2011年3月Archives

『一個人』大江戸入門

会社の帰りに,虎ノ門にある書店『書原』に寄り道。買う買わない別として,本屋で散歩気分で本の背表紙を見る。ちょっと大人のためのヴィジュアル雑誌『一個人』5 月号が,江戸の風俗,町の風景を特集していたので,思わず購入。
 


音楽関係の雑誌コーナーに寄ったら,平積み雑誌の表紙の「吉田秀和は本当に偉いのか?」という特集タイトルが目に留まった。『クラシックスナイパー』なんとかというクラシック音楽雑誌であった。なんとも下品な特集を組むものだと呆れつつも,少し立ち読み。「はたと気づいた。シャルル・ボードレール,ポール・ヴァレリー,[あの人,この人,なんとか,かんとか ...] にはあり,吉田秀和にはないもの。それは悲劇性である ...」— 鼻から噛み殺した嗤いが漏れ出て,私は雑誌を元に戻した。果たして書いてあることもただの戯言なのであった。誰が書いた文章なのかチェックするのを忘れた。クラシック音楽評論家ってなんでこんなにXXなんだ? はたと気づいた。『裏 DVD 中出し生姦通信』(アダルトDVD雑誌のひとつ),『週刊大衆』にはあり,『クラシックスナイパー』にはないもの。それは羞恥心である。

ここまで言いたくなるのも,私は吉田秀和を買っているからである。彼のモーツァルトやシューベルトについての文章を読んでいると,これらの作曲家を聴きたくなるから凄い。小林秀雄のモーツァルト論にも似た効果があった。吉田秀和が「本当に偉いのか」どうかなど,私にはまったく興味がない。吉田を読む人は皆そうだと思う。なのに,こんなタイトルを付けてアンチを掻き集めようとする雑誌の意図がじつに不愉快であった。確かに,吉田も小林も,モーツァルトの「音楽」というよりモーツァルトを「聴く我」を語っているようなところがあり,浪漫文学ぶりの大時代的古色は否めない。けれども,『クラシックスナイパー』はどうして『吉田秀和再考』くらいの特集タイトルにして,賛否両論を取上げないのか? ジャーナリスティック。そこが「下品」だというのである。サブカル・エロ・オマンコ雑誌と違ってこの手のクラシック音楽雑誌は「第一藝術」の堂上にどっかと座っているだけに,いよいよ「下品」なんである。

田中善信『芭蕉二つの顔』

芭蕉の生涯は謎が多いとされる。俳諧師として名を上げる前の若いころはとくにそうである。後年,神と崇められ本当に神社に祀られるようになってからは,生活感を無視した文学的理想像からわずかな足跡を意義付けようとする傾向もあるようである。なかでも日本橋から深川に転居し貧乏生活を始めたらしい天和元年(1681 年)あたりの事情の解釈には,拝金的点取俳諧の堕落した風潮への芸術家としてのプロテストがあったのだとかいう,きれいごとが主流をなしているようである。先日ここでも取上げた嵐山光三郎『悪党芭蕉』は,そうしたお高く止った祀り上げに唾を吐きかけるような内容ゆえに,痛快だった。しかし,嵐山の筆勢はどうも作家的想像力が勝ち過ぎているようにも思われ,芭蕉の「詩と真実」を求めて読む立場からすれば眉に唾してかからないわけには行かなかった。そこで,もう少し実証的な伝記を読みたくなり手に取ったのが,田中善信著『芭蕉二つの顔』であった。

もとより伝記的史料が少ない事情から真実を追究しようとするために本書が立脚しているのは,他ならぬ時代の法制度や社会習慣である。多数の作業者を必要とする神田上水の浚渫事業を取りまとめ,お上のお墨付きを得るに至る実業家・芭蕉の姿,その世俗的意味を,田中は当時の触書の文献分析,同じ事業をなした人たちの社会的ステータスの検証を通して,見事に描いてみせる。引くべき補助線として,まことに実証的学者らしいアプローチである。

本書の極めてユニークな説は次のようなものである。芭蕉が神田上水の浚渫事業で大成功し,一方で俳諧師としても江戸を代表する地位を獲得し,実生活で充分成功しながら,突如,辺鄙な深川・芭蕉庵に移住し世の表舞台から身を引いたような生活に転換したのには,背景として,彼の妾であった寿貞を甥の桃印が寝取って駆け落ちしてしまったことがある,ということ。当時,姦通は極めて重い罪であった。芭蕉は甥の所行を荒立てたくなかった。そしてさらに桃印の失踪が定期的な伊賀上野帰国義務の法度にも触れ,死罪にもなりかねないこれら所行を隠匿するために,芭蕉は桃印を死んだことにするというさらなる犯罪で隠蔽するしか手がなかったというのである。

『悪党芭蕉』でも同様のことを読んだのだが,嵐山は田中の説を採用したということだろう。要するに,芸術的信念なぞではなく,他ならぬ複雑な家庭内事情の罪と罰を巡ってこそ,芭蕉は国内亡命のような形で深川に身を潜めたというわけである。もちろんこれは,明白な証拠のない,状況証拠のみから固められた説明であるわけだけれども,そして俳聖の事蹟としてはことの外衝撃的にみえるわけだけれども,「芸術的信念に基づいて」などのような芭蕉を必要以上に持ち上げたい「文学的思い込み」に比べれば,遥かに真実味があった。

本書に対する不満は,これら伝記的推理と芭蕉句解釈との関係をこそ踏み込んで論じて欲しかった,という点である。でも,些事を丹念に観察し伝記的解明を丁寧に行うこういう研究者がいるからこそ,その説に触発された芭蕉の新しい解釈が生まれ出て来るのである。本書を読み「へぇー」と驚きはしたが「この句はそういう意味を秘めていたのか!」という感銘はなかった。しかし,本書が上記の通り素晴らしい仕事であることは間違いないと思う。
 

