一言居士の最近のブログ記事

世界のトヨタがいまリコール問題で大バッシングを受けている。もちろん問題を増幅している原因はトヨタそのものの大企業病的対応にある訳で,企業として社会的責めを負うのは仕方がない。でも,これが政治的に利用されているとなると,少し考えさせられる。2000 年代以降,米国が金融経済にシフトし,製造業の興隆に手を抜くようになってから,この手の問題で日米摩擦をあまり目にしなくなったのだが,金融不況・ドル安の影響でまた真面目にモノ作り・工業製品輸出に取り組みはじめた米国は,いま再びテクノロジーのライバル・日本叩きを大々的にはじめたようである。米国はこの手の国際問題については与野党・マスコミがうまく結託するので動きが素早い。次はキヤノンのカメラ特許紛争か,富士通のスーパーコンか,などと私は妄想しているのである。

米国では --- これが彼らの「政治的」習性なのだろうが --- トヨタ欠陥車への抗議デモがトヨタ社ではなくなぜか日本大使館の前で行われた。これは,米国が国を挙げて日本を叩こうとしている徴候ではないだろうか。技術立国の日本の鼻をへし折るには,テクノロジーの欠陥を拡大鏡に写して世界にアピールするのがもっとも効果的である。これは米国の常套手段である。日本の大企業をターゲットに,製品の不良,特許の侵害,技術のパクリ,不正輸出入を摘発して,全世界に向かって大いに騒ぐ訳である。問題そのものは事実なのだから誰も文句が言えない。日立・三菱の IBM 産業スパイ事件,ミノルタのコダック特許紛争,東芝の COCOM 違反などなど。ミノルタはこの特許侵害で米国の裁判所から 100 億ドル近い賠償金支払いを命ぜられるとともに,「パクリ企業」として全世界に汚名を流してしまった。日本は海外の一般の人々からはパクリ名人だと考えられているのである(だから,日本人が口先だけで中国人をパクリだと騒いでも,目くそ鼻くそを嗤うと思われる)。トヨタ問題の米国での騒がれようを見ていると,米国はおそらく中国製品に対しても同じようなやり方でバッシングをすると思う。中国に対しても米国は巧みである。Google 問題で民主化問題・軍事問題を巧妙に絡めて,サイバー市場において中国バッシングを行っている最中である(もちろん,日本と違い中国は正面から応酬している)。

米国を「政治的」だと非難するのは,しかしお門違いというものである。そういうのを「逆ギレ」というのである。彼らの戦略をむしろ日本も学ぶべきだろうと私は思う。最近,中国製品が日本のみならず世界を席巻しつつあり,工業製品の価格競争では言うに及ばず品質においても,日本はおそらくもうしばらくすれば中国に追い越されてしまうだろう。おまけに,いまの日本国民は足手纏いの子供が嫌いで,次世代を育てる気概のない国になり下がってしまっているのだ。そんなこんなで,国力は間違いなく奈落へころげ落ちて行く。だから,一企業・業界の問題とせずに,政府も関与して国の産業戦略を立ててくれないと,私は不安でしようがない。そうでない限り,防衛費なんかいくら増やしてもまったく意味がない。もはや経済の帝国主義の時代なのである。戦争なんてやる前に経済が破綻して,食うに困るハメになる(そもそも,戦争に行く若者がいない)。「品格」ある国などと自己満足している場合ではない。「品格」を尊ぶのは国が老いている証拠だ。

バカな反中日本人は中国人のパクリ騒動が大好きで,ことあるごとにネットで「またやりやがった」と面白がっている。裁判などの公的な場で争って白黒付けない限り,「パクリ」への非難は被害妄想あるいは自己優越の自己満足に過ぎない。端からみていると,ネットで面白がっているのには,目くそ鼻くそを嗤う滑稽すらある。そもそも世界では日本人のほうが工業製品のパクリではつとに有名なのだ。ヤジを飛ばして嗤うのではなく,米国を見習って,きちんとパクリの根拠,製品の品質の問題を法的に示して,「知的財産権の侵害」や製品品質の欠陥を突いて,公開の場で争うべきなのである。そして,米国を絡めて米国のメディアから発信させれば(なぜなら,「品格」ばかりを大切にする日本のメディアは国内でしか通用せず,国際的影響力が皆無だから),全世界で中国製品の信頼が失われ,日本製品の価値が高められる(もちろん,当該中国製品に「パクリ」,「製品欠陥」があるという前提での話である)。そのためにこそ,著作権・特許権の保護やその登録奨励・不正摘発政策に力を入れる。日本は特許権において国際的に超優良国であり,その強みの活用を国家戦略とする十分な基盤がある。「食の安全」問題については結構「政治利用」されているのだけど,日本の食品産業がすでに中国に大敗している以上,それは日本食品産業の競争力強化というよりも,反中世論を煽ることにしか役に立っていないし,中国にとって脅威とはなりえない(つまり,「やっぱり国産だよね」の自己満足で終わっているだけでなく,逆に高いものを買わさせられ生活レベルを自ら落としている)。

なのに国会はカネ疑惑などでの足の引っ張り合い,ネットやマスコミは中国の「悪口」に始終している。「悪口」にはいくらでも「悪口」で対抗され,それこそ不毛な循環に陥るだけなのに。そうなると人口の多い国には太刀打ちできません。政府は米国が言うことには唯々諾々として従い,逆に国内企業の首を絞める方向に喜んで動く。製品開発スピードを鈍化させる管理規制を米国は日本に要求し,日本政府はありがたがってその提案を受け容れる訳である。東芝 COCOM 問題に端を発して,日本の企業の社内輸出審査に掛ける手間と時間がどれだけ増えたことか! トヨタが企業体力とともに世界的名声を落として終わりでは,日本人としてちょっと寂しいではないか(徹底的にケチで,下請け業者に冷たいトヨタに,私は個人的には感心しませんが)。

一般人に対する暴力事件スキャンダルで,横綱・朝青龍が引退した。私は相撲ファンのひとりとしてこの事件を残念に思う。本当につまらない問題で強い横綱が辞めなければならないなんて。朝青龍はその「品格が疑われる」行動によって,物見高いマスコミ・一般大衆の食い物にされて来た(品格だけの弱い力士のほうが可愛いらしい)。被害者は朝青龍の知人だという。腕をヘシ折られたというなら話は別だが,普通なら「警察沙汰」なんかになる話ではない。

この「暴力事件」について朝青龍本人はいまのところ事実を認めていない。酔っぱらっていたらしいので,記憶自体がはっきりしないこともある。被害者は,警察にまで出向きながら,なぜか被害届の提出をせず,事を荒立てないことを選んだ。私は,被害者は「警察沙汰」にしたのなら「被害届」をきちんと出して,警察に捜査をさせりゃいいじゃねえかと思う。なぜなら,事実関係が曖昧なまま,まだ 29 歳の強い関取が潰されるのが私には忍びないからである。じつは,私はこの事件,朝青龍バッシングのなにかの罠のような気がしているのである(この様子を見ていた朝青龍嫌いの「品格」を重んずる清潔漢が警察に大げさに届けた,とか)。そんな根拠のない妄想を抱いてしまうほど,朝青龍は不憫にもこれまでイジられ,辱められ過ぎたのだ。事件の起こったタクシーの運転手は「前を見ていたのでよくわからない」と証言しているという。後部座席で暴力行為があった場合「わからない」なんてことがあるだろうか。いずれにせよ,知人同士の問題が「警察沙汰」で大騒ぎになり,横綱の引退騒ぎに発展するなんて,尋常ではない。うそ寒い世の中である。

もうひとつ,石川議員の逮捕で再燃した小沢民主党幹事長のカネ疑惑問題は,検察が不起訴の方針を出したことで一区切り付いたように見える。でもまだ終わっていないというのが本当だろうと思う。

