(講談社学術文庫,2010 年)を読む。朱川湊人『いっぺんさん』を読了して,ちょっと一休み。『漢文法基礎』は 1984 年に Z 会の受験参考書として出版された本である。なんでこんな学習参考書が講談社学術文庫から出るのか。じつは,最近,この手の昔の「学参もの」が相次いで文庫で再刊されている。小西甚一『古文の読解』(ちくま学芸文庫),高田瑞穂『新釈 現代文』(ちくま学芸文庫)など。

何故なんだろうか。もちろん,これらの書籍は高度な内容を高校生向けに説いた,確かによい本であるけれども,ちょっとこのブームは気味が悪い。最近の学参は質が悪くて昔を見習えとでもいう主張があるのだろうか。難しいことをさも易しく説いてくれるものへのブーム(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』なんて俗流本に釣られる人があまりに多いようである)があって,これらもその一端なのだろうか。違うと思う。学参のレベルが落ちているとの声も聞かないし,高等学校の国語はピーター・ドラッカーの言説とは範疇の異なるテクニカルなものである。これらの本は私が大学受験のころにお世話になったものばかりである。「ああ懐かしい」なんである。となると,どうやら私たちの世代が懐古趣味につけ込まれて単に商品の経済的ターゲットになったに過ぎないのだ,と考えざるを得ない。ま,それもよし,である。

私は漢詩が好きである。大学のころはロシア語をはじめ外国語の文献渉猟に追い回されていたためか,漢詩は大学を出てからのほうが読む機会が多くなった。頼山陽や菅茶山などの日本人の漢詩人に触れるようにもなって,なんで漢籍という日本の素晴らしい伝統が廃れたのか大いに残念だと思うにつけても,高校時代それほど得意でなかった漢文も,社会人になってから岩波全書『漢文入門』(岩波書店,1957 年初版)でふたたび学ぶようになった。藤田先生による sfkanbun パッケージによって LaTeX で漢文訓点を組めると知って以来,親しい漢文を自分でもタイプセットして面白がっている。旧字・旧仮名遣い変換ソフトウェア misima を作ったとき LaTeX 漢文訓点命令変換機能を入れたのも,Adobe Japan1 の恐るべき漢字空間(JIS X 0208 じゃ高校漢文教科書の漢字すらレパートリーが足りないのに対し,Adobe Japan1 ならカバーできてしまう)とこれに基づく OpenType フォントに魅了されただけではなく,ひとえに漢籍の組版にも思い入れがあったゆえである。

『漢文法基礎』は,「やあ,諸君,お早う」なる書き出しではじまり,よい意味で上から目線丸出しのくだけた語り口で,取っ付きにくい漢文を手取り足取り教えてくれる。書き下し文の仮名遣いや送り仮名の考え方など,学校ではきちんと整理してくれない原理のキモを徹底的に掘り下げてくれる。漢文は,中国の古典に親しむためではなく,国語の一伝統を身につけることにこそその目的がある,との説明は説得力がある。かりがね点(レ点),一二点を押さえていれば訓点の九割方を身につけたも同然,といった知見も,教育現場の豊富な経験に裏打ちされており,眼を見張らさせるものがある。高校生にはお勧めの教材である。

『漢文法基礎』はやはり高校生が読むものであって,私などはただの懐かしさで接するばかりである。「ヲ・ニ・ト(鬼と)帰る」なんて「あったあった」である。こんな書物を講談社が何故にわざわざ文庫本として再刊するのか — やっぱり,昔を懐かしむオジン,オバン心情に訴えているとしか思われない。もう一度,高校生になった気分で高等学校漢文を復習したいと思う人には絶好の本である。大学教育を受けた人で中国古典を日本人として読み解きたいと思う人には,私は岩波全書『漢文入門』をお勧めする。
 

漢文入門 (岩波全書 233)
小川環樹,西田太一郎 共著
岩波書店
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北朝鮮の『アリラン』写真,130万ポンドで落札』という記事をみた(中央日報)。ここまで値段が跳ね上がるのも凄い。私も一度実際にアリランを観てみたいと思っている口である。

アリランのようなスペクタクルを前にすると,私がまず抱く思いは恐怖である。それこそアリのようにわんさかいる人間たちが等質の動作でもって一糸乱れないなんて,北朝鮮という国の全体主義ぶり,洗脳ぶりを象徴しているように思われるのである(実際はそんなことはないのだろうが)。このアリランは,あの軍事パレード同様,怖い。こんなにたくさんの人々の振る舞いが皆同じだなんて,クレイジーの印象がもっとも適切である。

しかしながら,この記事に対して嘲りしか発せられない2ちゃんねらーや Yahoo! コメンターの自己満足も — 私はまず嗤ってしまうのであるが —,やはりこれもどいつもこいつも皆同じという意味で怖い。集団主義は日本人のお家芸である。日本人もアリランのような芸当は得意ではないかと思う。二個師団くらいの自衛隊員がアリランに類した規律デモンストレーションを皇居外苑あたりでやろうものなら,諸外国は震え上がるはずである。

朱川湊人, My Chemical Romance

娘が高校の仲良しの女の子から CD を借りて来た。My Chemical Romance の第一と第三のアルバム。CD を再生したいのだが,アンプのセレクタが Phono になっていて,「どうして鳴らないの?」と娘は苛立っていた。「CD 聴くときはセレクタを DAD にするって教えただろ」(YAMAHA プリ・アンプ C-2x には CD ではなく DAD: Digital Audio Disc という往時のメニューがある)。機械にホント弱い。
 

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先日,『かたみ歌』を読んで以来,朱川湊人作品に首っ引きになっている。『花まんま』(文春文庫,2008 年),『わくらば日記』(角川文庫,2009 年),『水銀虫』(集英社文庫,2009 年)と立て続けに読んだ。その他の作品も Amazon で発注したところである。朱川マイ・ブームは依然継続中なんである。

『花まんま』,『わくらば日記』は『かたみ歌』と同じ味わいをもつノスタルジック・ホラーである。悲しい物語であっても,人情の熱いハッピーな読後感を残す。一方,『水銀虫』はそれとは真逆で,この平成の現代世相の物語であり,グロテスクで恐ろしい終末感が特徴になっている。ただし『水銀虫』でも,「わかる人にはわかる」描写は健在である。例えば,上野広小路のピンク映画館を抜けると不忍池に通じるという『枯葉の日』の件など,「ああ,あそこね」とその雰囲気を共有できる人には堪えられない。

『かたみ歌』には宮本輝『夢見通りの人々』にみられるような,ノスタルジーに隠れた時代の不条理に対するスコープがない,というような,愚かな感想をそのとき書いた。朱川ファンからは,一知半解の誹りを免れません。『花まんま』,『わくらば日記』のような大阪や東京・荒川を舞台にした連作短篇には,差別のような現代日本の陰部もテーマになっていた。

『トカビの夜』(『花まんま』所収),『夏空への梯子』(『わくらば日記』所収)でのその扱い方は,差別に対する批判精神に裏打ちされているのだけれども,いわゆる人道主義的・理想主義的・ユートピア的なキレイゴトでないところが,私のよう身近で差別を見て来た人間にはよくわかる。私と同じく,おそらく,作者・朱川湊人も在日朝鮮人・部落差別に対して,積極的に加担しはしなかったかも知れないが,声を上げて抵抗したわけでもない人々に属するのではないかと思った。そしてそういう己の弱さを長ずるに及んでも心の澱としてもっていて,自分はそれゆえに地獄落ちに運命づけられているのではないかという畏れのようなものが書くことの動力になっている。そう感じないではおれなかった。そこに深い共感が湧いて来る。作者は死後の世界,霊魂の存在を「本気で」信じているように,私は感じるのである。

『薄氷の日』(『水銀虫』所収)は,自分を「勝ち組」の運命に生まれついたと信じて疑わない美女が登場する。中学時代に陰湿なイジメで級友を自殺に追いやった。しかしそれを,自分の責任だとは露ほどにも認めない自信満々の幸せ者である。読んでいるうちから天の鉄槌が下ることは予想できるのだけれども,そこには悔悛と謝罪によって救われる可能性のモチーフがある。罪はこの異常なまでに自己中心的な女主人公に跳ね返るわけだが,誰でもそういう自分では意識しない深い罪を堆積させている,よく顧みよ,というように読める。じつはそこにこそ作品の怖さの本質があると思われる。朱川湊人の恐怖は自分自身のなかに意識せざる罪を意識できる人にこそ訴える。そういうヒューマニズムがある。
 

わくらば日記 (角川文庫)
朱川 湊人
角川グループパブリッシング

秋の夜長に

秋の夜長にはやっぱりバッハがよい。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ。あの長大なシャコンヌを含むニ短調パルティータがもっともよく知られていると思う。私はロ短調ソナタが好きである。アダージオとフーガが素晴らしい。これまで数え切れないほどの演奏家で聞いて来たが,やっぱりヘンリク・シェリングではないでしょうか。
 

バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(全曲)
ヘンリク・シェリング (Vln)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-10-21)
 
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讀賣ジャイアンツ,CS ファイナルに進出しましたね。なんで関東ではテレビ中継で観られないの? 我が阪神タイガースは予想通り一笑,いや一勝も出来ず,ポストシーズンを終えました。これまで天王山でタイガースが勝ったことがありますか? 阪神球団経営陣もおそらく今度ばかりは怒っているはずである。なんで甲子園で 3 試合まで伸ばせへんのや,1 試合分の売り上げがパーやんけ。来年の給料減額! 阪神ファンの反応が私の明日の楽しみである。

阪神タイガースの選手の皆様,そうはいっても今年も楽しませてくれました。アニキが打てないで,球児が打たれて負けたんだったら,しようがない! 次こそやってくれるという期待感。これでもって,来年こそやってくれるはずである!...?
 

