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D. Smirnov "Space Odyssey" 初演

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D. Smirnov から写真がメールで送られて来た。1 月 26 日,リッカルド・ムーティ指揮/シカゴ交響楽団の演奏会で,彼が作曲した "Space Odyssey" が初演された。写真はそのときのものである。かねてメールで演奏会の案内をもらっていたのだけれど,シカゴに行くのは無理である。

リッカルド・ムーティと並んだスミルノフの笑顔は,演奏会が成功だった証のようである。インターネットで調べたら,私がもらった写真と同じものが flickr.com にも掲載されていた:http://www.flickr.com/photos/chicagosymphony/6770768611/

"Space Odyssey" がどんな曲か聴いてみたい。そのうち Facebook にビデオがアップされることを期待するばかりである。

Brahms Klavierkonzert I Op. 15

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今日のお休み,久しぶりにブラームスを聴いた。ブラームスはドイツ人の真面目でウブな感情の塊のようなイメージがある。事実,ドイツ人は本当にブラームスの音楽が好きである。冗談が通じないあの重厚さは,ときに聴いていて煙たくなるときがある。それでも私はブラームスが好き。弦楽四重奏曲,交響曲,ヴァイオリンとピアノのための協奏曲,ピアノ曲,ヴァイオリン・ソナタなどなど,どれも不用意に聴くとホロリとさせられる絶品ばかりである。

ピアノ協奏曲第一番ニ短調作品 15 がいちばんのお気に入り。これ,しかしながら,彼の若書きで,その管弦楽法にケチを付ける人が結構いる。最初はピアノ・ソナタとして書きはじめられたのに,どうも構想がでかくなり交響曲に改変されたと思いきや,ベートーヴェンの亡霊に脅かされたのか(?),完全主義者だったからか,途中でピアノ協奏曲に変更された。どうも威勢はいいが優柔不断な経緯を感じさせる。第一楽章のマエストーソは厳粛で,ヒロイックで,大上段に振りかぶった気合いがあまりに大げさなので,後年の円熟したブラームスを好きな人にはちょっと引いてしまうかも知れない。でも,やっぱりロマンチックでよいんである。

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交響曲に相応しい歌い出しだからかピアノがなかなか入って来られない。オーケストラの厳粛な力強い演奏が 90 小節も続き,やっと一段落したところで,独り言のようにさりげなくピアノ独奏がはじまる。「え? いまごろかよ? 孤独な悩めるヒーローの登場か!」みたいな進行が面白い。

緩やかな第二楽章は打って変わって,天上的な優しく清らかなテーマと,思い出したような突発的激情とが,ホント,堪らなく美しい。亡くなったシューマンへの哀悼か,残されたクララ・シューマンへの恋慕か,そのどちらもひしひしと感じられるいい楽章である。涙がチョチョギレます。

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第三楽章はそれまでの厳粛,清らかな情愛と比べると,逃げて行くような軽やかさがあり,「ちょっとバランス悪くね?」という感じが否めない。

私がこれまで聴いたピアノ協奏曲第一番の演奏でもっとも感動的なのは,ダニエル・バレンボイムのピアノ独奏,ズビン・メータの指揮,ニューヨーク・フィルハーモニックの管弦楽によるものである。アナログ・レコードの時代から聴いて来た。以下に第二番とのカップリング CD のリンクをあげておく。
 

Brahms: Piano Concertos 1 & 2
D. Barenboim (Pf)
Z. Mehta (Dir), New York Philharmonic Orchestra.
Sony (1998-05-29)

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NHK 大河ドラマ『平清盛』

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今年の NHK 大河ドラマ『平清盛』をちょっとだけ観た。第一話の再放送。音楽を担当しているのが吉松隆だというので,テーマ曲などを聴いたんである。曲最後の大団円はいつもながらの大河ドラマ風の大盛上がりなんだけど,そこに至るまでのピアノ,木管の扱いは吉松らしい,冷たい手の抒情とでも言うような(は?)音響になっていた。

オープニング・テーマに骰子が出て来た。何の意味があるのかよくわからなかった。「多分,白河院が『わが意のままにならぬのは双六の賽』とか言ったからじゃないの」と妻が教えてくれた。彼女は大学で『梁塵秘抄』を研究したので,平安末期の世相や今様,白拍子の世態風俗などに滅法詳しいんである。なるほど。「歴史における偶然」というのがドラマの大きなテーマになっているわけか。

今夜の『平清盛』にも白拍子・舞子が登場し(清盛は白河院と舞子との間に生まれた隠し子だった,という設定であった),あの有名な今様「遊びをせんとや生れけん,戯れせんとや生れけん」を彼女が口ずさむシーンが出て来た。この今様の旋律もおそらく吉松隆が付けたものだろうが,まさに「今様(モダン)」であんまり古典的な味わいはなかった。

岡田将生演ずる源頼朝が,平家滅亡の知らせを受けて清盛の業績に敬意を表するくだりがあった。岡田将生があまりに優男でもあり,「なんか頼りねえ頼朝っ!」とげんなりしてしまった。それとは対照的に,男勝りの北条政子役・杏の,武士のような装い,眉を剃った怖い顔には,ゾクっと来ました。主役級が線の細い草食系(ぽい)男優ばかりで,荒くれた時代のドラマとしては,どうもなぁ。平忠度・中井貴一と舞子(清盛の秘めた母)・吹石一恵も同じような関係である。男がMで女がSばかりってどういうこと? サムライブルーとなでしこジャパンを見せつけられているようである。ま,これからどうなるかわかりませんけど。

私も,昔は『天と地と』などの NHK 大河ドラマを熱心に観たものだったけど,歳を取るにつれ興味を失ってしまった。サムライブルーとなでしこジャパンのような,女の強い光景はサッカーだけでよいのだが,どうも NHK 大河ドラマを含め世の中全体の趣味・傾向がそうなってしまったからか。『平清盛』なんて人名の題名は,歴史の大河的絵巻ではなく英雄個人に映像の関心がフォーカスされるようで,しかも草食系優男の情愛や優しさに感動の焦点があるとしたら,私にはどうもつまらない。『篤姫』,『龍馬伝』で NHK は味を占めたか。

『平清盛』は開始早々,世評がいまいち。初回の視聴率が歴代ワースト三位だったという。兵庫県知事が「画面が汚い」と貶した,などというくだらないことさえ話題になっている。私は「画面が汚い」とは思わなかった。むしろ平安末期の大乱世なんだから,『羅生門』以上に,もっと汚くても,穢らわしくてもよいくらいだ。ま,大河ドラマご当地観光による地元経済効果を高めたい兵庫県知事のハラのなかとで,どっちが「汚い」かは措くとしましょう。
 

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今年になり麻雀ゲームをはじめてやったら,四暗刻,ツモれば役満の三暗刻 12 飜三倍満をあがりました。新年そうそうツいているのか,早くも運を枯らしたのかはわかりません。家族からバカといわれております。
 

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A. Schönberg - Streichquartette

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アルノルト・シェーンベルクは十二音技法による無調性音楽を確立した現代音楽の創始者として知られている。しかし,彼の無調音楽はきわめて抒情的であり,感情,官能,頽廃に満ちていて, 20 世紀「現代音楽」というよりもむしろ 19 世紀のロマン主義のほうにより近いと思う。初期の弦楽四重奏曲第一番などは,ブラームスを思わせる熱情が聴かれる。

私は彼の室内楽が好みで,弦楽四重奏曲,木管五重奏曲,ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲,声楽曲のどれもが素晴らしい。いつもは CD で楽しむんだけれども,今日のお休みは,古いアナログレコードで彼の弦楽四重奏曲全集を聴いた。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏による,1975 年録音の CBS 盤である。CD の時代になってからは,アルディッティ四重奏団演奏 CD をもっぱら掛けているんだけれども,演奏の質,抒情的節回しにおいては,いまだに私はジュリアードの盤が最高の録音だと思っている。この盤の CD 化がなされないのが大いなる不思議なんである。

