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会社の部下の結婚式に出席した。バブル崩壊以降,新入社員が毎年自分の課に配属されるなんてまず望めないようになり,社員の結婚式に呼ばれるのも稀になった。なのに一方で売れ残っているベテランもかなりある。結婚する奴がいないのである。仕事で忙しいからか,相手がいないからか,結婚願望が少ないからか,総じて「結婚」ということばが職場でもめったに聞かれなくなった。少子化の理由はいろいろあるのだろうが,私自身の実感として,婚姻そのものの数が減り,あるいは婚期が遅くなっていることもそのひとつかも知れない。

場所は横浜元町にある「山手迎賓館」。JR 根岸線石川町駅で降りて,元町の瀟酒な商店街をぶらぶら歩いて,横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅すぐ側,港の見える丘公園に隣接した目的地に着いた。式場は白亜のお洒落な建物であった。この日,予報では台風が心配されたが,雲ひとつない快晴に恵まれ,若者の新しい人生の門出に相応しい日和となった。

人生に一度,結婚披露宴のときだけは,誰もが美男・美女,幼いころからやんちゃ・おてんばだが心優しいしっかり者,学校時代では秀才・才媛としてもてはやされ,いまや押しも押されぬ組織の中心人物,ということになっている。とはいえ,実際に,新郎は一流大学の工学部大学院を修了し,私の部下のなかでもとくに仕事ができる。なかなかのイケメンであり,顧客の女性社員からも人気がある。彼が伴侶に選んだ女性も佳人なり。そういう訳で世の披露宴の世辞が空虚に響かない。今日の花婿・花嫁は青い空と白い建物に映える,眩しいくらいの美男・美女であった。「僕にコキ使われて家に帰られなくても勘弁ね!」と事前の詫び言を新婦に対して口にする私は,気の効かない上司だということかも。トラブルの最中に結婚式を挙げ新婚旅行から帰って出社したそのときから一週間帰宅できなかったのが懐かしく思い出された。おめでとう。おめでとう。

豪華なフレンチ,おっと感心するくらいの美味なワイン,よりどりみどりのスィーツをいただいた。引き出物が橘吉製和風角皿セットだとわかって,妻がカンゲキ。「新郎・新婦の写真入り絵皿だったらどうしようかと思ってたのよ」。

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けふは妻とお散歩。「東京の古い町並み散策」なんて金がかかって嫌,ご近所ですまそうということに。多摩川沿いを進んで等々力緑地に至る経路だった。

自宅のすぐ近くにあるお地蔵さまの祠の裏手に,彼岸花が咲いていた。この鮮やかな緋色を不吉だと感じるのは,ただ墓場に咲くイメージと結びついているがゆえに過ぎない。でもそのおかげで詩にもなるのである。

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平間駅から多摩川・ガス橋の袂に出て,ここから多摩川沿いの堤を歩く。対岸の下丸子にキヤノンのビルが見える。少し歩いた向河原,武蔵小杉あたりからは日本電気の工場ビルが見える。このあたりはメーカーの工場が多いのである。昔は煤煙で鼻に煤がたまったと先輩から話を聞いたことがあるが,いまはそんなことはない。

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田園調布,多摩川園が望まれる中原街道あたりでは,何面もある河川敷野球グラウンドで少年たちが野球の練習をしていた。気兼ねなくトランペット,サクソフォーンの練習をする若者たちがいた。バーベキューパーティを楽しむ人々。これまで何度かこの河川敷で,息子のクラブのバーベキュー大会があった。土地勘のまるでない妻は「あ,ここだったんだ。こんな近くだったっけ」と感心していた。

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小杉陣屋町というところで多摩川沿いを離れ,等々力緑地に向かう。途中,「川崎バナナ」なる面白い名前の町工場を見つけた。

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今日は J リーグのサッカー試合がある訳でもないので,競技場付近は閑散としていた。秋分日に開催される「スーパー陸上」の準備が粛々と進んでいた。

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競技場のすぐ横の日本庭園に入った。ここは池一面を蓮が覆い,その季節には壮観らしい。その向こう側のより大きな池の奥に真白の鷺の群れがいた。ベンチで一休みしていると,黒猫が一匹やって来た。すぐ横のベンチにはホームレスの男が寝そべっていた。私は蚊に何カ所も喰われてしまった。

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市民ミュージアム前にペットボトルによるオブジェがあった。アリーナでは剣道の大会が行われていたようである。その側を通って等々力緑地入口からバスで帰宅する。バス停でクラブ活動の高校生 3 人がだべっていた。「お,今日『ブザービート』最終回じゃんか。それまで家に帰れるかなー」。

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約一時間半,十キロちかく歩いたのではないだろうか。

帰宅してインスタントコーヒーを飲んでいたら,友達と遊びにいった息子から電話。「あ,お父さん? 『ブザービート』録画予約してあるか知らない?」--- 妻が横からしてあると言うので,「してあるみたいよ。でも,そんなことどーでもいーじゃねーか」。この『ブザービート』というテレビドラマを子供たちは熱心に観ている。バス停での一コマからしても高校生,ひいては若者全般に支持されているようである。だけど,私には苦手のドラマである。これは奥手の美男・美女が彼らに積極果敢にアプローチする男女を振り切って結ばれる恋愛ものである。息子は私の皮肉な反応を茶化すかのように「スミマセノトーサン」とあのソフトバンク CM の黒人を真似して電話を切った。おまいらテレビ観過ぎ。
 


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昨日,神代辰巳のロマンポルノについて書き,彼の映画で「体を張った」女優たちに触れた。私は「体を張った」女たちがまた別の分野で活躍する姿を見ると感激してしまうほうである。ひとの人生の奥床しさを感じてしまう。

先の衆議院選挙で当選した,ある民主党新人女性議員の「仰天過去が次々と明るみに出」(サンスポ.com 記事)て話題になっている。「仰天過去」の事実がいかなるものであれ(オマケにそれは彼女の立派な職業,「仕事」だったのだ),これから国民を代表して政治に携わるにあたり,それがなんの関わりがあるというのか。選挙において何を約束し当選後に何をやってくれるかが政治家の勝負どころだろう。

なのに,過去の経歴の「説明責任」がどうのこうの騒ぎ出す清潔漢,スキャンダル好き,人の弱みにタカりたがるヤツがいて面白い。こういうのを「品性下劣」というのだ。「きちんと身体検査を!」だって。こいつらの薄っぺらい正義感なんてクソくらえである。日活ロマンポルノ,アダルトビデオの「イヤらしさ」もこういう偽善,醜悪を前にすると可愛いもので,低俗さという意味では彼らの品性にはとんと敵わない(なのに堂々と,恥ずかし気もなく,自信満々にやってくれるものだから質が悪い。これら品性下劣サイトへのリンクを貼りたくてうずうずしているのだが,やめておく)。

「それがなにか?」と見下すように彼らを去なして,民主党は沈黙を守るべきである。「説明できないので黙ってるんだー」のような不真面目な揶揄で挑発されても,沈黙すべきである。なぜなら,馬鹿を相手にすると本来の仕事ができなくなるから。耳を傾けるべき意見と無視すべき意見とをきちんと仕分けることの出来るのが政治家というものである。岡田さん,しっかりしてくれよ。「選挙で選ばれてある」ことにのみ立脚すべきである。

先日の朝日新聞(9 月 9 日)神奈川ローカル面に「KAWASAKI しんゆり映画祭」の記事が掲載されていた。この映画祭は毎年この季節に開催される市民映画祭である。15 回目を迎える今年は,川崎市麻生区ゆかりの映画監督・神代辰巳の特集である。ちょっと驚き。神代辰巳といえば日活ロマンポルノの巨匠。こんなポルノ映画監督もその「芸術的価値」によって映画祭のテーマとなりうる時代なのである。いいんだか悪いんだか。私としては大歓迎だけど。