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産經新聞配信のニュース『小沢氏提訴『筋違い』 検審経験者』をみた。アマチュアたちによる恥のかき捨てが可能な密室での議決に基づく「強制起訴」というのも笑ってしまうけれども,この記事に出ている「2年前に審査員を経験した関東地方の男性(60)」(そうそう,かつてのアマチュアのひとり)のコメントも無責任なアマチュアぶりで面白い。

「行政訴訟という対処は筋が違う。小沢氏は今までの発言通り,刑事裁判で堂々と争えばいいのに,提訴は戦術としか思えない」そうである。「刑事裁判で堂々と争えばいい」なんて,ほとほと無責任な野郎だと思ってしまう。あの被告席に立つことがどういうことなのか,この幸せな人にはわからないようである。「告発事実になくても資料に載っていれば重視しなければならないと考えるのは当然だろう」だって? 「資料」で人を「告発」できると考えるこの抽象性豊かな人,ナマ身の人間の痛みがまるでわからないようである。法制度のアマチュアは同時に人権のアマチュアでもあるらしい。安っぽい正義感に駆られて検察審査員という立場を振りかざして,思い込みでしかない犯罪を誅してやると息巻いている。また,こんなバカな見解を掲載して権力にすり寄る産經新聞のバカさかげんにもうんざりする。産經は,この手の一般国民無名氏のナマの声と称して,好き勝手な記事を書いて,排外主義や政治家悪代官キャンペーンを煽るのが好きなんである。

最近の 50 〜 60 代の人間の常識・考え方というものに対して,私は徹底的に懐疑的である。上の 60 歳男性のように,安全なところからただのきれいごとしか言わない人があまりに多いように私には思われるからである。先日朝日新聞で読んだ「ホタル族耐えられない」大学教員(この女性も 60 歳である)などは,極めて有毒な排気ガスについては自分が車に乗るからかまったく問題にしないのに,己が害を被っている副流煙については人の一生をダメにすると息巻いている。言っていることは正論なのだが,自分の都合しか考えていないのではないかと思ってしまうのである。「自然はいいなぁ,大事にしなくてはいけない」なんて言いながら,木から毛虫が落ちて来たら気味悪がって人に始末させるタイプというか。新聞にそういう人たちの意見が採用されているのは深い意味がある。この人たちの考え方が世の中を支配しているということなのである。そして新聞もその潔癖性に染まっているらしいということのなのである。

私は菅首相,岡田幹事長,前原外相,etc., etc. がどんなに嫌いでも,この世の中を悪くしたのは政治家だなんて思わない。彼らがそれなりに命を賭けて働いていることを私は理解しており,その意味で,このバカ・ブログでどんな罵詈雑言を書こうが,やはり尊敬に値する人たちであって,感謝さえしているのである。本当に日本をダメにしたのは政治家ではなくて,いまの社会常識を蔓延させた 50 〜 60 代と,彼らの考え方を代弁するマスコミだと私は思っている。人は政治家の振る舞いなんかではなく,身近にいる先輩の言うことに左右されるんである。日本の復活は,政府財政含めて日本社会・経済が 90 年代のロシアのように一度崩壊し,50 〜 60 代のキレイゴト世代,そして彼らの悪影響に染まった私たち 40 代がくたばったあとで,いまの若い人たちが成し遂げてくれると信じている。日本は自分で自分の歩むべき道を決められないという近代史をもっている。政治家が政治力を発揮して国家を立て直すなんてありえない。中国や米国の振る舞いによって既成事実的に国家が瓦解しないとおそらく何も変わらないのである。終戦後,戦前の軍国主義者たちがパージされたように,私たち以上の世代は「キレイゴト甘チャン世代」としていずれパージされるだろうと私は思っている。

Emacs 24.0.50: Aspell filter error, fontset

サーバ機 FreeBSD 8.0-RELEASE にインストールした Emacs 24.0.50 でもロシア語メールを書く必要が発生し,メールエージェント Mew, スペルチェッカ Aspell をセットアップした。前に書いたメモ『Meadow 3.01-dev, GNU Aspell 多言語環境(露・英・仏・独)』に従って Emacs - Aspell 環境を準備したのだが,flyspell-mode (入力の都度スペルチェックが自動で行われるモード) を起動すると,Error: The filter "nroff" does not exists なるエラーが出てスペルチェッカが使えない。

調べたところ,Aspell-0.60.6 では filter-mode がサポートされていて,例えば tex filter を使えば LaTeX の命令のスペルチェックをスキップしてくれるのだが,インストールの仕方によっては nroff などの filter が組込まれないらしい。そのくせ,これを要求しに行って,上記のエラーになったようである。

対策は各種フィルタを付加すること。FreeBSD 8.0-RELEASE で私が Aspell を再導入した場合では,./configure --enable-compile-in-filters で生成した Makefile で組込めば OK になった。

もし同じエラーが出てかつ再インストールが面倒なら,filter 使用設定を外す。すなわち,.emacs の Aspell 起動オプション設定に --mode=none(filter なし)を指定すればよい。以下のように書いておく。

(setq ispell-extra-args '("--sug-mode=ultra" "--encoding=UTF-8" "--mode=none"))

現在の Aspell にどんな filter がインストールされているかは,aspell dump filters とコマンド発行すれば確認できる。私の環境では当初 url filter しか組込まれていなかったが,再インストールで,email, html, sgml, context, url, nroff, tex, texinfo の各種フィルタが認識されるようになった。
 

* * *

Emacs 24.0.50 でメールを書くに際していまひとつ問題があった。fontset-standard で起動してもキリル文字で日本語フォント(要するに全角文字)が拾われて極めてみっともないのだ。なんて Emacs は面倒なんだ!

しようがないので,いちいち set-charset-priority (文字コードの優先順位), set-fontset-font (文字コードに応じたフォント設定) を指示しなければならなかった。フォント名(IPAGothic など)は,fc-list コマンドの出力からユーザの好みのものを指定する。備忘録として .emacs のその部分を掲載しておく。

;;
;; charset priority
;;
(set-charset-priority
 'cyrillic-iso8859-5
 'greek-iso8859-7
 'mule-unicode-0100-24ff
 'japanese-jisx0208
)
;; char width for Mew Summary
;;; iso 8859-5
(map-charset-chars
 (lambda
   (range ignore)
   (set-char-table-range char-width-table range 1))
 'cyrillic-iso8859-5)
;;; iso 8859-7
(map-charset-chars
 (lambda
   (range ignore)
   (set-char-table-range char-width-table range 1))
 'greek-iso8859-7)
 
;;
;; font face
;; - See output of fc-list command for fontname.
;;
(set-face-attribute 'default nil
            :family "DejaVu Sans Mono"
            :height 100)
;; japanese
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'japanese-jisx0208
 '("IPAGothic" . "iso10646-1"))
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'katakana-jisx0201
 '("IPAGothic" . "iso10646-1"))
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'japanese-jisx0212
 '("IPAGothic" . "iso10646-1"))
;; Unicode
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'mule-unicode-0100-24ff
 '("DejaVu Sans Mono" . "iso10646-1"))
;; cyrillic
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'cyrillic-iso8859-5
 '("DejaVu Sans Mono" . "iso10646-1"))
;; greek
(set-fontset-font
 (frame-parameter nil 'font)
 'greek-iso8859-7
 '("DejaVu Sans Mono" . "iso10646-1"))

Elena Firsova's concert

Facebook で Alissa Firsova から,Elena Firsova's 60th Birthday Concert の案内をもらった。Elena Firsova はロシアの作曲家で,若いころから西側で評価された。おそらく,Sofia Gubaidulina と並び称されるべき現代ロシアの女流である。Wikipedia にも彼女に関する記事がある。私も彼女の数ある弦楽四重奏曲,『12』等の室内楽曲,オシップ・マンデリシターム詩による歌曲などをこよなく愛聴している。Dmitri Smirnov のご夫人である。Alissa はピアニスト,作曲家で,お二人の令嬢である。演奏会は,11 月 4 日,ロンドン王立音楽院デュークス・ホールで行われる。残念ながら行くのは無理。Alissa の掲示板に詫びを入れておいた。

演目は,
- CHAMBER CONCERTO No. 1 for Flute and Strings Op. 19 (UK Premiere),
- LEAVING for String Orchestra Op. 86 (UK Premiere),
- CHAMBER CONCERTO No. 5 for Cello and Chamber Orchestra Op. 78.

Eloisa-Fleur Thom (Vln, Leader), Karine Georgian (Vlc), Zoya Vyazovskaya (Fl), Alissa Firsova (Conductor), Meladina Ensemble, etc. による演奏である。Dmitri Smirnov から快諾が得られたので,そのポスター画像をここにも転載しておく。中央の作曲者・写真はおそらく,演目の作品 19 を書いていた若かったころのものだと思われる。謎めいたスラヴの美女である。それはさておき,彼女の音楽は概して厳しい象徴に満ちている。この演奏会の模様も,Facebook もしくは YouTube にアップされないかなと,私は秘かに期待しているんである。
 

firsova_60years_concert.png

Amazon で入手できる Elena FIrsova のディスクから,私のお勧めを二枚あげておく。
 

Moscow Contemporary Music
Yu. Kasparov (Director), V. Ponkin (Cond)
Moscow Contemporary Music Ensemble
Международная Кинига, Москва, СССР.

