2012年1月Archives

misima 漢詩 Tomcat, Log4j エラー

misima 漢詩作成支援の機能追加を終えて,Tomcat ログ,misimaKansiServlet ログを眺めていたら,気になるエラーが出ていた。システム自体は正常に動作しているので,別に構わないわけだけれども対処することにした。
 

* * *

一つ目のエラーは Tomcat-5.5(JSP / Servlet コンテナのデファクトスタンダード・ソフトウェアのちょっと古めのバージョン)/usr/local/tomcat55/logs/stdout.log に出ていたもの。

log4j:WARN No appenders could be found for logger →(折返し。実際は 1 行)
    (org.apache.commons.digester.Digester.sax).
log4j:WARN Please initialize the log4j system properly.

二行目の initialize 云々でロガー(ログ管理システム)Log4j の初期化がうまく行っていないようである。misimaKansiServlet そのものは独自に Log4j のプロパティ・ファイルを読み出して Log4j を初期化している。つまり,以下のように,デプロイメントディスクリプタ web.xmlinit-param タグにログ・プロパティ・ファイルの場所を書いておき,misimaKansiServlet Java プログラムから参照して logger を初期化している。

<servlet>
  <servlet-name>misimaKansiServlet</servlet-name>
  <servlet-class>misimaKansiServlet</servlet-class>
  ...
  <!-- logging プロパティのパス -->
  <init-param>
    <param-name>logproperty</param-name>
    <param-value>
      /usr/local/tomcat5.5/webapps/misimakansiservlet/log4kansi.properties
    </param-value>
  </init-param>
</servlet>
public class misimaKansiServlet extends HttpServlet {
    /** log4j property */
    private static String prop = "log4kansi.properties";
    /** log4j logger */
    private static Logger mslog;
    ...
    /** 初期化 */
    public void init() throws ServletException 
    {   
        // web.xml デプロイメントディスクリプタから初期パラメータを取得する.
        String p = getInitParameter("logproperty");
        if (p != null) { prop = p; }
 
        // log file initialize.
        mslog = Logger.getLogger(misimaKansiServlet.class.getName());
        PropertyConfigurator.configure(prop);
        mslog.info("misimaKansiServlet initialize.");
        mslog.info("- log properties file: " + prop);
    }
...

これで何でまだ初期化されていないなどと言われるのか。misimaKansiServlet のログは初期化されてきちんとロギングできるので,どうやら Log4j の親玉みたいなクラスがシステムとしてのロガーの初期化ができないということのようである。調べたら,このためのプロパティ・ファイルを Log4j がきちんと読めるようにしておけばよいとわかった。つまり,/usr/local/tomcat5.5/conf/log4j.properties に全体用プロパティ・ファイルが格納されているとして,Tomcat 起動時に参照する JAVA_OPTS 環境変数に以下を追加記述しておけばよい。

-Dlog4j.configuration=file:///usr/local/tomcat5.5/conf/log4j.properties

これで Tomcat を再起動すれば,エラーは出なくなった。私の FreeBSD 環境の場合 Tomcat 起動用スクリプトのなかで JAVA_OPTStomcat55_java_opts 環境変数から取得しているので,/etc/rc.conf に以下を追加した。

tomcat55_java_opts="-Dlog4j.configuration=→(折り返し)
file:///usr/local/tomcat5.5/conf/log4j.properties"
 
* * *

二つ目のエラーは,misimaKansiServlet ログの DWR 関連メッセージである。

12/01/30 18:24:18.079, ERROR, 
[TP-Processor6] org.directwebremoting.util.LogErrorHandler,
42: Line=23 The content of element type "dwr" must match 
"(init?,allow?,signatures?)".

文面からは何も原因を想定できない。DWR サイト内を検索したら,メーリングリストに同じエラーに遭遇した人の投稿とそれへの回答があり,難なく原因がわかった。misimaKansiServlet 用の DWR 定義ファイル dwr.xml の記述において,今回追加した Java クラスのために allow タグも追加したのだが,これがまずかった。このタグは複数書いてはいけない仕様だったのである(それでも追加プログラムが動いてくれるのが面白い)。よって,対策は一つの allow タグにすべて放り込む,というのでOKだった。

<dwr>
  <!-- without allow, DWR isn't allowed to do anything -->
  <allow>
    <create creator="new" javascript="SigoTable">
      <param name="class" value="SigoTable" />
    </create>
    <convert converter="bean" match="SigoBean" />
  <!--
  </allow> 単一 allow にするため削除
  <allow>  同上
  -->
    <create creator="new" javascript="KanjiTable">
      <param name="class" value="KanjiTable" />
    </create>
    <convert converter="bean" match="KanjiBean" />
  </allow>
</dwr>

D. Smirnov "Space Odyssey" 初演

D. Smirnov から写真がメールで送られて来た。1 月 26 日,リッカルド・ムーティ指揮/シカゴ交響楽団の演奏会で,彼が作曲した "Space Odyssey" が初演された。写真はそのときのものである。かねてメールで演奏会の案内をもらっていたのだけれど,シカゴに行くのは無理である。

リッカルド・ムーティと並んだスミルノフの笑顔は,演奏会が成功だった証のようである。インターネットで調べたら,私がもらった写真と同じものが flickr.com にも掲載されていた:http://www.flickr.com/photos/chicagosymphony/6770768611/

"Space Odyssey" がどんな曲か聴いてみたい。そのうち Facebook にビデオがアップされることを期待するばかりである。

Brahms Klavierkonzert I Op. 15

今日のお休み,久しぶりにブラームスを聴いた。ブラームスはドイツ人の真面目でウブな感情の塊のようなイメージがある。事実,ドイツ人は本当にブラームスの音楽が好きである。冗談が通じないあの重厚さは,ときに聴いていて煙たくなるときがある。それでも私はブラームスが好き。弦楽四重奏曲,交響曲,ヴァイオリンとピアノのための協奏曲,ピアノ曲,ヴァイオリン・ソナタなどなど,どれも不用意に聴くとホロリとさせられる絶品ばかりである。

ピアノ協奏曲第一番ニ短調作品 15 がいちばんのお気に入り。これ,しかしながら,彼の若書きで,その管弦楽法にケチを付ける人が結構いる。最初はピアノ・ソナタとして書きはじめられたのに,どうも構想がでかくなり交響曲に改変されたと思いきや,ベートーヴェンの亡霊に脅かされたのか(?),完全主義者だったからか,途中でピアノ協奏曲に変更された。どうも威勢はいいが優柔不断な経緯を感じさせる。第一楽章のマエストーソは厳粛で,ヒロイックで,大上段に振りかぶった気合いがあまりに大げさなので,後年の円熟したブラームスを好きな人はちょっと引いてしまうかも知れない。でも,やっぱりロマンチックでよいんである。

20120129-bra-1.png

交響曲に相応しい歌い出しだからかピアノがなかなか入って来られない。オーケストラの厳粛な力強い演奏が 90 小節も続き,やっと一段落したところで,独り言のようにさりげなくピアノ独奏がはじまる。「え? いまごろかよ? 孤独な悩めるヒーローの登場か!」みたいな進行が面白い。

緩やかな第二楽章は打って変わって,天上的な優しく清らかなテーマと,思い出したような突発的激情とが,ホント,堪らなく美しい。亡くなったシューマンへの哀悼か,残されたクララ・シューマンへの恋慕か,そのどちらもひしひしと感じられるいい楽章である。涙がチョチョギレます。

20120129-bra-2.png

第三楽章はそれまでの厳粛,清らかな情愛と比べると,逃げて行くような軽やかさがあり,「ちょっとバランス悪くね?」という感じが否めない。

私がこれまで聴いたピアノ協奏曲第一番の演奏でもっとも感動的なのは,ダニエル・バレンボイムのピアノ独奏,ズビン・メータの指揮,ニューヨーク・フィルハーモニックの管弦楽によるものである。アナログ・レコードの時代から聴いて来た。以下に第二番とのカップリング CD のリンクをあげておく。
 

Brahms: Piano Concertos 1 & 2
D. Barenboim (Pf)
Z. Mehta (Dir), New York Philharmonic Orchestra.
SONY (1998-05-29)
実際の CD ジャケットは左画像と異なります。

misima 漢詩作成支援・平仄音韻分析・詩語検索ツールに,旧字体変換機能と漢字検索機能を追加した。ただし,このツールは友人向けの限定公開であり,ユーザ ID,パスワードを入力しないとアクセスできないようになっている。