この問題も警察沙汰になることで,当事者の高い志を簡単に潰すことができるよい例だと思う。石川議員,ひいては小沢さんの犯した「罪」がどのようなものか,私のようなごく一般の人できちんと説明できる者がいるだろうか? 私は「説明責任」云々をマスコミやら野党やらが喚き散らすのも,自身この問題の「犯罪性」が理解できていない証拠だと思っている。政治家にとって立ち小便くらいの問題で,検察が騒ぎ立てているのではないか。

「政治資金収支報告書に誤記があったと言ってるけど,どうもウソがあるらしい」ということが,常識的に考えて「犯罪」だろうか? こんな疑惑でなら,誰だって政治家をしょっぴくことができやしないか? 金権政治腐敗は許せない訳だが,ならばその「許せない」事実がどこで明らかにされただろうか。でも,ひとたび「逮捕」されてしまうと,世間はその罪がどのような「悪事」なのかおかまいなしに,ほぼ「殺人犯」,「詐欺師」,「レイプ犯」などと同列において「被疑者」を叩く。そのほうが面白いからである。

石川議員には政治家としての「志」を貫いてほしいと思う。「政治家」らしく自らの行動と捜査の過程を手記にでもして公表してほしいと思う。

いまの日本は,ヤクザやゴロツキを放置して,「ちょい悪」の優秀な人物の足を掬うことが好きな清潔漢,なんでもかんでも警察に持ち込んで解決を図ろうとする権力依存者があまりに多いようである。見知らぬ人がヤクザにボコされるのに知らんプリをしながら,嫌いなヤツ(才能のある者は小人からたいてい嫌われる)が立ち小便をしているのを見て警察に通報する。だって「法律違反ではないか」と。ヤクザや右翼が怖いマスコミも,大喜びしてこれを煽っている。良識のある人もこの茶番を茶番だと言えない。だって「法律違反」には違いないのだから。

いまこの苦しい国民事情(不況,雇用問題)への対応について国会で議論すべきときに,バカな自民党のおかげで今国会がカネ疑惑追及集会と化している。日本国民がいま危機的状況にあることなんてどうでもよいらしい。自民党は鳩山首相を失脚させるために,同じ疑惑を持たれている弟の自民党議員に「罪」を認めさせようとしたというではないか。仲間を売ってでものし上がろうとするこんな組織を,いったい誰が信用するだろうか? どこまで落ちりゃ気が済むのだろうか? まあ,民主党も野党時代に民意をさしおいて自民党のスキャンダルをバカ正直に追及することに余念がなかった訳で,与野党そろって政治家がこんなことだから,官僚依存国家になってしまうのだと私はつくづく納得。ここいらで検察が自民党議員も立ち小便なり信号無視なりでしょっぴけば,もはや官僚権力に楯突く者はいなくなるはずである。うそ寒い風景だこと。

今日は神奈川県立高校前期入学試験の合格発表の日だった。午前 11 時過ぎ,会社で朗報を聞いた。ここ数日妻が,大丈夫かな,大丈夫かな,とうるさくてしかたなかった。小論文,面接の様子を娘から聞いていた感触では,大丈夫そうだと私は思っていたので,たんたんとおめでとうを言った。会社を定時で上がった。今夜は家族でお祝い。焼き肉を食べに行った。親としてもとにかくひとつ肩の荷が下りた。「お父さんとお兄ちゃんが,タマタマをなでなでしながら,タマコーコーウカレ,タマコーコーウカレと念じたのが効いたんだ」(なにかにつけすぐ私はこういう下品な話になってしまう)。

帰宅して,入学手続きの資料に目を通す。入学金五千いくら,年間授業料十二万いくらに公立高校というものを実感する。あとは民主党政権がタダにしてくれるのを待つばかりである。

外国人参政権を巡って,官房長官の発言「地方の意見は関係ない」が批判を浴びている。でもこの問題は民主党のマニフェストにも書かれていたことである。それで衆議院の過半数を獲得させたのだから,いまさらなにを言っているのかと笑ってしまう。この問題をことさら重視するなら,民主党に投票すべきではなかったのだ。民主主義とはそういうものではないか。

外国人参政権はあくまで地方自治に限定されている。国政には適用されない。従って,安全保障や外交など日本国政府が日本国民の福祉に基づいてコントロールすべき事柄において,在日外国人の「反日」的意図により日本の進むべき道が歪められることは直接的にはありえない。「間接的」にならば,外国人参政権の問題に依存せずいつでも起こりうる。だから,これはそれ自体としては「売国」的法案というほどの意味は持たない。

私はむしろ,地方自治における外国人参政権をきちんと認め,日本に在住する人達にも地域の政策に関与しているという意識を促したほうが,日本で生活していることの権利・義務・責任や,日本国民との共存共栄をより真面目に考えるだろう,と思う向きである。それこそ自由・平等に基づく民主主義の発展観ではないだろうか(民主主義という多数決の論理が,本当によいものかどうかは別として)。

この法案は,憲法 15 条,93 条に反すると理屈をこねる人がいる。ところが実際は,憲法 15 条でいう「公務員」は国民全体に奉仕すべき裁判官や国会議員,政府役人のこと(「全体の奉仕者」)であって,地方議員・地方公務員のことではないと考えられる(神奈川県の「公務員」は長崎県民に「奉仕」すべき立場にないから「全体の奉仕者」ではない)。つまり,憲法 15 条は地方自治への参政権について定めたものではないことになる。93 条も「地方公共団体の長,その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は,その地方の住民が,直接これを選挙する」となっており,「住民」と規定するものの「国民」とはなっておらず,外国人であることによって「住民」であることは否定されない。だから,地方自治の外国人参政権は憲法に違反しない。日本国憲法において「国民」の用語は極めて意識的に使われているのである。「文体論」で日本国憲法を腐しているどこかのへんな文学者知事には,こういうことはどうでもよいのかも知れないけれど。

この法案に反対しているのは,多かれ少なかれ在日コリアンに差別意識を持つ人か,あるいは,地方自治が直接日本国の安全保障を左右すると勘違いしている人だと私は思う。反対意見(ここから私は閲覧した)はまず間違いなく在日コリアンを念頭になされているし,安全保障・外交問題を心配しているではないか。「反日コリアン」に参政権を認めるなんて売国同然? それならヤクザやゴロツキに参政権を与えることで日本国の国家政策が極道者に有利な方向に傾く・傾いている,というようなことになるのだろうか? こうしたどうしようもない日本人のほうが数の点からすれば在日コリアンよりも多い筈である。なんかクソもミソも同じにしてませんかね。

そうやって差別をするから,日本に住んでいることに対する在日コリアン自体の意識にいつまでたっても「経済活動」だけを植え付けてしまうのではないか。逆に「反日」を助長しているのではないか。地方自治という地域社会生活に密着した政治レベルでは,税金を納める「住民」を対等に扱うほうが,地域社会が強化されると私は思う。「どうせ言っても聞いてもらえない。ならば,できる範囲で自分のことだけ考えて日本人を見返してやる」という状況を「自分の意見を聞いてもらえるのなら,他人(日本人)の意見も尊重し,自分も他人もうまくゆくようにしよう」という方向に向かわせるように,この法案は働く --- 私はそのほうにより希望を見出す。

安全保障や外交は,地域社会における身近な生活の遥か上方に位置する,高度な政治レベルである。日本国籍を持たない者に国政への参政権を与えることには,もちろん私も「日本国民として」絶対反対である。それこそ「売国的」政策である。平野官房長官は国政と地方自治のレベル・役割の違いをきちんと理解している。だから名護市長選の結果(地方自治)と普天間基地問題(国家の政策)とを切り離して議論できるのである。

妻が録画してあったテレビ番組を観た。『日曜美術館・若沖特集』,『祝女』。

日曜美術館は,ナビゲータ・姜尚中のファンである妻のお気に入りである。あの声がイイのよ。一昨年,上野で『仙人掌群鶏図襖』,『旭日鳳凰図』など若沖の傑作を観て度肝を抜かれたので,若沖その人にも興味がなかった訳ではないのだが,今日は義兄がちょっと出演しているというので早送りしてそこだけ観た。彼は精神科医なのに,文学,美術などの領域でも専門的意見を求められるほどの有名人なのである。