Firsova: Mandelstam Cantatas
I. Dronov (Cond), E. Kichigina (Soprano)
Studio for New Music Moscow.
Megadisc
 
* * *

※ 付記

Dmitri Smirnov が YouTube の Elena Firsova のチャンネル http://www.youtube.com/user/elenaofirsova?feature=mhum を教えてくれた。ここで,今回の演目のひとつ LEAVING for String Orchestra Op. 86 (1998) の動画が観られる。集中力の高い象徴的音響がわかると思う。この曲は作曲家の父,物理学者だったオレグ・フィルソフに捧げられている。以下にエンベッドしておきます。

派遣法改正

派遣社員55%が『反対』=製造業への規制強化-東大調査』(時事ドットコム)の記事をみた。製造業の派遣禁止なんて「規制強化」は,いま疲弊した企業はとても受け入れられないはずである。この調査結果の示すとおり,労働者の失業リスクを高めるだけで,派遣業者を窮地に陥れ,企業の海外移転を加速させ,産業の空洞化を招くに違いない。

菅総理は,雇用問題の改善について自説を述べるとき,介護などの仕事の需要の高さについてことあるごとに強調する。確かにそのとおりだと思う。だけど,介護などは老人国日本の成長産業には違いないが,まるで国が沈み行くお手伝いに一縷の望みを掛けているようでぞっとしない。やっぱり国として,人を増やし仕事を増やす工夫がいるのではないか。

企業は安価な労働力と規制緩和を求めて海外に拠点を移す。国内需要がぱっとせずデフレがとまらない。人口減少に転じた以上,さらにこの傾向は高まる。どうしたらいんでしょうか。円高はいま現在歓迎されざる状況だけど,思い切って円高容認策に転じて,諸外国との FTA を早期に締結し,規制を大幅に緩和して海外からの投資を促進し,企業を誘致し,移住者を受け入れ,人も仕事も増やすのがいちばん経済を活性化させる気がする。自民党が大企業,農家,右翼を怖れてできなかったことである。これは新自由主義に近いけれども,小泉新自由主義の問題は中途半端だったために仕事の創設ができなかったことではないか。郵政事業だけじゃなく社会保険庁からなにからなにまで実行官庁は民営化してしまえばよいのだ。ネオコンの多い民主党もいまや変質し,この自民党と同じ事勿れ路線を歩みはじめている。

ま,でも,民主党政権を批判してもはじまらない。この国の経済を成り立たせている大多数は普通の働く人々であり,成功者は皆,法に従いながらも道を切開いているものである。経済の趨勢に法制度が堪え切れなくなれば,自然と規制緩和の方向に向こうと私は楽観している。そのうち財政が破綻して,官僚の大リストラの時代を迎えるに違いなく,小さい政府のなんでもありの時代が来るような気がしている。いずれにせよ,このご時勢は政治家のせいだなんて言っている人は,政治家に責任を押し付けているだけである。なんのことはない,落ちぶれる奴は結局「自己責任」を負う。

派遣法改正。明日は我が身か。

NHK 教育『藝術劇場』,サイトウ・キネン・オーケストラ 2010 の演奏会をたまたま目にした。武満徹の傑作『ノヴェンバー・ステップス』。

武満の音楽を聴いていると,音楽とはやっぱり「体験」なのだ,と思う。聴く,というよりも,人間が音を出すその場に立ち会うことが大事なんだと。現代音楽ワケわからんという人が多い。藝術という自由な世界においても水が低きに着くようでないと我慢ならないなんて,と私は思う。ま,人の趣味を云々してもしようがない。

現代音楽は,新しい音響の試みにおいて,メロディー,和声として「ああ,これこれ」というような「感性の自動化」を拒否しているに過ぎない。音楽という音の統制のあり方を再度問い直す,開かれた感じ方を要請する,といえる。ちっとも難しくないのに,現代音楽が「ワケわからん」と感じられるのは,ここに理由がある。秋の虫の声を耳にして風流だと耳を傾けるか,耳障りと感じるか,その違いでしかないのに。そこにはワケもクソもない。もちろん現代音楽にも「驚き」しかもたらさないクソのような音楽も多いのだけど。

妻が洗いものをしながら,「キヤー」と呟いた。現代音楽は幽霊でも出て来そうだというわけである。ドヴォルザークやスメタナ,シャンソンなどが好きな妻は,音楽の趣味でも,まったく私と合わないのである。「ちょっと,お父さんはマジメに聴いてんだから茶化さないで」と私はブツブツ。
 

武満徹 : ノヴェンバー・ステップス / ア・ストリング・アラウンド・オータム / 弦楽のためのレクエイム 他
横山勝也,鶴田錦史,今井信子,宮田まゆみ,
小澤征爾,サイトウ・キネン・オーケストラ
ユニバーサル ミュージック クラシック (2000-04-26)
 
* * *

柔ちゃん「引退」。「柔道の第一線から身を引く」とは語っているが止めるとは言わないところが彼女らしい。だから私は「お疲れさま」と迎えるわけには行かない。「二足のわらじ」と茶化したバカな小人どもは放っておこう。

彼女は代表選挙において,小沢さんの支持を取り付けるために民主党有権者に電話を掛けまくっていた。この人,金メダリストですよ。世界の頂点を極めた人なのである。そんな人が小沢支持のために一生懸命電話を掛けているのである。目的に向かって行動するときこのように形振り構わない谷亮子という人の姿に,私は言葉にならない感銘を受けたのである。そして,金メダリストをしてこういう仕事を引き受けさせることのできる小沢という政治家がそれに足る人なんだと思い知らされたのである。
 

* * *

パ CS ファイナル,ソフトバンクがやっと初日。和田投手 — 妻によれば「つのだじろうの主人公」(うしろの百太郎かよ)みたいな和田投手 — が好投した。さすが。妻曰く「これは霊力よ」。

検察審査会

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検察審査会の二回目の議決において「小沢氏からの借入金 4 億円」も「犯罪事実」に含めて認定されていることについて,小沢氏側はこれを違法として行政訴訟に踏み切るそうである。今日の朝日新聞夕刊に載っていた。チリの落盤事故から全員生還したとの大ニュースの横に,控えめに。面白くなって来たゾ。

今回の検察審査会での「起訴相当」の議決は,平均年齢 30 歳くらいのアマチュア一般国民によってなされたそうである。国民目線で事件性を審議するというこの制度それ自体は無意味だとはいえないが,まったくの密室で行われている以上,また,どうやって選定されたかも判然としないアマチュアによって決せられる以上,検察権力によって議決の方向性が誘導されている可能性が大いにありうると思う。なにしろ密室なのだから何だって想像してよい。じつは「議決」すらしていないのではないかと言う識者もいるらしい。今開かれている国会の予算審議会で民主党議員が,審査会の議事録を提出してほしいと至極まっとうな要請をしたのに対し,法務大臣は「個人の保護」のような名目でただちにそれを拒否した。え,何で? それなら一般国民発言者の氏名を伏せればよいのではないか? ヒミツ裏の議決なぞという似非民主主義で起訴され,犯罪者扱いされる人の人権はどうでもよいらしい。

裁判員裁判もアマチュアによる司法裁定の制度だが,この場合,公開制度であり問題判決が出ればただちに世の中から疑問が出てチェックされる余地があるし,裁判員の面も割れていていかにアマチュアといえども有無を言わさずそれなりの責任を背負わされるわけで,そこにこそ「人を裁く」ことに当たって則るべきフェアの根拠があると思われる。これとまったく同じで,検察審査会の議事録も公開されるべきではないだろうか。

小沢側の行政訴訟によって,こうした検察審査会の議決内容に至る過程が明らかにされればよいと思う。最近,評判の悪い検察がさらに評判を落とすかも知れないけれども,人をブタ箱にぶち込む権限を有する組織のふるまいが密室で行われているのは,やっぱりおかしくないか。フロッピーディスク偽造事件でとっ捕まった検事は,これまで密室でやりたい放題だったことを逆に露呈しているようでお笑いなんだけど,「取調べの可視化」を求めているんだそうである。「取調べの可視化」は被疑者に有利に働くという反対意見も多い。そうはいっても,少なくとも検察審査会なんていう被疑者不在のところでなされる議論の議事録くらい公にし,それを通して第三者が検証できるようにすべきではなかろうか。いい加減に議事録が作成されているかも知れませんが。

朱川湊人『かたみ歌』

妻とは読書の趣味がまるで合わない。私は江戸川乱歩風大正ロマン,泉鏡花風幻想ロマン,開高健風ピカレスクなど,どちらかというとエロ・グロ・ナンセンスへの志向のある文学が大好きなのだが,妻はいたって正統派であり,夏目漱石,大江健三郎,村上春樹などをよく読んでいる。古典文学・歌謡,俳句や短歌の造詣は,私なぞは仰ぎ見るばかりである。よって,お互いがどんな本を買うのか,お互いまったく気にせず本屋に行く。まず同じ本を買うことがない。それでもときおり意見が合うことがある。朱川湊人『かたみ歌』(新潮文庫,2008 年)はそんな一冊であった。本書は,先日テレビで観た『世にも奇妙な物語』の一作・掘北真希主演ドラマの原作を,妻が目敏くチェックして,買って来たものである。「本当に面白いからぜひ読んでみて」と妻。その通りであった。私は寡聞にして作者・朱川湊人が直木賞作家だとは知らなかった。