ヒロイズムすら感じさせる第一番ニ短調,シュテファン・ゲオルゲの二つの詩を第三楽章・第四楽章にフィーチャした第二番嬰ヘ短調は,ブラームス風の悲劇的旋律に無調性の新しい音響を融合させた,ロマンの香り高い作品である。第三番,第四番は十二音技法と特殊奏法の多用によるまったく新しいソノリティに根ざしているため,古典音楽に聞き馴れた耳には異様に響くかも知れないけれども,新しい時代に相応しい感情が横溢している。

私は 1927 年に作曲された第三番がいちばんの好み。ウィーンのウニフェルサール・エディツィオン社 Philharmonia Partituren スコアを片手にいつも聴くんである。第一楽章 Moderato がよい。ヴァイオリンが奏する音域の広い第二主題は,優雅で,官能的で,悠然として美しい。主題が基礎音列の逆行形,反行形という形で不断に変奏されつつ,楽曲が進行する。再現部でチェロが息の長い主題旋律を歌い上げるところが私にとっての最大の聴き所である。
 

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ジュリアードによるシェーンベルク弦楽四重奏曲全集はもう入手困難である。CBS によって CD 化されるのを期待したい。以下に,アルディッティ弦楽四重奏団による仏 Montaigne 盤のアマゾンリンクを掲げておく。
 

Schoenberg;String Quartets
Arditti String Quartet
D. Upshaw (Soprano)
Disques Montaigne (2000-11-14)

再生装置の組替

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リビングに設置した再生装置のうちプリアンプが壊れた。アナログプレーヤ用のフォノアンプの右の音が出なくなってしまった。年末に大掃除をしなかったツケか。Technics 製 70A というプリアンプで,1970 年代に製造されたオンボロ。娘の部屋に設置した ONKYO Integra A-2001 という,これも 1980 年代後半の年代物のデジタル・プリメインアンプを代替機とすることにした。これは優れた MC フォノアンプも搭載している ONKYO のかつての高級機で,会社に入ったころに秋葉原の中古ショップで見つけて購入したんである。娘の言うには,iPod があれば,こんなシロモノは邪魔になるだけだからどこかにもって行って。これを機に掃除がてら再生装置の組替をした。

プリメインをリビングに移設するとパワーアンプ YAMAHA 製 B-2x が余る。娘の部屋のアナログプレーヤ TRIO(現 JVCケンウッド)製 KP-F605 Mk-II,スピーカ YAMAHA 製 NS-10M も無意味になる。仕方なく,パワーアンプとスピーカは,書斎にもって行くことにした。アナログプレーヤは,壊れた 70A プリアンプともども,処分するしかなさそうである。

昔のオーディオ・アンプはとにかく重い。B-2x も Integra A-2001 も 30kg くらいの重量がある。いまの私には,これを 1F リビングと 3F ロフト書斎との間で持ち運びするなんてとてもできない。ちょうど大学の冬休みで家にいた息子に,運搬をすべてやらせた。面倒極まりない接続作業だけは自分でやるしかなかった。

アンプを ONKYO Integra A-2001 に替えて,リビングでアナログレコードも掛けられるようになった。YAMAHA NS-1200 という木目調の美しいスピーカとの組合せ。オーケストラがよく鳴ってくれるんである。屋根裏の書斎では,YAMAHA C-2x プリアンプ,同 B-6 パワーアンプ,同 NS-1 Classic スピーカ,Technics 製 SL-01 アナログプレーヤ,DENON 製 DCD-1650AR CD プレーヤというコンポーネントを使っている。これに B-2x パワーアンプと NS-10M スピーカを追加して,気分でパワーアンプとスピーカを切替えて音楽を楽しめるようになった。

私は高校のころから懐の許す限りこだわりをもって再生装置を選んで来た。決してオーディオ・マニアというわけではないが(なんとなれば,そこまで金持ちではない),YAMAHA 製が好きであった。就職して少し金銭に余裕ができて,いまの装置を揃えることができた。結婚してからはもうこだわりがなくなってしまい,いまだに古い装置でもっぱら古楽と近現代音楽,時折クラシック,ジャズ,和洋ポップスを聴いている。壊れない限り新しいものを求めることはない。

特に YAMAHA NS-10M は,私が貯めたお小遣いで高校二年のときに買った初めてのスピーカで,もう 32 年鳴らし続けていることになるけれども,ウーファにカビが張り付いたいまも,モニタスピーカらしい締まりのある音響を昔と変わりなく再生してくれる。私の私財で最も古く,大阪,札幌,蒲田,川崎と私の住まいすべてを渡り歩き,かつ現在もバリバリに鳴ってくれる。YAMAHA NS-1 Classic は艶やかで一枚上手だけれども,一方 NS-10M も C-2x,B-6 で鳴らすとパンチがあって飽きが来ない。もうここまで来ると,長年連れ添った思い入れ以外の何ものでもない。

バッハのゴールドベルク変奏曲 BWV 988 を聴いた。ただし,ドミトリ・シトコヴェツキイ編曲による弦楽三重奏版。「グレン・グールドを偲んで」とある。ドミトリ・シトコヴェツキイのヴァイオリン,ジェラール・コセのヴィオラ,ミシャ・マイスキイのチェロによる極上のアンサンブル。アリア歌い出しの艶やかさ,懐かしさは弦楽室内楽ならでは。私はこの CD をオーディオチェック用に使っている。音のチェックに向いているというより,「あ,これこれ」のわが定番的一枚であるからに過ぎない。
 

 

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ONKYO Integra A-2001 (上), Technics 70A

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カビまくりの YAMAHA NS-10M スピーカ

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YAMAHA C-2x プリアンプ (上), 同 B-2x パワーアンプ

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屋根裏部屋にパワーアンプとスピーカを増設

寝正月。この年末年始は,堕落の一言。大掃除の手伝いもせず,芭蕉の俳句と北村薫『街の灯』を少し読むばかり。さすがに愛用の Mac くらいはキレイにすることにした。買ったばかりの Mac は,まるで美人の皓歯か雪肌のような眩しい白で持主をうっとりとさせてくれるが,使い倒すとヤニで汚れた歯でニタニタされるくらい鬱陶しく変貌してしまう。

Mac US キーボードをウェットティッシュでゴシゴシ拭きながら CD を聴いた。門光子の演奏による現代日本のピアノ曲集『風の記憶』。M·A Recordings レーベルから 2002 年に出たレコード。吉松隆,三木稔,武満徹,西村朗,藤森守,柴山拓郎のピアノ小品が納められている。門光子はここで,知る人ぞ知るイタリア製ピアノの名器 Fazioli F278 (猫も杓子もコンサートグランドピアノは Steinway & Sons,じゃ困ります)を弾いている。

『風の記憶』という題名に相応しく,夢の中で海浜に坐ってただひたすら風に吹かれて遠い彼方を見つめている,そんな,まるで映画のインプレッシブなシーンにいる感覚にさせてくれる。何と言っても,吉松隆『プレイアデス舞曲集』からの 5 曲がめっぽう愛らしい。Fazioli ピアノの特長なのか,門光子のタッチの気品なのか,柔らかく優しく朧な音像が絶品である。門光子演奏のピアノ曲集は,私にとって最高の現代の音の風景である。夢見るような気分にさせてくれるんである。

この CD は残念ながら品切れもしくは廃盤になってしまっており,アマゾンマーケットプレイスでも出品がない。オークションサイトや中古レコード店で探し出して,ぜひ聴いていただきたい。
 

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Mac のキーボードもキレイになりました。
 

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2012 元旦

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おめでとうございます。また新しい年が来ました。新春を迎えると,ここ数年ロクな年がないと思いつつも,なんかリセットできる気持ちになるのが不思議である。