そのあと引き続き『祝女』を観る。最近,NHK もユーモアたっぷりの世相バラエティを放送するようになった。『サラリーマン NEO』や『祝女』はなかなか面白い。今回は,友近とYOUが韓流スターにハマったアラ X を演じていて,愉快だった。YOUが,はじめはバカにしていた韓流スター「無限男子」の虜になってゆく過程をリアルに,コミカルに表現していて,笑いと悲哀を感じさせてよかった。うちの息子は「これだから中年オバサンはキモい」と酷薄である。「あたしが韓流にハマって追っかけをはじめたらどうする?」と妻。「うーん,じゃあお父さんはマン流にでもハメる,いやハマるかな」。鉄拳が飛んで来た。下品なオヤジですみません。

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今日は,神奈川県立高校入学試験 2 日目。面接である。娘は早めに学校に行った。何度も練習をした甲斐があってか,卒なく応じられたらしい。昨日の小論文のとき,娘の前と横の席にいた男子 3 人組 --- 「ユーフォー」と呼ばれる男子,五角形,すなわちゴカクの「合格鉛筆」と「合格消しゴム」を机から落としてしまい「合格鉛筆も消しゴムも落ちちゃしょうがねぇ」とうるさい男子,そして,やたらと緊張して思い出したように頭を抱えて「あああ」と繰り返す男子から成る 3 人組 --- が,受験番号が近いからか,今日も娘と同じグループ枠にいて,待ち時間にコントまがいの会話をやっていたらしい。

本番で「将来の夢はなんですか」と予想どおりの質問が出た。練習のとき,私は娘に提言してあった --- 挿絵画家になりたい,という受答えは正直なところでよいけど,「じゃあ好きな作家はいますか」と突っ込みが絶対次に来るので,ちゃんと画家の名前を挙げて具体的に話ができるようにしといたほうがいいよ,と。今日,やっぱり「どんな挿絵画家になりたいか」と面接官が踏み込んで来た。「『ふたりはともだち』という絵本で見たアーノルド・ローベルのような,動物をユーモラスに表現する画家です」のようなことを娘は言ったらしい。な,お父さんの言ったとおりだろ?

一応試験が終わったので,夕方,妻と娘は近所のカラオケ屋に憂さを晴らしに行った。その間に私が煮込んだカレーは,旨かった。

沖縄県名護市長選で基地移設反対派の稲嶺さんが当選した。これで普天間の移設が「民意」によって否定されたとしてかつての日米合意の履行が事実上不可能となりつつあり,日米関係がいよいよ危機的状況になった --- マスコミの論調はこのようなものである(例えばここ。時事通信だけでなく,読売新聞も米紙報道を伝えていた)。平野官房長官はそれでもゼロベースで検討する,と「それはそれ,これはこれ」テキ発言をしてケムに撒くようなところがあり,この問題に対する政府の動きがなんとも煮え切らないように映る。

でも,たかだか普天間の移設問題で日米関係に亀裂が生じると米国が本当に考えているのか,そもそもそのあたりから私はよく理解できておらず,この政府の煮え切らなさはただそれだけの話 --- 明確にしなくてもなんの実害もないという考えの現われ --- のような気もする。米国は「思いやり予算」さえきちんと確保すれば一言も文句を言わないのではないかと。だって,沖縄の基地の意味は米国にとっても日本にとってもいまやゼロだからである。米国はいまや経済的にも,環境問題でも中国と協調せざるをえないのだ。鳩山さんもそのへんよく分っていて,多分,この件については参議院選挙への影響しか頭にないと私は思う。だから「つまらない話だけど,選挙の争点にしたくないし,5 月には収束させなくちゃ」くらいの感覚ではないのか。

面白いのは,普天間移設日米合意をこじらせるに決まっている反対派市長の当選に,民主党が肩入れしたところである。民主党はわざと「日米関係の危機」でマスコミを煽っているとしか思われない。鳩山さんは 5 月までに結論を出すと明言している。橋下知事の提案どおり関空にもってけー。涼しい顔で「また先送り」という「結論」を出して,大笑いさせてくれることを,じつは私は期待しているんである。ほかにもっと大事なことがあると思うから。

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今日は神奈川県立高校入学試験前期の初日であった。ウチの娘も第一志望の高校で小論文を書いて帰って来た。昨夜は緊張して眠れなかったらしい。私が朝 5 時まで仕事をしていたのを知っていた。「お父さんみたくインソムニアだった訳よ」。そのわりに練習のとき以上に落ち着いてスラスラ書けて,余裕だったらしい。

どんなに広く漠然としたテーマでもまずはじめに自分がどのようにテーマを捉えるかを明確にしろ,それに続いてすぐ結論を簡潔に書け。本論ではその理由と例を述べよ,その際,必ず自分の身近な経験・具体的な出来事とその考察から論を展開しろ。序破急の三段構成で書け,起承転結は飛躍に走るので絶対にやめろ。結論部には纏めとともに今後の行動の課題・意志を書け,などなど,私も自分なりに少しは指導した。

テーマは自然と人間について 600 字以内で考えを書け,というものだったそうである。例年,その高校は「次の三種類の椅子の写真を見て考えるところを述べよ」風の奇矯なテーマで書かせることで知られていた。今年はしごく「自然な」ものだったらしい。娘は百人一首の引用から説き起こして,自然と文化との関わりについて書いたという。娘は百人一首を丸暗記していて,得意分野に話を繋げた訳である。その論を読んだ訳でもないのに,なかなか大した奴だと私は少し親バカになった。でも百人一首への娘の取組みは,古典文学への関心ゆえではさらさらなく,なにより学校での歌留多取り大会でトップに立つためである。ウチの中学では絶対負けないと自負している。やっぱり体育会系なんである。

今日のお休み,屋根裏部屋,私の自称書斎のお掃除をした。本当は年末にするはずだったが,LaTeX, FreeBSD のインストールに夢中になってしまった。愛用の Mac,書架,オーディオなど,私の道楽で蓄積された品々の埃を払い,煙草のヤニでべとついた表面をアルカリ洗浄液で拭き清めた。

オーディオ機器はいまやアンプ(YAMAHA C-2 プリ,B-6 パワー),アナログ・プレーヤ(Technics SL-01),CD プレーヤ(Pioneer DV-S646A),スピーカ(YAMAHA NS-1 Classic)しか使わなくなってしまった。これらは古いものばかりであるためか,最近再生音の歪みが気になるようになり,そろそろ修理かと思っていた。ケーブルを外し,接点を専用オイルで磨いた。スピーカ・コードの末端を剥いて接触部を新しくした。狭い部屋に無理して押し込んでいるところに,機器の裏側への結線は面倒この上ない。これは CD,これはチューナ,これはレコード ... と行き先をタグしつつ,プリアンプに繋いでゆく。とくに YAMAHA の B-6 パワーアンプはピラミッド型の特殊な形をした優れものなんだけど,ピラミッドの裾のわずかな間隙からスピーカ・コードを食わせるのがなかなかうまくゆかずチョーイライラ。なんとか終わって接続の動作確認をする。

再生音の歪みがキレイに解消した。完全復活。これだから 1 年に 1 回は接点のメンテナンスをしなくちゃいけない。バッハのヴァイオリン LP,ビル・エヴァンスのピアノトリオ CD を聴く。やっぱり YAMAHA・Technics 製の古い再生装置(もう 30 年モノなのだ)は,音に艶があっていいなあ,とひとり悦に入る。
 

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普段聞いていない FM/AM チューナ(KENWOOD KT-5020),BS チューナ(SONY SAT-100RX),予備のアンプ(Technics 70A プリ,60A パワー)にも通電した。SONY 製のカセットデッキ(TC-K555ESX)と MD レコーダ(MDS-E55)が壊れていた。機械動作の多い機器は,使っていないといつの間にかこのザマである。まあ,いまはもう必要性も限りなく小さそうなので捨て置くことに。
 

