2011年1月Archives

AFC Asian Cup, Qatar 2011 その 6

オーストラリアを倒しましたね。感動しました。李選手の完璧なまでのボレーシュートが決まって,我が家では家族 4 人で未明に大声を上げてハイタッチをした。長友選手のあの思い切り滞空時間の長いセンタリングの間に,「よし」を 3 回くらい発することができた。日本中が固唾を飲んだに違いない瞬間。

選手たちは死闘の最中にあってピッチ上でもがき苦しんでいるんだけど,我々は麦酒片手に胸をドキドキさせるばかりである。この小市民的楽しみこそが堪らない。テレビを観ながら立て続けに麦酒の缶を空け,試合終了時には私はぐでんぐでんになっていた。均衡した試合の緊迫感と酔いで体が縮み上がって,観戦中のわずかの時間に便所で用を足すとき小便が思うところに飛ばず,この小市民オヤジは「おっと,オレのシュートもゴール枠を捉えられん」とまったくバカな独り言を漏らすのであった。と,目敏い娘が騒ぐ —「岡崎って 57 歳なんだって! スゴ!」。テレビ画面の岡崎選手のキャプションにそんな表示があったらしい。

オーストラリアはロングボールをバイタルエリアに蹴り込んでデカい FW がうまく落としてそこを第三の選手が拾ってゴールを奪う — そういうパターンにハマった攻撃をバカ正直に,シンプルにしかけて来る。そして守備は鉄壁。あぁ,こんなんじゃ,そのうちやられるーと不安がつのった。私は,そんな体力温存,ガタイ・パワー頼みの「つまらない」サッカーで勝ち上がって来た豪州チームに対し,日本が華麗な崩しでぜひとも一泡吹かせてほしかった。そしてこの大一番で若い日本チームはそれを果たした。開催国カタールに 10 人で逆転勝利,韓国に精神力で勝った PK 戦,パワーの豪州を無失点で抑えた優勝。面白いエレガントなサッカーをしてアジアの頂点に立ってくれた。いままででいちばんのアジア杯を見させてもらった。

今回の日本の足跡で感動した場面は数知れず。敢えてひとつあげるとすればカタール戦後半終了間際の決勝点のシーンか。遠藤選手が明らかなファールで倒されても,長谷部選手が香川選手に絶妙なスルーパスを通して,香川は香川で猛烈なドリブルでゴール前に切り込んで相手 DF に倒され,流れ出たボールをちゃっかり伊野波選手が流し込んだゴール。普通ならファールをアピールして試合を止めても良さそうであったが,集中力を切らさずどん欲にゴールを奪いに行ったあのスピリットに,なにより感銘を覚えたんである。

MVP は本田選手。まったく異存はないけれども,私個人としては長谷部キャプテンにあげたい。韓国戦を前にした公式会見で彼がなした「日本人としての誇りを賭けて闘う」とのコメントは,ホント胸を熱くしてくれた。W 杯のころはまだやらされ感が漂っていたが,彼は今大会でもう圧しも圧されぬ立派なキャプテンに変貌していた。これが今回の最高の結果の主たる要因じゃなかろうか。

今日,昼くらいに起きて来て,朝日朝刊一面のエジプト騒擾を報ずる記事を読む。カタールのすぐ近くでの出来事。チュニジア政権の崩壊。ロシアでのテロ事件の続報。我々がサッカーに酔いしれている間にも地球は回っているわけである。今日は,久しぶりの二日酔いと日本勝利の余韻と世界の出来事の数奇さに苦しみ,便所通いの休日とあいなりました。

古書で蕉門俳諧連句集『芭蕉七部集』を手に入れた。国語の教科書の古典テクストはほぼ例外なく岩波書店の古典文学大系本に基づいており,私も学生時代からこのシリーズを日本古典の定本のように拝んで来た。『芭蕉七部集』は新シリーズ(いわゆる青系本)の一冊。

嵐山光三郎『悪党芭蕉』,堀切実『表現としての俳諧』などの本を読んで,芭蕉句の遺産の奥深さと同時に,歌仙の魅力を痛切なまでに教えられるところとなった。歌仙はまさに文藝におけるチームプレイ。俳句よりもずっと面白いのである。堀切実のことばを借りれば,「無秩序の中の秩序」,「秩序の中の無秩序」,「モンタージュ性」こそが連句の魅力である。複数の詩人の協同による,作品の時空間の変化と独特の秩序は,むしろ現代芸術に通じると堀切は述べていた。安東次男の『完本 風狂始末 — 芭蕉連句評釈』と合わせて,この『芭蕉七部集』を少しずつ時間をかけて読みたい。
 

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会社で娘から携帯メールを受信した。娘はちょうど入学試験期間のため高校が休みで,宿題として出たレポートのためにインターネットで沖縄のことを調べていた。Web ページを印刷しようとしたけど,紙がないというプリンタ・エラーメッセージが出た。そこで「どうしたらいいの?」と質問して来たのである。プリンタのカセットの紙が切れたようであった。「お前,教えてクンか! お父さんは忙しいんだよ。マック机横の雑誌ボックスにプリンタの説明書があるから,それを読んで自分で紙を補給しろ!」と返してやった。何分かしたら「できた! ありがと!」と返信があった。

言われたら自分で調べて対処するところ,娘はネットの教えてクンよりもまともである。機械に弱くてかえって可愛がられる女性がいるが,私はそういうのが大嫌いである。ソフトウェアのユーザ掲示板などで「自分で説明書を調べろ」と諭されて,「じゃあなんのためにこの掲示板があるのか?」と逆ギレする教えてクンをときおり見かける。だから皮肉なパワーユーザからからかわれるんである。
 