大晦日はいつも紅白歌合戦,ゆく年くる年を観て,蕎麦を食うんだけど,今年は紅白を少し覗いたら,いきなり五木ひろし,伍代夏子の時間にブチ当り,なんかイヤ気がさしてヤメ。それからは芭蕉研究で夜更かし。除夜の鐘もクソもない年越しであった。ショスタコーヴィチの交響曲第5番とピアノ五重奏曲とを夜中であるにもかかわらず大きな音で鳴らして,ホンモノのインテリゲンチャに思いを馳せてから,「よし今年こそ」(何ぢゃ?)と意を決して床についた。

今日,元旦の日,雑煮を食いながら天皇杯決勝戦をテレビ観戦していたら,14 時半頃地震が来て結構大きく揺れた。新年早々これかよー,しかも 3.11 と同じくらいの時刻じゃねーか,おー,サッカーの中継カメラも揺れてるよー。ま,津波の心配はありませんとの情報がその後流れてひと安心。天皇杯は FC 東京の一方的な試合になり,つまらなかった。「前座」で INAC 神戸が選手権を制覇した。無敗の2冠。さすがである。

そのあと,夫婦で JR 川崎駅周辺まで散歩。元旦の町中はのどかでよい。ところが川崎駅周辺のショッピングモールは人で溢れていた。丸善で江戸風俗関係の本(フーゾク本ぢゃないよ,衣裳やら髪型やら調度やらの解説本のこと)を眺め歩いた。結局1冊も買わず何点か購入候補をチェックしただけだった。人酔いで大いに疲れ切って帰宅した。上弦の月が雲隠れに朧に見えた。
 

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番/第9番
B. ハイティンク (Dir)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ユニバーサル・ミュージック (2001-04-25)
Shostakovich: Piano Music - Chamber Works
V. Ashkenazy (Pf),
Fitzwilliam Quartet,
Beaux Arts Trio, et ali.
Decca (2006-06-13)

聖夜・ロシア料理

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昨日は天皇誕生日にして,うちの息子の満二十歳の誕生日。可哀想に,いつもクリスマス・パーティと一緒のお祝いである。息子はバイトとクラブで忙しく,めずらしく家族でご馳走を食べ,プレゼント交換をした。いつもの通り,私は本と音楽ソフトをプレゼント。今年は息子にはいきものがかり PV コレクション DVD と,又吉直樹著『第2図書係補佐』,娘には Acid Black Cherry(ビジュアル系ロックバンド)の CD『Q.E.D』と三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』を買ってやった。 妻には中西進著『美しい日本語の風景』とコーヒーカップセット。月末の厳しいこの時期お小遣いが破綻寸前である。私も低反発ピロー,VANS ブーツスニーカー,北村薫著ベッキーさん三部作の本などなどを貰いました。

そして聖夜の今宵は,神保町の富士見坂にあるロシア料理店「サラファン」。年に一度の贅沢である。ロシア料理店というのは何故どこもかしこも狭苦しいのか。熊のようにデカいロシア人の図体になった感覚もお楽しみください,ってか。暗い店内でクリスマス特製コースを食った。メニューは,鮭とサワークリームのブリヌイ他シェフお任せザクースカ,ピロシキ,ボルシチ,ビーフストロガノフ,デザート,ロシア紅茶。やっぱりボルシチがいちばん旨かった。ロシア・ビール BALTIKA 3 番も — いまいちとは承知しつつ — ついでながら注文。デザートを食い終わると腹一杯になりました。

神保町は何ヶ月ぶりか(妻は神保町勤めなので,なんの感慨もなかろうけど)。陽が落ちてからやって来たので,古書店はみなシャッターを降ろしたあとだった。靖国通りの南側(西日の当たらない,北向きの,本に優しい側)には書店がずらりと並んでいるわけだが,ラーメン屋やコンビニに変わってしまった一画もあり,DVD・ネットカフェなんかのイルミネーションも目立つようになった。こうして一大古書店街も様変わりして行く。残念至極也。
 

Q.E.D.【DVD[LIVE映像]】(ジャケットB)
Acid Black Cherry
カッティング・エッジ (2009-08-26)
 

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Shankar - Vision

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今日は時雨も冷たい寒い一日だった。世にふるもさらにしぐれのやどりかな(宗祇)。

会社から帰宅して,ちょっと景気付けにインドのシャンカル Shankar のクロスオーバーを聴く。Shankar の 10 弦のステレオフォニックのエレキ・ヴァイオリン,ジャン・ガルバレク Jan Garbarek のサクソフォーン,ペール・ミッケルボルク Palle Mikkelborg のトランペットによる Vision。1984 年に ECM レーベル(ドイツの個性的なレーベルである)から出たアルバムである。

東洋風奏法によるヴァイオリンの伸びやかな,遠い彼方から伝わって来るような響きと,サックス,トランペット,フリューゲルホルン,パーカッションの現代的なリズム・旋律との組合せは,夢幻的軽やかさで一種独特の魅力がある。異国情緒のこれ見よがしのへんな色気のないところがよい。シャンカルのアルバムは,夏の晴れた浜辺でペリエでも飲みながら楽しむのが合っているようにも思われ,この季節にあんまりそぐわないのですけど。
 

Vision
Lakshminarayana Shankar (Vln),
Jan Garbarek (Sax),
Palle Mikkelborg (Tr).
ECM Import (2000-08-01)
 
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昨日,真珠湾攻撃について書いていたら,今日「真珠湾攻撃70年 『ルーズベルトは狂気の男』フーバー元大統領が批判」(産經新聞配信記事)をみた。真珠湾奇襲を予め察知しておきながら(ことほど左様に,当時の帝国陸海軍の暗号技術はヘボで,米国には作戦が筒抜けだったようである),日本に国際法違反の先制攻撃をさせ明らかに国力の低い国を叩く口実にした,という陰謀論はこれまでいろんな評論家が言って来たことである。この記事は元大統領の証言という形でこれを根拠づけるものだといえる。でも,当時の世界情勢からすれば,日米開戦は時間の問題だったし,奇襲攻撃を敢行したことで日本が世界史に汚点を残し,奈落に落ちて行った事実はどうしようもない。

ところでこの記事をみていると,「在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁」といい,「米国から日本への食糧供給」の必要性といい,当時の米国の見方・動き方は,現在の北朝鮮に対するそれそのものである。北朝鮮もそのうち火を噴くってことか? 最近,北朝鮮が米国を射程内に納める ICBM を開発しているというニュースも見た。いよいよ危ないのではないか?

深夜食堂

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TBS 火曜日の深夜 0 時半過ぎから放送される『深夜食堂』は,数少ない愛着のあるテレビ・ドラマのひとつである。映像が通常のテレビ・ドラマのビデオ画質ではなく,映画のようなフィルム画質である。そこが懐かしいのである。毎回,世の中に疲れた人物が主人公になり,小林薫扮する「めしや」のマスターの作る深夜の料理で癒される。ドラマ最後で,配役が料理の簡単なレシピまで説明する。この深夜番組を観ると,出て来た料理が無性に喰いたくなる。この前観た回ではクリームシチューだった。寒い深夜のクリームシチュー。食べたい食べたい。

家に帰らぬ小説家・鈴木(吹越満)とその娘・花(朝倉あき)の物語は身につまされた。花はこの就職難のなかキャバクラでバイトをしながら就職活動をしている。せっかく決った企業にキャバクラ稼業がバレて内定は取り消し(でも,そんなことで内定取消されるかなー?)。デリヘル嬢などの仕事をするしか手がない。家族を棄てたような執筆生活の気晴らしに,鈴木はあるときデリヘルを依頼する。ところがやって来たデリヘル嬢はなんと娘の花だった。こんな残酷な話があるか? そのときの鈴木の歪んだ顔に,胸をえぐられるくらい哀しくなってしまった。生活のためにこういう仕事を女性がしなければならないことがある。そしてそれが自分の家族だったらどうか。桃色遊びをする世の男性は,自分の娘,妻と対峙する覚悟を持つべし。最後は鈴木親子 3 人,深夜食堂でクリームシチューを食べるシーン。これが救いである。