今回の追加機能は,先日,自分で漢詩を書く際に本ツールを使ってみて,足りないと思った機能である。そのときは手元の仮想端末から SQL を叩いて漢字データベースを検索して,欲しい平仄・韻をもつ漢字を探す,などしていた。せっかくだから,これらを Web 上で出来るようにした。旧字体変換はすでにある misima 旧字・旧仮名遣い変換サーブレットを呼び出すようにしただけである。漢字検索機能は,詩語検索とまったく同じ方式である(『DWR with Java: misima 漢詩詩語検索』を参照)。DWR(Dynamic Web Remoting)ライブラリをベースに,Java Beans クラス(KanjiBean.java)と,漢字 DB を検索してそのクラス配列にデータをストアするメソッド(KanjiTable.java)の二本の短い Java プログラム,非同期通信ライブラリ DWR とユーザインタフェースを制御する一本の JavaScript(kanji.js),検索用 HTML(kanjisearch.html)をごそごそと書いた。DWR のおかげで面倒な Java サーブレットのコーディング,非同期通信 Ajax JavaScript のブラウザ依存コーディングから解放され,たったこれだけの一日作業で機能追加が出来た。以下,追加機能の使い方を簡単にメモしておく。

メインの画面(図 1.)に「漢字検索」と「旧字体」のボタンがある。
 

20120128-kansi-1.png

図 1. メイン画面

分析対象漢詩テキストを入力し,「旧字体」のボタンをクリックすると,入力した内容が旧字体に置き換えられる。図 2. はその実行前後を示している。


20120128-kansi-2.png

図 2. 旧字体変換

「漢字検索」右横の「開く」ボタンをクリックすると,漢字検索用の別ウィンドウがオープンする(図 3.)。
 

20120128-kansi-3.png

図 3. 漢字検索ウィンドウ

ここで「漢字」,「韻字」,「韻目」で検索が可能である。ある漢字の平仄,韻目を知りたいとき,「漢字」のテキストエリアに文字を指定する。複数指定することができる。「韻字」のエリアに漢字を入力して検索すると,当該漢字と同じ韻目の漢字の一覧が得られる。押韻文字を考えるときに役立つはずである。「韻目」は,韻目を指定して該当する漢字の一覧を検索するためのものである。韻目は「上平聲一東」のような複雑なものでありかつシステム内部において特殊な形式で管理している。この形式でユーザが入力するのは困難なので,韻目テキストエリアにカーソルが位置づけられるとメニューがポップアップし,ここに一覧された平水韻 106 項目から求める韻目を選択することにより,検索条件が設定されるようになっている。図 4. に韻目検索のポップアップメニューを示す。
 

20120128-kansi-4.png

図 4. 韻目ポップアップメニュー

「漢字」,「韻字」,「韻目」の条件は1回の検索ではどれかひとつしか指定できない。複雑な条件で検索するために「SQL」条件を設けてある。検索キー:漢字 ji; 平仄 hs; 字韻1 in1; 字韻2 in2; 音読 yo; 訓読 yk; 備考 bk を使って,SQL where 句のなかに書くクエリ条件を記述する。select * from KANJITBL where query condition; の SQL 文のうち query condition 部分のみをテキストエリアに記述する。最後の ;(クエリ終了を示すセミコロン)も書いてはならない。これはエキスパート向けであり,基本的には使う場面はないと思う。

検索結果には,漢字,平仄,韻目,備考が出力される。備考欄には,音読み,訓などの付加情報があったりなかったりする。出力例を図 5. に示す。
 

20120128-kansi-5.png

図 5. 漢字検索結果例

ここで,平仄欄の は平字, は仄字, は平仄両韻字(意味によって平仄が違う)を示している。韻目欄の,例えば「hs:07:陽」というのは下平聲七陽を示している。hk: 上平聲,hs: 下平聲,sj: 仄上聲,sk: 仄去聲,sn: 仄入聲であり,コロンで区切られた数字と漢字一文字で韻目を表している。

これで,漢詩の平仄・音韻規則チェック,詩語の検索,漢字の平仄・韻目検索が揃った。これからは詩語データベースの充実を図り,漢詩作成の有益なツールになるようにしたいものである。
 

20120128-kansi-6.png

図 6. misima 漢詩作成支援・平仄音韻分析・詩語検索・漢字検索

北村薫・ベッキーさん三部作

クリスマス・プレゼントで妻から貰った北村薫のシリーズ本三冊を読んだ。ベッキーさん三部作。年末から通勤電車のなかで少しずつ楽しんで,23 日にようやく読了。

シリーズ第一集から順に『街の灯』,『玻璃の天』,『鷺と雪』という書名で,作品自体が短篇集の形式になっていて,それぞれ収録された短篇のタイトルが本の題名になっている。内容は,昭和七年から昭和十一年に至る,日本が奈落の底へ落ちて行く時代を背景とした,ミステリー風世相物語である。主人公・花村英子の一人称体による語りである。華族の令嬢である英子は,上流社会の箱入り女学生の立場にあって,新聞・ラジオ,学校の友人,たまさかの外出から,世の中の不条理な出来事に触れ,文学に培われた近代的思考能力で考え,近代的良心に照らして悩む。そんな日常において発生するちょっとした事件(多くは「事件」というほどの衝撃を欠いている。本格的殺人事件は『玻璃の天』くらいだった)に対して,花村家の女性運転手・別宮みつ子(英子は,『虚栄の市』の憧れの主人公・ベッキー・シャープを別宮の名に掛けて,彼女のことをベッキーさんと呼ぶ)の控えめな助言をヒントにしながら,英子はその謎を解決して行く。

実際に起こった事件,事実,たとえば,放送局がブッポウソウの囀りを生放送しようとして果たせなかった,といったような事柄が鏤められている。これらは作品の不穏な時代背景の特徴描写とうまく融合して,単なる時代雰囲気の醸成だけに留まらない暗示的効果を出し得ている。とくに同時代の文学的事象もそのひとつで,山村暮鳥の『聖三稜玻璃』に収録された詩『囈語』の詩行「騒擾ゆき」の引用でもって,1936 年の二・二六事件を暗示させるくだりは,「こじつけ」という言葉では片付けたくない妙に生々しい暗合を感じた。

作品はミステリーに属するものといえるだろうけれど,謎解きは二の次で,語りの眼目はなによりも,教養があり,しっかりした考え方を持ち,冷静に行動できる新しい時代の女性の姿にある。英子は自由思想的であり,階級的価値観に縛られず,世界を読み解くのに読書経験と論理的思考力とにものを言わせるところがある。ベッキーさんは男装の麗人,文武両道の清楚な女傑,深い教養と知性を備えたスーパーウーマンである。このあたり時代小説の人物設定としては強引な要素が否めない。でもそんなことはどうでもよい。痛快ヒーローものの面白さがあるのだ。軍国的右翼国家主義者・段倉荒雄(北一輝か大川周明あたりがモデルか?)とベッキーさんとのやりとりのくだりは,バカを暴力でなく教養でもって貶める(相手を「打ち負かす」のではなく,こっそり「嗤いの対象」に貶める)点で,たいへん印象的だった。

 ベッキーさんは,前方を見つめている。運転中の横顔を,初めて見る。影絵のようになった額や鼻,口元の線が,美しい模様を見るように心地よい。その唇が動いた。
「生齧りの本の言葉に,《善く戦ふ者は敗れず》とありました。そうでありましょう。さらに《善く陳する者は戦はず,善く師する者は陳せず》とも書かれていました。見事に布陣出来る者は戦うまでもなく,見事に軍を動かす者は布陣するところまで事態を運ばずして,勝ちを収めるのでしょう。女の身といたしましては出来得る限り,戦さという手立てによらずに,様々なことが解決出来ればと—希望いたします」
 段倉は,ふんと鼻を鳴らした。相手は東洋思想の専門家だろうに,と,ひやりとしてしまう。ベッキーさんも,無鉄砲なことをいい出したものだ。
「そのようなことを,偉そうにしゃべるものではないぞ。まして,お前は日本の女だ。大和撫子は,一という字も知らぬように見せてこそ奥ゆかしい。覚えておくがいい。女が生齧りの学問を振り回すほど,卑しいことはないのだ。—実に見苦しい」
「先生。今の質問へのお答えは?」
「う? 戦わずに—ですか。—いや,そんなことは相手次第だ。幾ら,こちらが誠意を尽くしても,向こうがいうことをきかなければ仕方ない。打ち倒すしかない」
 車はやがて,麻布の街に入って行った。段倉のいう店に寄せながら,ベッキーさんがいった。
「先生。後学のためにお聞きしたいのです。実はわたくし,不勉強で,先程の言葉の出典を存じません。あれは,一体,何にあるのでしょう?」
 皆の注意が,段倉に集まる気配があった。段倉は不快げに,吐き捨てた。
「『孫子』だ。『孫子』っ!」
北村薫『玻璃の天』文春文庫,2009 年,pp. 82-3。