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会社でコンプライアンス講演会があった。元特捜部検事だったとある弁護士(俗に言う「ヤメ検」)の話を聞いた。特許庁審判官と NTT データ社員が贈収賄容疑で逮捕されたのを契機に,我が社も最近やたらとコノ手の CSR 教育を行い,再発防止に努めているわけである。特許庁の事件ではタクシー代,飲食代で 200 万円以上の贈収賄があったことになっているが,その過程で本人たち自身は犯罪行為の意識はなかったに違いない。何年もの間でいつの間にやら積もり積もって,金額が庶民的感覚からすれば大金になっていて,それが一人歩きして犯罪性が増幅されているのは間違いない。それでも贈収賄の犯罪事実は動かせないわけで,当事者のみならず企業も社会的に厳しい制裁を受けることになる。だから企業もヤバイと思い,社員に企業倫理の再徹底を図るわけである。

ヤメ検弁護士先生の話は面白かった。政治家・公務員の絡む贈収賄事件のような「知能犯罪」では,「自白」がほぼ唯一の立件根拠になる。検事は自白内容にハンコを付かせて,原則それで立件する。検事はプロである。立件しようとすれば言葉巧みに,容疑者の行為に悪意が存在したことを誘導し調書にする。そこでは「記憶にない」,「そんな証拠はない」,「そんなつもりじゃなかった」などといくら述べても逆効果である。検事は容疑者の情状なんて考えない。彼らの仕事は犯罪者を告発することである。情状酌量は裁判で弁護士が裁判官に対して要求することがらでしかない。— なんだそうである。

なんかこれ,どこかで聞いたような話だと思った。そう,小沢一郎の元秘書・衆議院議員の石川知裕氏が政治資金規制法違反容疑で逮捕されたのも,これに類する誘導じゃなかろうか。(これに関して,昨日面白いニュースを読んだ。小沢さん「強制起訴」に絡んで受けた任意事情聴取で石川さんは検事とのやりとりを IC レコーダに録音した。それで彼は検事による誘導事実の存在を証明しようとしている。)

ヤメ検弁護士先生は,じゃ,どうすりゃいいのか,ということについて,記録をきちんととっておくことを強く言っていた。正当な行為であるならその正当性を根拠づける記録を残し,必要ならば公に知らしめておく。例えば,談合の臭いのする会合への誘いが同業他社からあった場合,それに関らなかったことをあとで示すことができるよう,出席をお断りした旨の紙を書き,関係各社に送付しておく,というようなことである。

興味深い話だった。でも疲れるよなぁ。

日本が韓国に勝ちました。予想に違わず,両チームとも死力を尽くして闘った。予想に違わず,韓国のパワーと日本のエレガンスの勝負になった。そしてエレガンスが勝利した。審判が愚劣だったとか,韓国選手が日本人を愚弄したとか,バカ者どもが騒いでいるけれども,そんなことはどうでもよい。延長の最後の最後で同点に追い付かれながらも,心を立て直して PK で勝利した日本チーム。スカッと勝つよりよっぽどドラマチックだった。彼らの気力・スポーツマンシップは賞讃に値する。

PK では W 杯,前回アジア杯で苦い思いをしただけに,感激してしまった。本田が延長戦で PK を外しながら,PK 戦で敢えて自ら切り込み隊長を買って出たこと。キャプテンマークを引き継いだ遠藤が,コイントスで PK 戦の先攻をとったこと。2 発止めた川島の神業ゆえの大勝利なのだが,こういう人間精神の姿に涙が出るくらい感動したのである。だから PK 戦がはじまり本田がボールの前に立った時点で私は,この前を見つめる若者たちの姿に惚れ惚れし,くらくらした。

聞く所によれば,日本は韓国に 2005 年以降勝利していなかったらしい。韓国選手から軽んじられてもしようがないと思っていたが,今回の試合では相手を崩して得点しただけに,サッカーの内容では日本の方が上だった。あと少しのところでセットプレーからああいう失点をしてしまうのは大きな課題なのだろうけれども,気力でも念力でもと死に物狂いの韓国がゴール前の混雑状態で運良く得点できただけだと私は思った。あの凄まじい精神力こそが韓国の強さなのである。

決勝戦は,これまたうれしいことにオーストラリア戦となった。日本 VS 韓国戦のあと,オーストラリア VS ウズベキスタン戦を前半だけ観たんだけど,オーストラリアは余裕しゃくしゃく,ウズベクを子供のようにひねり倒していた。日本 VS サウジ戦よりもつまらない試合だった。まったくパワープレイ頼み。日本は前回アジア杯でオーストラリアに PK 戦で辛勝している。今回はスピードで掻き回して 90 分で勝負をつけ,オーストラリアを叩き潰してほしいと願っている。日本は今大会はじめて決勝トーナメントで韓国,オーストラリアと真っ向勝負をしてカップを賭けるわけで,その意味では両国と対戦しなかった 2004 年,2007 年とは違う本当のアジアの頂点を試されることになる。そこが見物なんである。29 日が楽しみじゃ。
 

※ 1.29 付記

香川選手がなんと韓国戦で骨折しチームを離脱した。残念。でも日本代表はチームとしての自信を深めているので,ここは諦めるしかない。

ということは,後半から彼がほとんど機能できなかった状態で韓国に勝利したということである。これも意味のある姿ではないだろうか。そして,もしあの試合の途中で香川がケガゆえに交代しなければならないということであったならば,チームに動揺が走りあのような精神力の持続ができたかどうか。いま考えると香川選手という弱冠 21 歳の若者の頼もしいポーカーフェイスぶりに驚かされる。早く恢復しドイツでまた活躍してほしいものである。
 