D. Smirnov の芭蕉俳句ロシア語訳を手伝うなかで,しばしば,英訳もしくは露訳の原文特定を依頼される。その翻訳が結構昔のものであるだけでなく,俳人の幅も広いことに驚かされることがある。先日,「三日月のころより待ちし今宵かな」の英・露訳以外にも,次のような翻訳を知らされた。

"'Tis the cuckoo —
Listen well !
How much soever gods ye be."
        (© W. G. Aston, 1899)
«Это кукушка, —
Хорошенько внимайте,
Какъ бы ни много васъ было чертей.»
        (© В. Мендрин, 1904)

この句は西山宗因の「ほととぎすいかに鬼神も慥にきけ」でおそらく間違いない。翻訳の年代が 19 世紀末〜20 世紀初頭であり(露訳は革命前の旧正書法である!),当時の英国,ロシアでは談林俳諧の創始者・西山宗因までが紹介されていたのかとびっくりしてしまった。さらに驚いたことに,日本でもプロコフィエフやラフマニノフの歌曲で知られるロシア象徴派の泰斗コンスタンチン・バリモントまでがこの詩を翻訳していたらしい。Haiku は現在,欧米でも確固たるジャンルとして定着しているが,東洋文学の専門家に限らず 100 年以上の受容の歴史があるわけである。D. Smirnov の説明によれば,そうはいってもこの句は宗因というよりもほとんど芭蕉句として受入れられていたようだし,翻訳も英訳からの重訳のようである。D. Smirnov は Wikilievres でこの句の自身による翻訳を掲載した。

20 世紀初頭,フランスでは印象派による浮世絵の「発見」で一大ジャポニスム・ブームが訪れた一方,ロシアや英国では日本詩の文学的影響がより強かったようである。英国ではエズラ・パウンド,イェーツの名が日本文学通として知られているが,ロシアでも象徴派詩人ヴァレーリイ・ブリューソフが 1913 年に芭蕉句や古典和歌を翻訳しているし,イーゴリ・ストラヴィンスキイは A. ブラント露訳の短歌で 1912--1913 年に室内歌曲『日本の三つの抒情詩』を書いている(記された詩人名が Mazatsumi だとか,Tsaraiuki だとかで,歌の作者が誰なのかわからないのが笑えるんだけど。昔,台湾の海賊版カセットテープに「五木ひろれ集」というのがあった。それに似たような現象だと思う)。

ロシア象徴派の大詩人ブリューソフによる芭蕉句「古池や...」の翻訳を,私の逐語訳付で紹介しておく。私の書架にある В. Я. Брюсов  Собрание сочинений. В 7-ми томах., т. 2., М.: «Художественная литература», 1973 から。

О, дремотный пруд!
Прыгают лягушки вглубь,
Слышен всплеск воды...
        (© В. Я. Брюсов, 1913)
まどろむ池よ
蛙その深みに飛び込む
聞こえるは水のはね返り

5-7-5 と音節数をきちんと合わせた露訳になっている。強弱詩格 (Хорей) のきびきびした韻律を用いているところ,ブリューソフらしいと私は思う。古池を「まどろむ,眠ったような дремотный」と形容するところが死のイメージ,世紀末の澱みを感じさせる。蛙が複数形で描かれていて,非常に興味深い。芭蕉句には,静かな世界を一瞬打ち破る水音で,ハッとなにかに覚醒してしまった恐ろしい味があるけれども(こう感ずるのは私だけではないはずだ),このブリューソフ訳では,澱んだ世界を乱す跳ね音が深みに落ちて行くという,頽廃的な美が強調されている。静寂を「乱す」ことに力点をおく限り,一匹よりも多くの蛙がいるほうが効果的である。こういう比較文学的観点で,もう少し広く論考を読んでみたくなった。ちょっと新しい面白いテーマになりそうである。

最後に,ストラヴィンスキイ作曲『日本の三つの抒情詩 Три японских стихотворения, 1912--1913』を収録した CD を上げておく。フィリス・ブリン=ジュルソンのソプラノ,ピエール・ブレーズ指揮,アンサンブル・アンテルコンタンポランによる素晴らしい録音である。歌詞はロシア語である。この曲はシェーンベルク『月に憑かれたピエロ』,ラヴェル『マラルメの詩による三つの歌曲』と並んで声と室内楽による 20 世紀音楽の傑作とされている。
 

20110404-bryusov-stravinsky.png

Songs
P. Boulez, Ph. Bryn-Julson,
L’Ensemble intercontemporain, et ali.
Polygram Records (1992-01-16)

三日月のころより待ちし今宵かな

芭蕉のロシア語訳を試みている D. Smirnov から,次の芭蕉俳句翻訳(ロシア語訳: В. Мендрин; 英訳: W. G. Aston)の原文を岩波文庫『芭蕉俳句集』でどうしても見いだせないので,どれか教えてほしい,と問い合わせがあった。これまでも,英訳もしくはロシア語訳の芭蕉俳句の原文は何か,聞かれることが多かったのだが,この特定が結構難しい。

«Это было новолунье!
Съ тѣхъ поръ я ожидалъ —
И глядь! сегодня ночью!»
       (© В. Мендрин)
“’Twas the new moon!
Since then I waited —
And lo! to-night!
[I have my reward!].”
       (© W. G. Aston)

この日本語原文は,どうも,「三日月のころより待ちし今宵かな」であるらしいと特定できた(翻訳からすれば「新月のころより...」なんだけど)。ところが,私の書架にあるどの芭蕉俳句集にも,どの連句集にも見当たらない。インターネットで調べたところ,この句は世間に流布した芭蕉伝説にある偽作のようである。