議論をしているのに,テーマから逸脱し「偉そうにしゃべる」とか「見苦しい」とかの無関係の威圧的言説でもってまず相手を見下さないではおれないところ,バカ右翼のタイプだと感じるのは私だけか(議論で大事なのは論者双方の共通の結論に達することなのに,「勝つ」ことが目的になってしまうバカの典型でもある)。『孫子』には「戦わずして勝つ」なる要諦があり,これは昔から『孫子』バカの好む名言である。ベッキーさんの引用「善く陳する者は戦はず,善く師する者は陳せず」はすぐ『孫子』のこの名言と観念連合する。ところが実際は,ベッキーさんの引用は『漢書』刑法志からのもの,とあとで述べられる。段倉こそ「偉そうにしゃべる」だけのただの「生齧り」だ,というわけである。「幾ら,こちらが誠意を尽くしても,向こうがいうことをきかなければ仕方ない。打ち倒すしかない」— これに類する意見は,バカ右翼だけに限らず,最近のネット住民(バカ Yahoo! コメンタはいうに及ばず)にも多いのではなかろうか。最近ではこのテの安易な武力行使肯定意見が多くて,この物語の時代風潮はもはや過去のものといえない事態になりつつある。やっぱりキナ臭いのはイヤである。

このくだりは段倉をボンクラに見せるのに効果的である。そして,ベッキーさんの意見が正しいと読者に信じさせるのに効果的である。私の意見も「ベッキーさんを大いに支持する,段倉みてぇな奴は日本を滅ぼす。失せやがれ!」である。その効果は小説の藝術性とはあんまり関係ない。もしこういうことをきちんと読者に理解させたいのなら,段倉をボンクラに見せる小説ではなく,「善く陳する者は戦はず,善く師する者は陳せず」の説を現代的に証明する論説でなすべきだろう。でも,北村薫って作家は真面目なんだな。好感がもてる。

ただ,北村薫のこの三部作を読んだ感想には,少し真面目過ぎるというのもある。吉永南央『萩を揺らす雨』を読んだときも,その生真面目さに心打たれながらも,似たような不満があった。「なんかわけわからん」というか,私にとって蠱惑ある文学作品に欠くべからざる「不明」の要素がなくて,「なるほど,そうだよな」とスッキリし過ぎるんである。贅沢だろうか。
 

七絶・九段坂幻影

漢詩を書いてみた。七言絶句・仄起式平韻偏格。湯島天神初詣のとき思いついた。桜花の時候はまだまだ先だけど。ま,くだらない戯言である。ただ,平仄・押韻法は合っているはずである。

九段坂幻影
櫻雪蕭然昇九堽  桜雪蕭然たり。九堽(きゅうこう)を昇る。
氣淸雀囀薄霞洸  気清く雀囀り 薄霞(はくか)洸(こう)たり。
視靈廢卒幽跳坂  霊の廃卒の幽かに坂を跳ぶを視る。
途上娟人仰彼蒼  途上の娟人(けんじん)彼蒼を仰ぐ。
Sakura drifting on the wind lonely and silently. I'm going up the slope of Kyuko.
Pure air. Sparraws twittering. Mist dim and thin.
In my vision - transparent spirits of invalid soldiers jumping are coming down.
At the end of road a woman stands looking up at the sky.
(Facebook に載せたら英訳をと求められたので,通じればよいと適当に)

「櫻雪」なんてのは和臭プンプンだろうけどかまわない。平仄その他のこじつけで,九段坂について「九堽」(きゅうこう)なんて造語を使っている。misima 漢詩平仄音韻分析・詩語検索(ただし,友人のための限定公開)をはじめて自身の実作で使ってみた。あれこれ悩むと,いろいろ機能がほしくなって来る。機能追加はそのうちということで。プログラムによるチェック結果は以下のとおり。
 

20120122-kansi.png

新年のスパムメール

自宅サーバでメールサーバを運用し,DynDNS で取得したドメイン名でメールをやり取りしている。当然ながらスパムメール・チェッカ SpamAssassin やメール振分ソフト Procmail を稼働させて,メールボックス配信時にスパムメールを取り除けている。一般に,スパムと判断されたメールは,これを /dev/null 行きにする管理者が多いのではないだろうか。/dev/null は UNIX のスペシャルファイルのひとつで,これを出力先にすると削除と同じ操作となる,言わば宇宙空間のブラックホールのようなものである。

しかし,私はスパムをブラックホール送りにしないで専用ディレクトリに入れている。もちろん,きちんとしたメールがスパムと誤判断される場合を考慮したからであるが,たまにスパムの文面をみて大笑いするためでもある。この際,FreeBSD サーバ上の GNU Emacs 環境の MUA Mew を使って閲覧する。Windows では Outlook Express などでプレビュー表示しただけで感染してしまうウィルスが知られているが,UNIX 上のテキストベースの Mew なら,いかがわしいスパムを閲覧してもウィルス感染する心配はあんまりない(だから Windows ユーザは私の真似をしてはいけない)。

私はサイトのあちこちに自分のメールアドレスを晒しているので,ロボットに収集されて,いろんなところからスパムが私のところに来る。これらスパムは,かつては英語のものが圧倒的に多かったが(ほとんどが「あなたの dick を三倍に」,「Rolex 高級時計を格安で」に類するものであった),この二週間ほどの傾向では,日本語が約 50%,中国語が約 30% である。英語のものは 10% 程度である(米国は何か対スパムの法整備をしたのか?)。ウクライナ/ロシアからも 3% 程度ある(ウクライナはアタックも多く,ならず者計算機使いが多いと私はみている)。中国語が目立つようになったけれども,やっぱり懲りない奴らは日本語を話すのが多いらしい。エロサイト,「金持ちマダムのお相手しませんか」的出会いサイト,裏ビデオ取引への勧誘がほとんどである。サーバアタックは米国,ウクライナ,中国からが多かった(ちょっと前の調査による)のだけれども。もちろん,これは「私のところに来たもの」(しかも二週間のデータ)がベースなので,スパムメール事情の全体的傾向とは判断できない。

年明け,こんなスパムが来た。「パックリおまんこ開けましておめこでしょう」。「あけおめコ」というのもあった。「あけましておめでとう,ことしもよろしく」というのを若い人たちは「あけおめことよろ」と略したりする。このスパムメール,そのなかに卑猥な言葉が隠れていることを利用していて,大笑いさせられた。このスマパー,きっと関西人に違いない。メールヘッダを確認すると,どの IP から送付されて来たかがわかる。この「あけましておめこでしょう」メールヘッダは,次のようなものだった。

From info@027ab.cdefg.info  Thu Jan  5 14:19:11 2012
Received: from 027ab.cdefg.info ([175.106.71.27])
	by beatrice.yasuda.org (8.14.4/8.14.4) with SMTP id s055R94k001229
	for isao@yasuda.homeip.net; Thu, 5 Jan 2012 14:19:10 +0900 (JST)
	(envelope-from info@027ab.cdefg.info)
Message-Id: <201201050519.s055R94k001229@beatrice.yasuda.org>
MIME-Version: 1.0
Content-Type:text/plain; charset="iso-2022-jp"
Content-Transfer-Encoding: 7bit

IP は 175.106.71.27(スパマーの IP アドレスは晒してやってもかまわない?)。人間ではなく機械が自動的にバラまいたスパムであることがわかる(当然といえば当然)。人間がパソコンから出すメールはたいていプロバイダのメールゲートを通過し,そのたびに Received: 行が追加されるので,ヘッダにはこれが必ず複数行ある。上記ヘッダには 1 行しかないので,MUA が直接私のメールサーバに接続したことがわかり,つまりスパム発送プログラムのしわざだと考えられるのである。じゃ,いったいどこが発信源か。whois コマンドで調べてみる。

% whois 175.106.71.27
...
inetnum:        175.106.64.0 - 175.106.127.255
...
person:         jung bxung wxx
address:        Gyexnggi-dx Gwxnsexn-dxng
address:        1056-XX XX  JNDINFO.CX
country:        KR
phone:          +82-31-226-XXXX
e-mail:         comnetxx@hanmir.xxx
mnt-by:         MNT-KRNIC-AP
changed:        hostmaster@nic.xr.kr
source:         KRNIC
...