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嵐山光三郎の書いた『悪党芭蕉』という本を読んだ。芭蕉の生涯はナゾが多いとされていて,そのおかげで,伊賀上野出身であることから紀行の裏には隠密(要するにスパイ活動)目的があったとか,『奥の細道』はホモ行脚であったとか(芭蕉の衆道好きは本人自身が語っているし,明らかな衆道句を詠んでもいるのであながちいい加減なでっちあげでもないけれども),まことしやかに語る人もいる。本書はその筋に連なるものと評してよいかも知れない。

本書によれば,芭蕉の弟子たち,彼がとくに可愛がった弟子たちには,危ない人々(犯罪者,あるいは山師的人物)が多かった。また,掟に反した甥の架空の死亡届を出したり,罪人と隠密に旅行したりといったエピソードも残っており,芭蕉本人も露見すれば罪を問われるような行状に満ち溢れていた。本書で「悪党」というのは,そういう俗世間的エピソードで「日本の生んだ三百年前の大山師」という芥川龍之介の芭蕉評を肉付けしたことに依る。でもそれは,俳諧の神,偶像としてではなく人間として芭蕉を見つめ直したいという作者の心の現われである。私は本書を読んで,「悪党」というほど芭蕉がワルであったとの印象はまったく覚えなかった。「悪党」には,いわゆるワルではなくて,アウトロー的集団を束ね世直しを図るカリスマという意味がもともとあるはずだ。

本書の美点は,「悪党」という挑発的なタイトルを付けてしまうジャーナリズムとしてではなくて,そういうエピソードを芭蕉芸術の理解に関係付けて語ったところである。だから,事実関係の文献的論証に甘くとも,仮説として受入れた上で楽しむことが出来る仕上がりになっている。とても芸術的とは思われない当時の俳諧「業界」事情,子弟間の醜い諍いも,作品の読みを通して解説してくれるのだが,じつはそんな下劣な事情が凄い詩に現われているところにこそ,江戸時代の恐るべき文化爛熟の姿が垣間見える,そういう逆説的な感動をもたらしてくれる。芭蕉の時代は点取り俳諧(師匠が弟子の句に点を付けて儲ける)や俳諧賭博(隠された上五の句を判じて賭けをする)が大盛況であった。文藝が博打の対象にさえなったということに,逆に江戸の人々の知的レベルの高さを思い知らされて驚くんである。

この世に賭博はいろいろとあるが,文芸がギャンブルの対象となったのは世界じゅう見わたしても,俳諧賭博以外には見当らない。それほど元禄の町衆は俳諧好きだったわけで,むしろ文芸国家として自慢すべきことでもある。
嵐山光三郎『悪党芭蕉』新潮文庫,2008 年,177--8 頁。

歌仙の注釈は本書の圧巻である。『猿蓑』の解説は歌仙の基礎知識を与えてくれる。芭蕉の死の直前に大坂で巻かれた歌仙のなかに,之道と酒堂(芭蕉の弟子,二人の醜い争いの仲裁のため芭蕉は大坂に出向いて,病いに倒れ死ぬことになった)の火花の散る諍いを巧みに読みとるくだりは,連衆という集団によってできあがる歌仙という文藝スポーツのダイナミズムの面白さを認識させてくれる。日本の詩精神はなんと豊かだったのかと感嘆してしまうのである。

私は「悪党」というストーリに基づくアプローチに下品さを感じつつ本書を手に取ったのではあるが,日本の詩の伝統を考えさせられる意味で,本書はめっちゃ面白かった。
 

昨夜,アジア杯準々決勝・韓国 VS イランの試合を観た。張りつめたように緊迫したよい試合だった。延長にまでもつれ込んで,1--0 という渋い結果で韓国が勝利した。よっしゃー。私は是非とも韓国に勝ち上がってもらいたかった。日韓対決を観たかったのである。日本はこういう公式戦でこそ昨年の惨敗のリベンジを果たすべきなのである。

どちらも守備の堅いチームだった。でも,私の目からは,スピード,プレーの精度,フィジカルの強さ,いずれも韓国の方が一枚も二枚も上で,イランがなかなかゴールをこじ開けさせなかっただけというように見えた。当然のごとく韓国が勝利したともいえる。

サッカー・チームの底力は 1 試合見ただけじゃさっぱりわからない。でもこの試合から韓国代表と日本代表の違いを考えてしまうのは人情というもの。スピード,精度では日本の方が上だと思った。韓国はミスもラフプレーも日本より多い。しかし韓国は当たりが強くかつ守備が鉄壁で,相手の一瞬のスキをつく瞬発力には凄まじいものがあった。今大会日本の最大の弱点であるヘボいセンターバックがいよいよ心配になってきた。いわんや韓国は日本戦になると目の色が変わる。もちろんサッカーのスタイルからすれば日本のほうが断然「エレガント」だと私は思う。自国チームへの偏愛を抜きにしても,海外のサッカーファンも日本のサッカーのほうに魅力を感じるはずである。

オーストラリア,ウズベキスタン,韓国,日本の四強。極めて順当な顔ぶれであり,どこが優勝してもおかしくない。日本 VS オーストラリアの決勝戦が観たいものである。その前に 25 日の韓国戦。中東の国々からは日本のサッカーは「コンピュータ」と評されていて,つまり「速く正確」ということを皮肉混じりに賞讃されているくらいである。そのスピードと精度で日本が,フィジカル・精神力の強い韓国をどのように攻略してくれるか。25 日夜がホント楽しみじゃ。
 