私は彼の作品をいくつも観て来た。黒澤明,鈴木清順などと並んで指を折りたいひとりである。『一条さゆり 濡れた欲情』(1973 年),『赫い髪の女』(1979 年),『赤い帽子の女』(1982 年),『もどり川』(1983 年)などなど。とくに『もどり川』は私の観た邦画のなかでも最良の作品である(なのに DVD が発売されないのが悲しい)。いずれも存在の最終的な砦であるかのように性を激しく生きる女性と,彼女たちを巡るヒモ的ダメ男たちを描いている。私はここに性「愛」というようなものは感じなかった。もっと直接的で,それこそ体を張る凄みがあった。男は本質的に女のヒモだという思想に徹したニヒリスティックな作品に見えた。「愛情」なんてかけらもない非情なところが私にとっての神代ポルノグラフィの凄い点である。それゆえにストリッパーや娼婦という職業は落ちるところまで落ちた女の恥ずべき境遇である,という視線はこなごなにされた。それでもやはり秘めやかであることをやめない。彼の映画によって,樋口可南子や原田美枝子,伊佐山ひろ子といった「体を張った」女優たちが私にとって忘れられないものとなった。

KAWASAKI しんゆり映画祭」は 9 月 19 日から 27 日まで,小田急線新百合ケ丘駅周辺で開かれる。でも,私には神代辰巳作品の「芸術性」をあんまり云々したくない。あの「イヤらしさ」に共感できることはある意味で恥ずかしい。昔の日本のポルノは今のアダルトビデオなんかよりも何倍もイヤらしく,陰湿で,残酷で,非情で,そして危険だったのだ。魂を鷲掴みにしてしまったのである。

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神代辰巳監督による映画『もどり川』は,萩原健一,樋口可南子,藤真利子,原田美枝子,蜷川有紀主演,1983 年東宝作品。残念ながら「KAWASAKI しんゆり映画祭」では放映されない。

原作は連城三紀彦の『戻り川心中』である。神代映画を観たあと,私は時を置かずこちらも読んで心を動かされた。主人公・苑田岳葉は女を変えながら心中未遂事件を起こし,そのたびに優れた歌集を出す短歌界の異端児である。彼の心中スキャンダルは厭世ゆえか,それとも作歌のためのフィクションなのか。そのどちらでもあり,どちらでもないのだろう。そういう芸術家の危うい性(さが)を描いた美しいミステリーである。『宵待草夜情』,『変調二人羽織』とともに,これが連城三紀彦作品のなかでもっとも私の好きなものである。最近どうしてこのような「浪漫的な」ミステリーにお目にかかれないのか。

午過ぎに起きてきて,ひとり遅い食事をとり,少し本を読み,FreeBSD で Emacs をいじくりまわす。今日もそんないつもの休日であった。夕方,バッハのマタイ受難曲,ブルックナーの 9 番を聴く。「マタイ受難曲を聴いた」と妻に言うと,--- 娘が横から「え? ママの体重が何キロか聞いたって?」。「信長殿も信長殿だがねね殿もねね殿じゃ --- お父さん,早口で言ってみて」。妻が掃除中,私の灰皿のチェブラーシカの首を折ってしまう。晩ごはんのあと,iPod で日本の旧き良き歌謡曲を聴きながら,食器洗いをする。山口百恵,上田正樹,南こうせつ,バンバンなどなど。学生運動潰えた世代の暗い曲の数々。ヒット江夏のケンケン,否「ひと夏の経験」に感じいって「モモエちゃん...」と独り言を漏らすベートーヴェン。そんな CM が昔あったな。訳わからん。

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鳩山次期首相の組閣の話題でもちきり。半世紀ぶりの政権交代ということもあり,当然ながら,どんな体制になるか皆興味津々である。社民党と国民新党の両党首が入閣するそうである。参議院での協力を得たいため,大臣席でもって懐柔しようとしているらしい。民主党はあれだけ大勝したのだから,他の野党の顔色を窺う必要などないのではないだろうか。意見が合わなければ論戦すればよいのだ。選挙の結果からすれば社民党と国民新党が有権者の支持を得たとは言えない。そんな政党と連立政権を組むなんてナンセンスではないか。

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陸上=南アのスポーツ担当相,『セメンヤ報道』に激怒」なる記事を見た。かの圧倒的強さを見せたセメンヤを「両性具有者」だとするオーストラリアのマスコミ報道に南アフリカの大臣が激怒したそうな。「第三次世界大戦もの」だなんて,そんな大げさな。

オーストラリアは日本にとって大事な国である。日本人の行きたい国のなかでも上位に入るのではないだろうか。しかし一方で,オーストラリアは昔から人種差別の酷い,つい先日まで白豪主義なる人種差別に囚われていた,思想的に遅れた国だ,というのが私の正直な認識である。オーストラリアでは,2005 年 12 月にも,シドニーにおいて中東やレバノン系の住民に対する白人暴動が発生している。いまだにこうなんである。米国の KKK などはもっと陰湿だが公的には徹底的に批判されているのと比較すると,人種差別が大規模化するところがオーストラリアの国情を物語っていると思う。また一方で,米国の反捕鯨団体・シー・シェパードの活動などを見ていると,オーストラリアという国は,環境問題にかこつけて人種差別をするこういうとんでもない愚連隊を政府が野放しにする国だとつくづく思ってしまう。捕鯨を生活の糧としてきた国は日本以外にもロシア,カナダ,ノルウェーなど数多くあるにもかかわらず,シー・シェパードが目の仇としているのは日本だけなのである(シー・シェパードの行為の対象がロシアだったらどうだろう。間違いなくロシア海軍によって直ちに太平洋に沈められてしまうはずである)。それは何故か。日本だけが黄色人種だからである。鯨の肉をかっ食らう日本人は土人と同じという訳か。鯨とカンガルーはどちらが旨いだろうか。

「セメンヤ報道」にも同じ人種的偏見を嗅ぎ取るのは私だけだろうか。中国や韓国という同族の意図的反日行動に怒りを覚える前に,こういうのをもっと叩いたらどうかね。

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昨日は映画『キサラギ』を観て夜更かし。2007 年,佐藤祐市監督作品。主演は小栗旬,ユースケ・サンタマリア,小出恵介,塚地武雅,香川照之。アイドルおたく5人が彼女の死の一周忌に集まる。マンションで焼身自殺した彼女の死はじつは殺人だったというひとりの主張を巡って,5人の記憶をたどりつつ謎解き,ファン同士の掴み合いの喧嘩がはじまる。部屋のなかだけで進む謎解きストーリーは,『十二人の怒れる男たち』のような --- 登場人物はそれとはまったく対極にあるようなアイドル・オタクなんだけど --- 演劇風の緊張感に満ちていて,意外なくらい面白かった。

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おっとそこへ最新ニュース。わが阪神タイガースが3位に浮上したらしい。このところヤクルトが絶不調。そのおかげでヤクルト,阪神,広島の三つ巴で「熾烈な3位争い」になっているらしい。今年の阪神の要約 ---「09 年は熾烈な3位争いを演じた」。レベル低。

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瞬間接着剤でチェブラーシカ復活!