それにしても,小説家役の吹越満がいい味を出していた。この人,性格俳優として定評がありいまでは人気俳優になっているけれども,20 年近く昔,喜劇的少女戦隊もの『有言実行三姉妹シュシュトリアン』で,フライドチキン男なる脇役を演じていた。おそらく東映の大部屋俳優だったのだろう。それで私の記憶に残った。こんなことを知っているのは,当時幼い子供のいた私のようなオヤジだけだろう。『有言実行三姉妹シュシュトリアン』は,思うに,単なるヒーローものではなく,世相を見事に反映・風刺した名作である。矢野顕子の『あなたには言えない』がエンディング・テーマに使われているのもよかった。DVD でも観られるようなのでぜひ御覧あれ。
 

付記

『あなたには言えない』を収録した矢野顕子のアルバムをリンクしておきます。私のお気に入りの一枚。
 

LOVE IS HERE
矢野顕子
エピックレコードジャパン (1993-06-02)

十一月の霧と菊の彼方から

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十一月ももうおしまい。今年もあと少しとなった。今年を象徴する漢字は何になるのか,興味深いところである。今年はとくにいろいろありました。武満徹の『十一月の霧と菊の彼方から』を聴きながらそれらのことどもをつらつら思い返してみると — この曲自体は,身の引き締まる冷たい抒情で神韻とした気分にしてくれるんだけど —,その彼方から何とも嫌なことばかりが押し寄せて来そうな気分になってしまった。

東日本大震災と福島第一原発事故は,向こう何年・何十年も日本人の心と現実に鬱陶しい影を落とし続けるはずである。世界に目を向けると,チュニジアのジャスミン革命にはじまって民主化デモがネットを通じて中東を席巻し,リビア・カダフィー政権転覆にまで至った。ウサマ・ビン・ラーディンもとうとう暗殺されてしまった。最近では,ギリシアの財政破綻に伴って,もしかするとリーマン・ショックの再来になるかといわれるくらい,ヨーロッパ EU が経済的危機に瀕している。米国も今年限りでイラクから完全撤退する。中東で米国のプレゼンスが失われる前にイスラエルがイランを空爆するのではないかとのキナ臭いウワサもある(Facebook のベラルーシ人による書込みで見たんである)。一方で米国では若者による反格差デモが頻発。日本も明日は我が身という感じである。

不穏なこうした時流にあって,いま何より私が怖いのはベトナム—中国関係である。今年,中国が出来損ないの空母を進水させ,南シナ海,東シナ海でヤクザのような振る舞いをあからさまにするにつけ,中国はわが日本のみならずフィリピンやベトナムとも緊張を高めている。6 月にベトナム海軍が実弾演習をやり,中国が(事実上?)ベトナム沖の海底通信ケーブルを切断し,中越関係がホント危ない。ベトナムは中国との戦争準備のために徴兵制を復活したそうである。米軍も沖縄の戦力をグアムに集めて明らかに中国を苛立たせようとしている(皮肉なことに,これで普天間問題が解決しそうである?)。昨年の尖閣諸島問題の大騒ぎ,今年の南シナ海・東シナ海領海侵犯問題と来て,中国は日本にとって,北朝鮮と同様,いまやはっきりとした仮想敵国である。今般の相次ぐサイバー攻撃。経済的友好関係はもうちょっとしたことで吹き飛んでしまいかねない。

ベトナムは伝統的に中国を憎悪している。日本の若者も嫌中派が多いがそれはだいたいにおいて自己満足的潔癖性から来ている(要するに,自称「先進国」に住む仕事のないナイーブなヒマ人だから)に過ぎないのに対し,ベトナム人の中国人憎悪は歴史的に染み付いた皮膚感覚であって,その凄まじさは日本人の想像を遥かに超えている。歴史的にこの北方の大国から常に痛い目に遇わされて来たからである。一方で,ベトナムは,小国であるにもかかわらず,第二次大戦後,フランス,アメリカを敵に回してもへこたれなかった偉大な国である。中国とも中越戦争で戦って負けなかった。国民の 70% が 30 歳以下という,羨ましいくらいに若いこの国は,経済力を蓄え,米国,日本と協調関係を深めたいま,いちばん中国と火花を散らしそうな気配がある。そこへもって,TPP。日本が参加を表明した TPP は中国包囲網・ブロック経済圏と言われている。ベトナムも国内の激しい賛否を経たあとで昨年 TPP に参加を表明し,共産国なのに,中国よりも米国を経済的パートナーとして選択したわけである。最近の報道によれば,来年ロシアと二国間 FTA を結んでロシアとも仲良くやろうとしている。こうした状況(何も決められない日本とは違い,何とも羨ましくなるくらい動きの素早い政府である)は,ベトナムが米国,ロシア,日本という後ろ盾をもって中国と対峙しようとしていることを明らかに示している。ベトナムと中国が軍事衝突したら — 海洋覇権が係っている以上,日米は黙ってはおれないはずである。恐ろしいことが間違いなく起こる。来年,米国,ロシア,韓国で大統領選挙があり,中国では国家主席が交代し,北朝鮮は金日成生誕百周年を迎える。2012 はそうしたイベント年でもあり,悪い花火も打ち上がりそうである。私はいま怖くてしかたがない。

でも,こういう最悪のことがらだけでなく,国内外の暗い情勢のなかでも痺れるくらい嬉しいこともありました。サッカー女子日本代表なでしこジャパンの W 杯優勝ですよ。サッカーというワールドクラスのスポーツにおいて日本のナショナルチームが世界を制覇するなんて,幼い頃,1970 年代からサッカーを見て来た私のような日本人は,おそらく自分が生きているうちに見ることは適わないだろうと思っていたはずである。この快挙は,被災地のみならず日本全国に,諦めないという心意気の大切さを痛感させてくれたのではないだろうか。

で,今年を象徴する漢字は? 難しい。もう少し考えよう。
 

武満徹 室内楽作品集成1
清水高師 (Vln), 小賀野久美 (Pf),
上村昇 (Vlc), 藤井一興 (Pf),
アルディッティ弦楽四重奏団
フォンテック (2005-04-21)
 

11.29 付記

大震災やら心を揺るがす事件やらで,今年は「震」かとも思ったのだけれども,これは神戸の震災があった 1995 年の「今年の漢字」になっている。繰返しは何とも東北大震災のインパクトを弱めてしまうように思われる。うーむ。「激」かな。今年ほど日本人としてのプライドを感じた年も少ないので,「絆」というのもありかな。

いずれにせよ,「今年の漢字」は 12 月 12 日に清水寺で発表される。

今日のお休み,雨に塗り込められた午后,CD 2 枚を聴く。

A. Schönberg - Weihnachtsmusic & Transcriptions。フランスのレーベル・Naïve から出た Arditti String Quartet その他の演奏による盤である。シェーンベルクは,作曲法の研究のためか,楽しみのためか,マーラーやヨハン・シュトラウスを何曲も室内楽向けにアレンジしている。そのなかでも,F. ブゾーニの «Berceuse élégique» op. 42(『エレジー風の子守歌』)の編曲は,ハーモニウムの音色の心に沁みる,夢見るような名曲である。この盤は,その他,シェーンベルク自身の Weihnachtmusik,マーラーの Lieder eines fahrenden Gesellen(『さすらう若人の歌』),ヨハン・シュトラウスの Kaiserwalzer と Rosen aus dem Süden を収録している。
 

Arnold Schoenberg: Weihnachtsmusic & Transcriptions
Arditti String Quartet,
J. Chaignaud (Vo), M. Moraguès (Fl), P. Meyer (Cl), et ali.
Naïve (2002-07-09)
 

二枚目は W. A. Mozart - Serenade B-dur «Gran Partita» K. 361。ブリュッヘンの指揮,十八世紀オーケストラの演奏による Philips 盤。モーツァルトのグラン・パルティータは,思うに,明るい音色と優雅な旋律で,木管アンサンブルの楽曲のなかでもピカイチである。今日のような雨の日にはあんまり相応しくないんだけれど。
 