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中国唐代の大詩人・杜甫の適当な選集を探していて,古書で岩波中國詩人選集を手に入れた。選集 16 巻 + 総索引 + 概説の全 18 巻なんだけど,私は王維と李商隠の巻を欠いた 16 冊を安値で購入したんである。杜甫,李白,白居易,陶淵明,詩經國風が揃っているのでとりあえずよしとした。昭和 32 年刊の古い版であり,函の痛みが酷いけれども本そのものはまったく損傷はない。新書版クロス装丁函入り。同じような版形のシリーズものに漱石全集,鷗外選集,石川淳選集,大江健三郎同時代論集などがあり,当時岩波書店が好んで出した形態である。私も文芸書として新書版型が好きで,このなかから鷗外と石川淳の作品集を所有している。

本選集では,原典白文(正字体),書き下し文(常用字体・現代仮名遣い),語句解説,現代語訳が掲載されている。中国の古典はやはりこの 4 点セットで読みたいものである。白文と書き下し文とで字体を分け,書き下し文では現代仮名遣いとしているのも,適切だと思う。

早速,白居易の下巻から『長恨歌』,『琵琶行』を読んだ。白居易は平易にしてどこかお涙頂戴的なセンチメンタルがあるけれども,それこそが古来日本人の感性に訴えた親しみやすさだと私は思う。

春寒賜浴華淸池  春寒くして浴を賜う華清の池
溫泉水滑洗凝脂  温泉 水滑らかにして 凝脂に洗ぐ
侍兒扶起嬌無力  侍児扶け起こせば 嬌として力無し
始是新承恩澤時  始めて是れ新たに恩沢を承けなん時
『白居易 下』高木正一注,岩波中國詩人選集 13,1958 年,95 頁。

これは,並み居る宮中の美女から楊貴妃が選び出されたというロングショットから,彼女の接写に転じたくだりである。いきなり入浴の場面というのが凄い。人格を殺がれた腰元に裸の肢体を預けて世話をさせるところが,思うに,王朝風耽美の極みである。ピエール・ルイスが何頁も費やして書いたような高級なエロスをさらりと歌っている。『長恨歌』は高校の漢文教科書や副読本で誰もが「習った」はずであるが,玄宗皇帝と楊貴妃との国を傾けた夢幻的恋愛潭がわが国の文学史に大いなる影響を与えた云々といった「お勉強臭さ」に閉口して,このような妖しいくだりを味わう余裕はなかったのではないだろうか。

『長恨歌』のこの深閨美女抜擢のモチーフは『源氏物語』桐壺巻に決定的影響を与えたと言われている。ところが,白居易がいきなりかくも艶かしい場面で読者にサービスを振りまいたのに対し,紫式部がヒロインに焦点を当てるとき,まず真っ先に宮中の居並ぶ女御・更衣の嫉妬によるイジメ,イヤガラセを描いたところ,白居易との視線の違いに改めて興味を掻立てられる。なんだ,いまの日本人のイジメ根性と同じじゃねぇか,とその「近代性」に感心してしまうわけ。
 

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産經新聞配信ニュースによれば,そういうことである。結局この人,クビ同然で海保を放り出されてしまったわけである。制裁を受けたからには,これからはその正義感をよい方向に発揮して頑張ってほしいと思う。sengoku38 を英雄視した人は,募金でも集めて彼の再出発の餞をしてあげるべきではなかろうか。産經新聞あたりが雇ってあげてはどうかと私なんかは思う。皮肉ではなしに。
 

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そんなハナクソのような話題なんかより,やっぱりアジア杯カタール戦。凄まじい試合になりましたが,日本が勝ちました。大満足。

カタールがあんなにヘボだとは予想しませんでした。クロスやシュートのあの精度には大笑い。多分,自国開催でプレッシャーが凄かったんだろう。元気のよいのは前半/後半開始 15 分間だけであった。意思統一の長続きしないチームに見えた。ここが世界ランキングの差なのか。それでも取るときには点を取るんだからさすが(日本の守備がいただけなかっただけかも知れませんけど。吉田選手もこうして成長するんだと思う)。聞くところによれば,カタール選手には,今大会優勝したらプール付き豪邸がひとりひとりに与えられるという約束があったらしい。報償というのは何にでも付いて回るわけだけど,なんかニンジンを目の前にぶらさげられた馬みたいで,結果だけで判断されるこの世界では,期待に応えられなかったときのその反動も想像できて,なんか選手が可哀相である。ま,カタールは 2022 年のワールド杯開催国なので,今後躍進するだろうと思う。

またまた聞くところによれば,カタールの選手にはたくさん帰化選手がいるそうである。母国を捨てて異国のナショナルチームに入る決意をさせてしまうサッカーの魅力の凄さを思い知る。日本代表にもロペスやサントスのような帰化選手がいる。帰化したことがサッカーだけでなく彼の人生全体にとってよかったと思えるようになってもらわなくちゃ。

逆境を跳ね返して逆転勝ちしたサムライブルー・テン(イレブンでないのが悲しいんだけど)には,一皮剥けた感じを受けました。サッカーの質そのものでは負ける気がしなかった,それを結果で示したところ,頼もしい限りである。監督の予想通り香川がココぞというときに本領を発揮してくれ,サポータも大満足ではないでしょうか。今日も興奮させてくれてありがとう,である。

AFC Asian Cup, Qatar 2011 その 2

サウジアラビア戦観ました? 5--0 で日本が勝ちました。サウジなにやってんでしょうか。いくら予選敗退が決まったとはいえ,あれがナショナルチームなんでしょうか。アジア最強だったサウジはどこへ行ってしまったのかと残念であった。こいつら,石油マネーの上にアグラかいてんじゃなかろうか,とそんな失礼なことを考えてしまいました。

まったくつまらない試合だった。私は仕事で帰りが遅くなり,妻が入れてくれた携帯メール速報を電車のなかで見て,どうもダレた試合っぽいと思いながら帰宅し,前半 30 分過ぎくらいから観はじめたんだけど,思ったとおり練習試合のようなヘタレ感しか伝わって来ず,これで日本代表選手が堕落しやしないか,却って心配になってしまった。