あるとき旅の俳人が何人かの農夫からこの満月を詠んでくれと頼まれた。俳人は「三日月の...」と詠い出すと,農夫は「満月をですよ!」とちゃちゃを入れる。俳人はそれに気を止めることもなく続けた —「ころより待ちし今宵かな」。ああなるほどと農夫はこぞって畏れ入った。伝説はそのようなものである。いろんなヴァリアントがあるようで,俳人は芭蕉であったり,小林一茶であったり,宗祇であったりする。

ま,機智を感じさせるエピソードではあるけれども,この句そのものはひねりがなく,三日月のころから望月を待ったんだよ!なんて発想がそれこそ月並みで,とても芭蕉句とは考えられないわけである。これは芭蕉の句ではありません,と D. Smirnov にメールを返した。

Year 2038 Problem, UNIX Millenium Bug

UNIX 2038 年問題というのがある。西暦 2000 年問題と同じような話である。伝統的な UNIX オペレーティングシステムは日付・時刻を 32 bit 整数値で管理しており,1971 年 1 月 1 日 0 時 0 分 0 秒をはじまりとして 1 秒毎に数値を 1 ずつ増加させる。これを前提としてそのときの時刻を計算している。ところがこの 32 bit データが 2038 年 1 月 19 日 3 時 14 分 07 秒を過ぎると桁溢れし,なんと 1901 年 12 月 13 日 20 時 45 分 52 秒 (UTC) にすっ飛んでしまう。2038 年問題とは,これに伴って UNIX システムでさまざまな不具合が出るであろう事態の総称である。

2038 年なんてまだまだ先だと思う人がいるだろう。でももうこの問題は現実味を帯びはじめている。私は会社で回覧されてくる他サイトの事故事例には必ず目を通すようにしているが,先日,HP-UX (ヒューレットパッカード社の UNIX) の旧版を使っているサイトでユーザ・ログインができなくなる障害報告を読んだ。ユーザ管理項目に有効期限があり,それに 9999 日みたいな大きな数値を指定したら,有効期限日時が 2038 年を飛び越えて 1901 年から折り返してしまい,有効期限はすでに超過しているとシステムが判断したがゆえの障害だった(ヒューレットパッカード社の名誉のために付け加えておくと,HP-UX 最新版では 2038 年問題は訂正されている)。2038 年問題は世間ではあんまり騒がれていないけれども,UNIX サーバに移行したクリティカルなシステムが極めて多いだけに,これ以上にマズイことも起きる可能性がないわけではない。

西暦 2000 年問題は,多くのシステムが西暦を下 2 桁で管理しているがゆえに 2000 年の判断を 1900 年と誤ってしまうことに起因した。その発現は予想が一筋縄ではなく,大陸間弾道弾が誤動作するかも知れないとか,ジェット機が操縦不能に陥るとか,大いに世間を騒がせた。おまけに 2000 年は 100 でも 400 でも割り切れるので超特例的閏年であったという事情が,計算機関係者の恐怖を煽り立てた。閏年を「4 で割り切れ,100 で割り切れない年」とする単純なロジックを使うプログラマが実際にいたのである。ふつう 400 年に一回のことを人生で突き詰めて考える人はまれである。関ヶ原の合戦以来のことが自分の人生で起こるなんて考える人はまれである。

計算機業界のことを知らない人には,2000 年なんてすぐ来るのがわかっているのになんでこんなバカな設計にしたんだろう,まったく呆れる,のようなことをホザく正論吐きがゴマンといた。現象の内在的論理を辿るよりも前に己の感じ方に満足してしまう人,進化の恩恵に無意識に浴する人の典型である。私の尊敬する米原万里も,どの本であったか忘れたが,同じことを書いていて,私は正直悲しくなったことを思い出す。もちろん西暦 1990 年代に設計され,それなりの期間使用される予定のシステムならば,2000 年を考慮していないのはただのバカである。しかし,当時問題になったのはコンピュータ黎明期から少しずつ改修されながら大規模化したシステムだからこそであった。共同体への影響がじつに大きい官庁システムがまさにこれにあたるからだった。私の顧客は,幸いにも,その事情を痛いほど知っており,2000 年対応システム改修にケチケチしなかった。

そもそも,2000 年で問題が出るのがおよそわかっていながら,なんでそういう設計になっていたのか。コンピュータ機器の進化には,3 年で性能が 2 倍になるという「ムーアの法則」と呼ばれる経験則がある。2011 年から逆算して 70 年代あたりに舞い戻ると,かつての計算機が現在と比べていかに貧相なものだったかが想像できるだろう。30 年昔の計算機の性能はいまの 210 分の 1,逆にいうと同じもののお値段はいまの 210 倍。40 年前なら 213 倍くらい。そう,その当時はメモリ 256KB の一月の借料がサラリーマン大卒初任給を越えるくらい高価だった。磁気ディスクも同じ。こういう超高価なリソースを使うとき,とにかくケチろうとするのは当然である。日付・時刻はどんな業務データの属性にも付いて回り,これを仮に short (2 byte) 整数で年,月,日,時,分,秒 12 byte 使えばデータに占めるその割合はバカにならない(まさかと思う前に 12 × 213 がどれほど重いか考えるがよい。いま日付・時刻の格納に一個あたり 12 × 213 byte 使わせてもらいます,なんて顧客に言ったら即刻クビである)。昔,私の担当したシステムでは西暦を下 2 桁だけで管理し,数字 1 桁を 4 bit に入れて 6 byte に切詰めていた。理論的にはもっと切詰められるが計算速度やわかり易さとの兼ね合いでこうしていたわけだ。それくらい記憶域が貴重だったのである。70 年代くらいのシステム設計者は,おそらく皆,計算理論の前に経済学に縛られていたのだと思う。