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息子が iPod に曲を入れたいので Mac を貸してくれとやってきた。私が中学・高校生のころはオーディオやカメラが欲しくて堪らなかったが,最近の子供はこれらにまったく興味を示さないようである。なによりゲーム機,携帯電話,iPod の最新機種に物欲が働く。音楽は iPod などのポータブルオーディオで楽しむだけで十分なのである。iPod ひとつあれば,あとはとにかく好きなアーティストの CD をレンタルしまくって,金をかけず音楽を楽しんでいる。「使わなくなったアンプをやろうか,Technics 製の昔の高級機だぞ」と言っても,「場所とるからイラネー」とにべもない。「お父さんはスピーカから出てくるよい音響で音楽を聴かないとダメなんだよな」と言っても,まったく理解されない。ま,金をかけずとにかくたくさん新曲を聴きたいという音楽の楽しみ方としては,息子のほうがしごく合理的なんである。オヤジの道楽はつまらないところに執心しているのかも。

今日,相撲を観に両国国技館に行って来た。はじめての経験である。妻の担当した俳人が時津風部屋後援会の名士で,一階枡席に招待してくれたんである。妻の勤める出版社社長夫妻と四人で飲み食いしながら大相撲の臨場感を堪能した。息子がセンター試験のため渋谷に勝負に行くというのに,親は夫婦そろって物見遊山。少し呆れながらも,それはそれ,これはこれ。息子の健闘を祈りつつ,出かけたのである。テレビで観るのとはまったく違った。観客のどよめき,力士の肉体のてかり,投げの躍動はなんともいえなかった。

高見盛,琴欧州など人気力士が登場すると場内が騒然となって四方から声が上がる。先日千代大海を倒して幕内勝星の記録を打ち立てた魁皇関への声援も凄かった。それでもやはり横綱の貫禄には敵わない。朝青龍のガン付けパフォーマンス,それに続く危なげない取り組み。さすがである。社長のご贔屓・身長 169 cm の前頭・豊ノ島が身長 191 cm の旭天鵬を素晴らしい投げで打ち破った。小よく大を制す,のとおり今日もっとも見応えある一番であった。社長は上機嫌。この豊ノ島こそ次の大関だとしきりに誉めていたのである。

懸賞取組について社長から興味深い話をきいた。あれは一本三万円くらいだそうで(*),うち半分が勝った力士に,残りの半分は相撲協会に渡るという。協会は力士の後年のための積み立て金として貯蓄するんだそうである。社長は一本三万ならウチも出そうかと思ったがなかなか踏み切れないとのこと。相撲の世界を知る者独特の控え目があるのかも知れない。永谷園,マクドナルドは何本も懸賞金を出していて,一言企業紹介アナウンスがその本数分続いてじつに面白かった。一懸賞取組当り必ず四本出す永谷園は「味ひとすじお茶漬けの永谷園,さけ茶漬けの永谷園,梅干し茶漬けの永谷園,わさび茶漬けの永谷園」という具合。永谷園は相撲の世界では重鎮企業というイメージが定着しているようだ。観客も定番のようにアナウンスを聞いて興じていた。
(*) 2/8 付記:「一本三万円」というのは長年相撲を観ている社長の話である。今日現在の実際の懸賞額はもっと高額だとも聞く。

高見盛に「永谷園!」と声援を送るお隣の客には,つい笑ってしまった。この隣の客,めっちゃうるさいオヤジで,不甲斐ない大関・琴光喜には「カネ取る前に相撲取れ!」と檄を飛ばし,元楽天監督・野村さんが NHK のゲストに来ているのを認めると「ノムラー頑張れー」と叫び,結びの一番では行司に「ショーノスケェー」と呼ばわり,臆面がない。こういうファンの行動も,テレビでは味わえない面白さのひとつである。

私はじつは,結びの一番の番狂わせが惹き起こす,座布団の飛び交うあの騒擾を是非観たかった。そして,なんと横綱・白鵬が関脇・把瑠都に敗れるという大波乱が起こり,期せずしてそれを目にした。社長によれば,座布団投げは禁止行為との話だったので,私は投げなかった。白鵬は今場所 6 連勝中,通算 30 連勝中だっただけにがっくり来ていた。相撲の醍醐味は観客が作る。この大いなるどよめきのなか,弓取りが繰り広げられ,呼出がまるで誰もいない公園での仕事でもあるかのように静かに帚を掃いている。この動と静が私には堪らなかった。

麦酒,日本酒,幕内弁当,焼鳥など飲み食いした挙句,「お土産」までいただいた。枡席の客は,相撲茶屋と呼ばれる接客業者に席へ案内され,料理を運んでもらい,お土産を受け取って帰るのである。いったいいくらかかったのか知らん。一階の四人枡席が 45,200 円とあったが,これは観戦だけの料金だろうと思う。ご祝儀の慣習もあると聞く。でも,ごくごくたまにこういう行楽をなす値打ちが確かにある。

相撲協会は先般,大麻問題で批判を浴び,大激震が続いた。日本人力士の成績が振るわないところも,相撲人気の伸び悩んでいる原因かも知れない。でも,こんなスペクタクルを見せられると,そんなことどうでもよいという気になってしまうから不思議である。裸の力士はホント,カッコいいのだ。枡席観戦はセレモニー価格だとしても,自由席なら大人 2,100 円,子供は 200 円で,プロ野球観戦よりもずっと安い。これからちょくちょく足を運びたくなってしまった。

番付を貰って来るのを忘れてしまった。力士の錦絵が欲しかったが手が出なかった。でも,貰ったお土産に江戸の力士が描かれたバスタオルや,軍配をあしらった茶器があり,満足した。私は自分の甲斐性ではこのような経験がとんとできないが,妻のコネで今回ありついた。招待してくれた俳人の先生,社長ご夫妻に多謝。
 

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FreeBSD インストール大会 5 日目。Emacs 最新版の導入に取り組む。ChangeLog 2010.1.12 の履歴も新しい 23.1.91 である。

Emacs の開発最新版はかつて Emacs-CVS と呼んでいたと思う。だが昨年末,バージョン管理システムが Bazaar に変更され,これに伴いいまやチェックアウトを bzr コマンドで行うようになった。「伽藍からバザールに」という訳か。Download and Install Bazaar から FreeBSD 向けアーカイブ bzr-2.0.3.tar.gz をダウンロードし,展開後のディレクトリで python setup.py install を実行するとインストールできる。Python 2.4 以上が必要である。

Emacs 最新の trunk の取得は以下のとおり。bzr branch に恐ろしく時間が掛かる。CVS のころが偲ばれるほどである。bzr 実行のたびに No handlers could be found for logger "bzr" が出て煩い場合,$HOME/.bzr.log に書き込み権限を付加すれば解消すると思う。

% bzr branch --stacked http://bzr.savannah.gnu.org/r/emacs/trunk emacs-trunk
% cd emacs-trunk
% bzr pull

このあと,Emacs をビルドする。INSTALL ドキュメントによれば,./configure はオプションなしでよいようである。gmake が終了したら,./src/emacs -q & で,できたてのモジュールの動作確認をする。OK なら,スーパユーザで gmake install

% ./configure
% gmake
% ./src/emacs -q &
% sudo gmake install

そのあとは,site-lisp をバックアップからコピーし,Mew だけを再度インストールし直した(Mew は実行ファイルも提供しているため)。今回は,珍しく,なにも問題がなく終了した。

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娘の受験準備で小論文・面接の練習に付き合う。こういうことに対しても,きちんと「準備」をし,父や母を掴まえて練習しようとする態度は,私よりも妻に似たようである。そう,「準備」をしたかどうかが大事なのである。私も会社訪問してくる就活学生の面接官をやったことがあるが,「当社のどこに興味をもったのか」など,聞かれて当たり前のことにも,内容を整理して応えられないヤツがいる。こちらは立派な意見を聞きたいのではなく「あらかじめ準備しているかどうか」をチェックしているだけなのに。