こういうときは下品なスポーツ・コラムでも観て楽しもうと思い,今日帰宅してから通常のニュースではなく,『日本代表が大量5得点で完璧な試合を見せるも,まつきクンは黙らずの巻。』なんかを読んだ。先制点のくだりにすぐ続いて「勝ったな!サウジお疲れ!」。「[ まつきやすたろうクンは: 私註 ] 要するにもう1点取れと要求。追加点への期待をにじませます」という文言が日本チームの追加点の都度繰り返されて,大笑い。松木安太郎氏は讀賣ヴェルディ最盛期の監督だったのに,いまやはしゃいでいるだけの解説者という悲しいイメージをテレ朝に纏わせられてしまった。おかげで,きちんとした「解説」が聞きたい視聴者を NHK-BS に相当数もっていかれてしまっているはずである。私もそのひとりだったのだけど,地デジ対応テレビを手に入れてからは画質のよいテレ朝地デジ・チャンネルを観てしまうんである。

とにもかくにも日本代表はグループリーグ突破を果たした。おめでとうございます。岡田監督のころまでとは異なり,いまの日本チームは後半 20 分を過ぎてもパフォーマンスが落ちないようになった。これはザッケローニ監督の指導の成果であることは間違いがない(おそらく,ムダに走らず,ポジションに応じた効率的プレーが徹底されているんだと思う)。香川や岡崎がゴール前でちゃらちゃら,きびきび動いて相手ディフェンダーを翻弄してくれ,楽しいサッカーが観られる。なんともうれしいことに選手層が若くなった。3 年後が本当に楽しみである。ま,このアジア杯で優勝できるかどうかはわかりませんが。
 

Post Scriptum.

菅改造内閣が発足した。アジア杯のほうが重大事である。

『俳句の美学・詩学』

最近,プライベートで芭蕉と漢詩に凝っている。漢詩平仄音韻チェックプログラムを書きながら,『連歌論集 俳論集』(岩波古典文学大系 66, 1961 年),『芭蕉文集』(同 46, 1959 年),『五山文学集 江戸漢詩集』(同 89, 1966 年),『良寛詩集』(岩波文庫, 1933 年),『江戸漢詩人選集 3 服部南郭/祗園南海』(岩波書店, 1991 年)など読んでいた。古文ばかりだと疲れてしまうので,角川(いまや俳句関連書籍のメッカ的出版社となった)から出た俳句教養講座第二巻『俳句の美学・詩学』(2010 年)も,並行して,会社の行帰りに電車で読んだ。この本は妻からクリスマスプレゼントでもらったものである。

『俳句の美学・詩学』は俳句が詩としての独立性を獲得するに至る詩法とその伝統を,学究的に正面から論じている。俳句の言辞・手法・詩としての本性について述べた書物として,私はこれほど啓蒙的で纏まったものに出会ったことがなかった。本書の美点は,実作を通して得られた俳句美の「信念」を吐露するだけの俳人ではなく,学として俳句を捉えようとする研究者が,俳句というものを所与の詩としてではなく客観的に見つめ,文献に基づいてその詩性を明らかにしようとしているところに他ならない。その特質は最初の論考「五七五という装置」(仁平勝)冒頭によく現われている。

俳句はなぜ五七五なのか。その理由は簡単で,もともと五七五七七という短歌の上句だったからだ。[ ... ] 五七五が詩の定型である根拠は,それ以外のどこにもない。日本語の音数律は,五音と七音の組み合わせがもっとも美しいとか,さらに七五七の長・短・長よりも五七五の短・長・短のほうが詩的な韻律であるとか,俳句の美学を韻律論として説く向きもあるが,そんなものは講談師の見てきたようなウソでしかない。
『俳句の美学・詩学』角川書店,2010 年,p. 10. 下線は私.

俳人が俳句を論ずると,まず己の俳句趣味に基づいてそれを支えるに,「五音と七音の組み合わせがもっとも美しい」などとしたり顔して「講談師の見てきたようなウソ」を吹き込もうとするものである。本当の俳句の素晴らしさを理解するためには,このような「信念」に基づく態度ではなく,仁平のように対象を突き放した文学史的・文献学的観点に立脚すべきなのである。

『五七五という装置』(仁平勝),『切字の詩学』(川本皓嗣),『俳諧における切字の機能と構造』(藤原マリ子),『俳句と漢詩文』(日原傳),『取合せの詩学』(谷地快一),『無季俳句をどう読むか』(櫂未知子),『俳味と滑稽』(中森康之),『俳句の余情』(谷地快一)は一読に値する。これらはみな,『俳句はどうあるべきか』ではなく,『俳句はどう捉えられて来たか』に重点があり,その態度は文化全般の理解に必須の立場だと私は思う。信念の吐露はその人を表すに過ぎないのである。

本書は一篇 15 頁くらいの論考の集成である。俳句の歴史に詳しくない読者があまり緊張を持続させずともよいくらい,わかりやすく簡潔・簡明に書かれている。主題とそれへの論者の切込み方の面白さから,もう少し紙幅をとってじっくり論じて欲しいと思われる論考がいくつもある。そこが少し不満であった。参考文献がきちんと上げられているので,それは贅沢な要求かも知れない。
 

俳句教養講座 第二巻  俳句の詩学・美学
片山由美子・谷地快一・筑紫磐井・宮脇真彦 編
角川学芸出版

すき家で晩ご飯

今夜,妻,娘とすき家で晩ご飯を食べた。息子がバイトをしているので,からかいに行こうということになったのである。息子は「来て来て,XXXX が旨いよ」とまんざらでもなさそうであった。「なかなかいい店じゃないのぉー,予約しておいた XX ですけど」と言ったらウケるかしらと,妻がすき家なんかではありえない冗談を言う。そういうセレブ風を吹かせるババア,いる,いる。