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私は麻雀をしない。点数計算などの細則について不案内である。けれども,上がり役の序列と難易度については,阿佐田哲也の麻雀小説の傑作『麻雀放浪記』を読んでよく知っている。このようなギャンブル青春小説が一大ジャンルとして成立しているのは現代日本大衆文学の特徴なのではないだろうか。競技のルールを熟知せずとも,寝食を忘れてのめり込んでしまう面白さがある。

ふとしたことでツタヤ・レンタル DVD で麻雀映画『むこうぶち』を観た。これは,天獅子悦也作画によるマンガ(雑誌『近代麻雀』連載中)に基づく DVD 作品(封切りはされていないはずである)。Vol.1 は 2007 年発売で現在もシリーズが続いている。主人公・傀を袴田吉彦が演じている。その他出演者に高田延彦,ガダルカナル・タカ,及川奈央。1980 年代のバブル時代が舞台になっており,一晩で数千万が動く高レート麻雀を巡る悲喜劇である。

博打麻雀は,企業経営者もサラリーマンもヤクザもホステスも皆,ルールに則って勝負を行い,狡智と運を競う。優勢だった者が一瞬にして奈落に突き落とされる。まあ,フィクション,作られたスジとして,当然のごとく主人公・傀(人に鬼と書いてカイ)がひとり勝ちする。彼は,四暗刻を聴牌した敵の安全牌を切って逃げる振りをしながら(四暗刻シャボ待ちはどう考えても当り牌を読めないと思うんだけど),九連宝燈をツモってしまう神のような存在である。「御無礼。ツモりました」。いくら低姿勢とはいえ,全能の神を観ていても面白くない。よってもって,作品の関心事は周辺の人々の業(ゴウ)にある。

風間トオル扮する大学の統計学教員がその確率センスを恃んで傀に勝負を挑む。果たして積み込みのごとき神の筋書きでもって,アタッシュケース一杯の万札をすべて傀に負け取られてしまう。紙袋に無造作に金を放り込んで去って行く傀のひと言:あなたは 99 パーセントまで勝ちを収めたが,残りの 1 パーセントのために敗れた。その 1 パーセントとはあなたの「過信」です --- ちょっと笑ってしまうけれども,読みと同時に流れ・運に支配される麻雀という博打,ひいては不確実な世の中の一真理には違いない。かくして,横暴なヤクザや狡賢い成り上がり,自信過剰の大学教授から全財産を巻き上げ,観客の鬱憤を晴らす訳である。

主演の袴田吉彦はそのニヒリスティックな風貌でどんな役回りにも嵌る俳優だと思う。この作品は彼の謎めいたイメージによく合っていた。いつまでたっても二番手のプロ麻雀士・高田延彦とナンバーワン・ホステス役の及川奈央との対比・麻雀を通しての交感,雀荘のオヤジ・ガダルカナル・タカの下町風人情味など,脇役のキャラクターもなかなかよかった。粗末なストーリー性ゆえに C 級にも達しない通俗娯楽映画といえるけれども,麻雀映画として楽しめました。これを観て思い出した。大学時代,友人がひとり雀荘に打ちに行き,ヤクザ風情に大負けして帰って来たのだった。彼は私などの与り知らぬ人生の勉強をした訳か。

最近,息子が受験生らしくなって来た。どうもガールフレンドに振られたらしい。時折,ぶつぶつこぼしている。気にするなと妻が慰める(私が学生のころ,ガールフレンドの話題が出ると,母には「孕ませたらアカンで」みたいなことばかり言われたものだが)。その一方で,お笑い番組を観てはバカ笑いをし,タレントや祖父母の物まねをやって家族を笑わせている性格は,誰に似たのか。その明るさには我が子ながら感心してしまう。

いつのまにか,子供も大きくなってしまった。なんて感傷に浸っていると,子供たちがまだ幼児だったころ,会社に行く前に『ひらけポンキッキ(ポンキッキーズ?)』や『おはスタ』などの朝の子供向けテレビ番組を,子供たちといっしょによく観てたなあとふいに思い出した。十四,五年前か。

『ポンキッキ』ではブレークする前の鈴木蘭蘭と安室奈美恵とが,ふたりしてうさぎの着ぐるみを着て,「まーさかり・かーついだ・きーんたろおー」と歌っていて愛くるしかった。バックダンサーを引き連れて「Body Feels EXIT!」とカッコ良く歌う安室を観たときは,「あれ? ポンキッキのお姉さんじゃんかー」というのが我が家の反応だったのである。その後,いろんなことが変わってしまった。

『おはスタ』はいまもまだ続いているようである。私の記憶にある『おはスタ』では,司会の山ちゃん(『新世紀エヴァンゲリオン』加持リョウジ役の,しかし加持リョウジにはまったく似ていない声優・山寺宏一)が,「レイモンドだよー」なる黒人タレントとともに,朝に相応しい元気なしゃべりでかしましかった。ポケモンが大流行したころである。「おはガール」という看板娘が日替わりで登場し,そのなかには『スポルト』のフジテレビ人気女子アナ・平井理央もいたことを知っているひとはどれだけいるだろうか。「おっはー」というチョー軽い挨拶が番組の合い言葉であった。『学級王ヤマザキ』という短篇アニメのコーナーがあって,この王様ヤマザキは「おはよう」のことを「おっぱいよー」といっていた。まあ,そのくだらなさが想像できると思うが,私は子供とおもしろがって観ていたのだ。おっはー。おっぱいよー。あぁあ。

最近,テレビで AKB48 なる大勢の若い娘さんたちが歌って踊っているのを観て,「エーケービー・シジュウハチ?」という私は,子供たちに失笑される始末である。「フォーティーエイト!」--- でも 48 人もいないじゃないか。なんかの四十八手をもっているのか(と,下品な口がちょっと滑ってしまう)。「じゃなくて,いろんな女の子がいるってことだよ!」--- あぁあ。なんだ昔のオニャン子か,というのは呑込んだ。

『地獄少女』ロシア語吹替え版(といっても,日本語にかぶせてナレーターがロシア語で通訳するような形態なのだけど)をロシアのアニメサイトで観た。ロシア語タイトルは "Адская девочка" あるいは "Девочка из Ада" であった。今日は『地獄少女』のロシア語ネタ。

「恨み,聞き届けたり」という古風な台詞は,"Месть будет исполнена(復讐は果たされることになる)" と訳されていた。文法的に原語の完了形ではなく未来時制なのが面白い。要するに,日本語の意味する復讐の契約が成立したことではなく,確実に恨みが晴らされることに主眼がある翻訳になっていて,ロシア人の単刀直入な国民性がこういうところにも現われているのである。「先生」,「先輩」という呼びかけが日本語のままで使われていた。日本アニメ浸透の様子が窺われて興味深かった。日本語の「ケバい」を "вызывающе" と,きくりのようなおチビちゃんな女の子のことを "малявка" と言うようだ。

閻魔あい定番のあの地獄落としの台詞と,その吹替えでのロシア語テクストをあげておく。ロシア語訳も,弱強格韻律で書かれ,かつ тьмой -- тобой,смрада -- ада という具合に脚韻を踏んでおり,日本語の七五調文語を移植したらしく,詩的テクストになっている。こんなのを暗唱してロシア語に親しむというのは,縁起が悪いのでやめたほうがよい。罰が当たっても知りません。

闇に惑いし哀れな影よ      О жалкий дух, ты породнился с тьмой,
人を傷つけ貶めて  Жестоко жизнь других отравлена тобой
罪に溺れし業の魂  Душа твоя полна грехов и смрада...
一遍,死んでみる?  Падешь на веки ты в глубины ада!

ちなみに「人を呪わば穴二つ」は,"Мстишь --- копаешь сразу две могилы..." (恨みはいちどに二つの墓を穿つ)と訳されていた。手元にある『ロシア語ことわざ集』では,この日本の諺は "Не рой яму другому, сам в нее попадаешь (упадешь)."(他人に対して穴を掘るなかれ,自らがそれに落ち込むことになる)というロシア語になっていた(『日英仏対照 ロシア語ことわざ集』吉岡正敞編著,駿河台出版社,1986 年,87 頁)。穴に自分が落ちるというよりも,"Адская девочка" の言のほうが怖い。

あなたの恨み,晴らします。Мы отомстим за вас.
 