「自分のよいところを PR してください」,「本校を志望する理由はなんですか?」など基本中の基本にはじまり,「2009 年を象徴する漢字はなんだったか知っていますか? また,あなたにとっての 2009 年の漢字はなんですか?」,「2009 年に日本で起こったことでなにがいちばん大きな出来事だと思いますか?」,「地球温暖化のなにが問題だと理解していますか?」など時事問題についても質問。とにかく相手の顔をちゃんと見てハキハキ応えること。「夜なにを着て寝ていますか?」---「そういうご質問にはお応えできません」。そうそう,それでよい。

FreeBSD インストール大会 4 日目,会社にゆく直前に統計処理ソフト R-2.10.1 のビルドを仕込んだ。make config-recursive であらかじめ前提パッケージ含めたオプション設定を行ってから make すると,例外が起こらない限り問い合わせをせず最後まで突っ走る。

R は数値計算ライブラリ ATLAS オプションを付けると,ATLAS のコンパイルが延々と続く。さっき帰宅して確認したら,まだ動いている。生成時間において,Java,Emacs,LaTeX の数段上を行くパッケージである。モジュールが多いということはそれだけ関わる人間の裾野の広大さを示している。コンパイルに,できたてほやほやの gcc/g++ 4.4 や Fortran 95 など,コンパイラ成果の最先端を要求する。じつは Java,LaTeX,テキストエディタなんかよりも科学技術の本質的発展に貢献しているソフトウェアだということが,こういうところでわかるのである(?)。

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いまテレビでは,ハイチの大地震と,民主党小沢幹事長のカネ疑惑でもちきり。

ハイチは国民の 1/3 が壊滅的被害にみまわれたと聞いた。死者は数十万人とのこと。貧困に苦しむ国がさらに天災の追い討ちにさらされるなんて,言葉もない。地理的にも近い米国が空母まで動員して救助・復興支援に乗り出しているのを朝のニュースでみた。

小沢さんの件は,政治主導などと「おこがましい」ことを宣う政治家を,官僚がいよいよ牢屋にブチ込んで,従来の権力を誇示しようと動き出した,ということだと思う。ウラ献金問題に絡んで立件されるとなると,小沢さんはハメられたも同然。産経新聞が大喜びしている。でも,小沢さんはこれを乗り切れば本当に権力を掌握したということになるのかな。日本は官僚権力絶大国家の代表なので,ちょっと不謹慎ながら,ここらでひとつ政治家が官僚を打ち破り,「法に則って」粛正する様をみてみたい,というのが私の正直なところなんである。これで本当に「政治主導」が実現されつつあるのかどうかがわかるからである。でも,マスコミも裁判所も官僚になびくこの国では無理だと思う。

お隣のお婆さんのお通夜に行って来た。マイクロバスで送迎があった。帰りのバスのなか,近所のおばさんたちがかしましくて辟易。今夜も雨が降り,寒い。

お隣のお婆さんが亡くなった。うるさいお婆さんだったが,亡くなると寂しいものである。つい先日,ウチがゴミ当番だった朝,「網が掛かってないからカラスが散らかしているじゃないの」とこのお婆さんにお叱りを受け,そそくさともう一度網を掛け直しにゴミ捨て場に出,彼女と挨拶したばかりなのに。合掌。ご主人もいつも叱られていたような気がする。敷かれる尻がなくなっても元気でいてほしいと思う。

* * *

OldSlav-1.2 を公開した。Windows CP1251 などの代表的なキリルエンコーディングによる入力方式を追加した。ドキュメントも改訂した。

* * *

IBM ThinkPad X40 FreeBSD-6.2 Release に ptexlive 最新版をインストールした。私の環境はディスクの空きがわずか 1.5GB しかなく,texlive に必要な 5, 6GB を確保できず,公開サーバの NFS 領域にインストールすることにした。ところが NFS マウントのオプションに -maproot=root を付けていないので,ptexlive の make install でエラーのオンパレードになってしまった。公開サーバなのでシャットダウンするのも憚られ,root ではなく一般ユーザの権限でインストールした。ちょっと環境を壊すリスクが高いけれども,まあよい。

ptexlive-20091009 ではまだ,texlive に添付された UTF-8 の新しいハイフネーションパターンがサポートされていないようである。fmtutil --byfmt platex で,添付の language.dat を読み込ませると,昔懐かしい bad pattern エラーが頻発してフォーマット生成が失敗する。しようがないので,旧 ptetex3 環境からハイフネーションパターンファイル一式をコピーして再実行したらうまく行った。

texlive は各プラットフォーム用のバイナリが install-tl コマンド一発でインストールできるようになっている。LaTeX パッケージも Teubner や CJK,unicode,cm-super などがはじめから組み込まれていて,めっちゃラクである。ただし,CJK パッケージの日本語タイプセット用に TFM を生成しようと ttf2tfm コマンドを実行したら,ライブラリのリンクでエラーとなった。ソースからビルドすればこんなことにはならないはずである(もちろんコンパイルなど別の面倒が発生するのだけど)。UNIX ユーザ向けにバイナリを配布するのは,こういう問題があるからやめたほうがよいと思うのだが。でもまあ,主要なコマンドは元気に動いているのでよしとする。いちおう,土村さんの ptexlive サイトに動作報告をあげておいた。

ptexlive で OldSlav を試験したが問題なさそうである。公開したバージョン 1.2 に ptexenc オプションを追加しておいた。やっていることは 1.1 の ptetex と同じだけど,土村さんの提言に従うことにしたのである。

※ 1.10 付記
ttf2tfm ライブラリ問題について,ptexlive.cfg にある conf_option --without-cjkutils をコメントアウトすれば,ソースからビルドするようになると,土村さんからご教示いただいた。さすが,考え抜かれているなー。Babel ハイフネーションパターンも対応中とのこと,楽しみである。

御用納めとなり,2009 年も残すところ二日となってしまった。先頃,今年を象徴する漢字は「新」ということが清水の舞台から公にされたが,それぞれ皆,各々の今年の一文字があるかと思う。私の場合,不況でまったくつまらない今日この頃,「暇」であった。また死ぬほど顧客に虐められ,トラブルで火を噴く現場の喧噪に包まれたい,という思いも無い訳ではない。

妻にせっつかれてやっと年賀状を作った。娘の描いた虎の画をスキャンして,Mac OS,Adobe Photoshop で加工し,Illustrator で文字周りをぺぺっとレイアウトして 30 分で完了。とりあえず 50 枚印刷。

公開したばかりの OldSlav について,奥村先生のサイト TeX フォーラムにおいて,観点鋭くかつ学術性にも配慮した指摘をいただいた。自分の用途に足りるレベルで作ったものを公開しているに過ぎないのだけれど,ハイレベルな反応をもらうとなんともうれしくてたまらなくなる。教会スラヴ語日付様式の典拠,韓国語 inputenc との共存など,重い課題が多くて,システマチックにその指摘に対応するのは難しいところがあり,いま手元にある文献や試験環境でできる範囲で設計を見直し,訂正して,今日公開した。SlavTeX オリジナル CP866 コード入力での互換性は inputenc との絡みで今回犠牲にした。だいたい今や誰も使わないエンコードに拘っても意味がない。ダウンロード頁から oldslav-1.1.{tar.gz, zip} を落としてお使いください。

明日は我が家の大掃除。ここのところ仕事から帰宅したあと OldSlav の改造に夢中になってしまい,妻から家事を手伝わないと責めまくられている。

* * *

アンナ・アフマートワの詩集『ヴェーチェル(夕べ)』を工藤正廣訳(未知谷刊)で読む。ロシア詩のスタンザ毎に短歌として訳した珍しい翻訳である。工藤先生も健在だなあ,という思いがこの書を手にしたそもそもの理由である。

アンナ・アフマートワは 20 世紀ソヴィエトの女流詩人。彼女の詩は,至る所に死の匂いが染み付いている。己の死後の現実の感触を透視し聞きとろうとする心の闇がある。「あまりにも生を望みしそのわれの冷たき屍手おくひとなし」(p. 115)。スターリンの大粛正で夫(第一級の詩人ニコライ・グミリョフ)が銃殺され,わが子がシベリヤ送りとなったこの天才にあって,死の日常性が事物に取り憑いてさりげなく漂うのは,文学的衒いでもなんでもないのである。