Mozart: Serenade K361 Gran Par
F. Brüggen (Dir)
18th Century Orchestra.
Polygram Records (1990-10-25)

D. Smirnov - Kubla Khan

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D. Smirnov から,"Kubla Khan, or A Vision in a Dream" を YouTube に公開したとのメールをもらった。『クーブラ・ハーン,あるいは夢の幻影』は S. T. コールリッジの詩。コールリッジは夢で幻影とともに詩が湧き起こり,目覚めたのちにこれを書き取った。その作品がこれという。プレロマン主義時代,詩人はフィクションを生きたようである。詩人は「霊感」に突き動かされていなければならない。詩のテクストとは何の関係もない創作物語がテクストに意味を与えている。

さてビデオの音楽。作品はヴォーカル,ヴァイオリン,チェロとバヤン(ロシア式アコーディオン)のための室内歌曲である。ドミトリー・スミルノフ,エレーナ・フィルソヴァ,アリッサ・フィルソヴァの三人による共作となっている。 11 月 12 日,ハノーヴァー現代音楽協会コンサートでの初演である。ソフィヤ・グバイドゥーリナに献呈されている。演奏は Simon Bode (Tenor), Elsbeth Moser (Bajan), Grzegorz Kotow (Vln), Reynard Rott (Vlc)。フィリップ・フィルソフによる東洋風絵画がフィーチャされている。

現代音楽としてはわかり易い,夢幻的な旋律・音響の作品である。アコーディオンとヴァイオリンの重奏部が東洋風の神韻とした雰囲気を醸し出していて,コールリッジの風景があたかもタタールのくびきにあるロシアに変じたような幻を感じる。

1. The Brocken Vision (D. Smirnov)
2. The Pleasure Dom (E. Firsova)

© D. Smirnov

 

3. Down the Green Hill (D. Smirnov)
4. The Shadow of the Dome of Pleasure (E. Firsova)
5. A Damsel with a Dulcimer (A. Filsova)

© D. Smirnov

D. Scarlatti - Keyboard Sonatas

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今日は会社をサボって家でぼっとしていた。大学に通う息子がフランス語の勉強をする横で,YouTube 動画を観まくり,Facebook にそれらのうちの気に入ったものをシェアしまくっていた。

夕方 5 時にもなるともう真っ暗になる寒い時候になった。こんなときはちょっと小粋なピアノ小品集で心を暖めよう。Domenico Scarlatti のソナタ集。アンドラーシュ・シフの演奏による英 Decca 盤。スカルラッティのピアノ曲はシンプルで,小粋で,チャーミングで,私の勝手な印象で言えば,寒い冬の夜の薄明るい橙色のともし火のような,ほっとする音楽なんである。
 

Scarlatti:15 Keyboard Sonatas
András Schiff (Pf).
Polygram Records (1990-10-25)

休日に映画『エゴン・シーレ』(原題: Egon Schiele - Exzeß und Bestrafung)を久々に鑑賞。私は大学時代の 1983 年に,公開されてすぐ映画館で観た。今回はツタヤの DVD で何度目かの鑑賞なんである。じつは私は VHS ビデオでこのソフトを所有しているのだが,ビデオデッキが壊れてそのまんまなのだった。主演は,マテュー・カリエール(エゴン・シーレ),ジェーン・バーキン(ヴァリ),ニーナ・ファレンシュタイン(タチアナ),クリスティーネ・カウフマン(エディット)ほか。1980 年,墺・西独・仏合作,ヘルベルト・フェーゼリー監督作品。

エゴン・シーレはいまでこそ日本でも人気のある画家になったが,1983 年当時はウィーン世紀末美術の専門家でなければ知らない存在だったのではないか。私は会社に入ってから,1989 年に渋谷のセゾン美術館で開かれた展覧会『ウィーン世紀末 クリムト,シーレとその時代』展で,シーレのタブローをはじめてみた。ごつごつしたタッチの,陰毛も汚らわしい,彼のエロティック画は,グロテスクで,不吉で,陰湿で,印象派の画なんかが好きな人は恐らく眉を顰めるような部類に入る。ギュスターヴ・モローやフランツ・フォン・シュトゥック,グスタフ・クリムト,フェルナン・クノップフなど,象徴派の描くエロティック画のもつ陶酔した耽美趣味,ロマンティシズムがまるでない。彼の画を視ていると,生きること・性そのものの暗黒を見せられているような暗い病的な気分に襲われる。「頽廃」というより「病気」である。いま「病み」という「闇」に掛けた言葉が日本の青少年のあいだで使われていて,この「病み」こそがシーレ画の印象に相応しいかも知れない。でも,これこそが二十世紀の命のあり方なんだと感じさせる不思議な吸引力がある。シーレの藝術は現代ではドイツ表現主義思潮の流れにあると評されている。

映画は,少女を誘惑しモデルにして裸体画を描いたという容疑で当局に逮捕・勾留された藝術家の,滅び行く半生を描いている。シーレはクリムトの弟子で,師匠のモデルだったヴァリと同棲していた。無罪になり釈放された後,ヴァリと別れ,エディットと出会って妻とするが,夫婦ともに若くしてスペイン風邪で亡くなる。作品は,生活力に乏しい繊細な画家が,己の藝術への社会の偏見・無理解ゆえに投獄され,己のよき理解者(ヴァリ)を捨て,自滅して行く,というシンプルな物語である。邦題は『愛欲と陶酔の日々』となっているが,原題は『行過ぎと罰』であり,そんなロマンティシズムとは無縁であって,エロティック画に対する社会的側面が強調されている。映画ポスターに Pornographie というドイツ語が印字されているポルノであり,エロティックな映像がたびたび出て来るのだけれども(私が映画館で観たときは陰毛にぼかしが入っていたが,DVD では無修正だった),俗悪な印象はない。グスタフ・クリムトの『ベートーヴェンフリーズ』の痩せぎすの裸体画とパラレルに映るジェーン・バーキンの痛々しい裸体が,病的なウィーン世紀末を感じさせてよかった。彼女はロンドン生まれなのにフランス映画でしか私は見たことがなかった。ドイツ語の役も演じるなんて,ちょっとびっくり。マルチリンガルは欧州の俳優にとっては当たり前らしい。彼女が歌手として来日し東日本大震災復興支援コンサートに出演してくれたのは記憶に新しい。
 

 

『エゴン・シーレ』を最初に観たとき,私は映像のみならず,それ以上に音楽に打ちのめされた。本作品ではシーレと同時代のウィーンの作曲家アントン・ウェーベルンの音楽が映像を支えている(その他,ブライアン・イーノ,メンデルスゾーンも使われていた)。映画では『弦楽四重奏のための五つの楽章作品 5』(Fünf Sätze für Streichquartett, Op. 5, 1909)がシーレの不安,激情,抑圧,エロティックな幻想を伴奏するに効果的に用いられていた。彼の音楽はモンドリアンの絵画にも喩えられ,高い抽象性で知られているけれども,私はこの映画でウェーベルンの音楽に触れ,いきなり過剰なエロティシズムの伴奏としてくらってしまったからか,「抽象的音楽」などという批評はまったく無意味に思われた(尊敬する詩人・鷲巣繁男は評論『エウメニデス』のなかで「抽象的殉教者ウェーベルンの詩的結晶の不幸と聖化」と書いているけれども — 『鷲巣繁男詩集』思潮社,現代詩文庫 51,1972 年,p. 146)。ウェーベルンの音楽は私にとって二十世紀精神の不安,生の血脈,病んだエロスの具体的表現になった。そしていまだに映画『エゴン・シーレ』と結びついて離れない。映画でウェーベルンの室内楽に魅せられて以降,アルバン・ベルク四重奏団やピエール・ブレーズの演奏レコードを買い込んで,オーストリアのウニフェルザール・エディツィオーンから出ていた Philharmonia スコアを眺めながら繰返し繰返し聴くようになった。この映画が日本で公開された 1983 年はウェーベルン生誕 100 年という節目でもあった。このころウェーベルンのほか,シェーンベルク,ベルクの第二次ウィーン楽派の音楽作品,シュテファン・ゲオルゲやフーゴー・フォン・ホフマンスタール,ライナー・マリア・リルケの文学作品に夢中になっていたものである。