この小説は連作短編集というべきものである。昭和三十年・四十年代の東京下町の『アカシア商店街』という商店街を舞台にした,ホラー仕立ての人間ドラマである。私も妻も,作者とまったく同年代であり,作品に登場する世相を反映した事件や歌謡曲のどれをも,説明抜きで同じ共感をもって受け容れることができるのである。そういう実世界の懐かしい固有名詞が一種独特のファンタジーの記号になっていて,「わかる人にはわかる」世界を形成している。ま,ノスタルジーというわけである。

専門店の集合としてのかつての商店街に特有の,生活のために物を買い求めることと,店の主人・店員との人間関係とが分ち難く結びついていた,そういう旧き良きコミュニティを,朱川は「そうそう,あったあった」と感じさせるまでリアルに再現した。それだけではなく,人間の悲しい性がもとで起こる怪異の恐ろしさ,あるいは切なさを,さらに大きな他者への優しさ・思いやりで包み込むような物語性こそが,最近めったに味わえなくなった痛切な感動をもたらすのである。通勤電車のなかで『おんなごころ』,『枯葉の天使』を読みながら,私は不覚にも泣いてしまった。この作品の美点はノスタルジーではないということなのだ。

私はこの作品のノスタルジーをもっともよく共有できる世代だと思う。けれども,だからといって,この昭和三十年・四十年代を単純に美化したいとは思わない。本書の解説に「私たちが便利さとひき換えに失ったものを,本書は改めて思い出させてくれる」とある。その通りだと思うのだけど,これが昭和三十年・四十年代という時代に暮らしていた人々の社会性ゆえだとはまったく思われないのである。昭和を懐かしく思い出すのは人情だけど,一方でいまと比べて酷い時代であったことも私は否定できないのである。

私は大阪府住吉区,松原市で育った。この作品で出て来る商店街のような懐かしい風景も記憶のなかに確かにあるけれども,いまこの現代の日本のほうがよい時代なんだとつくづく思うことがある。大阪は朝鮮人差別・部落差別が酷かった。友人の家に遊びに行くと,そこの老婆などから「あんたどこの子ぉや?」とまず聞かれる。「高見ですけど」—「そか。ほんならえぇわ」。その答えによっては二度と家に入れてもらえなくなるのである。これは,家の子供の遊び相手が部落出身者ではないことをまず確認しているんである。友人の親から「あそこの子ぉと遊んだらあかんでぇ」なんて何度言われたことか。いまはこのような露骨な差別感情に出会うことはなくなった。もちろん,ネットでは陰湿なひねくれ自己満足の輩が匿名で朝鮮人差別発言を書き込んだり,有名人の在日朝鮮人のリストなどをサイトに掲載したりしているのをときおり目にすることがある。それ自体赦せない行為であって,差別が根絶されたわけではない。けれども,社会一般の common sense としては差別が明確に否定されるようになり,その考え方はかなり浸透していると思われる。こういう点ひとつとっても,いまの日本のほうがよいと私は確信している。『かたみ歌』には宮本輝の『夢見通りの人々』の味わいがある。しかし宮本の在日朝鮮人の描写に伺われるような社会の不条理に対する現実的視線は,この朱川作品には認められなかった。もちろんそれはそれで,いささかも『かたみ歌』の美点を貶めるものではないと思う。

「その頃は今では考えられないほど,世界に子供が溢れていた」と本書にある(p. 55)。そうだ。私などの中学校は一学年 10 クラスもあった。当時,子供は国の大切な未来の宝なんて誰もしみじみとは考えなかったのではないか。「子供がいて当然」だったのだ。ガキどもお前らうるさい! もっと静かに遊ばんかい!— そんな近所の偏屈オヤジとのバトルは日常茶飯だった。ガキが元気だったのだ。いま現在の不幸があるとしたら,少子化のために子供が大切になったがゆえに,きちんと育つかどうかに怯えてさらに子供を生まなくなった悪循環かと考えてしまった。
 

土屋英明『中国艶本大全』

文藝春秋社・文春新書から出ている土屋英明著『中国艶本大全』を読了。この手の本を読んでいると,妻や娘から「ほんとお父さん,エッチなんだから。エロオヤジ」と腐される。私は「うるせぇ」の一言で終わらせる。こんな面白い本は,「読んだり観たりして楽しむことと,実際に行わないと気が済まないこととの間には,千里の懸隔がある」ということを理解できる人だけが読めばよいのである。

本書は漢から宋,明の時代にかけての中国の艶情小説の概観,その代表的作品の案内である。数ある版を子細に比較検討し,岩波文庫の『金瓶梅』などは性交場面の一部が削除ないし未訳出であることなど,日本での出版・翻訳事情などをも解説している。なにより私の感心したのは,著者が理屈抜きでこのジャンルを愛し,野にありながら — 大学などというお上品な制約にとらわれず — 丹念に古書を漁り,ヴァリアントを比較し,典故を確認し,表現のレアリア (Realia) に迫ろうとする態度である。しばらく前に,山口椿著『ロベルトは今夜』所収の光野桃による解説文を読んで,「女の自由な魂の発露」だの,「頽廃と倒錯,異端のサディズム文学!」だの,「アンダーグラウンド」だのといった根拠薄弱かつ陳腐なレッテルを貼って「正当化」(頽廃,倒錯,異端,アンダーグラウンドは日本のインテリの間では無邪気な褒め言葉だ)せずにはエロを楽しめない,そういう底の浅いナイーブな教条主義に,私は吐き気を催した(ここに読後メモを残してある)。土屋は,そんな西欧かぶれのお上品な御仁たちとはまったく無縁。エロをエロとして愛する姿勢こそが本物の文藝愛好家の証であると私には思われるんである。

エロ小説が禁書扱いになった中国の伝統がわかりやすく整理されている。それゆえに散逸の憂き目をみた作品の数は測り知れないだろうということもわかる。弾圧が激しかっただけにエロの劇しさは日本のそれを優に凌駕しているという印象があった。さすが中国である。日本は伝統的にエロに寛容であったことが幸いして,日本に写本が伝えられ散逸を免れた作品は『遊仙窟』に留まらない。エロに関し,内容の劇しさでは中国に,蓄積の豊かさと大らかさでは日本に軍配が上がる,と認識させられた。それにしても本書を読むと,この分野でも日本は中国の偉大な伝統に負うところ大だったことがよくわかり,私は中国古典文学に対する尊敬をしみじみと新たにするのであった。

政府による厳しい弾圧のあるところ,表現において典故を踏むなどの奥ゆかしい仄めかしの文学技法が発達する。それは帝政時代・ソ連時代のロシア文学でも大いに適用できるあり方である。研究者は,表現がいかなる現実を踏まえその目指すところは何だったのか,すなわち表現のレアリアを,膨大な文献の渉猟,生活様式・歴史背景の理解を通して明らかにしようとする。土屋もそういう文学背景への理解を踏まえ,「判じ読み」の必要性を説いている。その読みはたいへん興味深い。『遊仙窟』の唯一の「濡れ場」について,岩波文庫・今村与志雄訳と,本書の土屋訳とを比べると,その著しい違いに驚かされる。

口を吸うたびに快感がはしり,抱きしめるたびにうれしさがこみあげた。鼻がつんとし痺れ,胸がつまった。しばらくして,眼がちらつき,耳がほてり,血管がふくらみ,筋がゆるんだ。
張文成『遊仙窟』今村与志雄訳,岩波文庫,1990 年,p. 90。
[ 髀子(ほと=女陰)に:私註 ] ぐっと食い締められ,なんともいえない心地がしたので,押しつけて奥まで入れた。先がむずむずしてきた。まつわりついてくる。あっと言う間に鈴口がしびれて雁首が熱くなり,筋張ったとたんにいってしまった。
土屋英明『中国艶本大全』文春新書,2005 年,p. 79。

まったくレアリアの理解が違う。今村による意味不明の訳文も味がないわけではないが(「うれしさがこみあげた」なんてまるで小学生の作文じみたところが,却って陰湿な具体を想像させる),実際の情景はおそらく土屋の訳文のほうが的を得ているといえよう。「鼻」はペニスの先のことだというのが土屋の「判じ読み」なのだが,確かにそう解釈しないと「血管がふくらみ,筋がゆる」むことの何たるかというレアリアが活きて来ないことがはっきりとわかる。岩波文庫に今村が付した長大な解説は作品を理解するという意味においてはいったい何だったのだろうかと思われるくらい,土屋の解説・訳文には「目からウロコが落ちた」気にさせられる。見えないものを見えるようにしてくれるわけだ。とはいえ,張文成の仄めかしの奥ゆかしさも訳文で表すことができればよいのに,という気持ちも私にはある。こうも明け透けに訳しちゃあ,やっぱゲビてるよなと。

本書は,『遊仙窟』のほか,『如意君伝』,『痴婆子伝』,『金瓶梅』,『僧尼孽海(そうにげっかい)』,『春夢瑣言』について紹介している。いずれも,そのエロ表現の特徴や儒教・老荘思想・古典文学伝統との関係,日本文学との趣味の違いについて蒙を啓いてくれ,作品の触りの訳文で滅法楽しませてくれる。本書を読めばエロ小説も現代日本の官能小説よりも中国の古典のほうが毒がありかつイヤらしさも凄いと感ずることを,私は請け合う。まぁ,そういう次第で,ある人には下品な俗流文学解説本だと映るんだろうけど,私は本書を支持します。土屋英明は中国のエロ文学の訳書,房中術に関する著書をいくつも物している。私もちょっとハマりそうである。
 

Post Scriptum.