内容は xxx などと少し改変し,情報量もはしょってある。発信源は韓国だったニダ。関西じゃありませんでした。このメール本文には,スパムとしては当然ながら,誘導したいエロサイト URL がしるされているが,この URL から引いた IP アドレスは米国のサイトのようである。この日本語スパマーは韓国,米国を隠れ蓑にして商売していやがったわけだ。

と,ま,時折りこのようにスパムを眺めて楽しんでいるのであります。下品なネタですみませんでした。

ちびまる子の書き初め

昨夜の晩ご飯のとき,録画してあった『ちびまる子』を家族で観た。娘が大好きなんである。『まる子の書き初め』の話が面白かった。

課題は「おとし玉」。お手本を学校に忘れてしまったまる子は,姉の習字道具を借りて,手本なしに書き初めに挑む。「おとし」まで書いたら余白がない。先のことをあまり考えないで大らかに出てしまう性格の現われか。やり直す。できたと思ったら「おとし王」になっていて「玉」の点が足りない。モノを落として歩く王様を思い描いて,姉は大爆笑する。まる子はもう一度筆に墨して点を書こうとするが,「と」の横に滴りが二つ落ちてしまう。「おとし王」が「おどし王」になり,姉の頭のなかで,モノを落としていた王様が今度はおどろな怖い形相で威嚇しはじめ,姉はまたもや大笑い。まる子はそんな姉が面白くない。

「やっぱりお手本がないとだめだよなぁ」と,まる子はお爺ちゃんにお手本をお願いする。お爺ちゃんの書いた半紙をみると「をとし玉」。お爺ちゃんは古い世代だから旧仮名遣いらしい。だけど,おとし玉の「お」は旧仮名遣いでも「を」ではなく「お」のはずで,これも笑いを誘う。お爺ちゃんはお年玉の袋を手本にすりゃいいと教えてくれる。

学校で書き初めが貼り出される。小さくまとまったもの,字が暴れたもの,などなどが並んでいる。「お習字には人柄が出るよねぇ」とまる子の友達が作品をみて言い合う。「おとーむ,ってなんだよ? ははははは」。まる子の作品は,お年玉袋の草書体を手本にしたため,「し」が「ー」になり「玉」が「む」のような字体になったのであった。

この話は外国語に翻訳不能である。久しぶりに古典的な文字遊びを観た気がして,大いに受けた。

映画『暗いところで待ち合わせ』

乙一の長編小説に基づく映画『暗いところで待ち合わせ』を観た。天願大介の監督・脚本,田中麗奈,チェン・ボーリン,井川遥,宮地真緒,佐藤浩市ほかの出演による 2006 年ジェネオン・エンターテイメント製作作品。

事故で視神経が害され光をわずかに感じる程度の,ほぼ全盲状態となった主人公・ミチル(田中麗奈)は,窓から外をみている。彼女の家の前の駅ホームから,アキヒロ(チェン・ボーリン)はミチルをみている。そのプラットホームで,ある男が線路に突き落とされ轢死する。駅員に呼び止められアキヒロはその場から逃走する。殺された男・松永トシオ(佐藤浩市)は,孤独で柔軟性に欠ける中国人ハーフ・アキヒロを職場でイジめ,辱める仲間のリーダーだった。アキヒロには松永への殺意があった。

警察に追われるアキヒロは,ミチルの家を訪れ呼鈴を鳴らし,隙を捉えて彼女に気付かれないようにそっと家に忍び込む。彼は,かねてから気になっていたミチルの様子を通勤時に駅ホームから観察し,彼女の目が見えないことを知っていた。こうして,物理的な闇にいるミチルと,社会的な闇(外国人に冷酷な日本社会という闇)に苦しむアキヒロとの,奇妙な同居がはじまる。

闇を抱える者は家に閉じ籠ろうとする。それが何事も起こらずいちばん安全・平穏だからだ。ミチルは一人で杖を突いて外出すると,車のクラクション,自転車が身をかすめる際のブレーキ音に脅かされる。「私が外に出ると皆が迷惑するの」。それでも,見えないはずの世界に向かって窓から外を眺めるのをミチルが日課にしているのは,その開かれた世界への彼女の無意識の憧れの現われである。他者との繋がりへの秘かな強い希求である。だから,見えない不審な侵入者が害意をあからさまにしない限りは,彼の人となり,侵入行為の理由,その背景について冷静に考えることができ,侵入者がむしろ自分を幇助してくれたことを察知した上は,侵入ということへの常識に囚われずに,彼を受け容れることができるのである。そして,ミチルは外を歩く喜びを知り,アキヒロに「ありがとう」と感謝する。そう,生きる喜びは,視ることではなく考えることによってもたらされる。

田中麗奈の視覚障害者の演技がよかった。ミチルの視線,目の表情には,目というものは「視る」ためではなく「考える」ための器官なのか,とさえ思わせる魅力があった。そう,見えないものが見える目。田中麗奈は,『姑獲鳥の夏』などの京極夏彦小説の映画化シリーズにおける中禅寺敦子のような,キュートな女の子 — 探偵の真似事,ハンチングの似合う,活発で,セクシュアリティを超越した,お茶目な女の子 — の役回りにおいて魅力的な女優なんだけど,この映画のミチルのような,謎めいた考え深い目の,男でも女でもない中性的な存在感にも,それこそ私は目を見張らされた。

本作品はミステリーである。とはいえ,真犯人を明らかにする推理に物語の核心が存する本格ものではなく,人間のこころのスリリングさにこそ面白みのある抒情的ミステリーである。殺人のシーンには少し無理が感じられたが,映像の現実性(リアリズム)は映画の本質ではない。真犯人の恐ろしくも哀しい形相は見応えがあった。この部分については,ぜひご自分の目で本作品を観ていただきたい。
  

暗いところで待ち合わせ プレミアム・エディション [DVD]
監督・脚本: 天願大介
出演: 田中麗奈,チェン・ボーリン,井川遥,宮地真緒,佐藤浩市ほか
ジェネオン エンタテインメント (2007-06-08)

銀塩写真のデジタル化

このお休み,銀塩カメラで撮った写真をせっせとスキャンしてデジタルデータにしていた。バカ息子も二十歳になり,少しアルバムの整理でもしようと思い立ったのだ。

うちのスキャナは CANON 製 CanoScan LiDE 90 というモデルで,四年前に購入したものである。確か,一万円しない最安値の製品を選んで決めた記憶がある。A4 原稿を 300dpi で走査でき,一般家庭で使うには充分の機能をもっている。ところがここ二年ほどエラーが出てうまくスキャンできない場合があり,何度かやっているうちに成功するので,問題を放置していた。今回の銀塩写真デジタル化作業でも頻繁にエラー(「スキャナ本体にエラーが発生しました。操作説明書に従った処理を実行してください。スキャナドライバを終了します」)が出て,その度に Photoshop やスキャナを初期化したりした。あまりに頻繁なので,きちんと対処することにした。メッセージマニュアルには,次のいずれかが原因とあった。1. スキャナが接続されていない。2. ソフトが正常にインストールされていない。3. 本体が故障している。もういちど基本に則って,接続を確認したら USB コネクタの接続が少し甘かったようである。原因は 1. ということだった。繋ぎ直しをきちんとすればエラーが出なくなった。困ったときは基本に立ち返ってマニュアルの指示に従うこと。

アルバムの写真を年 8 枚くらい選ぶ。一度にスキャン出来るのが 4 枚なのでそうたくさんはやっていられない。子供が写っているのを中心に選ぶわけであるが,その仕分け中に,これ何の写真だったかな,ああそうだ,そうだ,みたいなノリになり,ついつい懐かしさに浸ってしまう。そして,写真が見る人の記憶を引き出すよすがであることに改めて感謝する。Adobe Photoshop CS を使って,スキャンした 300dpi 画像を Web 画面などでの閲覧にも適するように 72dpi に変換し,コントラストなどの画質を調整して,年別のフォルダに jpg 形式で格納した。

アルバムを整理していると,私や妻の若かったころの写真もごそっと出て来る。妻は「おとーさん,こんな瘠せてたっけー? これ病気してた頃かしら」と大爆笑しやがる。「何か,使用前・使用後って感じね」。私はというと,あの頃は若かったなぁという感傷よりも,一緒に写っている父母や義父母のいまの老けように思い至ることのほうが多かった。

作業の途中,飯を食いにダイニングに行くと,娘が倖田來未のモノマネをしていた:「赤ちゃんできてもうたー,うちホンマどないしよー」。「子供が少ないいま,できちゃった婚でも何でも,ちゃんと生もうってんだから倖田來未えらいよな」(最近では,子供を生む女を誉めてはいけないことになっているんだけど)てなことを言うと,「いまアタシが赤ちゃんできてもうたーって言ったらどうする?」と娘。「フザきんなー」と一喝。「おめぇが小さいときの写真をいっぱいパソコンに入れたから,見てね」。そうそう,写真を整理していちばん思ったこと — ガキは大きくなればなるほどムカツクものである。

NHK 大河ドラマ『平清盛』

今年の NHK 大河ドラマ『平清盛』をちょっとだけ観た。第一話の再放送。音楽を担当しているのが吉松隆だというので,テーマ曲などを聴いたんである。曲最後の大団円はいつもながらの大河ドラマ風の大盛上がりなんだけど,そこに至るまでのピアノ,木管の扱いは吉松らしい,冷たい手の抒情とでも言うような(は?)音響になっていた。