ウェーベルンの室内楽はどれも点描的,断片的でごく短い。ひとことでいうとミクロコスモスである。すべての弦楽四重奏曲,弦楽三重奏曲が一枚の CD に収まってしまう。彼は,思うに,音楽表現において短形式とそれを支える間・無音の意義に覚醒した西欧最初の作曲家である。どこか墨絵ないし書を思わせる。もちろん日本的とはとても言えないけれども,この点に「前衛的」という表現では片付けたくない共感を覚えるのである。私はアナログ・レコード時代からジュリアード四重奏団,ラサール四重奏団,とりわけアルバン・ベルク四重奏団の演奏を聴いて来たが,CD の比較的新しい録音としては,アルディッティ四重奏団によるものがお勧めである。
 

Webern;Comp String Trios/Quart
Arditti String Quartet:
I. Arditti, D. Alberman (Vln),
L. Andrade (Vla), R. de Saram (Vlc).
Disques Montaigne (2000-11-14)
 

ヴァリオリンとチェロのための小品も堪らなくよい。アイダ・カヴァフィアンのヴァイオリン,フレッド・シェリーのチェロ,ピーター・ゼルキンのピアノによる盤が,私のいままで耳にしたもののなかで最高の名演である。
 

タッシ・プレイズ・ウェーベルン(紙ジャケット仕様)
タッシ:
P. Serkin (Pf), I. Kavafian (Vln),
F. Sherry (Vlc), R. Stoltman (Cl).
M. Krystall (T-Sax)
BMG JAPAN (2006-11-22)
 

ウェーベルンの作品全集は,ピエール・ブレーズが監修・指揮した盤が新旧二つある。1978 年 CBS 盤と,2000 年 Deutsche Grammophon 盤である。私の好みとしてはアナログ・レコードでずっと聴いて来た旧盤である。いまでは,新しいデジタル録音のグラモフォン盤のほうを推す人が多いかも知れない。
 

Complete Works, Opus 1-31
P. Boulez (Dir), I. Stern (Vln),
Julliard Quartet, London Symphony Orchestra, et ali.
Sbme Import (1991-03-26)
Complete Webern
P. Boulez (Dir), Ensemble InterContemporain,
Berliner Philharmoniker,
Emerson Quartet, G. Kremer (Vln), et ali.
Deutsche Grammophon (2000-05-09)
 

いまやウェーベルンの楽曲スコアがインターネットから PDF でダウンロードできる。IMSLP Petrucci Music Library サイトの Category:Webern, Anton から,弦楽四重奏曲も,弦楽三重奏曲も,ヴァイオリン小品集も,出版物からスキャンした総譜が得られるんである。嬉しい時代になったものである。以下は,ヴァイオリンとピアノのための四つの小品作品 7(Vier Stück für Violine und Klavier, Op. 7, 1910)から第二曲出だしの譜面である。
 

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エゴン・シーレやグスタフ・クリムトの実物のタブローをまた観たいものである。1989 年の展覧会『ウィーン世紀末 クリムト,シーレとその時代』で観た,クリムトの有名な『接吻』は,そのきらびやかな幻想的装飾で息を呑むほどに素晴らしかった。ウィーン世紀末展では,絵画のほかにウィーン世紀末の工芸品,建築模型も展示されていた。映画にも出て来た『ベートーヴェンフリーズ』(コンサートホールの壁画)の同寸コピーもあった。展覧会カタログだけがそのときの感銘のよすがとなっている。
 

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Vivaldi, Sonate e Concerti

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今日は文化の日でお休み。散歩がてら神保町のブックフェアにでも行きたいと思っていたけど,かったるくなって,家でぼっとすることにした。キャビネットを漁り,針を落とすレコードを選ぶのが楽しみの今日このごろ。本日は,ヴィヴァルディ。二つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ(いわゆるトリオ・ソナタ)作品 1 と,彼の最高傑作の一つであるヴァイオリン協奏曲集『調和の霊感』作品 3。5 枚のアナログ・レコードを一気呵成に聴いた。

トリオ・ソナタはバロック室内楽の典型的な形式で,バロック音楽の愛好家はコンチェルト・グロッソよりもこちらのほうが好みではないだろうか。作品 1 は,二つのヴァイオリンによる対位法の妙で,ヴィヴァルディの隠れた名曲だと思う。8 番のニ短調がとくによい。サルヴァトーレ・アッカルド,フランコ・グッリのヴァイオリン,ローハン・デ・サーラムのチェロ,ブルーノ・カニーノのチェンバロによる演奏。1977 年録音のフィリップス盤。このころのローハン・デ・サーラムはイタリア・バロック演奏がメインだったことを知ると,その後アルディッティ四重奏団で現代音楽のチェロ・パートをばりばり弾くようになった彼の経歴が数奇に思えてしまう。

『調和の霊感』は原題 L'estro armonico。ここで「霊感」に相当する estro というイタリア語は「カプリッチオ,奇想」に近い意味だそうである。調和のとれた奇想なんて,考えてみると,統制ある無秩序のような矛盾した語結合である。要するに,こうしたところが相容れないものに美を見出すバロック的コンチェットの現われのようである。奔放なこの協奏曲集は出た当初からたいへんな評判をとったようで,バッハもここから 6 曲をチェンバロやオルガンのために編曲しており,それもまた名曲として知られているくらいである。私も,この曲集の第 11 番ニ短調 RV565(バッハはこれをオルガン協奏曲に編曲した)をこよなく愛している。二つのヴァイオリンによる掛合い・チェロの独奏からなる序奏に引続き,壮大な対位法フーガが立ち上って来る第一楽章,シチリアーノの哀切で美しい第二楽章,終末のヴァイオリン・ソロの輝かしい第三楽章。豪華絢爛というに相応しいイタリア・バロック至高の作品だと思っている。

作品 3 の録音は数あるわけだけど,私は何と言ってもクラウディオ・シモーネの率いたイ・ソリスティ・ヴェネティによる 1970 年代中期の録音・仏エラート盤をいちばんに推す。彼らは 1987 年にデジタル録音でこの曲集を最録音しているが,旧いもののほうがアンサンブルの質が高く私の好みである。残念ながら旧録音の CD はエラートの『ヴィヴァルディ作品全集』(廃盤)に収録されるのみのようである。

バッハ,テレマンに比べりゃヴィヴァルディなんぞは深みのない見せかけ美人に過ぎない,などというバロック音楽愛好家がよくいる。勝手に言わせておけばよい。ヴィヴァルディの優美さは捨て難い。イ・ムジチの『四季』が 1970 年代の荒んだ時代の日本人の間で爆発的な人気を獲得したのは理由がある。この悩みのない優美さ,華やかさ,艶やかさは掛替えがない。
 

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作品 1 と作品 3 のいま入手できそうな CD を挙げておきます。作品 3 はイ・ソリスティ・ヴェネティの新しいほうの録音である。
 

ヴィヴァルディ:調和の霊感(全曲)
クラウディオ・シモーネ指揮
イ・ソリスティ・ヴェネティ
ワーナーミュージック・ジャパン (2011-07-20)
 

以下はクラウディオ・シモーネ,イ・ソリスティ・ヴェネティによるヴィヴァルディ器楽作品全集。作品 3 の旧録音を聴くことが出来るのはいまやこの盤のみのようである。ジャン=ピエール・ランパル演奏によるフルート・ソナタなどを含む素晴らしいセットである。ただし,「全集」というのは名ばかりで,ヴィヴァルディの声楽や室内楽などで納められていないものが結構ある。残念ながら廃盤。アマゾンで中古が入手できるようである。
 