本書を読んだあと,晩ご飯のときに子供たちに教えてやった。「中国語で『チンポ』のことを『鶏巴=チーパ』というらしいよ。なんか日本語と似てるよね。女の子が恋人を『バカねん』と軽く罵るときも『チーパ』って言うんだって。だから,中国人は『千葉県』のことを耳にするとクスクス笑うらしいよ」。受けた。おかげで,私にとって LaTeX の TIPA(国際発声記号パッケージ)もただごとではなくなってしまった。そうそう,LaTeX だってラテックス・コンドームを連想してしまうんである。

川崎散歩1011

今日は体育の日。雨も上がり,雲一つない暑い日だった。妻と散歩。いつもバスで行く道を歩くことにした。府中街道(国道 409)の鹿島田中町バス停から出発。JR 南武線踏切そばに綺麗なコスモスが咲いていた。

20101011_sanpo_1.png

バス通りに沿って武道館,東芝小向工場へ向かう通りを行く。祝日の工場は静まり返っていた。工場の向かいの民家の庭に,山茶花だろうか,赤い花が咲いていた。

20101011_sanpo_2.png

二国(第二京浜,国道 1 号)を渡り,妙光寺を過ぎて戸手町,河原町。このあたりは築ウン十年の古いアパート・団地群と,多摩川沿いに林立しはじめた高層マンションとが,バス通りを境に対峙する面白い風景が広がっている。このあたりは旧東芝堀川工場の裏手で,高度経済成長期には工場で働く多くの世帯で賑わったのだと想像する。

団地内の児童公園で一服。金木犀の花がウニのように散り敷かれていた。クロアゲハが飛んでいた。遊ぶ子供はいなかった。

20101011_sanpo_3.png

河原町団地横の遊歩道は,ホームレスのバラックがたくさんあって,あんまりイメージはよくないけれども,川崎らしい雰囲気がある。その入り口を過ぎ,ボクシング・ジム(これこそ『あしたのジョー』の川崎!)を過ぎ,韓国小料理屋のところで住宅街に入る。

20101011_sanpo_4.png

狭い道を行くと,ニコニコ通りという味のある細い商店街に出た。しかし,悲しいくらい寂れている。下りたシャッターばかりが目立ち,営業している店は花屋とコンビニくらいしかなかった。休業の肉屋は陳列棚の前で,なかなかイカしたバイクの手入れをしていた。幸町という界隈である。昔,明治天皇の行幸があった由。それゆえ幸町,幸区。ニコニコ通りが終わると,川崎駅西口のラゾーナ川崎の巨大な駐車場が現われた。

JR 川崎駅舎に通じる信号のそばにある,女躰神社にお参りした。「女体」と書くと驚くだろうが,「女躰」(「体」の異体字)もしくは「女體」(「体」の正字)だとピンと来ない人が多いかも知れない。同じ意味である。入ってすぐに見事な銀杏の木があるこのお社は,伊弉諾神,伊弉冉神,天照大御神,建御名方神,誉田別命と,いたく豪華な五柱をお祀りしている。想像通り,家族和合のご利益があるそうである。なんとわが幸区には,この女躰神社のほかにもうひとつ女體神社があり,なんかニタニタしてしまうんである。お社の敷地内に女躰神社幼稚園があった。「ボク,どこの幼稚園に通ってるの?」—「ニョタイ」。そんな会話がなされているんだろうなと苦笑。賽銭を投じて,二拍手を打って来た。

20101011_sanpo_5.png

そのあと東口の銀柳街でお買い物をした。だいたい 12,000 歩のウォーキングだった。
 


より大きな地図で 川崎バス経路散歩 を表示

大学の友人

昨日,大学時代の友人 T から電話をもらった。私の名前を奥村先生の『pLaTeX2e 美文書作成入門』で見つけて「まさか」と思ったという。彼の声を聞くのは,長期入院した私を彼が病院に見舞ってくれて以来であった。電話では私も忘れてしまっていたような学生時代の話が彼から出て来て,私もついつい夢中になって一時間以上の男らしからぬ長電話となってしまった。

T は青森県出身,函館ラ・サールから北大理学部数学科を出てドイツに留学したのち,東京電機大学の教員となった。早稲田でも教えているという。私の専攻はロシア文学だったので,T とはまったく畑違いなのだが,音楽という趣味を通して彼と知り合うことになり,長い付き合いになった。私の恥ずかしい過去を妻以上に知っているひとりである。彼はヘタなチェロを弾いた。トスカニーニのベートーヴェンに心酔していた彼は,私とは音楽の趣味がまったく合わなかった。彼の私との共通点といえば,クラシック音楽という枠組みを除くと,何の役にも立たない学問をしているところだけだった。解析(微分・積分)の教科書を目下執筆中という。その文房具である TeX についても,いろいろ調べていて,それで『美文書』を手に取った次第だという。数学関係の出版社は TeX 入稿が当たり前である。

彼は数学を先攻していることもあり,学生時代から TeX を使っていたという。いまでこそ LaTeX に親しむ私も,大学時代は電子計算機とはまったく無縁で,理科の友人たちの計算機話はチンプンカンプンでそのあたりのことが記憶から欠落している。T によれば,北大では 1980 年代後半には HTeX (Hokudai-TeX の略であろうか) なる独自のフォーマットファイル(AMS-TeX の独自改造版だったらしい)が学内で普及していて,理科学生の一部はこれを使って論文を書いていた。この HTeX は,Leslie Lamport によるいま主流の LaTeX ではなく,Knuth 教授による TeX82 に近いプリミティブなものであっただろうと想像すると,私など足下にも及ばない TeX 道を T は歩んでいたのだと,いまさらながらびっくりした。

学生時代の私の友人で計算機を学んだ者たちは,いまより遥かに性能の劣る計算機を使っていたわけだが,やっていることはいまよりずっと高度だったのではないかと思う。いまの学生は論文作成は Microsoft Word, Excel でこと足りるので,TeX なんてよほどのことがない限り選択肢とならない。私が二年前東大に論文を提出したときも Word 形式でないと受け付けてもらえなかった。いまでは PC で動作する研究者向け科学技術関連ソフトがいくつも出回っているが,当時は大型計算機のソフトウェアはコンパイラ以外は DB / DC,ソート・マージなどのファイルユーティリティ,数値計算ライブラリなどがあるばかりで,自分の研究のために必要なすべてのアプリケーション・ソフトウェアを自分で書かなければならなかった。さらに,その研究成果である論文を,TeX で「プログラミング」して書いた。Word が TeX よりも低級だというわけではないけれども,私がここで「高度だった」というのは,使う者よりもそれを作る者の方が技術的に高い位置にいる,くらいの意味である。さらに言うと,Word よりも TeX の出力のほうが遥かに美しいということである。しち面倒くさいことを原理から学んで身につけないとならないことがらがコンピュータリテラシーに付いてまわるだけに,Fortran とアセンブラのプログラミング素養がコンピュータと付き合う第一条件であり,計算機を使うことがプログラミングに直結した時代だったのである。

T とは違うが,私の理科の友人のひとりに,理学部の恐るべきハッカー A がいて,こんなことがあった。当時,北大大型計算機センターでは日立の HITAC S-810 というスーパコンピュータが稼働していた。A は通常はフラクタルだかなんだかの解析計算をこのマシンで走らせていたが,たまに遊びのプログラムを動かしていた。EBCDIC (ASCII のような英数字だけの IBM 汎用機コード) 文字だけでアスキーアートを描画するコードを書いて,大型計算機の 133 文字 30 行の文字しか打てないラインプリンターにアスキーアートを打ち出してくれた。ラインプリンターの出力した NIP 紙(連続紙)を一定の長さで切って貼り合わせると, 3 m × 3 m くらいはあっただろう,6 畳間の壁一面のどでかい中森明菜の美しいグレースケール写真が立ち現われて,皆で「おー」と拍手喝采した。大型計算機用の画像スキャナなんてとても望める時代ではなかったのである。どういうコード・テクニックで A がこれを実現したのか,私は計算機システムの専門家となったいまでも想像できない。

T と久しぶりに話をして,そういった往時の計算機事情にいまあらためて驚きを甦らせてしまった。

共食い

元厚生労働省局長郵便不正事件の無罪判決を受けた後始末の過程で,証拠捏造(フロッピーディスク偽造)の疑いで検察官が逮捕された。このところ,この郵便不正事件,中国漁船事件等,首を傾げさせられる検察の行動が立て続けに明るみに出て,とうとう逮捕者が出る始末である。その一方で,鈴木宗男衆議院議員の上告が棄却されたり,小沢さんが検察審査会によって「強制起訴」に追い込まれたり,立ち小便のようなどうでもよい罪状で「日本の巨悪」を捏造する検察の成果を,世の中が追認するということが並行的に起きている。

検察特捜部が「時代のケジメ」として象徴的な政治家,実業家をさも大悪党であるかのごとく世論操作した上でしょっぴく過程が,佐藤優『国家の罠』に克明に書かれている。今回の検察官逮捕も,検察による「時代のケジメ」なのだろうか。検察はこれで自浄能力があることを示したいのだろうか。いや,私にはただの共食いにしか見えない。

フロッピーディスクの偽造が郵便不正事件の裁判においてどのような役割を果たしたのだろうか。もちろん,犯罪を立件する立場にある人が証拠捏造ととられかねない行為を犯した,ということは大問題なのだけど,この偽造事件の端緒となった郵便不正事件に現れた最大の問題点=検察による事件のデッチ上げ体質に対するマスコミの追及を,フロッピーディスクの偽造という小さなテクニカルな事件で混ぜっ返そうとしているとしか,私には思われないのである。検察官逮捕に至る過程で,郵便不正事件のデッチ上げそのものの構造的問題(検察のストーリーに合うことのみ記載する強引な調書取り,物的証拠不十分なままの立件など,検察のやり方の根幹にある大問題)は忘れ去られようとしていませんか? 村木厚子さんが今回のデッチ上げについて「被害届」でも出して告発してくれると,この構造的問題がもう少し議論されるようにも思うけれども,無理でしょうね。フロッピーディスク偽造事件は,検察が共食いしてヘマしたシッポを吐き捨てた感じにしか思われません。