オープニング・テーマに骰子が出て来た。何の意味があるのかよくわからなかった。「多分,白河院が『わが意のままにならぬのは双六の賽』とか言ったからじゃないの」と妻が教えてくれた。彼女は大学で『梁塵秘抄』を研究したので,平安末期の世相や今様,白拍子の世態風俗などに滅法詳しいんである。なるほど。「歴史における偶然」というのがドラマの大きなテーマになっているわけか。

今夜の『平清盛』にも白拍子・舞子が登場し(清盛は白河院と舞子との間に生まれた隠し子だった,という設定であった),あの有名な今様「遊びをせんとや生れけん,戯れせんとや生れけん」を彼女が口ずさむシーンが出て来た。この今様の旋律もおそらく吉松隆が付けたものだろうが,まさに「今様(モダン)」であんまり古典的な味わいはなかった。

岡田将生演ずる源頼朝が,平家滅亡の知らせを受けて清盛の業績に敬意を表するくだりがあった。岡田将生があまりに優男でもあり,「なんか頼りねえ頼朝っ!」とげんなりしてしまった。それとは対照的に,男勝りの北条政子役・杏の,武士のような装い,眉を剃った怖い顔には,ゾクっと来ました。主役級が線の細い草食系(ぽい)男優ばかりで,荒くれた時代のドラマとしては,どうもなぁ。平忠度・中井貴一と舞子(清盛の秘めた母)・吹石一恵も同じような関係である。男がMで女がSばかりってどういうこと? サムライブルーとなでしこジャパンを見せつけられているようである。ま,これからどうなるかわかりませんけど。

私も,昔は『天と地と』などの NHK 大河ドラマを熱心に観たものだったけど,歳を取るにつれ興味を失ってしまった。サムライブルーとなでしこジャパンのような,女の強い光景はサッカーだけでよいのだが,どうも NHK 大河ドラマを含め世の中全体の趣味・傾向がそうなってしまったからか。『平清盛』なんて人名の題名は,歴史の大河的絵巻ではなく英雄個人に映像の関心がフォーカスされるようで,しかも草食系優男の情愛や優しさに感動の焦点があるとしたら,私にはどうもつまらない。『篤姫』,『龍馬伝』で NHK は味を占めたか。

『平清盛』は開始早々,世評がいまいち。初回の視聴率が歴代ワースト三位だったという。兵庫県知事が「画面が汚い」と貶した,などというくだらないことさえ話題になっている。私は「画面が汚い」とは思わなかった。むしろ平安末期の大乱世なんだから,『羅生門』以上に,もっと汚くても,穢らわしくてもよいくらいだ。ま,大河ドラマご当地観光による地元経済効果を高めたい兵庫県知事のハラのなかとで,どっちが「汚い」かは措くとしましょう。
 

* * *

今年になり麻雀ゲームをはじめてやったら,四暗刻,ツモれば役満の三暗刻 12 飜三倍満をあがりました。新年そうそうツいているのか,早くも運を枯らしたのかはわかりません。家族からバカといわれております。
 

20120114-mj.png

娘のパソコン・トラブル

今日,娘のパソコンが届いた。Lenovo G570 43347GJ というモデル。36,000 円しかしなかったが,15.6 型ワイド液晶(1,366 × 768 ドット),Intel Core i3 2330M/2.2GHz CPU,750GB HDD,2GB メモリ,DVD スーパーマルチドライブ搭載というスペック。テンキーまで付いている結構大きなノート型であった。OS は Windows 7 Home Premium 64bit をプレインストールしている。Web で予備校の VOD 授業を受講することがもっぱらの用途なので,これで充分。

わが家には宅内 LAN が敷設されている。14 年前に家を建てるに当たって,私自身で敷設設計を行い,部材を揃え,設置工事だけ電器屋にしてもらったのである。その詳細はここに書いたとおりである。当時はこんなことをする人はよほどの好き者だったろう。電器屋さんははじめての経験なので,イーサネット 10 Base-T のモジュラーの成端方法など,こちらからあれこれ指示しなければならなかった。もちろんいま現在では無線 LAN が当たり前になったので,自宅にイーサネット回線を宅内配線する人はいないだろう。でもカテゴリー 5 のイーサネットで可能な 100 Mbps 安定高速通信の LAN 接続は,無線 LAN でもいまだに難しいのではないだろうか(最近では 600 Mbps なんてのもあるんだけど)。

そういうわけで,自宅の全ての部屋にはカテゴリー 5 のモジュラーコンセントがあり,屋根裏部屋・書斎にハブと 100 Mbps 光回線終端(要するに外部ネットワークへのゲート)を設置して,放射状のネットワークを構成している。新しいパソコンも娘の部屋のモジュラーコンセントに接続した。ところが。ping に書斎のサーバが応答しない。要するに繋がらない。切り分けのため,私の Macbook Pro を接続してみたがダメ。パソコンではなさそう。次に,ずっと使っていなかった LAN ケーブルで間に合わせたのが悪いのかと考えて,このケーブルで書斎のハブに直づけして ping 疎通させてみるとアウト。よし。確実に繋がるケーブルに差し替えて,娘の部屋でリトライ。でも,やっぱりダメ。「え? もしかして宅内ケーブルがまずいのか?」と最悪の事態が頭をよぎる。それじゃまた電器屋に依頼しなければならない。でないと,娘の部屋から使えず何のためにパソコンを買ったのか半ば意味が失せてしまう。落ち着け。落ち着け。結局,娘の部屋から来ている書斎側のコンセントが間違っていたことが判明。息子の部屋から来ているコンセントに繋いでいたのだった。新たに LAN ケーブルを正しいコンセントに繋いで,やっとネットワークの疎通がOKになった。これで自宅の 5 部屋全てに端末が接続されている状態になった。

ところが。IE で予備校の VOD がきちんと動くか娘に確認させたら,今度は予備校サイトのエラーメッセージが出て,授業のビデオが再生されない。メッセージには「Windows 7 では,A なので B を実行しなければならず面倒ですが,C のアップデートと D の削除も有効だと思われます。この二つのアップデートをしてみてください」云々とある。「二つのアップデートをせよ」というのが何と何のアップデートなのかわかりますか? D はどうもアップデートとはかかわりないようにみえる。「以下三点を順次すべて実行してみよ。1. B を実行する。2. C のアップデートを行う。3. D を削除する」と何故書かないのか。「このコンピュータバカ野郎のバカ文章め!」と頭に来た。プログラマは独り善がりな文章を書くやつが意外と多い。自分がわかっていることを他人にもわかるように書くことがホントへたくそなんである。仕様書や取扱説明書のレビューで呆れることしばしばなのだ。そして,仕様書の書き方がいい加減なプログラマに限ってプログラムそのもののバグも多い。これらは私の SE としての経験である。

結局,エラーメッセージにあるキーワードのひとつひとつを調べて Windows 7 セキュリティアップデートを実施したら動くようになった。セキュリティアップデートをやってみて,これ自体に二種類のものがあって,ようやく「二つの」の言わんとしていることが理解できた。D の削除(いまとなっては何だったのか忘れた)なんてやらなくても,B(IE の管理者権限での実行)と C(セキュリティアップデート)だけで動いた。世の中にはソフトウェアの仕様書・取説をきちんと読むやつがほとんどおらず,コンピュータの素人はどいつもこいつも「教えてクン」であるわけだが,書かれてあるものがきちんとしていないこともかなりある。

娘は大喜び。お父さんスゴイ。さて,お礼に肩を揉ませようか,腰を指圧させようか,お使いをさせようか,いま思案中である。
 

澤選手,バロンドール

なでしこジャパンの澤穂希選手が 2011 FIFA 年間最優秀選手に選ばれた。これは予想通りという感じなんだけど,本当に選ばれたいま,日本のサッカーとともに 18 年間彼女のプレーを見て来た者にとっては感慨深いものがある。これ,湯川秀樹博士が日本人としてはじめてノーベル賞を受けたことと同じくらいの国家的インパクトがある。

佐々木則夫監督も最優秀監督賞を受賞した。「震災で世界中のサッカーファミリーから支援をもらった。ありがとう」ということばをまず最初に述べてくれた。世界における Japan の地位をぐっと高めるのはこういう光景である。

今日の夕刊一面に澤選手と,同じくバロンドールに輝いたメッシ選手とが握手する写真が掲載されていた。昨年の園遊会と同じ振袖姿の澤選手は,会場で恐ろしく目立っていたに違いない。
 

20120110-yukan.png
 

この夕刊,澤選手,メッシ選手,佐々木監督の晴れやかな記事の横には,小沢一郎の見たくもない顔写真と,これまた検察審査会という衆愚制度によって決せられた吐気を催す強制起訴の裁判記事。