ヴィヴァルディ:作品全集
クラウディオ・シモーネ指揮
イ・ソリスティ・ヴェネティ
ダブリューイーエー・ジャパン (1999-05-26)
 
* * *

夕方『古畑任三郎』再放送を観る。子供たちが録画してあったもの。キザな俳優の筆頭であった田村正和をコミカルな刑事役に仕立てたこのドラマを,私はその演劇調の不自然さで『相棒』よりも上に置いている。三谷幸喜のドラマはどれもユーモアがあって面白い。

この番組の途中だったか定かじゃないけど,生命保険の CM が流れた。俳優・平泉成が「おい,母さん,ニュース,ニュース,先進医療保障がついたんだって」といいながら,奥さんを家中探しまわるやつだ。本当のラストシーンのセリフはこうだ:「あー,そういえば,母さんは三年前に死んだんだった」。ウソである。でも,それくらいこの CM,どこか不吉なんである。

Kurt Weill, Arnold Schönberg - Lieder

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Dmitri Smirnov による芭蕉句ロシア語翻訳のための註解作業をしながら,クルト・ワイルとアーノルト・シェーンベルクの声楽を聴いた。フランスのシャンソンのあとは,ドイツの 20 世紀のリートが聴きたくなったのである。どちらも大学のころから聴いて来たアナログ・レコードである。

1982 年に米国ノンサッチ・レーベルから出たクルト・ワイル歌曲集 "The Unkown Kurt Weill"(『知られざるクルト・ワイル』)は 1920 – 40 年代に作曲された 14 の歌曲を収録している。ソプラノは,ベルクのオペラ『ルル』などのエキセントリックな役所で一級の演技を披露した歌手,テレサ・ストラータスである。

ワイルは,なによりベルトルト・ブレヒトと組んだ音楽劇『三文オペラ』(1928 年)で有名である。クラシック音楽の作曲家というよりも,ミュージカルや大衆的歌曲こそが本領であった。もちろんチェロ・ソナタなどの佳作も残している。1930 年代を生きた優れたユダヤ人藝術家の運命の多くの例に漏れず,彼も 1933 年パリに亡命,その後米国に渡り 1950 年ニューヨークで没した。

この歌曲集のレコードは,「クラシック音楽」のジャンル付けをされているけれども,大衆音楽というほうがよい。第一次大戦による荒廃,共産主義と民族主義との闘争,ナチスの台頭という騒擾時代の,一般大衆の手の届く音楽。思うに,20 世紀音楽の大きな特徴は,高級なクラシック音楽と大衆音楽との境界が著しく掻き乱されたところにあり,クルト・ワイルはちょうど両者を激しく往来した作曲家である。「正直に言うわ,あの夜 あたしは進んであなたに身をまかせた [...] わたしの顔を見て,ねえ見てってば!」(ワルター・メーリング詞『もうあとどれだけ?』)のような壊れた愛のラブソングあり,「俺が食卓で坐ってミートボールを食っていると 突然ノックの音がした [...] そとに立ってたのは誰だと思う? 俺だ,俺だ,この俺だったよ」(ベルリン民謡『ミートボールの歌』。言わずともわかるだろうけど,ミートボールってのはキンタマのことである)のような笑劇的怪奇民謡あり,「セーヌの川底には金が沈んでいる,[...] セーヌの川底には死が横たわっている......」(モーリス・マーグル詞『セーヌ河哀歌』)のような都市文明の慨嘆あり,大衆的趣味とともに鋭い時代批判精神も認められる。声もベルカントというよりも,絶叫まで繰り出して来て音楽劇に近い趣きがあり,新しいリートの試みともいえるんである。このどこかガサツさ漂う大衆性が私には堪らない魅力なのである。

第一曲目の『ナナの歌』はブレヒトの作詞。ワイルはこの曲を妻・レーニャへのクリスマス・プレゼントとして書いたそうである。

紳士の皆さん,私は十七の時
愛を売る市場に出るようになり
そこからいろんな経験を積みました
悪いことも沢山知ったけど
それはみんなゲームだったわ


それにしても,妻への捧げものが娼婦の歌だなんて,ワイルは相当にこだわりのない人だったようである。
 

Unknown Songs
T. Stratas (Soprano)
R. Woitach (Pf)
Nonesuch (1995-11-10)
 

シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』は,20 世紀音楽の傑作のひとつに数えられている。声楽パートは「シュプレッヒシュティンメ」というしゃべるような歌唱によって歌われる。アルベール・ジローによる夜の狂気と死臭に満ちた歌詞と相俟って,第一次世界大戦前後の頽廃的時代の最高の音楽的表現になっている。このドイツ表現主義と言われる藝術思潮は,思うに,世紀末の耽美的ロマン趣味が戦争の銃弾に打ち抜かれ火傷を負い,その傷が腐敗したような病んだ姿をした,そんな頽廃である。これこそが現代人に相応しい頽廃である。

今日はイヴォンヌ・ミントンのシュプレッヒシュティンメ,ピエール・ブレーズの指揮,ピンカス・ズーカーマン,ダニエル・バレンボイムほかの名手たちによる盤を聴いた。これは,流れるように麗しく,端正な造形で,この曲の名盤のひとつになっていると思う。一方でドイツ表現主義の腐ったような頽廃の味は少し殺がれている。こちらの味を求めたい方には,ヘルガ・ピラルツィクの朗唱とドメーヌ・ミュジカル・アンサンブルの演奏による盤を強くお勧めする。ベルリンの場末のキャバレーで娼婦に,耳元で卑猥な冗談を囁かれ,耳を咬まれる,そんな気分に浸ることが出来る。もう廃盤のはずなので,中古レコード屋で探してください。
 

Schoenberg: Pierrot lunaire - Lied der Waldtaube
J. Norman, I. Minton (Soprano)
P. Boulez (Dir), BBC, et al
Sony (1993-07-15)
 

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Cora Vaucaire, Récital en Japon, 1980.

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会社から帰宅して,コラ・ヴォケールを聴いて,先日亡くなった彼女を偲ぶ。1980 年に初来日した際の,草月ホールでのリサイタルのライヴ録音。Cora Vaucaire, Récital - Enregistrement Public à Sogetsu-Hall。彼女による枯葉こそオリジナルといえる,ジャック・プレヴェールの詞になる名曲『枯葉 Les Feuilles mortes』,『桜んぼの実る頃 Le Temps des cerises』など,彼女の定番の 12 曲を収録している。レシタルのすぐあとにフィリップスから出たアナログ・レコードである。残念ながら廃盤で CD の再発売もならず,もう入手することは適わない。これは彼女のファンである妻が大学のころに買ったもの。伴奏をジャン・ピエール・レミ(ピアノ),鈴木秀美(チェロ)が担当している。鈴木秀美はいまやバロック・チェロのエキスパートですね。

いまの日本には,シャンソンのファンは数少なくなったんだろうけど,確実に,したたかに存在しているはずである。30 年前のこの盤に耳を傾けると,米国ポップスのふやけた輸入品のような JPOP の浅ましさ・見かけ倒しとは無縁の,粋な知性と衷心さが,いまにして身に沁みる。1980 年当時にしてコラ・ヴォケールはすでに 62 歳。それでも,「人生の数だけドラマがあり,愛の数だけシャンソンがある」なんてことを心の底から謳うのである。

C'est une chanson
Qui nous ressemble
Toi tu m'aimais
Et je t'aimais
Les Feuilles mortes
  それは私たちふたりに
  似た歌
  あなたは私を愛し
  私はあなたを愛した
『枯葉』中村敬子訳

こんなシンプルな愛の表現はいまやリアリティを失い,もはや「時代遅れ」としか理解されない。ところが老いたコラ・ヴォケールの声にかかると,セピアな恋の時代に心地よく逆行できる。年とともに藝に磨きがかかるという真実。越路吹雪や加藤登紀子によるコラ・ヴォケール・ナンバーのカバーも忘れられない味があった。