TSUTAYA のレンタル DVD で『地獄少女』を鑑賞。地獄少女プロジェクト原作,アニプレックス,スカパー・ウェルシンク制作によるミステリー・ホラー・アニメである。

深夜0時のみアクセス可能なインターネットサイト「地獄通信」に,恨みを晴らしたい対象の人物の名を書き込み,地獄少女から与えられた藁人形の糸を解くと,対象人物が直ちに地獄に送られる,という恨み晴らし物である。一話の主要登場人物(いじめなどで恨みを抱く者)は多く中学・高校生であり,インターネットという現代性と相まって,この時代の十代の若者の心の闇がテーマになっているといえる。

勧善懲悪に徹した「必殺シリーズ」とは趣が違っていて,この作品では依頼者も死して地獄を彷徨う,代償を伴った「人を呪わば穴ふたつ」のモチーフが,ストーリーにひねりを効かせている。この物語構造は,恨む者,恨まれる者の関係が一義的ではなく,闇雲に人を呪詛することの孕む当人の愚かさ,子供じみた性格を浮き彫りにする反転ストーリーをも導き出していて,面白い。

でも,それはそれとして。私には,主人公の地獄少女・閻魔あいの華麗な花柄の黒い着物や,禊とそれに続く着替え,真っ赤な瞳,彼岸花の群生(少年のころの,墓場に燃える曼珠沙華を思い出した),冥途の河渡りの精霊流しなどの伝奇的・幻想的絵が,私の酷愛する江戸川乱歩の頽廃趣味,大正ロマンに充ちていて,なんともいえないのである。ここには竹久夢二などの美人画の確かな伝統がある。オープニングに挿入された河鍋暁斎の地獄絵図が,和風ホラーのアナクロニスティックな古典的趣を作品の現代性に添えている。この際,黒衣の美少女と彼岸花という季節感と,物語との整合性の瑕疵など,私にはどうでもよい。そういう意味では,私にはエンディングテーマ『かりぬい』の絵だけで十分なのかも知れない。オープニングテーマの「いつか光にむかう 逆さまの蝶」なんて詞も詩的ではないか。ただし,一目連,骨女,輪入道といったサブキャラクターどものヤクザ風情(「お嬢」はねえだろ)が,どうしようもなく恐怖感の品を落としてしまっているんだけど。

恨み晴らします。通俗の極みである。でも,必殺シリーズともども,私はかかる型に嵌ったドラマが大好きなんである。ワンパターンであるからこそ堪らないのだ。

地獄少女 5 [DVD]
アニプレックス (2006-05-24)

映画『情婦』は 1958 年公開のビリー・ワイルダー監督作品である。原作はアガサ・クリスティ。マレーネ・ディートリッヒが戦争と貧困で心の傷を負った女傑を好演している。最後でなにが真実か混乱させるワクワク感,エンターテーメントはさすがである。

ビリー・ワイルダーの映画は,なんといっても『お熱いのがお好き』が私のお気に入り。マリリン・モンローのあのキュートな演技は忘れられない。でもこの『情婦』のディートリッヒも,往年の凄みがピリリと効いていてよかった。

よい映画は過去に観た作品と比較させ,悪い映画は支払ったチケット代と比較させるものである。

情婦 [DVD]
20 世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2008-06-27)
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日本代表のサッカーをテレビで観戦した。2002 年ワールド杯で対戦したベルギーとの試合である。日本って欧州の強豪を相手にしてこんなに強かったっけ? まったく危なげない試合運びにびっくりしてしまった。4--0 という点差が凄い。なにより,走り回る日本チームにまったく着いて行けないベルギーの大男たちが哀れなくらいだった。赤い悪魔・ベルギーも,世界ランク65位というその地位には理由があるということだ。2002 年の互角の対戦から,日本が進化したのか,ベルギーが足踏みをしているのか,わかりませんが。

DVD でアメリカ映画『ゲーム』(原題: The Game)を観た。1997 年,デヴィッド・フィンチャー監督作品。マイケル・ダグラス,デボラ・カーラ・アンガー,ショーン・ペン主演。

人生を生きなおすこと。「いっぺん死んでみる」(『地獄少女』か?)擬似体験も悪くない。映画のカタルシスは騙されることだと,この映画は久しぶりに思わせてくれた。観るひとによって評価が大きくぶれるかも知れない。映画にリアリティを求めるひとは荒唐無稽というかも知れない。でも,私はしっかり落とされました。ネタバレになるのでこれ以上は書きません。

午過ぎ,仕事の都合で地下鉄に乗っていたら,若い母親が聞き分けなく泣きじゃくる我が子に困り果てる様を見た。公共の場で,しかも電車やバスなどの閉鎖された環境でこの状況になると,親は周囲への迷惑を思ってバツが悪い。私にも経験がある。

そんなとき「ったく,うるせーガキ」と本当に迷惑がっているひともいるはずだ。「たいへんっすよね,母親って」と私の部下。でも,私はもっともっと好きなだけ泣いていいぞ!と元気付けられるほうである。昔,高校生のころだったと思う。その時観たある邦画(タイトルは忘れてしまった)の恐ろしい場面が頭にこびり付いている。その場面が,公衆の面前で泣き叫ぶ子供とその母親を目にする度に,ありありと甦って来るからである。

その映画は太平洋戦争・沖縄戦を描いていた。米軍が,日本兵や民間人が逃げ隠れている洞窟の付近を,火炎放射器を手にして警戒している。洞窟では敵に感づかれないよう皆,息を殺している。その殺気立った雰囲気に怖じけたのか,赤子が突然大声で泣き出す。若い母親は,生涯賭けてのお願いとばかりに,あやして鎮めようとする。周囲の兵隊,民間人たちはもはやこれまでと恐怖に戦いている。「こんなときに大声で泣かれたらあの鬼畜どもに気づかれてしまう。なんとかしろ!」と兵隊さん。母親は乳を含ませたり手を尽くすが,どうしても赤子を鎮めることができない。震えに震える。とうとう我が子を絞め殺してしまう。「ケケ」という最後の声。母親は発狂した。

戦争とは現在の皆のためにもの言わぬ未来を圧殺することだと私は悟ったのである。暗にそそのかした兵隊が悪いのでも,この母親が悪い訳でもなさそうである。いったい誰が悪いのか。いいじゃないか,泣きたいだけ泣いていいぞ。それができるのは,ありがたい世界にいる証拠なのだ。近くにいた,母子とは他人と思しきおばあちゃんがニコニコして,その泣きじゃくる子供に話しかけていた。

今日はお休み。齋藤環『戦闘美少女の精神分析』を読んでいる。ここのところ,『NEON GENESIS EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン』や『Меланхолия Харухи Судзумии 涼宮ハルヒの憂鬱(ロシア語版)』といったアニメの傑作を観て,オタク文化というものに少し興味をそそられているのである。「戦闘美少女」に絡んでネットのニュースを見ていたら,産総研が開発したロボット HRP-4C の記事が眼に留まった(「人間に近い外観と動作性能を備えたロボットの開発に成功」産業技術総合研究所 2009.3.16 付)。

このロボットは二足歩行する人間型タイプのヒューマノイドとして,あっと驚かせるものがある。「人間に近い動作や音声認識にもとづく応答を実現」する点が特長とのこと。しかし,ロボットとしてここまで人間,しかも若い女性のリアリティにこだわる必要があるのかという疑問が起こる。もちろん,人間的所作のメカニカルな追究が高度な技術革新を惹起するのだ。それにしても,女性的なものへのその独特のこだわりは私には常規を逸しているように思われた。セクハラとまでは言わないけど(開発者が仮に「肌が白いので『ユキ』と名付けました」などと悪ノリした説明をしていたら,私はセクハラだと思ったかも知れない)。