UNIX 2038 年問題についても,なんでたった 32 bit で管理するなんてケチったんだろうと思う人がいまならウヨウヨいるはずである。4 byte 32 bit というデータ構造は 32 bit 計算機がもっとも高速に取り扱うことのできるものなのだ。でも,それを抜きにしても,1970 年ごろの UNIX 設計者は,2038 年にはボクはもう生きていないと無意識に思ったはずだ。人生 70 古来稀なり。そのころにはボクたちのような貧しい資源制約から解放された,もっと夢のようなオペレーティングシステムが動いているさ,と。つまり計算機の世界でも,老人の感慨同様,人生はあっと言う間に過ぎたわけである。
 

* * *

ところで,西暦 2000 年問題はジョークのネタにもなっている。「2005 年のある日,アルバニア軍のコンピュータ系統が一斉にダウンした。その理由は? — 西暦 2000 年問題」。その国の時代遅れを笑う格好の題材になったんである。でも 2000 年を大きく超過して忘れ去られたころにプチ 2000 年問題が出て恥ずかしい思いをした SE/プログラマは必ずいると私は思う。

非常事態その4

1〜3号機,炉心は冷却状態…東電会見』を見た。よい方向に進んでいると信じたい。

この対策に当たっている東京電力社員,消防隊員,自衛隊員たちにはホント頭が下がる。いくら職務とはいえさすがである。いくばくか放射線を浴びてしまったらしいが,健康に支障がないことを祈りたい。

今日から三連休。夜,川崎駅前に行ってみたが店舗はどこも灯りを最小限にして節電モード。すぐ店先にいかないと営業しているのかどうかまったくわからない。なんかしんみりしている。

このところ,テレビは災害情報特番ばかり,CM も AC 公共広告機構など公共性の高いものばかりが放映されていた。AC CF で朗読される金子みすずの詩にひどく感動している人が急増しているんじゃないかと思う。どうもカタストロフィーを目の当たりにすると人は原点に立ち返る気持ちになるようである。人のことばがなにか特別なものに感じられるようになる。そんなことをつらつらと。

非常事態その3

会社から帰宅し,テレビのニュースを観た。菅総理が国民に向けて「この戦後最大の危機を乗り切ろう」と訴えていた。それに対しマスコミは,このところの原発に絡む一連の不安増大と,尖閣諸島問題・自衛隊暴力装置発言で非難囂々だったあの仙谷さんの危機対策再起用とを受けて,政府の対応への不信感を露にし菅総理の見通しの甘さを攻めたてていた。ネットニュースで読んだところによれば,小池自民党議員も,なんで「あの」仙谷さんをこの危機的状況で担ぎ上げるのかと,憤懣やるかたないようである。

じゃあお前たちがやったらもっとうまくできるとでも言うのだろうか。なんでこの危機的事態に政府をサポートしようとしないのか。ここももっと優先度を上げないといけないのではないか,この観点はどういう検討を経たのか,放水以外にもこういう手段がXXの例であったという情報がある,というような前向きな発言がなぜ出ないのだろうか。私も障害対策で,実質なにもしなくてよい立場にいてスマートな論理で担当者を攻めることしかしないスタッフ(口だけで手を動かさない連中)にいつも困らせられて来たので,よくわかるのである。口を動かす前に手を動かせ,足を動かせ,というのである。私は菅総理は嫌いなんだけど,一国の総理として誰が見ても命を賭けてこの危機を乗り切ろうという意思が伝わって来る。だから,ここはとにかく菅直人を支持したい。仙谷さん再登用も支持する。

非生産的岡目八目に始終しているこいつらマスコミ,愚鈍政治家に呆れてしまったのである。防衛事務次官に軽んぜられて口喧嘩以外何もしなかった小池百合子元大臣より(おまけになんと守屋事務次官はその後ブタ箱行きである),少なくとも仙谷さんのほうが肚が座っている。「自衛隊員は国民のために命を賭けて原発に突撃せよ!」くらい言いそうなのは小池百合子なんかよりむしろ仙谷さんだと私は思う。そうでなきゃ,非難されることを百も承知であんなとぼけた尖閣諸島始末なんてできやしない。いま必要なのは針の筵に座らさせられてもやるべきと結論したことを行動に移しやり抜く胆力ではないだろうか。
 

* * *

スーパーでカップ麺や食パンなどがどうも「買い占め」られて手に入らないと妻がこぼしていた。私は,いやそれはスーパーが被災地への流通を優先させているだけじゃないの,と思っていた。でも,政府は不必要な危機感で買い占めをするなとアナウンスしているし,蓮舫さんも「買い占め」の実情視察をしたというので,どうも本当に「買い占め」に走る人がにわかに現われたようである。

近所のスーパーで店員が「パンはお一人様一点とさせていただいております」と毅然と言い放って客のカゴから商品を取り上げていた,という話を娘がした。普通なら,いくら上からの通達だからといっても客を目の前にして「売らない」行動に走るのには,現場の店員によほどの気持ちの整理が必要である。被災地の人々が厳しい物難にさらされている一方で,被害を免れた人が余計な物欲に走ることに対し,いま,世の中の多くの人が義憤を覚えているのだと痛感した。マスコミがどれだけバカでも,口だけの政治家がどれだけ蔓延ろうと,こういう普通の人々がきちんと行動を起こしている。だから日本という国は捨てたもんじゃねぇと心強くなるんである。

携帯機種変更

今日,会社携帯電話の機種変更をした。これまで使っていたのは日立製 W22H というモデルで,斜めにスライドする珍しい一品だった。電池交換を一度しただけで,まる 6 年も使ったんである。その間に何回も取り落としたりしてカメラレンズ枠が破損してレンズがむき出しになってしまっていたが,それはそれでスケルトンの味が出て愛用していたんである。古い機種とはいえメールはもちろん Ezweb も利用でき,機能的にはなんの不満もなかったわけだけど,2012 年 7 月の 800 MHz 帯周波数再編に関連して IC カード未対応の CDMA 1X がそろそろ使えなくなるということで,新機種移行ということになったんである。
 