日本の国民性はマスコミを見ればわかる。権力におもねる集団性イジメ根性というやつである。バカ右翼は朝日新聞を左翼売国新聞だとかなんとか言ってコキ降ろすんだけど,朝日は,警察・検察などの国家権力による弱いもの苛めを正当化するための強力な広報機関になっていて,左翼に特有の理論的批判精神などはどこにもないようにみえる。今日の夕刊一面は偽善新聞・朝日らしい紙面であった。それでも朝日新聞を購読している私は,救いようのない一般市民です。この小沢裁判についてのいまの私の楽しみは,彼が無罪となったあとの新聞各社の変貌ぶりはどんなものかいな,ということである。救いようのない野次馬パンピーであります。

いや,朝日新聞のことなんてどうでもよい。澤選手,佐々木監督,おめでとうございます。ロンドンでの活躍も期待したい。ところで,Ballon D'Or — これ,日本語にすると「金玉」なんだよな。水を差すようですみません。

2012 成人式

今日は成人の日。ウチの息子も成人式を迎えた。朝,着て行くシャツのボタンがない,このシャツじゃねぇ,などとドタバタ大騒ぎして出かけて行った。高校時代の同級会でいま呑みながら大騒ぎしているはずである。

二十年。あっと言う間であった。12 月 23 日に息子が生まれ妻の実家からひとり自宅に戻った翌日の朝,朝日の朝刊の一面にデカデカと「ソ連邦崩壊」の記事が出た。自分の子供の誕生とともにある時代が終焉を迎えたことが恐ろしい暗合のように思われた。この新聞は取っておこうとしまい込んでおいた。その後,ロシアは「自由」と引き換えに経済がガタガタになりマフィヤが国を牛耳るようになり,日本もほどなくバブル経済が崩壊し,出口のない構造不況に見舞われ,銀行がつぶれる時代になった。揺るぎない自民党政権がこのころからおかしくなり,連立政権の駆け引きから,社会党委員長・村山富市なんかが総理大臣に指名されるなどというわけのわからぬ時代になった。もちろん,この口先だけの老人には何もできなかった。橋本,小渕,小泉が立て直しを図ったが,日本が斜陽国家であることが 21 世紀になってからいよいよハッキリして来た。

「失われた二十年」。私はこれで良かったとつくづく思う。拝金主義的で軽薄極まりなかった 80 年代的バカ風潮が当然のようにきっちり終わりを告げ,勤勉や真面目さ,公正さといった目立たない美徳が「長らく」定着するようになったから。若い人たちが意地らしく生きるようになった。若者が主役であるスポーツなどでメキメキ日本人が頭角を現すようになったことをみれば,「失われた二十年」の若者がそれ以前の旧日本世代の若者よりも「数段」優れていることがハッキリする。

今日成人式を迎えた息子と同じ新成人は 122 万人。246 万人いた 1970 年の新成人(つまり団塊世代)と比べて半分にも満たないわけだ(See: 総務省統計局・統計トピックス)。狂った 80 年代の主役であった団塊世代よりも,その半分しかいない,今日この日に新成人となった若者のほうが,優秀かつしっかりした考え方をもっている。団塊世代が壊した日本を再生してくれると私は信じている。そのために,オレたちバカ世代を借金のカタに放り出してくれても構わない。
 

* * *

イランの核開発を巡って先の 12 月半ばに米国で制裁法案が成立し,イランと取引する国に対しても金融制裁をすることになった。これは決定的な大事件なのに,日本のマスコミはあんまり騒がなかった。そのあと行方を注視しているが,やっぱり危機感がない。イランはホルムズ海峡を封鎖すると脅し,米国はその際には軍事行動を起こすとまで言っている。一触即発の状況なのである。法案成立で,米国は何でいつも周りを巻き添えにしてくれるのかと思ったんだけど,こうなった以上は米国側に立つのが日本の生きる道である。

日本は石油需要の 10% をイランに頼っているので,玄葉外相は米国の制裁法運用についてお手柔らかになどと暢気なことを言っていた。それでも,いまサウジやらをどさ回りして日本の石油確保のために頑張ってくれているようである。政府のこの行動をマスコミも毎日きちんと報道して,政府の後押しをすべきである。

イランと米国・EU が軍事衝突したら,石油ショックが起こる。中国,ロシア,北朝鮮などイランと仲のよい国との米国・EU の対立はいよいよ激しくなる。もしかすると,米国制裁の煽りで中国バブルも弾けてしまうかも知れない。そうなると日本も経済的打撃で震災復興の泣きっ面に蜂。もはや八方美人ではおれなくなる。
 

* * *

今夜は今年はじめての十五夜である。昨夜とはうって変って快晴の空に綺麗な満月を観ることが出来た。ウチのデジカメじゃまったく月の神秘な味わいが出ないけど,自宅前から一枚納めた。

月天心貧しき町を通りけり(蕪村)
 

20120109-fullmoon.png

浪速高校大学合格実績を水増し

<浪速高校>大学合格実績を水増し 受験料負担し大量出願』なる記事が出ていた。こんなことが何故問題になるのかちょっと理解に苦しんだ。この高校,じつは私の母校である。もうちょっと別な — スポーツなどの — 話題で有名になって欲しかった。

でも,こんなことでは母校への私の愛着/プライドはいささかも傷つきません。私の在学したころの浪速高校は,男子校(いまは中高一貫の男女共学制になっている),中くらいのレベルの進学校で,生徒たちは旧き善き高校生みたいなのが多かった。いまや俳優になってしまった赤井さん(元プロボクサーの赤井英和さん。私より三歳上なのに何故かまだ在学中であった)が学校のヒーローであった。赤井さんは,ボクシングのアジアチャンピオンだっただけでなく,いわゆる強きを挫き弱きを助ける親分タイプで,いつも堂々としていて,めっちゃカッコ良かった。そのほか,『じゃりんこチエ』の作者・はるき悦巳さん,笑福亭鶴瓶さん,作家の藤本義一さんなど,個性的な先輩がいる。お笑い系が多いのが何とも笑えるんである。

キリスト教,仏教の学校は星の数ほどあるが,浪速高校は神社神道系で,極めて珍しい学校なんである。中庭には伊勢神宮分祀の神社があり,登下校の際は必ず二拝二拍手一拝(二回礼をして二回柏手を打ちもう一度礼をする,神社の正式な参拝方法)をしなければならなかった。入学した年の夏休みには一学年全員で伊勢神宮に合宿に行く。これは,神宮宿舎で毎日,毎日,祝詞を唱えて食事をいただき,神宮に参拝し,伊勢神宮神職の講話を聴き,日出のころあいに五十鈴川で禊をするのである。週に一コマ,宗教の時間があり,日本の八百万の神々の信仰,記紀神話,本居宣長ら江戸国学者の学説などなど,神道の伝統について学ぶ。

一般的観点からするとまるで右翼教育のようにみえてしまうかも知れないが,皇国史観を叩き込むのとはスジが違ったのであり,むしろ日本人の宗教観について考えることが第一の目的だった。『古事記』などの文献だけでなく,イザヤ・ベンダサン『日本人とユダヤ人』,和辻哲郎『風土』,ルース・ベネディクト『菊と刀』なども授業で読んだりしたのである。授業はめっぽう面白かった。いまから考えても,相当高度な授業をやっていたと思う。伊勢神宮合宿も忘れがたい経験になった。

浪速高校は,進学実績水増しなどという「受験」ネタにしか飛びつかない哀れな目線には絶対に理解できない,優れた教育をしていたと思う。現在も同じような教育を続けていると私は信じている。

A. Schönberg - Streichquartette

アルノルト・シェーンベルクは十二音技法による無調性音楽を確立した現代音楽の創始者として知られている。しかし,彼の無調音楽はきわめて抒情的であり,感情,官能,頽廃に満ちていて, 20 世紀「現代音楽」というよりもむしろ 19 世紀のロマン主義のほうにより近いと思う。初期の弦楽四重奏曲第一番などは,ブラームスを思わせる熱情が聴かれる。

私は彼の室内楽が好みで,弦楽四重奏曲,木管五重奏曲,ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲,声楽曲のどれもが素晴らしい。いつもは CD で楽しむんだけれども,今日のお休みは,古いアナログレコードで彼の弦楽四重奏曲全集を聴いた。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏による,1975 年録音の CBS 盤である。CD の時代になってからは,アルディッティ四重奏団演奏 CD をもっぱら掛けているんだけれども,演奏の質,抒情的節回しにおいては,いまだに私はジュリアードの盤が最高の録音だと思っている。この盤の CD 化がなされないのが大いなる不思議なんである。