彼女(HRP-4C のこと)はうまいタイミングで瞬きをし,いわくありげに首を傾げて後ろ下方を見返りする。身長 158cm,体重 58kg --- 女性としては重いが,これは生身の女性が鎧兜(というより,エヴァのような戦闘ロボットに搭乗するための超合金スーツ)を纏ったと思えば自然である。あどけない容貌。荻野目慶子に似ているとの意見をネットで読んだ。私は菅野美穂に似ていると思う。こんなことどうでもよいが,それくらい自己の経験を投入できる顔つきの自然な仕上がり。その顔にそぐわない,大きな形のよいバスト。残念ながら,スリーサイズは明らかにされていない。そう,HRP-4C は明らかにロリ趣味なんである。

このように,ロボットとしては不必要な,しかし高度な技術を要するディティールが,一種独特のセクシュアリティを発散して HRP-4C に付加されている訳である。彼女を見たひとたちがどのような印象を覚えたのか,ちょっとググってみた。こういうとき,ブログの意見は表裏がないので参考になる。想像どおりというか,いちいち出所をあげませんが,「ツンデレ」,「ドリ系」,「(顔,髪型の)オタ偏差値低い」,「すごい,一目見て抜けると思った」など,オタク的視線からのものが多い。「ちょっと怖い」というのが一般的な受け止め方と思う。海外でも「このロボットとファックできるのか」というのが非常に多かった。一方で,海外の意見には「ターミネーターの始まり」,「日本人はこいつらに戦争させようとしているんだ」といった軍事的関心の多いのが特徴である。海外の意見はここここをご覧あれ。

私も HRP-4C は研究者の秘かなオタク的情熱に動機付けられていると認める。彼女にはじつは本当に膣が実装されているかも知れない。しかし,その情熱には海外の反応にあるような軍事的ニュアンスは ---「戦闘美少女」のセクシュアリティは否定できないが --- ない。私がこのロボットに注目したのは,日本のオタク的衝動 --- 究極の想像力を実世界でパロディー的に実体化しようとする趣向 --- が恐るべき技術革新を支えている,そういう一端を見た気がしたからである。ただし,これは「想像したことを現実世界でもやりたい」という子供じみた欲求とは,紙一重にしてどえらい違いがあることを強調しておく。

彼女はファッションショーの挨拶で「実戦」デビューしたそうである。日本のオタク精神は平和そのものなのだ。

問題作『靖国 YASUKUNI』(李纓監督作品,2007 年)を DVD で観た。

ネットの情報によれば,この映画はもっぱら右派の側から「反日的」という批判が噴出し,上映サイドに対して右翼の妨害が起こったりしたそうである。ある国会議員は,日本刀がきわめて重要なモチーフになっているなかで,日本軍兵士が民間人を斬首する写真が挿入されている点を捉えて,「残虐を行ったというメッセージを伝える」政治的意図があると,この映画を否定した。「政治的」なのはアンタだろ。いったいどこに眼を付けているのか。

この映画の監督は中国人である。しかし,「よって反日」と極め付けるのは尚早である。この映画を実際にこの眼で観て,目くじらを立てるほどの政治的な意図を私は感じなかった。むしろ,日本刀という日本文化の至宝を象徴的に用いて,日本人の内なる狂気をうまく表現していると思った。「狂気」と書いたが,私はこれを否定的な意味で使っているのではない。私はむしろ誇ってよいものと思っている。カメラがドキュメンタリーとして提示している刀匠や愛国的参拝者,靖國精神に反抗する者たち(台湾人,小泉参拝反対を叫んでボコされる日本人)の映像は,「侵略戦争を賛美する靖國の伝統」を否定する,というよりもむしろ,「理解を越えた靖國信仰への畏れ」を訴えかけているように思われた。

最後のエピソードに刀匠が徳川光圀の七絶「日本刀を詠ず」を吟誦する場面がある。ここがこの映画のもっとも重要なテーマを表す感動的な場面だと私は思う。

蒼龍猶未昇雲霄  蒼龍猶ほ未だ雲霄に昇らず
潛在神洲劍客腰  潛んで神洲劍客の腰に在り
髯虜欲鏖非無策  髯虜鏖(みなごろし) にせんと欲す策無きに非ず
容易勿汚日本刀  容易に汚す勿れ日本刀

映像の眼は,この詩のとおり,日本刀を軽々しく振り上げない眠れる龍のような存在であると日本人を畏怖しているのである。これは反日の映画ではなく,日本人のクレイジーな側面に畏敬の念を表しているのである。一方で,日本刀が先の大戦で武器としては無抵抗の民間人・俘虜の首を飛ばす意味しかなかったことを揶揄しながらも(この映画を否定するひとは,こちらの副次的側面に過剰反応している訳だが)。

この映画で重要な役割を担っている老刀匠が,靖國について聞かれたとき,重い口を開いてとつとつと次のような主旨を語る:「小泉首相の靖國参拝について中国,韓国が文句言いよるけど,あんたは小泉さんをどう思うか? お国のために戦争で死んだ御霊を靖國神社にお参りし,二度と戦争をしないよう望むのは,私も小泉さんと同じ。(中国人や韓国人に)怒られるかもしれないけれど」。映画のなかでいろんな愛国的日本人が登場するが,彼らの示威的行動よりも,普通の日本人の意見をこれほど代弁しているセリフはないと私は信ずる。私もこの無口な刀匠とまったく同じ考えなのである(政治家の靖國参拝デモンストレーションに賛成するかどうかはまた別問題だ)。日本刀を鍛える象徴的存在がこの言葉を発する意味は極めて重い。

中国人は,共産主義政権下,宗教や霊的なものを否定している。しかし,この映画を観ると,そういう霊的なものにつき動かされているクレイジーな日本人を理解しようとする中国人もいるのだと思った。じつは,天皇を戴く眠れる龍,クレイジーな日本人がどこか羨ましいに違いない。

ツタヤ・オンラインで『新世紀エヴァンゲリオン --- NEON GENESIS EVANGELION Vol. 01』をレンタルした。私はアニメが嫌いではない。

メカあり,ロリあり,ショタあり,エロありで,私たちの世代が想像力の赴くままに好きなものを好きなだけ投入したところが魅力になっている。好きなものだけを惜しみなく自由に。知的でないとか,下品だとか,大人げないとか,そういうスノビズムに惑わされず,好きなものを想像力で純化したい。こういうところから,この作品のエンディングテーマにある,綾波レイが月夜の水中に逆さで回転・浮遊する,あのエロティックで幻想的な映像(日本人にとってはある意味でシェークスピアのオフェーリアよりも美しい)が可能になるのだ。

徹底的に非現実的なメカニック,美女のオンパレード。戦闘メカがまるで儀式でもあるかのようにいろんな非効率極まりない設備・機構を経て出撃するシーンが出て来ると,「これだよ,これ!」と手を打ちたくなる。『ウルトラマン』以来のよき伝統である。その一方で,同時代風俗を象徴する街の看板や,さりげなく足裏を掻く主人公といった妙にリアルな卑俗画を挿入する構成が,日本アニメ独特の諧謔,人なつっこさをうまく表現していると思う。

高校のころ,『機動戦士ガンダム』が放映され人気を呼んだ。子供っぽいとバカにして,私は観ることはなかった。『ガンダム』の思想性にかぶれていた中学からの友人がオートバイ事故で亡くなって,いよいよロボットもの SF アニメを疎ましく思うようになってしまった。なのに,『ガンダム』やこの『新世紀エヴァンゲリオン』がいまだに底知れない支持を得ているところをみると,亡くなった友人が懐かしく思い出されると同時に,少し疎外感を感じてしまう。

私は中学のころ『週刊・少年チャンピオン』の読者だった。手塚治虫『ブラックジャック』や山上たつひこ『ガキデカ』,水島新司『ドカベン』をリアルタイムで読んでいた。望月あきらの『ローティーンブルース』やミステリーものが好きだった。いまだに『ブラックジャック』がマンガの最高傑作だと思っている。ところが,高校時代以降,アニメ,マンガをほとんど見なくなってしまった。大学のころは『うる星やつら』のような,可愛らしい少女と少年が危うい関係を保ちつつ展開するちょいエロな,型に嵌ったラブコメディが流行であった。私はこういうのを毛嫌いしていたのだ。「青春エッチもの」--- 私は『うる星やつら』に代表されるマンガ作品をそう分類していた --- は 1980 年代日本の腐った趣味の象徴だった。そのおかげで私はアニメ,マンガに抵抗観を植え付けられてしまったのである。