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新しい携帯電話もやはり日立製。beskey という名前である。会社が勝手に白色モデルを選定していた(白は経年のヘタレ感がすぐ出てしまうので,私は黒がよかったのだけど,そこは会社携帯,注文をつけても詮ないこと)。私もはじめて二つ折りの流行デザインモデルを携帯することになったわけである。ワンセグが観られるようになった。なんと 8.1 Mega 画素カメラを内臓している。でも,こんなのはどうでもよい。ま,機能的にはなんの新たな期待もなかったのであるが,この際なので,イヤホン,USB ケーブル,microSD カードを自前で調達して音楽でも入れて遊ぼ,ということに。LISMO Port を妻の Windows 7 PC に入れこんで(なんで Mac で使えるようにしてくれないんだ? あ,LISMO は Apple の 宿敵 SONY 製だからか),CD をラッピング,転送してみた。CD ジャケットも表示されてなかなかである。Apple iPod はかさばるので会社にもって行く気がしない。私はサラリーマンのくせに鞄をもたず手ぶらをするたちで,スーツの内ポケットに手帳と財布,外ポケットに通勤定期と文庫本を入れると,もう iPod の余地がない。この携帯ならイヤホンだけポケットに忍ばせておけばよろしい。 息子にも LISMO で携帯に音楽を転送する方法を教えてやったら(「着うたで浪費すんな!」という意味で),えらく感謝されてしまった。
 

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非常事態その2

余震がいまだに続いている。報道は震災一色。被災者の方々は命が救われたその次にやって来る生活不安で疲労感に苛まれはじめている。まだ被災地ではプロフェショナルたちによる被災者救助が最優先事項となっていて,ボランティアたちが活動をはじめるには早すぎる段階のようである。妻の両親が北上に居り,情報がまるで入って来ないので,様子を見に行きたくてしようがないのだが,交通が分断されているだけではなく,一般人が被災地に脚を運ぶのは現時点では救援隊の邪魔にしかならない。

こういうとき一般の人々ができるのは義援金を出すくらいである。今回も私は,小さい額ではあるが,信頼の置ける UFJ 銀行関連の義援金口座に振込した。有名人になると数千万単位で義援金を出す人もいる。飲料メーカー,衣料メーカーなど,災害時になくてはならない飲料,衣料を無償提供したりしている。うちの会社も三億円を寄付したらしい。世界的にも今回の震災は大きな関心を呼び起こしていて,海外から多くの支援がなされている。私も地震直後すぐに Facebook で米国人,ロシア人の友人から気遣いのメッセージをもらった。世の中捨てたものではないと思う。
 

* * *

震災の二次災害ともいえる福島県の原発事故の報道を見ていると,システム障害発生時の雰囲気が痛いほど伝わって来る。一般市民が当事者による説明の仕方次第で技術的問題に起因する不安を極度に煽られる様子も,私は当事者側の論理で理解できるつもりである。「一般人の年間被ばく限度の400倍に匹敵する1時間あたり400ミリシーベルトの放射線量を記録」などとマスコミは書きたてるわけだが,シーベルトだかシューベルトだか,なんの具体的イメージもわかない単位で説明されて,なんかどうも怖いらしいという不安ばかりが増幅されている。400ミリシーベルトの放射線を浴びると何が起こるのかまったく説明していないので,これは何も言っていないのと等しいと受けとめるべきである。「人は1年間に他人から1ハナクソを付けられるという。ところがこのモンスターはなんと400ハナクソを擦り付けてきやがった」— 何が起こっているのかさっぱりわからない。200ハナクソで皮膚が火傷のようにただれる,致死量は300ハナクソだ,のようにでも言ってもらわない限り。

現場の東京電力作業員はそれこそ地獄を見ているはずである。そこから上がって来る情報に基づき広報を行う者も,事実に基づいた上でとにかく顧客=一般市民に不必要な不安を煽らないよう言葉を選んでいる。ところが技術担当からその管理者,さらには政府要人へと,報告がボトムアップされる過程で心配どころの濃淡においてそれぞれで食い違いが出て,なにか説明が一貫しない印象を与え,それが危機的雰囲気のなかで恐ろしい不信感を植え付けてしまっているように見える。官房長官の記者会見はことごとく「心配はない」という主旨なのに,次のタイミングで状況が数段危険なレベルに達しているのが素人目からみても明らかで,市民はまさにそういう不信感に苛まれてしまっている。そしてマスコミがそれを煽るわけである。400ハナクソなんてとんでもない,てなもんや。

私はおそらく現場は,真実を技術者側の論理で理解したら一般人は卒倒してしまうくらい絶体絶命の深刻な状況に,直面しているのだと想像する。でも東京電力の技術者は最悪の事態を回避するだろう。私はなんの根拠もないけれどもそう思っている。外野に煩わされず対策ガンバッテと祈るしかない。
 

おおおお,また揺れ出したぞ。。。
 

※ 2011.3.16 付記

会社のかつて私の部下だった者のなかに,元電力事業部の原子力発電設備設計者がいた。軽薄短小時代の到来,バブル崩壊,原子力発電の危機感から訪れた重電事業の凋落のおかげで,彼は馴れないコンピュータ事業部員に配属替えになったのだった。彼から聞いたところでは,原子力発電所の原子炉はジャンボジェット機がつっこんでも大丈夫なくらい安全性が確保されているそうである。ところが今回の事故は,原子炉そのものの問題というよりは冷却装置が強度の地震で故障したことに起因するものだという。完全ではなかったわけだ。これで原子力発電の安全性神話は崩壊してしまった。

東北地方太平洋沖地震

3.11 15 時少し前に発生した大地震で,一夜明けた今日,死者はすでに 1000 人を越えたという。マグニチュード 8.8 なんて数字は見たことがない。都市直下型の阪神・淡路大震災では 6 千人以上の死者が出たが,今回も津波のカタストロフィーが凄まじい。三陸海岸沿いや福島県海岸地帯の恐ろしい光景を報道で見た。