夢おそく不眠の窓にまた白くご機嫌ようと白きカーテン(p. 15)
氷結し狭き運河の流れずにおゝ新しきこともなき地よ(p. 49)
太陽の記憶こころに弱まれば闇のこの夜にまさに冬来る(p. 50)
日没に針葉の森消えゆくを見つつ聞きおりきみに似し声(p. 110)
酩酊の葡萄匂える遠景にわれ惜むなしきみ虚無の声(p. 164)
 
夕べ―ヴェーチェル
アンナ・アフマートワ
工藤正廣・短歌訳
未知谷

とある知人 M は文芸書の出版社に勤めていて自費出版の編集を担当している。この版元は自費出版でもきちんと校正作業をするそうで,良心的である。いま担当している老女の俳人著者がまるで嫁いびりでもするかのように彼女を責め,これまでなんの問題もなかった編集作業の仕方にまでケチをつける。そのイビリ電話が毎日 30〜40 分にも及んで,M は心が壊れそうだという。俳句詠みだからといって,十七文字のごとく凝縮された表現で不満をぶつけるのではないらしい。逆に,ドストエフスキイ小説の登場人物のように何頁分もの言葉を一気にしゃべって疲れを知らない人だと見受けられる。「俳句は結構上手いんだけど」と M。ゲラ刷りを見て字体,紙の色,インクの色が気に入らないと言い,自分で作ったワープロ出力を送って来て,この通りにしろ,などと出版素人丸出しの要求を突きつけて来る。「だからあなたは雑だっていうのよ」だと。行間のアキ,文字色に拘りがあるのであればはじめにそのように要求仕様を提示すべきであるし,紙の色はゲラの段階では粗悪に決まっている。

出版という業界はなぜか知らぬが,私などからみると見積・契約が極めていい加減である。著者から自費出版の話があると,カネが決まらないうちに仕事をしはじめてしまう。担当者はカネを握らされておらず原価管理をせず,ひたすらよい本を出すことに注力するため,そんな手順にはおかまいなしのようである(だから作業手順の原価低減努力がまるでなされない)。著者のほうも,文化人気取りなのか,カネの話で「私の傑作句集を出すロマンが穢される」とでもいうのか,見積・契約を曖昧にしたまま仕事を依頼してしまうようである。もとより自費出版で本を出すなんてのは著者一世一代の決断なのだから,カネは十分に準備しているものなのだろうけれど,この手順の逆転は,ごく一般の企業のサラリーマンである私には信じられない。

M 担当のこの婆さんについても,やっぱりいつもの客と同様,カネの話は抜きにして原稿を送って寄越し,口絵にする写真の由来の自慢話をくどくどとはじめたようである。つまり,まずは作業がはじまったらしい。ところが初稿のゲラが出た段階になって,この俳人婆さん,「お見積もりはどうなっているのかしら」と来た。見積を送る。この時点で業者側は最悪の事態に直面したも同然だと私なら考える。案の定,婆さんからは ---「これ高過ぎじゃないの? 他の本屋よりも全然高くて,夜も眠れないじゃないの!」。

ここで婆さんが「高いので止めにした」と決断すると,出版社としては見積・契約もせずに勝手に仕事をしたということになり,それまでの作業はパー,かかった外注経費も取り損ねるはめになる。これは商法上の常識である。いくら婆さん自身も,この常識を意識せず仕事を「させた」ことに問題があるとはいえ,責任は業者が取るべく世の中はできている。私は主任になりたてのころ,見積の延長で勝手に仕事を進めてしまい,協力会社に作業をさせ,結局案件を受注できず数千万の赤字を出し,責任を取らさせられた経験がある。設計は見積のレベルを越える仕事=「作業」であるし,見積合意・契約が成立しないうちには「作業」を絶対にしない・させないがそれ以来,鉄則になっている。

さて M は困った。デザイナーにも装丁を依頼済みである。これで婆さんに止められると今までの仕事が水の泡になる。上司の M への評価も変わるかも知れない。カネを握る会社の上役が作った見積根拠文書を婆さんにまずは送ったそうである。私は第三者なのであまり立ち入ったことはわからず気の利いたことが言えない。それでも自分の経験から少し助言した ---「見積合意抜きで仕事をしたのは出版社側の非。でもじつは婆さんにとって,どうでもよいネタでウサ晴らしにただ君を責めたいだけなんだろうから,それを逆手にとって嫁いびり婆さんを少しいじってやれば? 自分から見積についてクレームを言っている訳だから,その婆さんにこう言うべきだね。『その見積根拠に対して,ご了承いただくかまたの機会とお考えになるか,ハッキリ決めていただかないうちは本作りを進められません。ついては,ご判断がついた段階でご連絡ください。それまでは仕事を止めてお待ち申し上げます』。老人は我儘でセッカチだ。時間がなにより大切で,自分の本が出る日程が延びるかも知れない,となったらただごとではない。『夜も眠れないというお話でしたし,勝手には進められません』とイヤ味のひとつも言っていい。そうしておくと,相手がババを握るのだから,見積だけに話題を集中でき,それ以外の論点をシャットアウトする根拠になる。余計なイビリをされる前に話を打ち切ることができると思うよ。『申し上げました通り,お決めいただかないうちは本のお話はできません。それでは』って言えばいい。何日かしたらこちらから先手を打って,『見積の件,どうなりましたか,早くしていただかないとデザイナーを手放さないといけなくなります。ご希望の日程で出版するのも難しくなります』ってやんわり脅すんだ。とにかくいい本を出すための正論はズバズバ言えばいい。そうすることで優位に立つことができると思うよ。理由もなく文句をたれる者には,右手が痛い,左足がお前の所為で痛む,と言われる前に,目的のためには心臓をまず治さないといけない,と論点を先に限定するんだ。そうすると相手が次に何を言って来るにせよ,あらかじめ往なし方,返し方を考えておくことができる」。

しかし,その後の数日,婆さんからなんの音沙汰もないらしい。「仕事が雑」などと相手の人間性を否定しながら,見積について「夜も眠れない」と文句を言いながら,その根拠を提示されたのに内容についてウンともスンとも応答を返さないヤツ。実際に,私が仕事で付き合う上でもっとも許せないタイプの人間のようである,このババアは。どうも俳人,歌人,詩人,小説家という奴らは自意識過剰で,本屋の担当者なんて歯牙にもかけない「文化人様」らしい。本というものが編集者,組版担当,印刷業者,製本業者,デザイナー,仲介業者など多くの人々の協同で成り立っているということをまったく考えず,自分ひとりで本が出来上がるとでも思っている。私にもここでメラメラと怒りが湧いて来た。不謹慎ながら,『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフに斧で叩き殺された悪徳金貸し婆さん・アリョーナを想像した。そうそう,これからはこの婆さんをアリョーナと呼ぼうじゃないか。

お年寄りをぞんざいに扱うなど許せない行為だけれども,社会人としてあるべき姿から逸脱し,他人を軽んずる者に対しては,相手が誰であろうと仕事の上で社会人としての正論であざ嗤ってやる,仕事の見返りを十分にふんだくってやる,というのが私の秘かな主義である。イヤな客との付き合いにおいて,そうでもして楽しまないと,「弱き業者」根性に荒んで心が病んでしまうのだ。実際に病んでしまった担当者を私は山ほど見て来た。M にも,プロなんだからいい本を出す(いい作品かどうかは知らん)とともに,社会人として徹底的に蔑んでやればよい,とけしかけた。「見積説明に対して反応がないなら,こっちから電話して,ガンガン,フォローすりゃいいじゃねえか」と私は言うのだが,M はどうにも電話がしづらいらしい。

民主党の小沢さんがいま中国を訪問している。今夜のニュースで見た。中国に行っても選挙のことしか話をしないこのひと,ホント筋金入りですね。彼など,普天間問題なんて外務省の茶番だと鼻で嗤っているに違いない。

それでも,小沢さんが米国をさしおいて中国に行くところ,さすがである。中国も胡錦濤国家主席じきじきに会見とは相当の入れ込みようである。バカ右翼が騒いでいるよ。小沢さん,中国首脳と悪巧みでもして来て,もっと反中バカ右翼を騒がせて,楽しませてくれ!