最近,「少年なんとか」のマンガ雑誌が低迷し,廃刊に追い込まれつつあるという。大人も公衆の面前で堂々とマンガ本を読むこの少子化時代(就職して上京し,地下鉄車内でハゲおやじが少年マガジンを読んでいる姿を見て,私は目が点になったものだ)には,軸足がもっと上にあるということなのだろう。マンガ文化が成熟した証かも知れない。私にとってもアニメ,マンガをもう少しフラットに鑑賞できる時期なのかも。

最近,UNIX 仮想端末のシェルは bash(Bourne Again Shell)の全盛だといってよい。しかし,BSD UNIX を昔から使っているユーザは,いまだに tcsh(Tenex C Shell)を手放せないのではないだろうか。昔は System V UNIX では sh(Bourne Shell)が,BSD UNIX では csh(C Shell)がシステム標準のシェルであった。BSD UNIX でのかつての tcsh 流行は,その拡張である。思うに,BSD UNIX のユーザは,端末操作では tcsh を使い,シェルスクリプトはどの UNIX にも組込まれている sh で書く,というのが一般的だった。私もそんな慣例に縛られたユーザのひとりである。機能の良し悪しというよりは慣れの問題で bash に鞍替えできないのである。

さて,tcsh は NLS(Native Language System: XPG4 に準拠した,システムの各コマンドを多言語対応にするための仕組み)によりコマンドメッセージを多言語化することができ,これをカタログファイルとして外部から与えることができる。インターネットでは,tcsh ユーザが作成した愉快なカタログファイルが出回っている。

私はそのなかから『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公・綾波レイ風のカタログファイル(CyberKnight Tekkaman Blade 氏作)を久しく使わせてもらっている。メールを受信すると「碇君 新しいメール あるから...」,タイプミスをすると「コマンド 見つからない...」などなど,綾波レイ風のメッセージをシステムが返す訳である。ユーザは碇シンジ君に見立てられているということか(そのように昔の BSD UNIX 使いは内向的で,独特の偏向を帯びていたといえなくもない)。まあ,遊び,アクセサリーのようなものである。

FreeBSD はかつてはこうしたキャラ風カタログファイルを japanese ports によって提供し,これを簡単にインストールできるようになっていた。残念ながら,最近の Linux 優勢の影響で tcsh の人気がほぼ根絶されたせいか,ports から削除されてしまった。参考までに,カタログファイルソースをインターネットから取り寄せ,FreeBSD システムに設定するメモをしるしておく。tcsh シェルの環境変数 LANG 及び LC_ALL には ja_JP.eucJP がセットされているものとする。Linux でもロケール仕様以外は同様の操作が適用できると思う。

  1. tcsh version 確認
    組込まれた tcsh において "nls" というオプションがあるか確認する。そのためには "set | grep tcsh" を発行すればよい。最近の FreeBSD なら OK のはず。もしバージョンが 6.14 未満であれば,ports でそれ以上に更新する。
    % set | grep tcsh
    shell   /bin/tcsh
    tcsh    6.14.00
    version tcsh 6.14.00 (Astron) ... options wide,nls,dl,al,kan,...
    
  2. カタログファイルの入手と生成
    tcsh日本語オリジナルカタログ」サイト(榊原善之氏による)よりアーカイブを適当なディレクトリにダウンロードし,解凍する。その後,make を実行する。
    % tar zxvf tcsh-6.14.00.add.tar.gz -C ~/tmp
    % cd ~/tmp/tcsh-6.14.00.add
    % make -f Makefile.add
    
    すると,カレント・ディレクトリ直下に,tcsh.ja.xxxxx.[cat, m] のファイル群が生成される。この Makefile は NLS カタログファイルソースから gencat ユーティリティによってカタログファイルを生成するレシピである。既成のファイルを複写して,構成をまねて独自のカタログファイルを作成するのも面白いだろう。
  3. カタログファイル・ディレクトリの作成
    できたカタログファイルを ~/lib/tcsh ディレクトリ(名前は任意)にコピーする。その後,NLSPATH 環境変数に位置情報をセットする。.tcshrc にも環境変数の定義を追加しておく。
    % mkdir -p ~/lib/tcsh
    % cp ~/tmp/tcsh-6.14.00.add/tcsh.ja.* ~/lib/tcsh
    % setenv NLSPATH $HOME/lib/tcsh/%N
    
  4. カタログファイルの指定
    自分が使いたいカタログファイルを set catalog=ja.xxxxx.cat のように tcsh に指示する。このコマンドで別のカタログファイルを指定するつど,メッセージが変わるので試してみてほしい。どのようなカタログファイルが添付されているかは,「tcsh日本語オリジナルカタログ」サイトを参照のこと。綾波レイ風の場合は次のとおり。これも .tcshrc に追記しておくとよい。
    % set catalog=ja.ayanami.cat
    
    『新世紀エヴァンゲリオン』に限っていえば,惣流・アスカ・ラングレー風(東工大松田氏作)も同じアーカイブに含まれていて,set catalog=ja.asuka.cat とすればよい。すると場合によっては,「あんた,バカー?」と罵られることになる。

何気に,続けてアニメにかかわる記事となってしまった。

tcshcat.jpg

YouTube のロシア関係の動画を観ていたら,『涼宮ハルヒの憂鬱』オープニングテーマ「冒険でしょでしょ?」のロシア語版クリップを見つけた。ロシアにも日本アニメのファンはたくさんおり,われわれ日本人は誇ってよい。この作品もロシア語版 DVD が 2008 年夏にリリースされたそうである。ロシア語タイトルは «Меланхолия Харухи Судзумии»「メランホーリヤ・ハルヒ・スズミイ」。スズミイというのはスズミヤの生格形である。涼宮ハルヒは,ロシアの «МИР ФАНТАСТИКИ И ФЭНТЕЗИ -- Журнал о фэнтези и фантастике»(月報・幻想とファンタジーの世界)の 2008.11.13 作品批評によれば,「ここ数年のアニメにおけるもっとも輝かしいヒロインのひとり」と評されている(«Рецензия на фильм: Меланхолия Харухи Судзумии»)。

クレジットによれば,ロシア語詞は Николай Караев ニコライ・カラーエフ,ボーカルは Ирина Попова-Тимашова イリーナ・ポポヴァ=ティマショヴァ。オリジナル版では平野綾が主人公・涼宮ハルヒ役の声とボーカルを担当しているのに対し,ロシア語版ではそれぞれ別人であり,ハルヒ役は Мария Бондаренко マリヤ・ボンダレンコとなっている。ちなみにエピソード 12 に挿入されたあの素晴らしい映像,"God knows" の演奏でも,ロシア語版のボーカルはポポヴァ=ティマショヴァが吹き替えている。興味のある方は,これらのロシア文字をコピってググってみるとよい。なお,ロシアにも熱心なファンがいて,SOS-dan.ru(ロシア人の Web 頁によくある,ロシア・アヴァンギャルドばりの一種独特のギトギト感がなく,なかなかよくできている)などのサイトがある。

さて,このクリップにたいへん興味を覚えたので --- 私は決してアニメオタクではないが ---,ロシア語テクストを書き写し,その日本語訳を付けてみた。逆輸入は勉強になる。ロシア語は日本語オリジナルのかなり正確な翻訳になっており,しかも日本語の音節数をきちんと移植している。下表は,左側に (対応する日本語オリジナル歌詞の出だし)・ロシア語・発音のカナ表記,右側にその日本語訳を示す。ご参考に。日本語訳は私によるほぼ直訳なので,オタ風味はいまいちな点,ご了承ください。ロシア語をやったアニメファンは,これを覚えるとオタク仲間の間でウケるかも。