私は会社事務所内で出くわした。揺れはじめて息を止めてもう収まるかなと思いきや,どんどん激しくなって部下の机上のファイルが床に落ちはじめた。おおおおおおおお,マジかよー。こんな激しい揺れをはじめて経験した。窓から JT ビル方面を眺めると,日本財団ビルの避雷針が大きく揺れていた。地上 160 ウン m の JT ビル高層にいる人たちはパニクってんだろうなーと可哀相になった。向かいのビルでは棚を押さえ付けている男,テーブルの花瓶を抱きかかえている女が見えた。「机の下に入れ!」。私の会社では普段から安全衛生のチェックが厳しく,キャビネットや書類棚の上にモノを置かせないなどの施策が徹底していたおかげで,物が倒れたり落下して社員がケガをするということはなかった。災害時の非常階段から社員を屋外に出して,しばらく様子見。携帯に社のシステムから安否確認のメールが届いていた。隣のビルでは窓ガラスが割れて歩道に飛び散っていた。ビル前の外堀通りは中央分離帯に人が密集して異様な雰囲気だった。部下の無事を確認。問題なし。

出張中の子分ども,家族に携帯電話を掛けまくるが,まったく通じず。携帯メールを発信し,返信を待つことに。こういう災害の時,携帯電話がまったく役に立たないことを改めて認識した(これまでも何度も思い知らされている)。そして,米国国防省が開発したインターネットの凄さを。なにせ,湾岸戦争やイラクのドンパチ地帯でも E メールは使えたというのだから驚く。地震災害状況の報知でも Twitter が大いに活用されはじめていると耳にした。電話も IP 電話なら一発で繋がった。私の自宅は Au ひかり one の IP 電話だが,会社の PC IP-Phone からは 100 発 100 中で繋がった —「ただいま留守にしております...」。自宅の Web サーバにアクセスしてみるときちんと見える。自宅はそれほど被害を受けてはなさそうだとわかった。そのうち家族や部下から無事とのメールが入り,ほっとした。しかし,妻の北上の実家だけはどうしてもなにもわからない。Au 災害伝言サービス云々のアナウンスが携帯からなされるけれども,岩手県は対象外のようである。まったくここぞというときに使えねぇ。

鉄道はすべてストップ。16 時過ぎ,会社本部から避難勧告が出た。帰宅してよろしいということである。帰宅できるものを上がらせた。余震にまたかと馴れはじめた担当者には,揺れのなかで会議をはじめるものもいた。電車も止っているし呑みいこうというやつもいた。なんかイヤな予感がしたが,大きな問題にはいたらなかった。

18 時,私は意を決して歩いて帰ることにした。赤坂から川崎の自宅まで,およそ 25 km。外堀通りから桜田通り,すなわち国道 1 号線に出て,これをひたすら南下すれば多摩川大橋に出る。夜中にタクシーで高速をぶっ飛ばしても 30 分以上かかる距離である。 東京はさほど被害は出ていないようだった(あとで九段会館の惨事を知った)。歩道は歩いて帰宅する会社員で溢れ返っていた。お洒落なコートを着た女性会社員が会社支給のヘルメットと非常用品袋を身につけているのを目にした。ハイヒールは長距離の歩行には不憫だった。女性社員はこういうときのために会社に運動靴を常備しておくのがよい。麻布で東京タワーを久々に目前に見上げた。月齢 6 の気清かな上弦の月。戸越銀座でコロッケを買い食いした。多摩川大橋を渡りいよいよ川崎市に突入する頃はもう脚,腰が痛くて堪らなかった。それが腹にも来てウンコもしたくなって来た... うちの息子は小学生の頃,大便をガマンして帰宅する際,歩を進めるたびに「ウンコ,ウンコ,ウンコ,...」と唸って,それが家のなかからも聞こえたと妻が言っていた。それを思い出し,私も「ウンコ,ウンコ」と人には聞こえないように唸りながら帰宅した。5 時間歩いたー。

妻は,私よりも遥かに遠く,神保町から歩いて帰って来た。国道 15 号をひたすら川崎を目指して歩いて,川崎競馬場,川崎の一大ソープ街を右に折れ,見馴れたバス通りに出た時はほっとしたらしい。昔の東海道を行脚したわけだ。なんと 8 時間も歩いて,家に辿り着いたときには機嫌が悪くてしかたなかった。娘は宿河原にある学校から少し歩いてバスに乗り,遅々として進まぬのにイヤ気を覚えて,武蔵小杉から徒歩に切替えたらしい。いちばんラクな方法を考えたという。息子は広島でテニス合宿。今回の震災からは遠いところにいた。

川崎に寄り道

今日,会社からの帰り,川崎駅前に寄り道した。娘が試験最終日で,憂さ晴らしに妻と娘はカラオケに行く予定だった。今夜のご飯は外で食べて帰ってね,ってわけで,私は川崎駅周辺でメシを食い,本屋に寄って帰宅した。

久しぶりにあっさりした喜多方ラーメンが食いたくなって,坂内食堂に行った。ネギ焼豚ラーメンと半炒飯を注文。てんこ盛りのネギ,10 枚超の蜂蜜の甘みの効いた焼豚で腹一杯になってしまった。坂内は三十七番街をちょっと抜けたあたりにある。ここは夜 9 時を過ぎると,異様な雰囲気が漂う界隈となり,隣の仲見世通りとともに,なにやらいかがわしい客引きがウロウロしはじめる。

丸善で浮世絵の図説本を二冊購入。そのあと,喫茶店でフレンチコーヒーを飲んだ。お店で守屋毅著『元禄文化』を読了。日本の活気ある大衆文化の魁は元禄にあり。遊芸(習い事)が町人のブームだった元禄は,まさにカルチャーセンターの流行る現代と同じだと思った。西鶴や当時の文献の引用で,芝居小屋,吉原の「悪所」の雰囲気をうまく伝えてくれる良書だった。
 