私は鳥丼と豚汁,冷奴を食った。540 円でさらにサービス券で割引があった。味も悪くない。親子 3 人で食ってもたった 1400 円程度である。だけど,家族の食事は自宅で作る方が安上がりであって,低価格外食産業といえども,この手のお店はやはり独身者,昼のサラリーマンの味方というのがうがっている。すき家はいまや牛丼チェーン企業では勝ち組となりつつある。息子と一緒に働いている若者に,レジで挨拶した。「ありがとうございます,またどうぞ」と横からわざとらしく息子が言う。娘は「あのレジの兄ちゃんイケメン! 今度一人で来よ」とそんなことばかり言っていた。

いつも行く床屋の主人も,アルバイトしているというのを息子から聞いて,すき家に食べに行ったと言う。えらいハンサムなのに三十後半になってもまだ独身の主人。義理堅い。

アジア杯予選

サッカー・アジア杯がはじまりました。天皇杯,高校ラグビー,高校サッカーも面白かったけど,アジア杯の楽しみには及ばない。国際試合は観客の独特の雰囲気があって,私はこういうなかで日本のナショナルチームのプレーを見ることができる幸せを感じてしまうんである。

ワールド杯で結構いいところまでいったので,このアジア杯は当然優勝みたいな雰囲気がある。それだけに,ヨルダン戦の 1--1 ドロー,昨日のシリア戦の 2--1 辛勝という日本チームの結果に対して,サポータは少し欲求不満気味かも知れない。でも,どちらの試合でも,日本代表は追いつめられたところで実力を見せつけてくれたわけで,私はいたく満足しているんである。昨日の先制点 — 本田が右サイドを一人で突破して中に切り返し,そのパスを受けた香川がシュート,キーパーが弾いたところを松井が掠めて相手選手を背中で抑えつつシュートコースを開けると同時にパス,そこへ飛び込んだ長谷部がスルーパスのようなシュートを放ってゴール — は,サッカーの醍醐味を見せつけてくれるような美しいゴールであった。

あのレッドカード — JFA が抗議したけど,時間切れで受理されなかったらしい — だって「中東の笛」というやつで,その後主審は日本にも PK をくれたんだから根に持ってもしようがない。それより日本チームが起死回生のプレーを見せてくれたことがなによりである。

しばらく楽しみが続きそうである。

芭蕉庵ほか散歩

日曜日,妻と芭蕉詣でをした。江東区常盤町にある芭蕉記念館,芭蕉稲荷神社などを観て来た。ウォーキングはお金が掛からないよう努めているんだけど,芭蕉ゆかりの土地を歩いてみたいと思った。新橋までなら夫婦ともに通勤定期が使える。新川崎駅から電車に乗って,新橋で地下鉄銀座線に乗り換え,日本橋で降りる。そこから常盤町まで歩くことにした。新川崎駅にはいま小雪のサントリーハイボールとプーシキン美術館・フランス印象画展覧会の広告が出ている。すすきと小雪がなかなかよかったので写真に収めた。

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日本橋駅で日本画のアヴァンギャルド展覧会のポスターを発見。ちょっとチェック。東海道五十三次日本橋の浮世絵看板の前で記念写真。永代通りを東へ歩く。日本のウォール街・茅場町もさすがに休日で閑散としていた。

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永代橋に出た。ここから隅田川沿いの遊歩道を歩くことにした。このあたりでは,隅田川は,東京湾に流れ込む川水と海から侵入する波が拮抗して,流れが川の中央を境に左側通行で対向しているように見える。不思議な眺めである。清洲橋で対岸に移る。建設中の東京スカイツリーが遠望できた。

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運河を掛ける万年橋を渡ると,芭蕉庵跡地,現在の芭蕉稲荷神社がある。偉大な文学者が聖化されることはままあるが,文名だけで文字通り神になったのは芭蕉くらいではなかろうか? 鳥居横に寒桜だろうか,か細い花がきれいであった。二階の女が気に掛かる隣の民家は昭和な感じがして面白かった。

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芭蕉記念庭園を観て,黄昏れはじめた逆光の隅田川を眺めて,芭蕉記念館を見学。俳句結社の句会が開かれていた。「岳俳句会,知ってる知ってる」と妻。許六の描いた見事な掛軸(芭蕉句「春もやや気色ととのふ月と梅」がある),芭蕉庵に関する古文献,『奥の細道』の自筆本・板本の系譜など,興味深かった。

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その後,清洲橋通り,清澄通りを行き,採荼庵跡を観に行った。清洲橋通りは相撲部屋が多いことでも有名で,自転車に乗る関取を見かけた。あの野球賭博で協会を追い出された元貴闘力関の経営する焼肉店があった。なにはともあれ,再出発した一流中の一流の成功を願う。途中,「問」字に似た恐ろしく古びた運送屋の建物にびっくり。

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採荼庵跡は仙台堀川のほとりにあった。とても綺麗といえない堀川には二羽の鴨が仲良く泳いでいた。採荼庵は芭蕉の弟子・杉風の別墅で,芭蕉と曽良はここから『奥の細道』の旅に出立したといわれている。すぐ脇の堀川沿いに俳句遊歩道が伸びていた。「草の戸も住替る代ぞひなの家」を筆頭に『奥の細道』に出て来る句の看板が一定間隔に立てられていた。桜の季節には,川沿いの花が素晴らしいだろう。