ヒロイズムすら感じさせる第一番ニ短調,シュテファン・ゲオルゲの二つの詩を第三楽章・第四楽章にフィーチャした第二番嬰ヘ短調は,ブラームス風の悲劇的旋律に無調性の新しい音響を融合させた,ロマンの香り高い作品である。第三番,第四番は十二音技法と特殊奏法の多用によるまったく新しいソノリティに根ざしているため,古典音楽に聞き馴れた耳には異様に響くかも知れないけれども,新しい時代に相応しい感情が横溢している。

私は 1927 年に作曲された第三番がいちばんの好み。ウィーンのウニフェルサール・エディツィオン社 Philharmonia Partituren スコアを片手にいつも聴くんである。第一楽章 Moderato がよい。ヴァイオリンが奏する音域の広い第二主題は,優雅で,官能的で,悠然として美しい。主題が基礎音列の逆行形,反行形という形で不断に変奏されつつ,楽曲が進行する。再現部でチェロが息の長い主題旋律を歌い上げるところが私にとっての最大の聴き所である。
 

20120108-schoenberg-III.png

20120108-sq-record.png
 

ジュリアードによるシェーンベルク弦楽四重奏曲全集はもう入手困難である。CBS によって CD 化されるのを期待したい。以下に,アルディッティ弦楽四重奏団による仏 Montaigne 盤のアマゾンリンクを掲げておく。
 

Schoenberg;String Quartets
Arditti String Quartet
D. Upshaw (Soprano)
Disques Montaigne (2000-11-14)

パソコン発注してブツブツ

娘がパソコンが欲しいというので,ネット発注した。お小遣い,お年玉に加えて,少し家計から援助することにした。まだ高校生なのでパーソナル・マシンを買い与えるのは考えものである。だけど,予備校のネット授業をいつも妻の狭苦しい PC 机で受講している。「お父さんの書斎の Mac を使いなよ」—「ネット授業,Windows じゃなきゃ動かないのよね」。しようがねぇ。Windows 安物 PC を買うことにしたんである。どうせロクでもないサイトばかりを閲覧するだろうから,Yahoo! あんしんネットのようなガキ用ブラウザを入れて邪魔してやろう。
 

* * *

そのあと,ネットを見ていて,『芦田愛菜,今年は『九九をがんばる』』を「あしだあいな,ことしはくくをがんばる,だって」と読み上げたら,妻に大笑いされた。「あしだまな,でしょ」。マルモリでお馴染みのこの人気子役の名は「まな」と読むんだ。「あいな」じゃ抗結核薬になっちまうか。

それはさておき,テレビを点ける度に彼女の姿を目にするにつけ思う。九九を習うくらいの子供をちょっと働かせ過ぎやしないか。産業革命時の英国の貧乏人の子供以上に働いているようにみえる。現代の女工哀史じゃ。こんなんじゃそれこそ肺結核になっちまう。妻が「クロネコのタンゴの子もその後は幸せとは言えない人生を歩まないといけなかったみたいだし」と至極まっとうな意見を口にする。

日本は,東京に一極集中で人を集めることで経済を成り立たせているように,人気者を集中的に使い倒して,稼げなくなったらあとは知らんぷりのお国柄である。それはそれで後進国特有のやり方ならしようがないが,子供でやっちゃだめでしょ。
 

* * *

今年成人した息子に年金手帳が送られて来た。先日も年金の支払い案内の郵便が届いた。息子の世代はおそらく,年寄りのために身をすり減らされるだけで年金なんて貰えないだろうに,国は取り立てだけはしっかりやりやがる。

いまの若い奴らは本当に可哀想である。職にあぶれた若者が,体も頭も弱い老人相手にサギやひったくりで金を巻き上げるような,目を背けたくなるような犯罪が日常化してもおかしくない。それくらい若い世代の貧困が進んでいる。年寄りが遠回しに楢山まいりを強要されるような,非情の時代がそのうち来る。

学生のころ,『三時のあなた』みたいな主婦向け番組を観ていたら,夫を亡くした老婆が恐山のイタコに口寄せをしてもらうひとくだりがあった。老婆は生前女好きだった夫の浮気に苦しめ続けられて来たという。彼女は「何で私を粗末にして遊び歩いたのか,死んでしまったいま教えてくれ」とイタコに頼む。夫の憑依したと思しきイタコはただただこう言った:「おっぺけぺえ。おっぺけぺえ。わっけえのがイイ,わっけえのがイイ」。ババアより,ピチピチした若い女がイイから。おっぺけぺえは何が何だか訳がわからんが,そういうことだろう。煩悩ってのは,寄る年波でチンチンが立たなくなっても衰えを知らない。このジジイは冥界からもそう教えてくれていたに違いない。あの世でもピチピチした肌を追い求めて彷徨っているらしかった。ヤラセには違いないが,私は大いにウケて大爆笑した記憶がある。イタコってのはやっぱり存在価値がある,と納得したんである。

何でこんな話に。あ,そうそう,歳は取りたくない。若いのがいい。そうそう,いまの若い奴らが可哀想である。ただでさえ,歳を取るとおっぺけぺえなのに,若いうちからピチピチ,ムキムキとエッチもできず,結婚も出産も二の足を踏まざるを得ず,大量の年寄りの生活を支えさせられ,そして気づいたら自分もおっぺけぺえになっている,そうに違いない,いまの若い奴らが。

再生装置の組替

リビングに設置した再生装置のうちプリアンプが壊れた。アナログプレーヤ用のフォノアンプの右の音が出なくなってしまった。年末に大掃除をしなかったツケか。Technics 製 70A というプリアンプで,1970 年代に製造されたオンボロ。娘の部屋に設置した ONKYO Integra A-2001 という,これも 1980 年代後半の年代物のデジタル・プリメインアンプを代替機とすることにした。これは優れた MC フォノアンプも搭載している ONKYO のかつての高級機で,会社に入ったころに秋葉原の中古ショップで見つけて購入したんである。娘の言うには,iPod があれば,こんなシロモノは邪魔になるだけだからどこかにもって行って。これを機に掃除がてら再生装置の組替をした。

プリメインをリビングに移設するとパワーアンプ YAMAHA 製 B-2x が余る。娘の部屋のアナログプレーヤ TRIO(現 JVCケンウッド)製 KP-F605 Mk-II,スピーカ YAMAHA 製 NS-10M も無意味になる。仕方なく,パワーアンプとスピーカは,書斎にもって行くことにした。アナログプレーヤは,壊れた 70A プリアンプともども,処分するしかなさそうである。

昔のオーディオ・アンプはとにかく重い。B-2x も Integra A-2001 も 30kg くらいの重量がある。いまの私には,これを 1F リビングと 3F ロフト書斎との間で持ち運びするなんてとてもできない。ちょうど大学の冬休みで家にいた息子に,運搬をすべてやらせた。面倒極まりない接続作業だけは自分でやるしかなかった。

アンプを ONKYO Integra A-2001 に替えて,リビングでアナログレコードも掛けられるようになった。YAMAHA NS-1200 という木目調の美しいスピーカとの組合せ。オーケストラがよく鳴ってくれるんである。屋根裏の書斎では,YAMAHA C-2x プリアンプ,同 B-6 パワーアンプ,同 NS-1 Classic スピーカ,Technics 製 SL-01 アナログプレーヤ,DENON 製 DCD-1650AR CD プレーヤというコンポーネントを使っている。これに B-2x パワーアンプと NS-10M スピーカを追加して,気分でパワーアンプとスピーカを切替えて音楽を楽しめるようになった。

私は高校のころから懐の許す限りこだわりをもって再生装置を選んで来た。決してオーディオ・マニアというわけではないが(なんとなれば,そこまで金持ちではない),YAMAHA 製が好きであった。就職して少し金銭に余裕ができて,いまの装置を揃えることができた。結婚してからはもうこだわりがなくなってしまい,いまだに古い装置でもっぱら古楽と近現代音楽,時折クラシック,ジャズ,和洋ポップスを聴いている。壊れない限り新しいものを求めることはない。

特に YAMAHA NS-10M は,私が貯めたお小遣いで高校二年のときに買った初めてのスピーカで,もう 32 年鳴らし続けていることになるけれども,ウーファにカビが張り付いたいまも,モニタスピーカらしい締まりのある音響を昔と変わりなく再生してくれる。私の私財で最も古く,大阪,札幌,蒲田,川崎と私の住まいすべてを渡り歩き,かつ現在もバリバリに鳴ってくれる。YAMAHA NS-1 Classic は艶やかで一枚上手だけれども,一方 NS-10M も C-2x,B-6 で鳴らすとパンチがあって飽きが来ない。もうここまで来ると,長年連れ添った思い入れ以外の何ものでもない。

バッハのゴールドベルク変奏曲 BWV 988 を聴いた。ただし,ドミトリ・シトコヴェツキイ編曲による弦楽三重奏版。「グレン・グールドを偲んで」とある。ドミトリ・シトコヴェツキイのヴァイオリン,ジェラール・コセのヴィオラ,ミシャ・マイスキイのチェロによる極上のアンサンブル。アリア歌い出しの艶やかさ,懐かしさは弦楽室内楽ならでは。私はこの CD をオーディオチェック用に使っている。音のチェックに向いているというより,「あ,これこれ」のわが定番的一枚であるからに過ぎない。
 