NHK の記者が警察のガサ入れ情報を事前に相撲協会に漏らしていた事件も,なんでこんなつまらないことで「報道倫理」を追及するのか,私にはサッパリわからない。ジャーナリスト,ニュースの追っかけなら,誰だって特ダネのために交換条件で情報提供することがあるはずである。それらに「情報漏洩」に該当する秘密事項が含まれないわけがない。「秘密」だからこそ価値のある情報だからである。なぜこんなことが大騒ぎになるのか。私はこれも,マスコミが「報道倫理」を叫んで同業者を叩くことで,共有するもっと大きな問題から世の中の眼を逸らしているとしか思われないのである。

今般,元内閣官房長官・野中広務が暴露した機密費問題で,政府要請事項に対するなんらかの見返りにマスコミが国から金銭を受領していたことが明らかになっている。市民の立場で事実に基づいて国政の動向を伝え問題を追及するべきマスコミが,国に買収されていた可能性があるわけである。しかし,この問題を追及しようとする大新聞がまったくない。ジャーナリストなら誰でもやっているに違いない「情報漏洩」でことさら騒ぎ立てるくせに,なんでこうした根幹に関る大問題を無視するのか。つまらない問題を反省するが,己の最大級の恥部はひた隠しにする。NHK 記者情報漏洩問題も,共食いにしか私には見えません。

misima ope 備忘録

misima 辞書を手直ししたはよいが,misima サービス再起動の方法をすっかり失念してしまった。しばらくオペレーションしていないとすぐ忘れる。改めてドキュメントを調べて復習。アンチョコを自分のためにしるしておく。%, # はそれぞれ一般ユーザ,スーパユーザでの tcsh シェルオペレーションなり。

サーバ起動後のサービス開始

ja_JP.UTF-8 Locale に切替えて misimarestart を発行する。ウラで FreeBSD mfs メモリファイルシステム割当: mdmfs -F newimage -s 5m md0 /usr/local/etc/misima/, 辞書・misima CGI / SOAP Web Service 初期設定パラメータのメモリファイルシステムへのコピー, Apache22, Tomcat55, misimaserver (misima SOAP Web Service Daemon) の再起動が動く。
# source .langrc
# misimarestart

茶筌ユーザ辞書更新時のリビルド

開発ディレクトリ: ~/src/misima/ にて以下を発行。ウラで茶筌辞書ディレクトリへのユーザ辞書ソースコピーと茶筌辞書生成: makeda -i w user user.dic が動く。
# make chasen-dic-install

misima システム辞書更新時のリビルド

~/src/misima/ にて,バークレイ DB dbm を再構築し(ウラで genmisimadbm が動く),管理ディレクトリにコピーしたのち,misimaserver を再起動する。その後,misimaserver が 4 プロセス常駐していることを確認する。
% make misima-dic-rebuild
% su -m
# killmisimaserver
# misimaserver -p 34000 -r /usr/local/etc/misima/misimaserverrc & 
# ps | grep misima
46107   1  S+     0:00.00 grep misima
45929   2- I      0:00.25 /usr/bin/perl /usr/local/bin/misimaserver -p 34000 -r
45930   2- I      0:00.00 /usr/bin/perl /usr/local/bin/misimaserver -p 34000 -r
45931   2- I      0:00.00 /usr/bin/perl /usr/local/bin/misimaserver -p 34000 -r
45932   2- I      0:00.00 /usr/bin/perl /usr/local/bin/misimaserver -p 34000 -r

いろいろと濃い数日

10 月 1 日からたばこが値上がり。会社でも「たばこ今度こそやめる!」と気合いをいれている人が多い。「やめる,っておっしゃる方が滑り込みの買いだめなんてなさるんでしょうか?」とからかってやった。私はというと,お小遣いが底をつき,買いだめなんてできませんでした。値上がりした分本数を減らす — これが私のいまの方針。レベルが低い。

今回のたばこ増税は,これまでの財務省の切り札というよりも,厚労省の健康増進の思惑のほうが重要視されているようである。たばこの害が要因で健康保険料が押し上げられているのを喫煙者の減少で抑制する,これこそ税金の無駄遣い削減の手段だ,というわけである。考え方は納得できるけれども,こういうのはきちんと結果も評価して国民に知らしめてほしいと思う。これまで,たばこ増税は何度も行われているのに,税収はずっと約 2 兆円で横ばいだという。要するに値上げのたびにたばこそのものの売り上げが減っているわけで,国税庁も今回の税収効果もあまり上がらないとみているのではないか。税収額とともに,たばこ害要因による健康保険料の推移もぜひ検証していただきたいと思う。たばこ税収額が変わらないのに,健康保険の支出も変わらないとなると,たばこ害悪で健康保険料が増大するという見立てもウソだとはっきりする。私が言いたいのは,ウソで税金の取りどころを決めるのは止めてくれということ。

受動喫煙が要因で死ぬ人が日本では年 6,800 人との毎日新聞電子記事を読んだ。いい加減な「推定値」でも厚生労働省研究班が出したともなると,数字が一人歩きしてもおかしくない。私はこれはうまく吐かれたウソに違いないと思っているのだが,その真実性はじつはどうでもよくて,世の中がそういう流れであることが重要なのである。地球温暖化と同じである。その流れに逆らってはいけない。たばこはやめたほうがよい。

徳之島にいた祖父は十代でたばこを嗜むようになり,「わかば」を毎日一箱必ず吸い,夜は毎日奄美焼酎を呑んで,気分がよくなったら三線(さんしん)を弾いて島唄をうたって,95 で大往生した。私の親父は,中学卒業以後,騒音と粉塵に塗れた町工場で 50 年を勤め上げ,おかげで耳が難聴になり肺に工業粉塵が溜まりまくっている。零細町工場ゆえに労災なんて知るもんかである。毎日必ず,『ハイライト』を一箱吸い,ウィスキーをダブルで二杯くらい呑んでいたが,75 になるいまもボケもせず寝たきりにもならず人並みに元気に暮らしている(最近心筋梗塞で死にかけたけど)。たばこ一本で寿命が 5 分縮まるらしい。エリートたちが一生懸命計算したそんな「推定値」より,私は目の前の人間の命のあり方のほうを信じる。どんなに健康に気を使っていても,あっけなく死ぬ人がいる。でもたばこはやめたほうがよい。愛煙家の私が言うことではありませんが。
 

* * *

昨日,「ザック・ジャパン」初陣=アルゼンチン戦で,信じられないことに,日本が勝利した。おまけに無失点。私は会社の飲み会で見逃したのだが。ワールドカップでの意外な活躍ののち,最近のサッカー日本代表は元気である。新しい監督になってまだ日も浅いので,この勝利は監督の徳というのではなさそうである。いつまでこの元気が続くのだろうか。
 

* * *

やはり昨日,讀賣巨人軍が最終戦で信じられない負け方をし,今年のペナントレース 3 位が確定した。先日,阪神タイガースが,ここぞというときのいつもの弱さを発揮して,下位チームに敗れ自力優勝,自力 2 位確保を逃していたところだった。讀賣はそのさらに上を行くだらしなさを最後の最後で出してしまったわけである。阪神の体たらくは予想していたが,讀賣のこの逆転負けを耳にして私は阪神ファンとしてもちょっと意外でショックを受けた。

飲み会から帰って来て,スポーツニュースを見,Yahoo! ニュースをチェックした。Yahoo! ニュース,讀賣ジャイアンツのトピックに掲載された 3 位確定を報ずる記事を見ると,予想通り,阪神ファンと思しきコメンターたちによる「ざまぁみやがれ」風の下品極まりない書き込みが多かった。自分の贔屓チームの体たらくを棚に上げてこういう怪気炎を上げられるおめでたさ — じつは私自身阪神ファンをやめられないのは,こういうガサツな阪神ファンと弱い阪神こそが堪らなく好きだからである。

阪神球団は,大事な大一番を常に落として来た監督・コーチ陣の去就について,来年の留任を早々と決めた。私なんかは笑ってしまうのだけれども,これは球団経営者による「温存」ではない。期待を持たせて結局ダメだったというのは「人気球団」の経営者にとってもっとも望ましい結果であって,「真弓君,ありがとう」という本当の感謝が現れた決定なのだと私は思う。だって,優勝なんかしちゃったら選手もコーチ陣も,活躍した者,しなかった者等しく,その給料を上げてやらなければならない。ただでさえ,年寄りの多いチームゆえ給料が高騰しているのだ。今年のようにいいところまで行ったけどダメだったなら,マートンのような大記録を達成した選手を除いて,給料を上げなくてすむ。一方で,強力打線を売り物に優勝への期待が高かった分,観客数,テレビ放映権料が上がってウハウハだったわけだ。この巧みな球団運営は,昔からの阪神球団の体質だと私は思っている。中日なんて見てみろよ。優勝しても,まったく面白みのない球団じゃあないか? 中日の話題といえば,いまだに落合監督の「オレ流」何々しかないじゃあないか? 武士は喰わねど高楊枝ってか?
 