毎日 jp の報道によれば,橋下大阪府知事が,普天間飛行場の移設問題に絡んで,関西空港への米軍受入れを拒否しないと発言して波紋を呼んでいる。毎日 jp は実現性は薄いと論じている(そんなに沖縄に悲劇の県というイメージを押し付けたいのか?)。また毎日 jp は根拠のないことを堂々と書くものである。この橋下知事の発想はじつに面白い。「米軍は出て行け」と叫ぶ沖縄県民と悩む民主党政権との双方の要望(「県外移設」)に応える案として,関西空港という選択肢は極めて斬新,かつ理に適っている。関西空港は普天間が抱える騒音の問題も,離着陸の危険性もない。こういう案をブレークスルーというのではないだろうか。

米軍基地が大阪にできると危ないのではって? それを日本国民はこれまで沖縄県民に押し付けて来たではないか。心配しなくても,冷戦が終わったいま,そもそも沖縄米軍基地の意味はゼロであり,「危ない」なんて事態はまず起こりそうもない。沖縄米軍基地はいまや日米同盟の単なる象徴でしかないのだから,大赤字で困っている関西空港の安定的収入源として考えてもバチはあたらない。経済効果を関西の人に納得させられれば,みんながハッピーになる。困るのは自民党と,「この問題でアメリカが怒りまくっている」として民主党政権を虐めたい対米従属根性に毒されたマスコミだけになる(毎日 jp の論調はそこに発していると思う)。

羽田ハブ空港化問題で文句ばかり言っていた千葉県知事なんかと比べると,橋下さんはずっと頭がいい,と私などは考えてしまう。成田空港は騒音問題があるので,仮に森田さんがやりたいと思っても成田移設は無理でしょうけど。じつは橋下さん発言で,大赤字の空港を抱える知事たちは,先を越されたと内心地団駄を踏んでいるんではないか,と私は思ってしまう。

今日,妻が中学三年になる娘を連れて,学校先生との面談に行って来た。高校受験を間近に控え,進路がテーマとなるはずであった。「頑張ってね」と言われたそうである。予想通り!

学校の先生はたいへんである。最近いじめの問題への対処やら体罰の厳禁やらで先生の行動には制約があまりに多い。私のような中年世代以上は,言うことを聞かない子供に対し,先生がその権威と良識に照らして,鉄拳を振るって大人しくさせるのを,当然のようにとは言わないまでも,致し方ないと思っているはずである。私も,中学時代,先生に何度殴られたことか。英和辞書を忘れたくらいで廊下に立たされ,あるいはグラウンド5周などと命じられたものである。でも,当時頭にこそ来たがなんの禍根も残さなかったし,いまもあれは問題だったとも思われない。が,最近はモンスター・ペアレントなどという言葉も定着しているとおり,先生は世間からの反動を極度に怖れ,体罰はおろか,生徒の心を傷つけるいかなる言動も慎むようになっている。子供たちをサービス顧客として扱う気持ちがどこかにあるようである。鬱病になり辞職する先生が増えているそうである。不憫極まりない。時代が変わったのである(ただし,高校の運動部だけは別のようである。息子はヘタクソなプレーをして,顧問の先生に何度も殴られている。軍隊式指導により上下関係の尊重が徹底している。教育はそれでよいのである)。

このような当たり障りのない教育のおかげで,受験指導も「本人の自己責任」の風潮が強い。先生は「頑張ってね」としか言わない。私の中学生のころは,進路希望について高望みしている場合,「お前の成績でそのレベルの高校なんて行ける訳ないやろ,アホ! ココにしとかんかい!」とハッキリ言われたものである。でもそのキツい言動は,職員会議でひとりひとりの成績を職員達が議論し,進路の妥当性を見極めたうえでなされたものだったのである。私たちの世代は人数も多く,私の中学校は 40 人のクラスが 1 学年に 10 クラスあった。それでもひとりひとりやってくれたのである。娘の学校は,少子化の影響でたった 3 クラスしかないが,このようなひとりひとりの進路希望の妥当性を会議でギリギリやってくれているのだろうか? 否,「頑張ってね」には,そのような差し迫った判断と責任感のかけらも感じられない。なにも先生の「提言」に「責任」を追及しようなどとは,「おせっかいはやめてくれ」などとは,私は考えもしない。ただ,教育者として「判断」してほしいのである! どうして生徒の行く末についてここまで他人事になってしまったのか。残念でならない。

臨時国会で郵政株式売却凍結の法案が可決された。郵政民営化が国政によって否定された訳である。

郵政民営化は,ゆうちょの莫大な資産を,海外投資家含め,自由に運用できる道筋を開いたことで,まかり間違えば日本国民の資産運用の富が海外の資本家に収奪される構造をも生み出しかねない政策ともいえた。でも,この最悪のシナリオを除けば,私は郵政民営化に基本的には賛成だったので,今回の法案には賛成しかねる部分がある。郵政民営化反対意見の主な根拠は,営業利益の望めないような過疎化傾向の地方から郵便局が消え,地域格差が助長される,という点にある。でも,それは地方自治体の解決すべき課題であって,指摘されるような事態は,かつて国鉄が分割・民営化されたとき,赤字ローカル線が廃止された構造とまったく同じである。国鉄の民営化がサービスの向上に測り知れない原動力となったことは,いまや誰しも認めるはずである。基本的に国家事業の民営化は国民にとってプラスに働くと私は信じている。「あったかい郵便局が村から消えるのは許されない」--- 何をセンチメンタルなこと言っているのか。ならば地方自治体に「あったかい郵便局」に代わる何かを運営させればよいのだ。国鉄民営化後,廃止された赤字ローカル線に代わって,バス路線ができたように。

昔の国鉄の酷さ,職員の傲慢を知る人は中年以上の世代になってしまった。国労・動労(労働団結権の認められなかった国鉄職員の非合法労働組合 ---「労働者」なんだから当然という理屈でできた組織)の遵法闘争によって朝の通勤ダイヤがむちゃくちゃになり,怒った通勤サラリーマンが駅で暴動を起こし,駅舎や車両を破壊する事件があった,なんていまの若者には信じられないと思う。これは,国家権力をカサに着た公務員が自己中心的な左翼闘争をやるとロクなことがないという歴史のひとコマである。世知辛い世の中の風にモロに晒されている国民からボコされて終わり,という喜劇である。ことほど左様に常日頃から国鉄職員にガマンならなかった人が多かった訳だ。

私も国鉄の時代に国鉄職員に対して虫酸が走る思いをした多くの一般人のうちのひとりである。私は学生時代,国鉄の累積赤字が大問題になり郵政事業と同様に民営化問題が大騒ぎだったころ,帰省のため札幌駅「みどりの窓口」で切符を予約したことがある。学生割引について中年担当駅員に問い合わせたところ,その駅員の曰く,「いまこの赤字まみれの国鉄にアンタ,割引をしろってか?」。「このゲス公務員野郎,民営化された暁には覚えてやがれ」と私は怒り心頭に発したものである。もうそれ以降,国鉄主体で帰省することをやめ,安価な小樽ー敦賀フェリー航路を使うようになった。このオヤジ,その後,清算事業団を経てどういう運命を辿ったのか,私は少し興味がある。私の記憶のなかにいる国鉄職員は「サービスを受ける奴らはゴマンといるのにサービスを提供するオレはひとりしかいないのだから文句言うな」テキ傲慢が抜けない。彼らの業務目的の中心には顧客ではなく親方日の丸・組織と自己保身がある。そのくせ,一般企業のサラリーマンがとても望めない高い退職金,高い年金を貰える身分にある。まあ,こんなことを言ういまの私には,世の経済情勢の直撃を食らうしがないサラリーマンのやっかみもある。