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清澄通りにはちょっと古風な寿司屋など江戸前の渋い店が多い。私も会社の先輩によく連れていってもらったものである。そんなことを考えていると映画監督・小津安二郎生誕地の碑を見つけた。清澄庭園すぐそばの江東区掲示板に『東京物語』の映画上演等の催しの案内があり,興味をそそられた。さらに歩いて地下鉄東西線・門前仲町駅に到着。散歩は終わり。電車で川崎に出て,娘と落ち合いお好み焼きを食った。

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この日,14,000 歩くらい歩いた。Google Map で経路を残しておく。


より大きな地図で 芭蕉庵詣 を表示

misimakansi bug fixed.

misimaKansiServlet 漢詩平仄分析に要求を出す JavaScript におそまつなバグがあった。今日試しに Windows で実行してみたら,入力チェックで Windows の改行コード (CR: X'0d') がはじかれてしまう。私は普段,Mac OS X か FreeBSD しか使わないので,Windows で試験していなかったのである。失礼しました。訂正しました。
 

* * *

上の息子は最近,バイト以外はテニスと飲み会で出歩いてばかりいる。昨夜はバイト先の仲間との新年会。今日も大学のプレゼンなんとかのメンバーとの新年会で,午前様であった。

しかしながら,大学に入っても卒業した高校のテニス部の練習に顔を出し後輩を指導したりしている。そんな姿をみると,人間付合いにおいてマメであって,私なんかより遥かによいところがある。大学のクラブが地域活動の一環で,新座キャンパス近くの中学校に行って,テニス教室を開いたりしている。物真似が好きな息子はそこでアントニオ猪木の真似をして,女生徒にモテモテだったらしい。誰に似たんだか。

この歳になって,ホント,子供は勉強なんて出来なくてもよいと思うようになった。

友人の皆様,あけましておめでとうございます。

さて,この正月はまったくどこにも出歩かず,家でずっとプログラム作成,芭蕉研究をしていた。そして,最近,漢詩に興味があり自分でも書いてみたいと思い,漢詩の本に首っ引きであった。俳句・短歌と大きく異なり,漢詩はご存知のとおり,平仄,音韻規則が厳しくてちょっとやそっとじゃ立ち入ることすらできない。俳句なら「春の夜や兄が屁をひり咽せるまで」みたいなのは小学生でも作ってしまう。もちろん俳句・短歌もよい作品を詠むのは生半可のことではないのだけれども,漢詩はまずもって規則に準拠する壁の前に,へたくそな詩すら形をなすこと自体に苦労する。「規則」があるなら計算機の出番。ということで形式分析プログラムを自分のために作ってみた。

misima を作成した際に漢字データベースを作ったこともあり,それに基づくこのサーバも misima シリーズとすることにした。入力した漢字が DB になかったとしてもご愛嬌ということで。この漢字 DB は 6,700 文字程度を蓄積している。覚えたての SQLite3 を使った。漢詩規則は何冊かの本を研究してロジックを考えた。3 年前に作成した misimaServlet, misimaserver を土台に,サーバ化するのは簡単であった。Java Servlet + Ajax + Perl Daemon という方式にした。Javascript が送信した電文を Java Servlet が受け,Perl サーバとソケット接続する。漢詩の分析ロジックは,すべて Perl サーバでこれを実行する。Perl サーバは 3 プロセス分プレフォークして処理依頼を待ち構えていている。ちょっと渡り歩きが多いのだが,Ajax + Java Servlet はページ書き換えが高速で,CGI よりは体感速度は良好のはずである。ただし,本プログラムで使用した Ajax の XMLHttpRequest 関数はクロスサイト・スクリプティング対策実装のため,プロキシを経由する企業 Web 環境からは misimaKansiServlet を利用できないかも知れない。

試行版(まだきちんとデバッグしていない)を『misima 漢詩平仄音韻分析(Servlet版)』にしばらく置いておくので,興味のある方はお試しください。漢詩を作る方のお役に立てればと願っている。まだ出力がベタで汚い。そのうちできるだけ見やすくなるよう工夫したいと思う。

主な仕様は次のとおりである。近体詩五言・七言の絶句,律詩を対象とする。詩格を自動判定する。国字(和製漢字)が含まれていると,デフォルトでは分析を停止する(オプションで無理矢理検査をすることもできる)。詩格に応じて,二四不同,二六対,下三連,弧平(五言詩では二段目,七言詩では四段目だけ)の禁則を検査する。韻字分析では,脚韻の妥当性,冒韻を検査する。拗体,通韻にはいまのところ対応していない。韻目は平水韻に準拠した。同字重出も検査するが,虚字,重言 (畳語) など許容される重複も含めて,重出と見なすようになっている。そのうち詩語データベースを作成して,詩作支援も盛り込みたいと思っている。

実行イメージは次のようなものである。(※ 2.5 付記:画像を最新イメージで入換えた)
 

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参考にした文献は以下である。
 

本書は漢詩作りの入門書としては決定的な名著とされている。文字通り「誰にでもできる」と謳っている。掲載された詩語を検索しながら作詩する方法が丁寧に書かれている。漢詩とは言わば高級な着替人形のようなもので,形式と使い古された詩語との芳醇な組み合わせ自体に魅力を感じない人,新規なものにこそ魅力を感じる人には,もはや魂に訴えないだろう。ところがこの作法に慣れるにつれて,菅原道真,嵯峨天皇などの日本の古代の漢詩人たちに対して身近な親しみが芽生えて来るから不思議である。

Amazon で古書が入手できるようなのでリンクを付けておく。新品は,版元に直接注文するか,中国書・漢籍関係を取り扱っている特殊な本屋でないと入手できない。私は東方書店 Web サイトから購入した。
 