* * *

ノーベル平和賞にはじめて中国人が選ばれた。受賞者・劉暁波氏は,天安門事件以降,中国政府による自由の圧殺を糾弾し続けて来た気骨のある人で,現在も収監されているそうである。この反体制派の「平和賞」受賞に対し,中国政府は猛反発。よしよし,こうして中国政府が世界から弄られればよいと思う。

今回の中国政府の異常な反応(ノーベル賞委員会とノルウェー政府を同一視するような脅迫じみた声明を出すのは,この受賞問題で中国政府がよほど冷静さを欠いている証拠である)が,人権問題を焚き付けられることを中国政府がいかに恐れているかをよく示している。中国はこのような人権問題や民族問題(チベットなど)で国際的批判が高まり,国内に飛び火するのをもっとも恐れているに違いないのだ。

こういう形で世界世論をして隠然と中国政府を袋だたきさせる政治的手法を,日本政府ももう少し身に付けた方がよい。欧米/ロシア/中国のように日本政府も「卑怯で汚い手」をもっともっと使えというのである。目的のためには手段を選ばない下品な政府になってほしい。今回の漁船問題の報復として中国がレアアース禁輸をしたり,一般企業人 4 名を拘束したり,という汚い行動に出たことを,日本はもっと「世界に向かって」発信すべきだろうと思う(国内向けに自己満足反中バカを煽るだけではなく)。「中国で商売をすると国の勝手な思惑で企業が振り回される」という印象を,欧米のマスコミを使って増幅するのである。

なにしろ,日本のマスコミは国際的影響力が文字通り「ゼロ」なのであるから。「中国人は民度が低い」とかなんとかのバカな内容を暗示するばかりの自己満足的反中プロパガンダを,国内向けにしか発揮できないんだから。家族が崩壊しつつある日本の「民度」こそ嗤うべきことが自覚できないらしい。そして,中国政府を中国人そのものと同一視し,中国批判を中国人差別に転嫁するだけのバカ Yahoo! コメンター,バカ2ちゃんねらーなどの自己満足的・ガラパゴス的・日本的匿名ひきこもり連中(「売国奴」,「民度が低い」というコトバが大好きな連中)を増殖させている。日本のメディア,インターネット世論はまさにガラパゴス化ダメ日本の典型なんである。中国の動物園も首を傾げるような光景が観られて楽しいけれども,日本の動物園のマスコミ檻,ネット右翼檻はもっと観ていて笑えるのである。
 

* * *

朝,会社に向かう途上,通勤電車を待っていると,金木犀のいい匂いが漂って来る季節になった。なにはともあれ,これこそがいちばんである。長き夜に一句でけたと川柳詠み。失礼しました。

MusiXTeX in Russian

先日,楽譜組版 TeX パッケージ MusiXTeX の Mac OS X Snow Leopard への導入について書いたとき,ロシア語を出力することについて少し触れた。今日はもう少し詳細にその方法についてメモをしるしておく。

MusiXTeX は Plain TeX でコンパイルできるのだが,標準では 8 bit キリル文字の入力も出力も受け付けない。キリル組版用にフォーマットファイルを生成し,これを用いて MusiXTeX の .tex ファイルを処理する必要がある。このためには Cyrillic t2 パッケージ(CTAN:macros/latex/contrib/t2/)及び ec-plain パッケージ(CTAN:macros/ec-plain/)が必要である。前者は ptexlive には初期導入されている。これらを TeX ツリー(plain-TeX から参照できる $TEXMF/tex/generic/ あたり)にインストールしておく。

キリル組版用フォーマットファイル cyrtex.fmt を生成するわけであるが,使用するキリルフォントに応じて cyrtex.cfg を修正しておく。デフォルトだと LH LCY フォントを使用する設定になっているが,LCY はどうも Type1 フォントも見当たらないし,私は LH T2A 用のフォントを使うように変更した。つまり,cyrtex.cfg をカレントディレクトリにコピーして来て,これのはじめのほうにあるフォントエンコーディング選択の指定において,\c lh/lcy/lcydefs/cm/cyrcmfnt をコメントアウトし,かつ \c la/t2a/txxdefs/ex/cyrecfnt を活かすように訂正する。変更したら,cyrtex.fmt を生成する。

% cp `kpsewhich cyrtex.cfg` .  (cyrtex.cfg をカレントにコピー) 
% emacs cyrtex.cfg &  (Emacs で cyrtex.cfg を訂正)
% tex -ini -fmt=cyrtex cyrtex.ini  (フォーマットファイル生成)

MusiXTeX プリプロセス原稿 PMX ファイルには,以下のようなコードを冒頭のマクロ定義のところ(--- で囲んで定義するところ)に書いておく。

---
% font definitions for cyrillic
% 8pt roman, bold, and italic 
\font\eightrm=larm0800 % at 8pt\
\font\eightbf=labx0800 % at 8pt\
\font\eightit=lati0800 % at 8pt\
% 9pt
\font\ninerm=larm0900 % at 9pt\
\font\ninebf=labx0900 % at 9pt\
\font\nineit=lati0900 % at 9pt\
% 10pt
\font\tenrm=larm1000\
\font\tenbf=labx1000\
\font\tenit=lati1000\
% 12pt
\font\twelverm=larm1200 % scaled \magstep 1\
\font\twelvebf=labx1200 % scaled \magstep 1\
\font\twelveit=lati1200 % scaled \magstep 1\
% Large fonts for titles : normal shaped Times-Roman fonts are applied
\font\bigfont=labx1440 % scaled \magstep2, 14pt\
\font\Bigfont=labx1728 % scaled \magstep3, 17pt\
\font\BIgfont=labx2074 % scaled \magstep4, 20pt\
\font\BIGfont=labx2488 % scaled \magstep2, 25pt\
% inputenc
\input plainenc\relax\inputencoding{koi8-r}\
...
---

これは MusiXTeX が要求する文字組版用フォント一式を LH T2A cmr に割り当てる定義である。また,最後の \input 行は,原稿の文字コードを KOI8-R とすることを示す。ロシア語テキストを Windows CP1251 で作成するなら,\inputencoding の引数に cp1251 を指定しなければならない。UTF-8 は処理できない。

さて,以上のような前振りをした上で PMX 原稿の楽曲部分を準備する。今回,ロシア語を含む MusiXTeX 組版例として,ドミトリ・ショスタコーヴィチ作曲『弦楽四重奏曲第 13 番変ロ短調作品 138』第一楽章冒頭を作成してみた。この曲はショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のなかで私がもっとも愛するもの。ヴィオラのモノローグの悲痛な作曲者最晩年の作品である。ウェーベルンの楽譜と比べるとかなりシンプルなので,40 小節近くを結構ラクにコーディングできた。参照した市販のスコアは Dmitri Schostakowitsch STREICHQUARTETTE op. 138 / 142 / 144, Musikverlag Hans Sikorski, Hamburg, 1978 である。この市販スコアでは表題はドイツ語なんだけど,今回の例のために私はロシア語にして組んだ。PMX 原稿 shostako_op138.pmx を掲載しておく。これを次のようにして処理する。cyrtex.fmt がカレントディレクトリにあるものとする。

% ls
cyrtex.fmt              shostako_op138.pmx
% pmxab shostako_op138
% tex -fmt=cyrtex shostako_op138
% musixflx shostako_op138
% tex -fmt=cyrtex shostako_op138
% dvips -Ppdf shostako_op138.dvi -o
% ps2pdf -sPAPERSIZE=a4 shostako_op138.ps shostako_op138.pdf

組版結果の一部は図 1 のとおり。処理結果 PDF: shostako_op138.pdf も掲載しておく。

shostako_op138.png

図 1. MusiXTeX 組版結果

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第 13 番作品 138 を収録した CD も挙げておく。ロシア現代音楽を得意とするブロツキイ四重奏団による演奏である。
 

Beethoven: Die sämtlichen Streichquartette

誕生日のプレゼントに CD をもらった。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。ウィーン・アルバン・ベルク四重奏団の演奏による名盤である。EMI 輸入盤。7 枚組でなんと 2,490 円。

ベートーヴェンの弦楽四重奏は難解過ぎて,なかなか好きになれなかった。でもその凄さがわかると,ベートーヴェンの真価は交響曲なんぞにではなくピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲にこそあると思わずにおれなくなった。こんな音楽が 19 世紀の第一四半期に書かれていたということに驚く。
 

Complete String Quartets Grosse Fuge
Alban Berg Quartett, Wien
EMI Classics (1999-10-15)

『停電少女と羽蟲のオーケストラ』

もう公開を止めてしまった misima のユーザーの方から CD をいただいた。作詞家・歌手・声優の江幡育子さん。『停電少女と羽蟲のオーケストラ』のテーマ曲等,彼女が製作に関った関連作品 4 枚。詞の旧字・旧仮名遣いのために misima を使ったそうである。詩歌の表記変換で misima をお使いの方からよくメールをいただき,それを機にいろいろと興味深いニーズ,旧字・旧仮名遣い事情を知るところとなり,ときおり,このようにお仕事の成果をいただく機会もある。misima 作者として冥利に尽きる。

『停電少女と羽蟲のオーケストラ』を私は寡聞にして知らなかった。ググってみると,ドラマ CD として人気を博しているようである。IM プロデュース,二宮愛原作・脚本,竹内順子,櫻井孝宏,平田広明ほかの声優,ZIZZ STUDIO の音楽による作品。ジャケットにある田倉トヲルによるイラストは,椿や薔薇の花,蝶,菊の紋章などが特徴的にあしらわれ,和風アールデコというべき魅力がある。