ちなみにロシア語でも「萌えー」は «Моэ!» のままのようである。ちなみに「ツンデレ」,「ヤンデレ」も,それぞれ,そのまま «цундере», «яндере» で,ロシアのアニメオタクには通じるようである。

(答えはいつも...)
В своей душе я на любой вопрос найду ответ...
フスヴァエ・ドゥシェー・ヤー・ナリュボィ・ヴァプロス・ナィドゥ・アトヴェート

どんな問いの答えも私は自分の胸に求めるの
(なんでだろう...)
Я верю в тебя,
ヤー・ヴェリュ・フチビャー

あなたを信じる
(あなたを選んだ...)
Потому что ты и только ты мною избран.
パタムシタ・トィ・イ・トリカ・トィ・ムノュ・イズブラン

あなただけを私は選んだのだから
(もう止まらない...)
Отныне и впредь
アトヌィニェ・イ・フプレーチ

これからずっと
(運命さまから...)
Ты со мною будешь рядом.
トィ・サムノーュ・ブージェシ・リャダム

あなたは私の隣
(きめられたけど...)
Это твоя судьба!
エタ・トヴァヤ・スジバー

それはあなたの運命
I believe.
 
I believe.
(まねだけじゃ...)
Скучно играть всё время по правилам.
スクシナ・イグラーチ・フショヴレミャ・パプラーヴィラム

いつもみんなの通りじゃつまらない
You'll be right.
 
You'll be right.
(感じるまま...)
Потому что я деляю то, что хочу, только то, что люблю...
パタムシタ・ヤ・ジェーラュ・ト・シトー・ハチュー・トリカ・トー・シト・リュブリュー

だからやりたいこと好きなことをやるだけ
(冒険でしょでしょ...)
И мир будет нашим, даже если истину в нём
イ・ミル・ブージェト・ナーシム・ダージェ・エスリ・イースチヌ・ヴニョム

きっと世界は私たちのもの,たとえ真実が
(変わる世界で...)
Заменит сладкая ложь.
ザメニト・スラートカヤ・ロシ

甘い嘘に変わっても
(夢があるから...)
Когда наступит завтра нам озорная мечта,
カグダ・ナストゥピト・ザフトラ・ナム・アザルナーヤ・メチター

明日過激な夢がかなって
(だれのためじゃ...)
Подарит крепкие крылья.
パダリト・クレプキェ・クリーリャ

ゆるぎない翼を手に入れるのだから
(いっしょに来て...)
Давай отправимся вместе
ダヴァーィ・アトプラヴィムシャ・ヴメスチェ

いっしょに出発しようよ
(どこまでも自由な...)
Навстречу нашей свободе.
ナフストレーチュ・ナシィ・スヴァボージェ

ふたりの自由に向かって
(私を見てよね...)
Ты посмотри мне в глаза!
トィ・パスマトリ・ムニェ・ヴグラザー

視て私の眼を
(明日過去になった...)
Чудесный миг станет прошлым для всех остальных только не для нас.
チュジェスヌィ・ミク・スタニェト・プロシリム・ドリャフセフ・アスタリヌィフ・トリコ・ニェ・ドリャナス

この奇蹟の一瞬が私たちのほかのみんなには過去になってしまうのだから
(つかもう...)
Давай взлетим...
ダーヴァィ・ヴズレチーム

さあ飛び立とう
(未来を...)
Вперёд и вверх...
フピリョト・イッヴェールフ

未来へ高く
I believe you...
 
I believe you...
   (c) перевод  Николаем Караевым
   (c) Кадокава Сётэн, Реанимедиа.  
   (c) японский пере-перевод
     Исао Ясуда

Posted by gsxr1100j.
* * *

※ 2009.5.7 付記

次はおまけ。
Приложение. Сошлю внизу видео, где поет «Бокэн дэсё дэсё?» Ая Хирано, сэйю. Она в японской оригинальной версии представляет Харухи Судзумию.


Posted by diksun1.

先日,天皇陛下ご成婚 50 周年のテレビを観ていて,感銘を受けた。そこで,日本の戦後ということについて少し読んでみようと思った。講談社現代新書から出たばかりの本,東郷和彦『歴史と外交』(講談社, 2008)。著者は長年にわたりロシア外交に己を捧げたエリート外交官である。本書を読んで知ったのだが,その祖父は,太平洋戦争開戦・終戦当時の外務大臣,東京裁判でA級戦犯とされた東郷茂徳である。

靖國問題,慰安婦問題,東京裁判,日韓歴史問題,等々について述べられている。ここが大事な点であるが,著者の個人的人生経験と良心,学識から来る率直な思いを述べるとともに,現代日本は,慎重で良心的な思考・判断に基づいて日本全体のコンセンサスを作らなければならないとしている。右と左に分かれてそれぞれ非難し合う場合ではない。そもそも日本全体のコンセンサスなんて不可能だと私は思うけれど,一方で東郷の真摯な主張は尊いと思わずにはおれない。

靖國問題,竹島・尖閣諸島領有問題,歴史観を巡る中国・韓国による反日的行動,とくに北朝鮮による拉致問題,核開発・ミサイル問題への反発から,世の中が目に見えて右傾化している。テレビ番組においても,露骨な反中・反韓論を展開する識者も珍しくないし,中国・韓国・北朝鮮を武力で大人しくさせるための環境作り(要するに憲法 9 条改正,スパイ防止法制定,排外主義的入出国管理法改正,軍拡)をすべきだとか,核武装論までが出る始末である。それを支持するひとたちは,村山談話に代表される軍国主義的侵略への反省・歴史観に対して,自虐だとか平和ボケだとか「日本の常識,世界の非常識」だとか批判している。それとともに醜い排外主義もまかり通りはじめている(いまや「カルデロン親子は日本から出て行け!」などと呼ばわる排外主義デモが起こる時代なのだ。いくら不法滞在していたにせよ,この苛め根性丸出しには身の毛がよだつ)。まあ,中国も,韓国も,北朝鮮も政府の反日プロパガンダに煽られて,ことあるごとにガサツな反日ショービニズムを発揮してくれる訳だから,日本も少しくらい悪ノリしたって罰はあたらないと思う。

けれども,国際平和主義・憲法精神に反対するこの方向に世の中全体が本気で傾くとしたら,どうだろう。やっぱり日本は再び不幸な結末を迎える道を歩むことになるのではなかろうか。それは,憲法が則る国際平和主義はサンフランシスコ平和条約で行った,日本の世界に対する「約束」であり,それを国際世論の大勢の同意なくして破ることは,自分の首を絞めることに繋がるからである。資源を他国に依存する貿易立国日本は国際社会の信用を失うと生きてゆけないのだ。よって,敗戦からの再出発で立てた原理原則は --- 米国の強制によるものかどうかは別にして ---,天皇陛下のお姿の通り,崩してはならないのではないか(その意味で,小泉さんも安倍さんも麻生さんも村山談話を政府として踏襲すると発言したのは「保守」として当然のことである)。

東郷は日本はまだ自分自身で第二次大戦の責任追及を十分にしていないと書いている。それが靖國問題を外交問題に発展させ,中国・韓国との真の和解が果たせない結果になっているとしている。改憲にせよ,歴史問題にせよ,日本人がその偉大な過去の経験と良心に基づいて導いた思想を,国際社会にきちんと主張し,合意を得た上でやるべきだという思いを強くした。

* * *

最近,YouTube をよく観ている。サッカーの珍プレー映像で大笑いする。加藤周一立花隆が東大で行った講演なんかも視聴でき,啓蒙されることもある。昔の懐かしい映像がアップされていて感激する。