これは,細かいことがごちゃごちゃ書いてあるけれども,いまいち整理が足りないという欠点がある。「辞典」と銘打っているのに漢詩作詩法に関する用語の索引がないという,著者・版元の本作りに対する考え方,誠実さを疑いたくなるような書籍である。ただでさえ見た目の立派な函入りの高価な本なのだ。それでもここであげた書籍のなかではいちばん詳しく(雑然とではあるが)作詩法を解説しているので,私のプログラムも多く本書の記述に準拠している。

著者は現代詩を憎悪しているようである。リズムも言辞もぶっとんだレベルの低い文学だとみなしているようである。漢詩が最高の文学表現らしい。ほぼ堂上にある詩語の使用しか認めず同時代の差し迫った表現を排除してしまう漢詩の本性を鑑みるにつけ,こんなことを言って殻に閉じ籠るから漢詩人が絶滅寸前になってしまったんだろう,ということが,ある意味でよくわかる書籍である。芭蕉の言う「不易流行」の「不易」ばかりを追い求め,「流行」の命脈を欠いた姿である。私はこういうのを「権威主義」だと思う。ローマはすでに亡んだのに。そのためか,著者・飯田の詩論は「負け犬の遠吠え」のような印象が拭えない。

でも私なんかは,ふむふむ,なかなかいいこと言っていると思わないでもなかった。「負け犬」の言い分も聞くに値することがある,とくに世を支配している趣味が底の浅い時代にあっては。私は本書を読み,漱石,朔太郎,子規の偉大さを改めて思い知った。明治の文学的地殻変動期には,近代日本における「詩とはなにか」が深く追究されたのである。

それにしても,私の印象として,漢詩好きには「漢詩こそ最高の詩形式」ということを臆面もなく書く人が多い。「どの言語の詩もそれなりに味があるが漢詩は他の追随を許さない」なんていう文を読んだことがある。この人,ギリシア・ローマ,イタリア,フランス,ロシア,ドイツ,スペイン,英国,インド,ペルシア等々の詩をどこまで鑑賞・研究した上でこんな断言をしているのだろうか。漢詩が好きなのはよくわかるけれども,こうはなりたくない。無知の唯我独尊ほどみっともない姿はない。どんなに芭蕉や定家や杜甫を愛していても,彼らがシェークスピア,ゲーテ,プーシキンより上だとか下だとか言うのは無意味である。
 

大修館書店の『漢詩を作る』は目下どこでも手に入る。値段も手頃だし,薄くてすぐ読めてしまうし,著者も漢詩研究について日本の学会の権威的存在でもあり,簡にして要を押さえて,いちばんのお勧めかも知れない。『漢詩入門韻引辞典』とは違って著者のただの趣味でしかない詩論を押し付けないところもよい。なにより事項索引がきちんと付いているのがありがたい。さすが大修館書店である。
 

詩韻含英異同弁 (1963年)
浜 隆一郎,石川 梅次郎編校
松雲堂書店

略して『含英』と呼ばれている。求める韻を含む詩語を検索するための本である。江戸時代に書かれた書物で,しかも現代においても韻書の決定版とされている。これの引き方を覚えるのがまずひと苦労である。本書も新品は Amazon などでは入手できない。中古で出ているが,私は探しまわってやっと Yahoo! ブックスで新品を手に入れた(See: 詩韻含英異同弁 - 石川梅次郎/編校 浜久雄/編校 - Yahoo!ブックス)。
 

『字源』は漢詩人御用達の漢字辞典である。そういう点でここにもリンクを設置しておく。misimaKansiServlet では平仄の確認において,原則,学研『漢字源 第四版』に準拠した。『字源』は適宜参照した程度である。

これ,大正 12 年初版というのだから驚く。本辞典は収録漢語の多いのがなによりの美点である。私は普段は大修館書店『漢和辞典』か学研『漢字源 第四版』を愛用しているが(後者は Unicode コードポイントが検索できめっぽう便利なのだ),漢語・字訓を調べるときごくごくたまに『字源』を引く。

本辞典は,大正期以降の漢詩人御用達の権威的辞書であるだけに,漢詩作成サイトの多くが「漢詩作成になくてはならぬ辞書である」かのごとく必要以上に本書を持ち上げている。でも,そんなのはウソに決まっている。『言海』など戦前に纏められた権威ある辞典は旧字・旧仮名遣いにこだわる人たちから大いに賞讃されているのだが,検索しづらいばかりか歴史的仮名遣いに誤りも散見される。『字源』にも「水」の字音を「すゐ」とするなどの誤りがある(正しくは「すい」— 「すゐ」は一般に流布していた誤りで,最近の辞典では「すい」に正されているのだ。「歴史的仮名遣い」なんてそんなものである)。また『字源』は,説明はすべて歴史的仮名遣い,漢音も字音仮名遣いのみの表示であり,初版増補の昔の活字組版がそのまま用いられていて,画数の多い漢字について活字が潰れて判読できないところすらある。エセ文化人の慕うくだらない「権威」よりも「学問性」と「有用性」に留意するならば,現代の新しい辞書のほうがよいと私は確信している。

私はかつて古書で 4,000 円くらいで本書を手に入れたが,いまやプレミアが付いて 10,000 円以上の価格が付いているようである。経年変色した絵画に美を覚えるようなバカ文化人(歴史的仮名遣いへの回帰を叫ぶような奴ら)でない限り,普通の現代人にとって『字源』よりももっと検索しやすく内容も確かな漢字辞典はいくらでもある。
 

※ 2011.2.18 付記
その後,詩語検索機能を追加した。記事『DWR with Java: misima 漢詩詩語検索』を参照ください。
 

※ 2011.12.23 付記
Spam が多いので限定公開としました。悪しからず。漢詩を作る人で,ぜひ使いたい方は私にメールしてください。

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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