イラスト・キャラクターデザインで視聴者にアニメのイメージを動機付け,ラジオドラマのような声だけの芝居で楽しませてくれるこのような新しいメディアもあるんだと知り,興味深かった。盲目の主人公・灰羽(はいばね)のように音だけで世界を想像しながら物語に聴き入る — テレビよりラジオにこそ論理的想像力を刺激されその面白みを理解できる人にはお勧めである。「アニメを観ないでアニメに萌える」ことのできる,一段高度な時代に突入したということか。

「停電少女」— アニメによくある「電気ブラン」風造語である。昔はハイカラなものに「電気」何々と命名したそうだが,アニメでも,「電気・電波」系が一種独特の意味で使われることが多い。この「停電少女」は,蛍の化身的存在,主人公・ネムの発光能力を失った姿を意味するようである。こういう欠落感を主人公に纏わせるところが,私には現代的に思われる。
 

停電少女と羽蟲のオーケストラ 「一輪花」
寺島拓篤(柩)/下野紘(橘):Vo
IM (2010-01-09)
停電少女と羽蟲のオーケストラ 第一楽章:蛍
竹内順子,櫻井孝宏,平田広明ほか
IM (2009-07-24)

娘とカラオケ

今日金曜日,娘はクラブのない日。合唱部とバレーボール部を兼部するなか「金曜日はコウモリになる日」と決めているそうである。それで煩くカラオケに誘われた。武蔵小杉の東急東横線駅出口近くにある『カラオケの鉄人』に行って来た。武蔵小杉は,最近,高層マンションが林立するようになり,横須賀線も停車するようになって,東急と JR 乗り換えがいたく便利になり,気味の悪い町になりつつある。娘は学生服,私はノーネクタイのスーツ姿。キャバクラやファッションヘルスの同居するビルでこんな二人連れが 17 時くらいにエレベータを待っている。これを目にする人に,援交だと思われないか,私は気になってしようがなかった。

最近私はカラオケ屋に滅多に行かなくなってしまった。会社に入って何年かは二晩徹夜した仕事帰りに同僚と酒を浴びてカラオケ屋でうとうとしながら騒ぐなんて平気だったが,もうダメである。

娘は Lady Gaga,Acid Black Cherry,Janne Da Arc,幸田來未に夢中。部屋に入るや否やそのナンバーを次々と予約して行く。時間がもったいないと,歌いながらリモコンを操作している抜け目無さである。私は Queen や Led Zeppelin, U2 など時代遅れの洋楽を入れた。娘も私の部屋で,バッハやウェーベルンとともに,これらの 70--80 年代ロックをいやというほど聞かされているので, 嫌いではない。Queen の Bohemian Rhapsody の "Mama, just killed a man,..." なる歌詞テロップをみて「人殺したって曲なんだ,気付かんかった」と 70 年代の暗さにびっくりしたようである。

私は最近のポップ・ミュージックにまるで理解がないが,Lady Gaga はなかなかよいと思った。メキシコのオトコと思しき Alejandro, Roberto, Fernando を袖にして行くという,独特のヤクザ臭がよい。"Don't call my name!" ってのがいい。
 

Fame Monster
Lady Gaga
Interscope Records (2009-11-23)

帰り,腹が減って「何食うか?」と聞いても,ダイエットに拘る娘は「軽いものがいい」とほざく。そのくせ「牛角ってどうよ」などと矛盾したことを言う。結局東急小杉駅改札すぐにある『ガスト』に入った。こういうダイエットバカを連れて歩くと,キャベツサラダと豚汁くらいで満足してくれ,安上がりである。

MusiXTeX 楽譜の組版

世の中には,己の好きなことのためにはどんな困難をも克服してしまう人がいるものである。ミュージック・スコア・タイプセット・パッケージ MusiXTeX をはじめて知ったとき思ったのは,まずこのことだった。TeX でオーケストラの総譜を組もうというのだから。しかも,組版品質がまったく美しいというほかないのだから。TeX の可能性に驚いてしまうのである。

MusiXTeX は大部の英文マニュアルをみてすぐわかるとおり,奇妙キテレツ・面倒な書法を習得しなければならない。少しでも簡単に,効率よく MusiXTeX コードを入力したいという目的で PMX や M-Tx といったプリプロセッサが開発されている。PMX は MIDI データを同時生成できるほか,scor2prt というパート譜生成のユーティリティをも備えている。M-Tx は MusiXTeX プリプロセッサ PMX のさらなるプリプロセッサであり(!),歌詞パートを効率よく記述できる。MusiXTeX, PMX, M-Tx の紹介,インストール方法,関連リンクについては,『TeX wiki 楽譜』が手頃な解説である。しかしながら MusiXTeX のマニュアルをきちんと読んでその仕様を理解していないと,少し特殊なことをやろうとすれば PMX, M-Tx の記法だけではまったく対処できない。

Mac OS X Snow Leopard に MusiXTeX T.114, PMX-2.5.15, M-Tx-0.60 をインストールした。コンパイルしてバイナリを生成する以外は,通常の LaTeX パッケージの設置と変わらない。マクロ関連ファイルは $TEXMF/tex/generic/musixtex/ ディレクトリに集めておくのがよい。バイナリ生成がいちばんやっかいなので少しだけ触れておく。コンパイルで,PMX は Fortran77 (gfortran, g77, f77) を,M-Tx は Free Pascal (fpc) を要求する。私は Mac OS X 用の gfortran を『High Performance Computing for Mac OS X』から,Free Pascal を『Free Pascal - Advanced open source Pascal compiler for Pascal and Object Pascal』から入手して組み込んだ。Fortran, Pascal を使うあたり,かつてコンピュータで音楽をやろうとした人の個性が偲ばれる。PMX は,アーカイブ展開ディレクトリ直下で make FC=gfortran,M-Tx は prepmx ディレクトリ下で make とすればコンパイルが実行される。MusiXTeX 付属のフォーマッタ musixflx は MusiXTeXDistribution/system/musixflx/c-source ディレクトリにおいて,C/C++ コンパイラを用いて cc -g -o musixflx musixflx.c としてバイナリを生成すればよい。こうして生成した実行形式 pmx, pmxab, scor2prt (以上 PMX), prepmx (M-Tx), musixflx (MusiXTeX) をパスの通った場所にコピーしておく。

アントン・ウェーベルンが 1909 年に書いた Der deutsche Expressionismus の傑作『弦楽四重奏のための五つの楽章作品 5』第 1 楽章冒頭を,PMX - MusiXTeX で組んでみた。参照したスコアは,ANTON WEBERN Fünf Sätze für Streichquartett OP.5, Philharmonia Partituren No. 358, Universal Edition, Wien である。"col legno" をどうコーディングするかマニュアルにはなかったので,オクターブ記号出力マクロを少し手直しした。ドイツ語は Latin-1 で直接書いて,Cyrillic t2 パッケージ添付 plainenc.tex を \input して 8 bit 処理した。cyrtex.ini を用いてダンプした plain TeX フォーマットファイル (cyrtex.cfg を適切に編集し,tex -ini -fmt=cyrtex cyrtex.ini で生成した cyrtex.fmt) を使えば,ロシア語入りスコアも作成できる。t2 パッケージは ptexlive に初期導入されている。UTF-8 なら日本語混在でも組めると思うけれども,その方法は調査中である。日本語だけの UTF-8 原稿なら,ptex -kanji=utf8 でコンパイルすればよい。ウェーベルン弦楽四重奏の組版では,フォントはデフォルトのコンピュータモダンを使用したが,\font\ninerm=ptmr7t at 9pt\ のように PMX 原稿のはじめのほうで(--- の間に)宣言しておけば,Times 等別の書体で出力できる(MusiXTeX T.114 マニュアル pp. 61-2 を参照)。以下のようなオペレーションで PMX 原稿 (webern_op5.pmx) から PDF を生成した。dvipdfmx だとスラーで PostScript エラーが出て出力できなかったので,dvips, ghostscript (ps2pdf) を使った。

% pmxab webern_op5
% tex webern_op5
% musixflx webern_op5
% tex webern_op5
% dvips -Ppdf webern_op5.dvi -o
% ps2pdf -sPAPERSIZE=a4 webern_op5.ps webern_op5.pdf

PMX 原稿 webern_op5.pmx 及び組版結果 webern_op5.pdf を掲載しておく。組版結果は図 1 のとおり。図 2 市販スコア(墺 PHILHARMONIA PARTITUREN)と比べると,私の調整がまだまだ足りないわけだけれども,なかなかの出来ではないだろうか。

webern_op5.png

図 1. MusiXTeX 組版結果

webern_op5_scan.png

図 2. 市販スコア

私は最初の 3 小節でくたびれた。MusiXTeX で総譜を組むのは,よほどの熟練と根気が必要である。Rosegarden などの楽譜専用エディタには MusiXTeX のコードをエクスポートするものもあり,そちらを使うのがよさそうである。トレモロやハーモニクス等の特殊奏法の記述は MusiXTeX マクロを熟知しないと実現できないだろう。一方,MusiXTeX は,現代音楽の凝った記法を含めると,プロフェショナルな業界ではグローバルスタンダードになっているミュージック・エディタ Sibelius には機能的にも劣るだろう。それでも,楽曲の主題を論文に引用するために使う程度なら,MusiXTeX の機能で充分であり,譜表のコーディングも PMX, M-Tx を活用すればそれほど難しくないはずである。

PMX, M-Tx のマニュアルは,それぞれ,pmx250.pdf, mtx060.pdf を参照。また,Cornelius Noack 氏による "Typesetting music with PMX" は,PMX のチュートリアル,テクニックを豊富なサンプルとともに解説した手引書であって,必携のドキュメントである。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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