 

20120106-audio1.png

ONKYO Integra A-2001 (上), Technics 70A

20120106-audio2.png

カビまくりの YAMAHA NS-10M スピーカ

20120106-audio3.png

YAMAHA C-2x プリアンプ (上), 同 B-2x パワーアンプ

20120106-audio4.png

屋根裏部屋にパワーアンプとスピーカを増設

湯島天神初詣・現代書道二十人展

湯島天神に初詣。子供たちの都合が今日やっとついたので,珍しく家族皆で出かけた。御徒町・松坂屋で開催されている第 56 回現代書道二十人展も観ようということに。

湯島天神は松の内ということもあり,まだ人出で賑わっていた。いつもなら御徒町駅から春日通りを歩いて湯島の交差点すぐの夫婦坂の門から入るんだけど,参拝客が多いこの時期だからか,わざわざお茶の水方面から大きく遠回りさせられ,銅鳥居の参道を歩かされ,おまけに長蛇の列に並ばせられた。めっぽう短気な娘が帰ると言い出すのを,「ふざけんな」と押さえ付けなければならなかった。

本殿で拍手を打って願を掛けた。お神籤を引いたら小吉。このたびは幣もとりあえず手向山紅葉の錦神のまにまに。願望 — 後程必ず叶う。待人 — 遅けれど来る。失物 — 人の助けで出づる。商売 — 利益少なけれど確実にもうかる。方角 — 西北の方特によし云々。妻のお神籤も私とまったく同じもの。どうやらお神籤文面のバラエティは,数パターンしか用意していないようであった。また,お神籤の表記が歴史的仮名遣いでないのにちょっと違和感。神社本庁は歴史的仮名遣いに固執する数少ない団体だけど,当然ながら,参拝者に押し付けたりまではしないらしい。娘は大吉で大喜び。天神様は学問の神様であらせられるので,娘は「大学に行けますように」と干支の龍の絵馬に書いて奉納した。さすがに,合格祈願の絵馬が夥しかった。

湯島天神は梅の名所だけど,まだ早い。我も神のひさうやあふぐ梅の花(芭蕉)— そのころに私もここで彼蒼を仰ぎ見たいと思った。『婦系図』の舞台になった縁で,泉鏡花の筆塚があった。今日も穏やかでいい天気だった。
 

20120103-yusima1.png


現代書道二十人展は今年で 56 回目。時代を代表する書家の新作を新年に披露する目的で,朝日新聞主催で毎年開催されている。最近,書にも魅了されていて,朝日新聞の広告でこの現代書家の展覧会を知り,初めて訪れてみたのである。漢字,かな,篆刻のジャンルの新作が展示されていて,アヴァンギャルド書・空書はなかった。

漢詩・経文・禅語を主体とする漢字の書では,星弘道の作品 — 嚴粲という聞いたこともない宋代の詩人の詩句「敲竹鶴聲起 弄船花影搖」(竹を打ったような鶴の声,船が波に遊ばれ花影が揺れる?)による書 — が力強く印象的だった。でも,私は国風の柔らかいかな書がどちらかというと好みである。小山やす子という女流による紫式部集の巻物,横山煌平による額田王短歌「あかねさす...」書,高木厚人による源氏物語作中歌の書,などなどが気に入った。自宅に飾りたい所有欲に駆られてしまった。展覧会カタログでガマン。実物の印象がかなり損なわれてしまってはいるけれども,カタログ掲載の上記作品のデジカメ撮影画像を掲載しておきます。
 
20120103-shodo1.png

カタログ / 小山やす子作品 / 星弘道作品

20120103-shodo2.png

横山煌平作品 / 高木厚人作品

門光子 plays FAZIOLI.『風の記憶』

寝正月。この年末年始は,堕落の一言。大掃除の手伝いもせず,芭蕉の俳句と北村薫『街の灯』を少し読むばかり。さすがに愛用の Mac くらいはキレイにすることにした。買ったばかりの Mac は,まるで美人の皓歯か雪肌のような眩しい白で持主をうっとりとさせてくれるが,使い倒すとヤニで汚れた歯でニタニタされるくらい鬱陶しく変貌してしまう。

Mac US キーボードをウェットティッシュでゴシゴシ拭きながら CD を聴いた。門光子の演奏による現代日本のピアノ曲集『風の記憶』。M·A Recordings レーベルから 2002 年に出たレコード。吉松隆,三木稔,武満徹,西村朗,藤森守,柴山拓郎のピアノ小品が納められている。門光子はここで,知る人ぞ知るイタリア製ピアノの名器 Fazioli F278(猫も杓子もコンサートグランドピアノは Steinway & Sons,じゃ困ります)を弾いている。

『風の記憶』という題名に相応しく,夢の中で海浜に坐ってただひたすら風に吹かれて遠い彼方を見つめている,そんな,まるで映画のインプレッシブなシーンにいる感覚にさせてくれる。何と言っても,吉松隆『プレイアデス舞曲集』からの 5 曲がめっぽう愛らしい。Fazioli ピアノの特長なのか,門光子のタッチの気品なのか,柔らかく優しく朧な音像が絶品である。門光子演奏のピアノ曲集は,私にとって最高の現代の音の風景である。夢見るような気分にさせてくれるんである。

この CD は残念ながら品切れもしくは廃盤になってしまっており,アマゾンマーケットプレイスでも出品がない。オークションサイトや中古レコード店で探し出して,ぜひ聴いていただきたい。
 

20120102-kazenofukei.png
 

Mac のキーボードもキレイになりました。
 

20120102-macg5.png

20120102-macbook.png

2012 元旦

おめでとうございます。また新しい年が来ました。新春を迎えると,ここ数年ロクな年がないと思いつつも,なんかリセットできる気持ちになるのが不思議である。

大晦日はいつも紅白歌合戦,ゆく年くる年を観て,蕎麦を食うんだけど,今年は紅白を少し覗いたら,いきなり五木ひろし,伍代夏子の時間にブチ当り,なんかイヤ気がさしてヤメ。それからは芭蕉研究で夜更かし。除夜の鐘もクソもない年越しであった。ショスタコーヴィチの交響曲第5番とピアノ五重奏曲とを夜中であるにもかかわらず大きな音で鳴らして,ホンモノのインテリゲンチャに思いを馳せてから,「よし今年こそ」(何ぢゃ?)と意を決して床についた。

今日,元旦の日,雑煮を食いながら天皇杯決勝戦をテレビ観戦していたら,14 時半頃地震が来て結構大きく揺れた。新年早々これかよー,しかも 3.11 と同じくらいの時刻じゃねーか,おー,サッカーの中継カメラも揺れてるよー。ま,津波の心配はありませんとの情報がその後流れてひと安心。天皇杯は FC 東京の一方的な試合になり,つまらなかった。「前座」で INAC 神戸が選手権を制覇した。無敗の2冠。さすがである。

そのあと,夫婦で JR 川崎駅周辺まで散歩。元旦の町中はのどかでよい。ところが川崎駅周辺のショッピングモールは人で溢れていた。丸善で江戸風俗関係の本(フーゾク本ぢゃないよ,衣裳やら髪型やら調度やらの解説本のこと)を眺め歩いた。結局1冊も買わず何点か購入候補をチェックしただけだった。人酔いで大いに疲れ切って帰宅した。上弦の月が雲隠れに朧に見えた。
 

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番/第9番
B. ハイティンク (Dir)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ユニバーサル・ミュージック (2001-04-25)
Shostakovich: Piano Music - Chamber Works
V. Ashkenazy (Pf),
Fitzwilliam Quartet,
Beaux Arts Trio, et ali.
Decca (2006-06-13)

Moon Calendar

Profile

ISAO YASUDA。システムエンジニア。神奈川県在住。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
[more], [About our site]

Notice

この文書はフィクションであり,実在する個人,団体等とは一切関係ありません。

R-18 指定サイトです。そのうち「18 歳以上ですか」の認証を入れる予定です。

文書の記述内容は無保証です。不適切な表現があればコメントにてご指摘ください。

コメント,トラックバックは,現在,運用を停止しています。ご意見等ありましたら isao@yasuda.homeip.net 宛電子メールにてお願いします。

Links

Entries

About this archive

Entries at 2012年1月 in chronological order.

Previous: 2011年12月

Next: 2012年2月

Recent Entries in Main Index.
All Entries in Archive Index.

March 2012

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Emacs: Monthly Archives

Powered by Movable Type 5.12 Powered by FreeBSD 8.2-RELEASE
blog counter