現在の JR 職員にこのようなかつての国鉄公務員のガサツに出会うことは絶対にないと断言できる(いまつとに騒がれている,JR 西日本の隠蔽工作は,国鉄体質旧態依然の幹部職員のなせるわざだと私は思っている。だからギリギリ虐めてやればよいのだ)。郵便局員が,この社会人らしからぬオヤジのようなガサツを発揮しているのを,私は経験したことはない。けれども,小泉政権下で民営化が決まったあと,郵便事業のサービスがかつてないほど改善したのは,ゆうパックなど数え上げればきりがないくらいである。郵政を民営化し,クロネコヤマトや民間生保・銀行・金融機関と同じ条件でしのぎを削らせたほうが,サービスの質が上がって国民にとってよいに決まっている。私は社会保険庁すら民営化すべきだと思っているくらいである。

サッカー W 杯 2010 年南アフリカ大会出場国・32 チームが出そろった。スペイン,オランダ,イングランドなど当然のごとく予選を突破した国もあれば,フランス,ポルトガル,アルゼンチンは思わぬ苦戦の末に切符を手に入れた。ヒディング監督率いる話題のロシアは切れ味するどい攻撃が印象的だったが,ここいちばんの踏ん張りが足りず,敗退した。南米・ヨーロッパ予選の過酷さが伺い知れた。これを見ると,最速で出場を決めた日本が子供のように映り,最速でグループリーグ敗退に終わるのはやむを得ないと思わずにはおれない。

フランスとアイルランドの決戦は凄まじかった。仏のティエリ・アンリ選手のハンド問題でいま大騒ぎである。「誤審」も試合の流れ・運のうちなのだから,まあしようがない。ところで,この問題について,当のアンリ選手自身がハンドを認め再試合がフェアだとの見解を述べているとニュースで読んで,この誤審そのものにまさる驚きを私は覚えた。私は,こういうとき日本の選手ならどうコメントするだろうか,とすぐ考えてしまう。日本人選手なら,「ハンドがあったかどうかは,激しいプレーの最中のことなので記憶にない。審判の判定なのだから,それも勝負のうち」と言うのではないか。私なら,そう取り繕うだろう。発言いかんによってはせっかく手に入れたチケットがふいになってしまうことを怖れるだろう。このアンリ選手の,バカ正直とすら思われる,恐るべきフェア・スポーツマンシップに感嘆させられてしまった。スポーツは何よりもまずフェアであるべきという信念が,政治的な圧力によって曇らされることのない人物像。アンリ選手の発言には,その姿がきりりと鮮やかである。W 杯前回大会でのジダンの頭突き問題でのジダンその人の釈明にも感銘を受けたが,欧州強豪国の代表選手という者たちが精神的にも国の良識を代表する強者だと身にしみるのである。やはりフランスは一流の国なのだと印象づけられるのである。

守備にミスの多い日本チームは,W 杯ではまずひとつも勝てないだろうと思う。「ベストフォー」などといった夢物語ではなく,グループリーグ 3 試合の無失点ドローをこそ目標にすべきなのだ。グループリーグの組み合わせが決まったら,対戦チームの研究に心血を注ぐ。その分析に基づいた練習を徹底する。もちろん,岡田監督はそんな弱気に見える目標をことばにすると,いよいよ惨めだから決して言わない,そういう事情もよくわかる。でも,アンリやジダンに透徹した「国の代表」としてのメンタリティを見せつけられた時点で,日本のベストフォーなんて子供のないものねだりだということがあまりに明白で,悲しすぎるんである。それでも,この誉れある舞台で日本人選手がどんな活躍をみせてくれるのか,いまから本当に楽しみである。

先日,とある大学の先生とメールのやりとりをした。misima について丁寧な文面でお礼をいただき,私は嬉しかった。彼は「最近の大学生はまったく本を読まない」とこぼしていた。だから旧字・旧仮名遣いの文章で少しは学生の関心を惹きたい,と。「だとしたら,そんなバカ学生は旧字・旧仮名遣いという見た目にしか目を止めませんよ」などといった冷や水は言えなかった。教育者としての先生の真面目な工夫に私は感心したからである。

私は会社員なので,新入社員の知力には注意を払っている。学生の読書量については昔と比べてあんまり変わらないのではと思っていた。というか,同僚は皆,理科である。その学生時代の読書傾向にも偏りがある。そもそも,一般の学生の傾向を新入社員から推し測るには無理がある。同僚達は,本の話題はコンピュータ関連図書ばかりで,しかも強烈な飛ばし読みをする。理科の人は結論の書いてあるところを探して読む習性があり,しかも図面やグラフ,数式だけで論のだいたいを理解する能力を備えていて,文系の私は驚かされる。知識の習得を特殊なパターン認識能力でもって行っていると,私などには見受けられる。つまり「読む行為」は二次的のようなのだ。とはいえ,この行為だって,図面や数式と文章とを相互作用させて理解を確実なものにしている訳で,やはり活字のトレース要素は無視できない。

「まったく〜ない」という表現は主観の幅がじつに広い。私はわが新入社員の印象からしても先生のボヤキがピンと来なかった。だけど,うちのガキどもの活字ギライをみると,最近の学生は文字通り,ホントに,纏まった文章をまったく読まないのではないかと心配になる。「本を読まない・読めないヤツが大学なんて行くんじゃねえ」と私は我が子を叱り飛ばしている。子供達は,携帯メールでブツブツ断片的なことばを送り合い,「空気を読み」合っている。そして,ふとした文言で根拠のないキレ方をする。「空気」に侵されたのである。まったく悪意が「読み取れない」のに。ことばの論理にいい加減なゆえに「空気」を読もうとして勝手に気分を左右する。このように,携帯メールのこの時代,纏まった文章で論理的に意思疎通を図るようなコミュニケーション,思想の伝達は,いまの若い人には望めなくなってしまったのだろうか。「携帯をもったサル」というような表現をどこかで目にしたが,携帯電話が低能児養成ツールになってしまっている現実を認めざるを得ない。義務教育にある子供にはその所持を禁止すべきだと私は真面目に思う。

その一方で,子供達は,人が何を言っているかという論理ではなく,視覚的要素で人を分類する癖がある。「うちのクラブのXX先輩,このタレントに似ている」云々。人物評は「〜に似ている」しか思いつかないらしいのだ。そういうとき,私は「だからなんだ。人を見た目で極め付けるな」と叱る。「極め付けてる訳じゃないよ」---「『似ている』と表現すること自体,外見に薄っぺらい価値観を貼付けていることに,お前は自分で気づいていないだけだ。見た目で判断するなら,少なくとも『あの目つきは他人を軽んじるタイプだ』くらいの観察がほしいね」。でも,どうもこの傾向は,近頃の若者全般に及ぶような気がしてならない。ネットをうろついていても,「戸田恵梨香似の女」といった,人の素描のじつに貧しい舌足らずの表現にぶち当たらない日はない。

何かの論理ではなく視覚的印象で軽率に人物を類型化する傾向は,思うに,ことばの論理に鍛えられていない証拠である。もとより,ことばの論理と見た目判断とは直線的に結びつくはずはなく,私の意見には少し飛躍があるだろう。それでも,ことばは行為や事物の,視覚に依存しない本質を指向する発言者の論理を表す。ことばを尊重する者は,視覚的印象よりもことばで示しうる特性・内容(「〜に似ている」などという包括的印象ではなく「〜と言っている,〜を身につけている」等々の具体的属性)に,より判断の重点をおくものだと私は考えている。見た目で判断する者がことばに鍛えられていないというのも,ここにその理由がある。逆もまた真なりだと思っている。

Web で伝えたいことをきちんと書いても,おそらく 3 行以上のパラグラフになると,もう読まれないのではないか。Twitter というのが流行っているそうである。「つぶやき」くらいの量でないと,もはや読んでもらえない。若者は「つぶやき」を見て「空気を読」み,それでパソコンの前で勝手にキレている。そういう時代だということか。

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ISAO。システムエンジニア。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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