図説 浮世絵に見る江戸の一日 (ふくろうの本/日本の文化)
佐藤要人・高橋雅夫 監修
藤原千恵子 編
河出書房新社

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前原外相辞任

外国人から政治献金を受けていた問題で,前原外相が早々に辞任した。

私は前原さんを好かないんだけど(安倍元首相と並んでもっとも嫌いな「美しい日本」タイプのオコチャマ政治家なので),今回の問題はくだらなさ過ぎで同情してしまう。この献金は,どうも在日韓国人のおばちゃんが友達付合いのなかで「がんばって前原くん!」とばかりに色気無し・下心無しに数十万を差し出したに過ぎないようだ。また違法献金だと知って,前原さんは全額返金したというのだから,罪はないように思う。こんなハナクソみたいな些事で前原さんを「売国奴」呼ばわりし怒りまくっている右バネがいるから嗤ってしまう。

一方で菅総理は,尖閣諸島問題,北方領土問題でなんのリーダーシップを発揮できなかったばかりでなく,参議院選挙,地方選挙での民主党の惨敗,小沢問題に絡む党内混乱の責任を曖昧にしたまま,ずるずる政権延命を図っている。これと比べて,前原さんの決断の早さ。どうやら,前原さんは菅政権自体の余命いくばくもないことを承知で絶妙なタイミングで辞任に「打って出た」,というように見えてしまう。いま「潔さ」で男を上げておいて,このあと菅さんがつぶれたら「次の総理はオレ」と計算しているのかも。

もしそれが総選挙無しに実現してしまうとしたら,ホント政治家の責任というものの意味がわからなくなってしまう。責任とって外相を辞めたんでしょ,そいつがなんで首相になるんですか,ってこと。その前に,もう一度選挙で民意を問うてもらいたいものである。再度選挙で選ばれたのならば,もういちどチャンスが与えられる,というべきではないだろうか。ま,前原さんが辞めたばかりで,こんなこと意味ないんだけど。

Windows 7 マシン

妻が使っている PC はもう 10 年くらい昔に買ったオンボロ。JCS Vintage という渋いブランドマシンである。よっていまだに Windows 2000。IE6 は最近の新しいページを表示すると「スクリプトエラー,デバッグしますか」のエラーメッセージが煩くて仕方ない。ディスクも一杯でしょっちゅう不要データを削除しなければならないし,データのフラグメンテーションがハンパでないのにデフラグをする空きすら確保できず,低速運転でガマンしなければならなかった。というわけで,そろそろ買い替えようということになった。Mac にしたらと勧めたが,妻は「また新しいこと覚えんのイヤ」ということでやはり窓族を通すことに。

キューブ型静音設計の PC をネットで購入した。Shuttle 社が製造しているベアボーンである。モニタ,キーボード,マウス,スピーカはこれまでの品物を継続使用する。39,000 円しかしなかったが,それでも intel Core2Duo E7500/2.93 GHz MPU,2 GB DDR-3 メモリ,500 GB HDD,24 倍速スーパマルチドライブ搭載の充分な性能を持つ。妻の機械はわが家で最高性能の PC となった。Windows 7 はネットオークションで Ultimate 32/64 bit 同梱パッケージ正規品を安値で手に入れた。 このモデルは 35 言語から好きな言語を選択できるんである。もちろん日本語を選んだ。

このブログ・システムを稼働させている FreeBSD サーバ(同じ Shuttle 製キューブ。こちらは Core2Duo E7200/2.53 GHz)の上に新 PC を置いた。とりあえず 32bit 版をインストールし,リモートプリンタ,Thunderbird メールクライアント,秀丸エディタ,Adobe Reader 10,Silverlight だけは設置・調整した。いまの Windows は IP ネットワーク設定を自動でやってくれるのに感心した。Office は必要になったら設置するということにした。ところで,Windows 7 って Microsoft Office 2000--2003 は動くんだろうか。Office はアップグレードパッケージでこれまで繋いで来たので,アタマから入れ込むのはチョー面倒である。500 GB もディスクがありゃ昔なら FreeBSD か Linux も別パーティションにインストールして遊んだであろうが,いまはもうそんな元気はない。
 

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Yahoo! 知恵袋教えてクン捕まる

京都大などである受験生が試験中に問題解答を Yahoo! 知恵袋に問い合わせていた。この問題がやたらとかしましい。マスコミもヒマだね。今日,仙台の予備校生が逮捕されたようである。インターネットの書き込みは,プロにかかればすぐアシがつく。

この「事件」はインターネットを悪用した新手の不正受験ということで話題になったのだと思う。それにしても,この予備校生がやったのはやっぱり「カンニング」でしかない。もちろんフェアであるべき入学試験なのだから看過できない行為である。しかし「偽計業務妨害」で「逮捕」されたとなると,ちょっと厳し過ぎやしないか。この予備校生,自業自得ではあるんだけど。彼は 19 歳の未成年である。しかも「カンニング」は殺人,暴行,強盗,恐喝,強姦などと異なり「犯罪」として立件しなければならない性質のものだろうか? この予備校生は「犯罪者」になってしまった。おかげでこれから前科者として扱われるわけである。ちょっとこれは酷過ぎやしないか。一方で,苛め根性丸出し,無責任でバカな2ちゃんねらー,Yahoo! コメンタの「慰み物」になってしまい,「こんなやつは実名報道しろ」なんて,ホント下衆な書き込みがなされるわけである。私の目からすれば,こんな書き込みを真っ昼間からしている奴の方がよっぽど「恥ずかしい」。