今日何気なしにブラウズしていたら,『ウルトラセブン』のクリップを見つけた。貧相なアパート --- 今になって,この昭和臭ぷんぷんのアパートの所在はどうも木場界隈らしいのに気づいたのだが --- で諸星ダンとメトロン星人とが,ちゃぶ台越しに対峙して議論する,あの有名な場面である。私は幼稚園のころ白黒テレビで『ウルトラセブン』を熱心に観ていたのだ。親に買ってもらったウルトラセブンのフィギュアが,その顔に往時の稚拙な歪みがあったからか,動き出すのではないかと夜中には怖くて仕方なかった。その一方で,「アンヌ隊員,べっぴんでおっぱいでかいなー」なんて馬鹿なことを,近所の友達と言い合ったものである。五歳の子供でも,そんなもんです。

メトロン星人,愉悦に溢れるフルート協奏曲を BGM に,曰く「我々は人類が互いにルールを守り信頼し合っていることに目を着けたのだ。地球を壊滅させるのに暴力を振るう必要はない。人間同士の信頼感を無くすればよい。人間たちは互いに敵視し傷つけ合い,やがて自滅して行く」。中国人も韓国人も日本人もメトロン星人の「赤い結晶体」に冒されているようだ,とはたと気づく。深いですね。「なかにはダンがいるんだな」とわざわざ確認しておきながら,宇宙船を躊躇いなく撃墜してしまうウルトラ警備隊。正義はコワイですね。中国の温家宝首相は孫がウルトラマンにばかり夢中になっているとこぼしているそうである。妙な感動を覚えます。

今日,4 月 10 日は天皇陛下のご結婚から 50 年の日。ご会見の様子をニュースで見た。

皇室の区切りとなる儀礼,催しの話題が出ると,必ずかつての国事行為のトピックが回想される。今日のテレビ番組でも,昭和 34 年の馬車行によるご成婚パレードの映像が流れていた。その他,平和への祈りを中心に据えたご公務の記録映像を見ていると,心底私は感銘を受ける。1975 年皇太子時代の沖縄訪問での火炎瓶事件のエピソードなどに伺われる,戦争の負の遺産を引き受けるあの腰の据わり方。平和憲法の精神に対するブレのなさ。つまり,時代が目に見えて右傾化し改憲論が喧しい昨今,戦後の一貫した皇室のお姿には,立ち戻るべきなにかを考えさせられるのだ。それは,ひとたび天皇陛下自身が国民と世界に向けて発した以上,微動だにせず依拠しようとする憲法という原理原則である。その精神は,即位の礼での宣明においても,明らかだった。

1975 年を最後に,以来天皇陛下は靖國神社御親拝をしていない。それは,1978 年の A 級戦犯合祀に対する,昭和天皇の不快感と関係があるとの説がある(「富田メモ」をシンプルに解釈すれば明らかな,この戦犯合祀不快感説は,戦勝国による苛めともいえる東京裁判において「A 級戦犯」とされた軍人・文民そのひとたちに対して,陛下が愛情と信頼を寄せていた,ということと必ずしも矛盾しない)。1979 年のソ連によるアフガニスタン侵攻などの,冷戦時代の新しい局面を受けて,時代が大きく右傾化し,中曽根首相の靖國公式参拝などで戦後レジームから日本国自身が脱却を図りはじめたころである。このころから中国・韓国との間でも「歴史認識」が大きな火種になりはじめたと思う。このような時代背景のなかで御親拝がなされなくなったということからして,思うに,皇室は一種独特の国際感覚をもっているだけでなく,今となって見れば,戦後スキーム(新憲法,サンフランシスコ平和条約等々に基づく戦後日本の出発点)の原理原則に対し,実にブレなく,忠実に行動しようとする一貫性が伺われる。戦後スキームからの逸脱と,米国,中国,韓国,フィリピンその他の国々へのその影響を,世界のなかでの日本の立脚点の動揺を,昭和天皇が敏感に察知なされたのではなかったか,と思われるのだ。

靖國問題を日本人自身の総意で整理し,中国・韓国と和解できたとき,再び御親拝がなされるような気がしてならない。天皇陛下のために亡くなった英霊を天皇陛下がお参りできないこのねじれ現象。保守政治家は,己の政治的主張で左派を非難し靖國神社参拝を政治利用するのではなく,天皇陛下に御親拝いただく環境作りをすることこそがその務めではないだろうか。

こんなことを書いていると右翼だとか,左翼だとか,根も葉もないことを言われそうなので,皇室雑感はこのへんで。とにかく,陛下ご結婚 50 周年,おめでたいことに違いない。

* * *

幼い頃,母が「皇太子と美智子さんのパレード,見とうて,見とうて,ほんま堪らんかったんやけど,仕事で見られへんかったんやー」と言っていたのを思い出す。父母も来年,結婚 50 年である。今年は妻の両親が金婚式を迎えるとあって,お祝いをどうするか思案中である。

* * *

※ 4.25 付記

これにからんで,1999 年 11 月 12 日に行われた天皇陛下御即位 10 年記念祝典の映像を YouTube で見つけた。X Japan の YOSHIKI さんのピアノ演奏の様子である。楽曲は『奉祝曲 Anniversary』。厳かな弦によるテーマの導入にはじまり, 時代の紆余曲折を象徴する調性の変転を経たのち,輝かしい未来を言祝ぐフィナーレで終わる。祝祭に相応しい名演である。功も名もある現代音楽作曲家(第一芸術の担い手)ではなく,日本のロックを代表する音楽家にこれを書かせ,演奏させたプロデューサの才覚にも拍手を送りたい。この曲は CD: YOSHIKI "Eternal Melody II" に収録されている。

Eternal MelodyII
YOSHIKI
コロムビアミュージックエンタテインメント (2005-03-23)

この YOSHIKI さんの参加について,東京大学のとある先生グループが「国家総動員」の危険性を嗅ぎ付け,質問状を YOSHIKI さんに送って警鐘を鳴らしたそうである。祝祭に我を忘れるひとがいる一方で,冷や水を浴びせるひともいる。健全な社会である証拠だと思う。

このころ私は,西暦 2000 年問題対応の最終行程にあり,仕事でキリキリ舞いしていて,世の中の姿がまったく見えていなかった。YouTube 映像のなかで,皇居の向こう側,官庁街にオフィースの煌煌とした灯りを認めて,「ああ,みんな Y2K 残業してやがる」と思うのは私だけか。それから十年を経たいま,こうした記録によってしみじみと当時を振り返るばかりである。


Posted by joui2669.

川崎チネチッタで娘と『鑑識・米沢守の事件簿』を観た。面白かった。でも,『相棒』シリーズはもうちょっと毒があってもよいのにと思う。

録画してあったテレビドラマを夜中に妻と観た。ジョージ秋山原作の『銭ゲバ』(テレビ朝日)。ジョージ秋山は感傷がまるでないところが日本のマンガ家としては珍しいと思う。この作品のように絶対悪の登場するドラマなんて日本では珍しい。そう,絶対悪を描いてほしい(最後がどうなるのかわかりませんが)。絶対的貧困者が大量に出るいまのこの暗い時代,こういう醜いことこの上ない作品が必要なのである。主演の松山ケンイチがなかなかよい。『デスノート』の食の細い,顔色の悪い天才青年役もよかったが,こちらのほうが芸歴としては断然優っていると思う。

「二つの夢。えびチャンとデート。世界制服」ってあったのよ,と妻。「なにそれ」。---「テレビ番組のなかで出てた絵馬に書いてあったの。『征服』じゃないよ」。

即興美人,貴様と俺とは同期のラクサ,今夜は心配ゴム無用よ --- 全然関係ないけどメモっておく。子供たちからも下品だと言われる始末である。

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ISAO。システムエンジニア。昭和 30 年代を懐かしむオヤジ。ロシアに興味があります。
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