モンマルトル。サン・ジェルマン・デ・プレ。恋する詩人たち。「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ / われらの戀が流れる / わたしは思ひ出す / 惱みのあとには樂しみが來ると / 日も暮れよ 鐘も鳴れ / 月日は流れ わたしは殘る」(アポリネール,堀口大學訳)。場末のシャンソン。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し」と朔太郎が歌った憧れのフランス。
 

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注文していた『公式フェラーリ F1 コレクション 2011年 10/26号』が届いた。F1 グランプリの思い出に浸ったはずみで,ネット発注してしまったのである。このシリーズはアシェット・コレクションズ・ジャパンが隔週で発行する歴代フェラーリ F1 のコレクションで,先頃創刊されたばかりである。1/43 スケールのミニチュアが付いている。この号は,1990 年にアラン・プロストがドライブした Ferrari 641/F1-90 である。詳細な解説付で 1990 円というこのコレクションの価格は,1/43 ミニカーが通常 4 〜 6 千円することを鑑みると,魅力的ではなかろうか。とはいえ,シリーズ全部を取り寄せるとお金がいくらあっても足りないので,私はこれはと思う 1970 年代のフェラーリの号だけを選択的に集めようと目論んでいる。

書斎机のマックの横にミニカーを飾ったら,「子供みたい」と妻に笑われた。「いいでしょ,子供なんだから」。ホント,そうなんだから仕方ない。なかなか精巧である。Ferrari 641/F1-90 を,これだけはと思って購入した Ferrari 312T4(ジョディ・シェクターが運転して優勝した 1979 年モナコ・グランプリ仕様)と並べて,いま子供のようなプチ喜びに浸っております。でも,これが 3 台,4 台と増えて行くと置き場所に困るなあ,なんてふと思うくらいだから,後の号は買い忘れてしまうかも知れない。
 

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公式フェラーリF1コレクション 2011年 10/26号 [分冊百科]
Ferrari 641/F1-90, A. Prost, 1990.
アシェット・コレクションズ・ジャパン (2011-10-12)

秋,クラシック音楽に浸っております。今日は少し汗ばむ暑い昼下がり,ハイドンの弦楽四重奏曲集『太陽』全曲を楽しんだ。Haydn - Streichquartette op.20 »Sonnen-Quartette«, Hob.III: 31-36。ドイツ・グラモフォン,1994 年,ハーゲン四重奏団の演奏による比較的新しい録音である。若々しく端正なハイドン。
 


交響曲などの大編成オーケストラによる作品がコンサートホールに集う市民たちの祝祭であるとするなら,室内楽作品は心をひとつにする極く少数の仲間内の親密な語らいである。前者が公的でシンプルで華やかであるならば,後者は私的で複雑で洗練されている。室内楽でも弦楽四重奏という形式は,ことにその傾向が強い。そしてその至高の表現者はいうまでもなくベートーヴェンであった。彼の交響曲は誰にもわかるようにシンプルに書かれ,高い演奏効果をもち(アマチュア・オケによる演奏であっても),よって人気も高い。それに対し,弦楽四重奏曲は複雑(とくに後期作品は複雑怪奇といってもよいくらいである)で,気難しく,実験的で,極めて難解である。市民的オーディエンスのためではなく,作曲家自身,あるいは演奏家,音楽的教養の豊かな選ばれた少数の人たちのために書かれているといえる。

ハイドンはそういった弦楽四重奏曲という形式を完成させた作曲家とされている。ベートーヴェン,シューベルト,ブラームス,シェーンベルクの弦楽四重奏曲を知ってしまったわれわれからすれば,難解なところは少しも感じられないけれども,彼の作曲した数多の弦楽四重奏曲群は,「演奏効果」だけからすれば,聴くをもっぱらとする側にとって退屈なシリーズであるかも知れない。ところが「演奏者にとって」は,四国八十八箇所の霊場巡りのような,求道的鍛錬と悦びの混淆する魅力のあるモニュメントになっている。私の大学のころの友人に大学サークルの弦楽四重奏団でヴァイオリンを弾く者がいたが,彼の曰く,優れた四重奏はたくさんあるが,弾いていて楽しい四重奏はハイドンがピカイチ。もっぱら聴くばかりの私は「ふーん」であった。

それでももちろんハイドンは,「演奏者」ほどではないにせよ「聴くばかりの者」にも確かに素晴らしい弦楽四重奏曲を書いている。私にとって『太陽四重奏曲集』はそんな作品のひとつ。第四楽章のシンコペーションが印象的な第一番変ホ長調,優美で長閑なテーマの第二番ハ長調など,愉悦に溢れた楽しい作品が全 6 曲。なかでも私は第五番へ短調が大好きである。疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)時代の理性の裡に秘めた激情というのか,Romantik に成り切れない者の節度ある憂愁というのか,第一ヴァイオリンの奏でる哀愁のあるテーマが胸を打つんである。東京カルテット演奏のアナログ・レコードではじめて聴いたときは,ハイドンにもこういうドラマティックな感情があるのかと感嘆した覚えがある。
 

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お休みの今日,バッハの平均律クラヴィーア曲集を第一巻,第二巻全 48 曲通して聴いた。この曲の私のお気に入りの盤は,何といってもロシアのピアニスト,スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ演奏によるもので,普段はもっぱらこちらばかりなんであるが,今日はケネス・ギルバートによるチェンバロ演奏,1984 年・独 Archiv Produktion から出た Das Wohltemperierte Clavier, Teil I & II, BWV 846 - 893, Präludien und Fugen を久しぶりに再生した。

チェンバロ盤はグスタフ・レオンハルト,鈴木雅明,ケネス・ギルバートの録音を取っ替え引っ替え聴いている。いずれもお気に入りなんだけど,ギルバートの盤は,音響の粒立ち,広がりのよい録音と,確かな技量に支えられたクセのない演奏とで,飽きが来ない。オーソドックスな演奏だと思う。清々しい朝に華やかに鳴らしても,深夜に音量を絞って耳を傾けても,満ち足りた独りだけの贅沢な時間を過ごすことが出来る。

私にとってバッハの平均律はこれまでの人生でもっとも大切な音楽の筆頭である。ハ長調からはじまって半音ずつ主音を上げつつ長・短それぞれの調性で前奏曲とフーガを織りなし,12 音・長短調の全 24 曲かけて一巡りして円環が閉じられるとき,何か壮大な世界が完結する。キリスト者が苦悩のなか聖書の一節を顧みるように,自分の人生のある時点の境遇・気分にぴったり嵌る曲をこの曲集のなかに見つけるのが,私の精神的習慣になっている。

普段はレディ・ガガや Acid Black Cherry などの米国 POPS,JPOP ばかりに夢中で「クラシック音楽は退屈」と言って憚らないウチの娘も,私の影響からか,バッハだけは別格で,バッハの平均律を聞くと「神のいる宇宙の広がり」を想像してしまうらしい。第一巻の楽譜を買い与えてやったら,24 番ロ短調 BWV 869 を結構真面目に練習していた。でもきちんと弾けるようになる前に,受験,バレーボールその他もろもろの理由で,残念ながら,さらうのをやめてしまった。「音符の数はスカスカなのに何でこんなに難しいの?」— 「バッハは複数の旋律線が別々に聞こえて来ないとまったく何が何やらわからないんだよ」— 確かに娘にバッハの平均律は何十年か早かった。それでも,まったくヘタクソでも,娘があの瞑想的なプレリュードを弾くのを耳にしたときは,なんとも言えない感慨を覚えたのである。
 

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ギルバート演奏の私の所有するレコードは,東京に出たてのころ秋葉原・石丸電気で見つけた輸入盤 CD 4 枚組。この盤をアマゾンで探してみたが見当たらなかった。多分これが再発盤と思われるもののリンクを設置しておきます。
 

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Moon Calendar

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