これが「事件」になったのは京都大学が被害届を警察に届け出たからこそ。未成年がカンニングで逮捕される。こんなことがなぜまかり通るのか? 京都大学は教育的配慮が足りないのではないか。受験者全員に「不正をした者は出て来なさい,正直に名乗り出たら,警察に届けはしません」とまずアナウンスして様子を見るべきではなかっただろうか。とにかく,こんなことまで警察沙汰にするなんて,世の中の人間味が足りない証拠だと私は思う。「甘い」ってか? 私からすれば,警察沙汰にして問題から逃げる奴の方がよっぽど考えが甘い。

今宵,妻と二人で札幌交響楽団東京公演に行って来た。場所は東京赤坂・サントリーホール。今年で 23 回目となるホクレン・クラシック・スペシャル。札響も創立 50 周年らしい。札響は地方のオーケストラとしてはピカイチであって,私も学生時代に何度か聴きに行ったものである。武満徹の音楽をことのほか大切にしているオケであり,学生時代を過ごした都市の楽団という贔屓目ばかりではなく,私の好きなオケのひとつなんである。

サントリーホールは何年ぶりかと思いつつ,今夜のプログラムを繰っていて,9 年ぶりだということがわかった。年に一度のこの札響東京公演 2002 年第 14 回,ブルックナー 9 番とモーツァルト・ピアノ協奏曲 27 番以来というわけ。あのときはうちの二人のガキを連れて来て,神経質でケツの穴の小さい客に怒鳴られたなぁと,妻と思い出話をした。勉強臭,オタク臭,そして神経質。これだからクラシックファンは女にモテねぇんだよなー,なんて。

今夜のプログラムは,武満徹作曲『ハウ・スロー・ザ・ウィンド』(1991 年),ショスタコーヴィチ作曲・チェロ協奏曲第 2 番作品 126,同・交響曲第 5 番ニ短調作品 47。チェロ独奏はハンガリーのミクローシュ・ペレーニ。指揮は(誇張ではなく)日本で最高の指揮者・尾高忠明。

席が最前列左寄りで,ちょうど第一ヴァイオリンの 5 プルト目の前あたりで,ヴァイオリン,ハープ,チェレスタの音が直接耳に届いた。ヴァイオリンの音響の壁を大波が越えて来るように向こう側からチェロ,コントラバス,ティンパニが腹に響いて来て,めっちゃ臨場感があった。武満の繊細な弦が天上的な響きに聞こえた。武満徹とその音楽を丹念に演奏できる演奏家がある限り日本の音楽は世界にその存在感を示す,と私はマジで思っている。ショスタコーヴィチの交響曲の第三楽章がとくに感動的だった。第四楽章のあのフィナーレ,『ショスタコーヴィチの証言』のことばを借りれば「喜べ,喜べ,(抑圧された)民衆よ」というえげつないアイロニーも悲痛なフィナーレ。ティンパニが凄まじかった。圧倒された。(この部分,ブラームスのハ短調シンフォニー第一楽章と並んで,誰もが一度でいいからティンパニを叩いてみたいと思う圧巻ではなかろうか)

音楽評論家がプログラム解説で『証言』は偽書であると何の脈絡もなく,また何の意味もなく書いていた。だから何? これだから音楽評論家ってのは何を読者に伝えたいのかサッパリわからんのじゃ,と呆れ果てた。私は「解説」というものに,時代や作曲家の「思想」が作品にどう現われているのかという説明を期待しているのだけれど,音楽評論家の書くことといったら,楽理・形式の記述はいいとして,古典的な様式がどうの,瞑想的な気分がどうの,おタッキーな戯言,お呼びでないことばかりなのだ。
 

* * *

コンサートは 19:00 開演だった。私の会社事務所は溜池山王交差点すぐなので,サントリーホールは歩いて 10 分足らずである。少し残業してもいいくらいであったが,会議が終わってコンサートを前に気もそぞろになり,とくに差し迫った懸案事項もなかったので,フレックスで 16:30 ごろに仕事を抜け出した。ショスタコーヴィチを iPod で聴きながら少し散歩をしてからコンサートホールに入ろうと思ったのである。

雨の中,ショスタコーヴィチの『ソプラノ,ヴァイオリン,チェロとピアノのためのアレクサンドル・ブロークの七つの詩』,弦楽四重奏曲第 15 番を聞きながらぶらぶら歩いた。普請中の虎ノ門病院横を抜け,日比谷通りまで出て,そこから愛宕方面に向かう。慈恵医科大学病院あたりで再び赤坂方向に折れ,愛宕神社参道,NHK 放送博物館を眺めた。このあたりは都心では珍しく小高い丘になっていて,トンネルがあった。雨の中おっちゃんたちが道路工事に余念がなかった。トンネルを潜って,桜田通りを行く。この辺で曲がりゃアークヒルズ方面に出られるかなと思い,神谷町の手前で右に折れたらホテル・オークラに出た。米国大使館,スペイン大使館,スウェーデン大使館など大使館が密集しているこの界隈はアークヒルズのすぐ裏手である。アークヒルズ,山口百恵が結婚式をした(なんでこんなこと思い出すんだ?)霊南坂教会の十字架が間近に見える。墓地を見つけた。こんな東京のハイカラな場所にも諸行無常の響きありなんである。テレ朝のほうからサントリーホール玄関に到着。雨のカラヤン広場には誰もいなかった。妻との待ち合わせ時刻までまだまだ時間がある。アークヒルズの SUBWAY でローストビーフサンドイッチとコーヒーで腹ごしらえした。「自分だけずるーい」と妻が僻んだ。

演奏会のあと,やはりアークヒルズの茶漬け屋で串揚げを食った。麦酒を飲みながらコンサートの余韻を楽しんだ。串揚げは香ばしく気品があり,明太子と鮭の茶漬けは旨かった。ショスタコ・チェロ協奏曲 2 番の CD 買うぞ。
 

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ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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